Flag34:オットーさんたちと話しましょう
「お待たせして大変申し訳ありませんでした」
「いえ、プロの方のデザインする現場を見ることなどそうそうありませんのでこちらこそ良い体験をさせていただきました」
謝るイザベラさんに逆に感謝を伝えます。未発表のデザイン画を見る機会などあるはずないのですから貴重な体験です。しかし一着の服のデザインを書き上げるのに20分弱とは本当に神が乗り移ったのかと思うくらいに速いですね。絵心のない私としては驚異の速さと言わざるを得ないのですが実際のデザイナーの方はどうなのでしょう?知り合いがいませんので流石にわかりませんね。
「そういえば私に来て欲しいとのことでしたが、やはり生地の追加注文という訳ですか?」
「はい。しかも大量になのですが。」
「大量とはどのくらいですか?」
「各種20単位でお願いしたいのです」
「20ですか!? いえっ、失礼しました。」
オットーさんのその言葉に思わず驚きの声を上げてしまいました。1反が約23メートルの生地ですので単純に計算しても各種500メートル弱の長さの生地を1度に発注するなど普通ならありえません。金額にして800万スオンになるのです。およそ1億円ですよ。
個人の服飾店でそれだけの金額の仕入れを行えるということも驚きなのですが、何より1度しか取引をしていない私をあまりにも信用しすぎているように感じます。もちろん裏切るつもりなどありませんが何か事情がありそうですね。
「難しいでしょうか?」
イザベラさんがすがるような表情で私を見ます。あまり目立たず、波風を立てずにじっくりと関係を深めていくつもりでしたがこれは逆にチャンスかもしれません。目立つことは目立ってしまうでしょうが、それがわかるのはオットーさん夫妻と仲介している商人ギルドくらいなものです。
生地の出処を探られたくないであろうオットーさん夫妻は私のことは黙っているでしょうし、ギルドに対しても影響力はあるのですから牽制はしてくれるでしょう。それでもなお情報が漏れるというのであればその時はその時です。まあ商人ギルドを見限るでしょうね。
オットーさんと直接取引を行い商人ギルドへ仲介手数料を払わないようにすればいいのですから。商人ギルドのランクが上がらないのは信頼度を上げるという点ではもったいないのですが最低限の身分保障は出来ていますし、なにより下手に稼いでいることが不特定多数に知られている方が厄介ですからね。商品さえ良いものであればランクが低かったとしてもオットーさんのような一流の店との取引も可能とわかっていますし。
「今回船には各種5つしか積んできていませんのでとりあえずはそれだけ全てを卸させていただきます。残りについては早いうちに用意しようと思いますが、時間をいただけますか?」
「あぁ、助かります。ちなみに期間はどのくらいならば可能ですかな?」
「1か月程度あれば何とかしてみせます。」
私の答えに2人がほっと胸をなで下ろします。そしてお互いの目を合わせ無言の会話を終えると改めて私の方へと向き直りました。
「無理を言って申し訳ない。ワタルさんが持ってきてくれた生地で領主様と奥様に新しいテールコートとドレスをお作りしたのですが大変気に入られたようでして、さらに王都で開かれたパーティで着たらしく、耳ざとい貴族の方々から既に注文が来ているのです。領主様の紹介状をお持ちの方もいらっしゃるためお断りもできずほとほと困っていまして」
「何とかデザイン画や型紙を作ったりといつでも動けるようにはしておいたのですが冬の社交界シーズンに間に合うように動くとなるとそれにも限界がありましてね」
「それは大変ですね。わかりました。生地については早々にお持ちしますね」
貴族の方々からの注文ということはフルオーダーメイド、しかも本人と会うこともなくそれを行うということは並大抵の労力ではないことは想像に固くありません。おそらく注文された段階である程度の数値については書かれたものが送られてくるのでしょうが、不足している場合はやり取りを行わなくてはいけませんからね。無駄にしている時間などないというのが本当のところでしょう。
「あぁ、本当に良かった。これで第3皇女様のドレスにも取り掛かれそうだ」
「今度こちらにいらっしゃるというランドル皇国のお姫様のものですか?」
「はい。領主様からドレスをプレゼントしたいとのご要望がありまして。我が国のドレスの素晴らしさを見せつけるとのことでした。ランドル皇国は綿花の一大産地でもありますから対抗したいのでしょうな」
「国の面子というのも大変ですね」
「いや、全くそうですな」
相手の国の産地の品をあえてプレゼントするですか。まあ普段戦争しているような間柄なのですからこの程度の応酬は当たり前なのでしょう。いささか子供じみていると感じてしまいますがね。
しかしランドル皇国は綿花の一大産地なのですね。ということはオットーさんに話を聞けばランドル皇国の内情について多少は知ることが出来そうです。なにしろ服飾店なのですから濃い取引をしているでしょうしね。
「そういえば町で噂になっているようですが、第3皇女様とはどういった方なのですか。ランドル皇国とノルディ王国は仲が悪いと聞いていたのですが」
私の言葉にオットーさんが苦笑しながらうなずきます。仲が悪いということに間違いはないようですね。
「第3皇女様は皇位継承権は低いのですがその分身軽に動くことができ、その美しい容姿と相まって国民からの人気は高いようですな。また皇国には珍しく他国との融和を考えていらっしゃるとのことで度々外交にも出て行かれるようです。これは秘密ですがスタイルも中々のものです」
「ごほん」
「ええっと、最後の言葉は聞かなかったことにしておきますね」
「いやはや、申し訳ない」
わざとらしいイザベラさんの咳にオットーさんがあまり悪びれる様子もなく謝ります。イザベラさんもそこまで怒ってはいないようです。
確かにドレスを作るのであればオットーさんの所にはそのお姫様の体型を計った数値が渡されているはずですからね。と言うよりもイザベラさんの反応を見るにそれを知らなかったとしてもお姫様のスタイルが良いということは知っていたのでしょう。
やはりオットーさんはランドル皇国について他の人よりも詳しい情報を知っているようですね。町の噂はどんな人なのだろうとかそういったレベルでしたので。詳しく話を聞いてみたい気もしますがオットーさんも忙しいようですしまた折を見てとしましょう。
「それでは今から船に戻って生地を持ってきます」
「助かります。料金の支払いはギルドを通してさせていただきます。さすがに200万スオンは店に置いてはありませんのでな」
「ありがとうございます」
「いえ、こちらこそよい取引をありがとうございます」
握手をし、そしてその手を離そうとしたところでオットーさんがハッと思い出したかのように頭を少し上げます。少しの間目を閉じそして私の目を見ると少しためらいがちに話しかけてきました。
「ワタルさん、ひとつ聞いても宜しいですかな?」
「なんでしょうか?」
「前回お会いした時にどうにもワタルさんは私が縫製の仕事をしているとわかっていたように思えるのですが?」
「そうですね。私はオットーさんが縫製の職人であると考えていました」
「なぜか聞いても宜しいですかな?妻とも話したのですがボロは出していなはずなのですが」
ああ、そういえばそんなこともありましたね。確かに態度だけを見ればオットーさんの振る舞いは完全に商人のそれであり、職人とは思えませんでしたし。オットーさんの場合は商人の顔も持っているので演技というわけではありませんから普通に見破るのは厳しかったかもしれません。私も違和感を覚えなければ見破れなかったかもしれませんしね。
今も考えているのか少し眉根を寄せているオットーさんへと微笑み視線を下へと向けます。
「私が職人だと判断した理由はオットーさんの手です」
「手、ですか」
「はい。最初の挨拶の時に握手をさせていただきましたが、オットーさんの手に出来たタコの位置が気になったのです。ただの商人であれば書類を書く関係でタコが出来たとしても中指に出来るのでしょうが、オットーさんは親指の付け根と人差し指に出来ていました。それに皮膚の皮も厚い印象を受けました。だから裁ちばさみや針を使って実際に服を作っている職人なのだろうなと考えたわけです」
「ははっ、そうでしたか。手でわかってしまうとは思いませんでしたな。そうか、手か……」
オットーさんが自分の手をじっと見つめます。その手には今まで服を作り続けてきたオットーさんの歴史が刻まれているのです。私にはその片鱗しか見ることは叶いませんが、オットーさんの中でははっきりとそれが見えているのでしょう。
オットーさんが視線を私へと戻し晴れ晴れとした笑顔を見せました。
「あなたのような商人と出会えて私は幸せですな」
「私もオットーさんのようなすばらしい職人の方と出会うことができて幸運だと思っています」
「あら、2人とも私は置いてけぼりなのかしら?」
イザベラさんのからかうような言葉に2人して謝り、和やかな雰囲気の中オットーさんの店を後にしました。少し時間が経ってしまいましたがまだまだ船を行き来するくらいであれば余裕があります。
町の噂話に軽く耳を傾けながら注文の生地を持ってくるため船への道を進んでいくのでした。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【離岸流】
海岸に打ち寄せた波が沖に戻ろうとする時に発生する強い流れのことです。これはいつも同じ位置で発生するわけではなく地形の変化などによって動いたりします。1か月以上発生し続けることもありますが早く消えることもありなかなかに対応が難しい現象です。
1秒で最大2メートルもの速さで沖へと流されますので気がついたら浜と平行に泳いで抜けてください。
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