Flag35:魔道具屋に行きましょう
初日にオットー服飾店に全ての生地を卸してしまいましたので、予定が早まってしまいました。オットーさんの時間さえあれば色々と聞いてみたい話もあるのですが、生地を引き渡した瞬間に店の奥へと引っ込んでいってしまった様子からも修羅場であることは明確です。おそらく冬の社交界シーズンまではこのような状態が続くのではないでしょうか。体を壊さないと良いのですがね。
昨日の夕食時やきょうの午前中に必要なものを仕入れたりしつつ噂話などを拾ってみたのですがお姫様に関してはオットーさん以上の話を聞くことなど出来ませんでしたし、キオック海へ行って帰ってこないウェストス海運商会の4隻の船に関してはそういえばそういった船もあったね程度の認識しかないようです。最悪すぐにでも引き返す必要があるかも知れないと覚悟していたのですが少し拍子抜けしてしまいます。
お姫様に関しては何というか根も葉もない噂が飛び交っているのでこれ以上情報収集しても無駄でしょう。身長2メートルを超える大女などといったものまでありましたしね。
信ぴょう性の高いオットーさんの情報から考えて、今回のお姫様の寄港に関してはこの前の襲撃と関係している確率は低いでしょう。0とは言いませんが他国との融和を図っているお姫様がわざわざこの国の付近で揉め事を起こすとは思えませんから。
午前中に店を回って日持ちする野菜に関してはかなりの量を確保しています。少々値段は張りますが今の私にとってはそこまで負担ではありません。さすが港町といったところか樽単位での販売をしていましたのでそのまま購入しました。
樽単位とは言っても漁船で運ぶことのできる量でしかありませんし、ローレライの方々の人数を考えれば十分とは言えないのですがね。とは言え漁船に樽が並んでいる姿を見るのは壮観です。もちろんあまり積み込みすぎてバランスを崩しては元も子もありませんのでその辺には十分に注意しています。
そして今回の寄港の要件の残りは魔道具屋に料理の魔道具を買いに行くことだけになってしまいました。魔石の購入に関しても魔道具屋のアイシャさんに聞けばよいでしょう。一応冒険者ギルドで購入することが可能ということはわかっているのですが、魔道具屋でも購入が可能でしたしどちらの方がより自然なのか確認してみないといけませんからね。
今回のルムッテロの町の寄港については少々短いとは思いますが明日には出港することに決めました。本物のお姫様を見てみたいという気持ちが無いわけではないのですがそれだけの大きな出来事があるということは、それに伴ってトラブルも起きやすいからです。
私の気にしすぎと言われればそうなのかもしれませんが、あえて必要のないリスクを負うこともないでしょう。
そんな訳で午後からは魔道具屋に行くことに決めました。相変わらずの外見からは歓迎している様子の全く見えない店構えです。そのことに少し苦笑しながら一応ドアをノックしてから応答を待ち、相変わらず返事がないためそのまま店内へと入っていきます。
リーンという澄んだ音が店内へ響きました。
「お待たせしました。あっ、ワタルさんでしたね。いらっしゃいませ」
「お久しぶりです。アイシャさん。注文した品は用意できていますか?」
「はい、もちろんです。少々お待ちください」
ゆったりとした仕草でアイシャさんが店の奥へと入っていきます。とりあえず1か月程度というあいまいな期間だったのですが用意してもらえて良かったです。
アイシャさんが奥から商品を持ってくる間に店内を物色します。目的はずばり冷蔵庫または冷凍庫の代わりになるような魔道具がないかということです。この地方は温暖な気候ですので常温で放置した場合野菜や果物はどんどんと腐っていってしまいます。現状としては空調管理ができ、巨大な冷蔵冷凍スペースのあるフォーレッドオーシャン号に食材を保存していますが将来私がいなくなった場合を考えるとそういった魔道具が不可欠になってきます。魚に関しては新鮮なものが確保できるので問題はないのですがね。
前回来た時にも一応見て回ったのですが無かったのですよね。見落としたのかとも思って再度探してみたのですがやはり店頭には並んでいないようです。
「お待たせしました。あれっ、どうかしましたか?」
キョロキョロと店内を歩き回っているとアイシャさんが帰ってきたようです。私のことを不思議そうに眺めています。
「あぁ。いえ、冷蔵庫のようなものがないかと思いまして」
「冷蔵庫ですか?」
「そうですね、食材などを冷やして腐らないようにする魔道具なのですが。えっとこういった感じの」
私の身長ほどの四角形の箱をイメージして手を動かしつつアイシャさんにお伝えしますがあまり理解は得られませんでした。商品自体がないのか、それともこの店では取り扱っていないのか判断に迷うところです。需要はあると思うのですがね。
「えっとお父さんに聞いてみます」
「すみません。よろしくお願いいたします」
アイシャさんが踵を返して戻っていく間にお金を用意しておきます。目の前にはカセットコンロのような火の魔道具と壺の形をした水の魔道具が10ずつ並んでいます。値段は1つにつき2万スオンでしたから合計で40万スオンですね。
しかしこの金額の注文をお金も先に払わずにしてしまったのは失敗だったかもしれません。この魔道具の耐用年数がどれほどかはまだわかりませんがもし私が受け取りに来なかった場合店に大量の不良在庫が残ってしまうところでした。これからは先払いでお金を払っておくことにしましょう。
そんなことを考えているとアイシャさんが一人の男性を連れて戻ってきました。40絡みのいぶし銀といった感じの渋い男性です。アイシャさんにはまるで似ていませんがお父さんなのでしょう。私を見るその目つきは鋭く、なんと言えばいいのでしょうか、品定めされているようですね。こんな視線にさらされるのも久しぶりです。少し楽しくなってしまいます。
「お初にお目にかかります。ワタル カイバラと申します。アイシャさんのお父様でいらっしゃいますね」
「ああ、ラシッドだ。アイシャから話は聞いている。物を冷やす魔道具だな。何に使うつもりだ?」
「食材の保管に使う予定です。見たところ店内には無いようでしたのでお聞きした次第なのですがご存知ありませんか?」
「今はない」
「ということは作ることは出来るという理解でよろしいですか?」
ラシッドさんがゆっくりとうなずきます。その返事にほっと胸をなで下ろします。1から新しいものを生み出すというのはかなりの労力と費用がかかってしまいますからね。この開発費のせいで会社を潰してしまうということも珍しくはありませんし。
「注文しても宜しいでしょうか?」
「高いぞ」
「いかほどでしょうか?」
「アイシャから聞いた大きさなら10万スオンだ」
「わかりました。代金は先払いでよろしいですね?」
「えっ、あのワタルさん。いいのですか?」
私の言葉に驚いたアイシャさんが慌てて話に入ってきました。先払いということが珍しいのでしょうか?いえ、そういえばこの店の商売の相手としては完全にこの町に住む住人の方なのでしたね。そう考えると先払いということはほとんどないのかもしれません。むしろ分割払いなどの方が多いのかもしれませんね。
私は笑いながらアイシャさんに返します。
「私は船で商売をしていますから下手をすれば2度と来られなくなってしまう可能性もあるのです。だから先払いは当たり前です。むしろ前回は気づかずに申し訳ありませんでした」
「でもまだ商品を見てもいないのにお金をいただくなんて……」
「大丈夫ですよ。以前この店で買わせていただいた魔道具も問題なく使用できていますのでラシッドさんの腕を信頼させていただきます。とりあえず10個お願いいたします。それと火と水の魔道具も同じく10追加できるでしょうか?」
「えっ、あの。ちょっと待ってください」
アイシャさんが慌てて紙に私の注文を書き留めています。そんな彼女から視線を外しラシッドさんの方を見ると私を見る目が若干ではありますが柔らかくなったような気がします。まあ表情はほとんど変わっていませんので私の妄想かもしれませんが。
「1か月以上かかるかもしれんぞ」
「はい。ラシッドさんが納得のいく納期で構いません。特に緊急でもないのにこちらの都合で期限を決めるつもりはありませんので」
「ふっ」
ラシッドさんは私の言葉に少し口の端を上げ、店の奥へと戻っていってしまいました。それに気づいたアイシャさんが呼び止めていましたが戻ってくる気はないようです。アイシャさんは少し頬を膨らまして怒った後、すぐに私がいることを思い出して謝ってきました。「私は気にしていませんので大丈夫ですよ」と返し代金の支払いをしてしまいます。
職人さんの中にもいろいろなタイプがいます。オットーさんのように比較的社交的な方もいらっしゃいますが、ラシッドさんのように簡単には心を許してくれないタイプもやはり多いのです。年配の方は特にラシッドさんのような気難しい方が多かったですね。いえ、どちらかと言えばラシッドさんはまだまだ優しいくらいです。会った瞬間に顔が気に入らないから帰れと言われたこともありますしね。
そういった方の特徴としては相手を品定めしていることが多いということでしょうか。職人というストイックな道を歩んできたからでしょうか、相手にも同じような何かを求めているのかもしれませんね。ただ単に相性の場合もあるかもしれませんが。
アイシャさんから代金を支払ったという書面をもらい、そしてついでに聞いておきます。
「そういえば魔石の値段は落ち着いたようですね」
「はい。1週間ほど前にだいたいいつも通りになりました。買っていかれますか?」
「そうですね。しかし魔道具で使うのもそうなのですが私の場合ギフトシップで航海しますのである程度の量が必要なのです。その場合はこちらで買うより冒険者ギルドの方が良いのでしょうか?」
アイシャさんがうーん、と頭を悩ませています。その様子を見て気づきます。これは失敗しましたね。この店の立場で考えればこの店で買ってもらったほうが良いに決まっています。まさか赤字になる値段で魔石を販売しているはずがありませんし。
「申し訳ありません。ここで聞くべきことではありませんでしたね」
「いえ、別に大丈夫です。えっと、値段としてはどちらで買っても同じなんです。魔石の販売に関しては確かに冒険者ギルドから仕入れてはいるんですけど代理で販売しているというか……」
「つまり冒険者ギルドから委託販売を頼まれていると言うことですか」
「はい。あっ、でもこの前の買い占めがあったので冒険者ギルドでは個人に関する魔石の購入について制限が掛かっていると聞きました。うちの店は除外されていますけれど」
「ふむ……」
アイシャさんの答えに少し考え込みます。
確かに魔道具屋であればその燃料である魔石を同時に買い求める人が居るでしょうから販売を委託する先としては妥当です。感覚的には切手と同じようなものでしょう。値段は変わらず一見して店の利益にはならないように感じますがその販売量などから手数料を計算して支払ってもらっているのですかね。
魔石の一時的な大量購入によって町の暮らしが混乱したのですから購入制限をかけるというのは当然です。ギルド主導なのか領主主導なのか気になるところですが1か月もしないうちに打開策を実行できている段階で優秀な人材がいるのでしょう。
普通のギフトシップ乗りであれば冒険者ギルドに直接買いに行くというのが当たり前なのでしょう。わざわざ魔道具屋まで行って買う必要もありませんしね。しかしこの魔道具屋とは長い付き合いになりそうな予感がします。
よし、決めました。
「わかりました。それではこの店で魔石を購入しましょう。とりあえず10万スオン分で購入できる量をお願いいたします。一度に買うと在庫が不足してしまうというのであれば少しずつ貯めていただけるとありがたいのですが」
「いえ、そのくらいなら大丈夫です。荷物はまた商人ギルドでよろしいですか?」
「そうですね。出来れば船までお願いします。桟橋にあるギフトシップは1隻だけでしたのですぐにわかるとは思います」
「わかりました。だいたい2時間後くらいに持っていってもらいます」
「ありがとうございます。それでは失礼しました。ラシッドさんにもよろしくお伝えください」
「……あっ、待ってください」
10万スオンを置き、店を後にしようとしたところでアイシャさんに呼び止められました。何かありましたかね?
振り返るとアイシャさんが私に向かって4枚の金貨を差し出していました。
「前回予約としていただいた代金です。お返ししなくてはと思っていたのですが忘れていました。思い出せてよかったです」
「そうでしたか。ありがとうございます。それでは、また」
「ありがとうございました」
アイシャさんの見送りの言葉を受けながら扉を開け店を出ていきます。
うーん、私としては荷物を運んだり店にはない魔道具を作っていただくための手間賃のようなもので良いかと思っていたのですがきっちりしていますね。
手のひらにある4枚の金貨の感触を確かめながら何となくそんな頑固そうなところは親子で似ているのかもしれませんねと考えるのでした。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【船で働くには?】
以前、船員になるための話をしたかと思いますが船で働くためには別の方法もあります。その中でも代表的なのは調理師です。
ただこの調理師というのも大変で揺れる船の中の広くない調理場で料理を作るだけでなく、材料の仕入れなどの管理もしなければなりません。船員は出身はバラバラであることの方が多いですしそれを満足させる料理を作らなくてはいけないのです。
海のコックさんは実は大変なのです。
***
ブクマ、評価、感想までいただきました。
感謝、感謝です。




