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「お初にお目にかかります。ワタル カイバラと申します」
「ようこそいらっしゃいました。この店の主のオットーです」
「妻のイザベラと申します」
差し出された手を握り返し、2人と続けて握手をします。
座るように促されたので、目の前の机に丁寧に布の入った包みを置き一言断ってから座ります。とは言っても背もたれにもたれかかるような真似はしませんがね。
「ギルドからの紹介状によるとすばらしい布をお持ちだとか」
「はい、ここからはるか西にあるヒノモトと言う国で作られた物です。私自らギフトシップで運んできましたので品質には自信がありますよ」
「ギフトシップをお持ちとはあなたは幸運ですな。イザベラさっそく見せてもらいなさい」
「はい、よろしいですか?」
「もちろんです」
イザベラさんが見やすいように包みを外し、綿と麻の生地を彼女の目の前へと移動させます。ミミさんがしたのと同じようにイザベラさんが生地の触り心地や染色などを観察しています。
「いや、服飾に関しては妻に一任しておりましてな」
「おやっ? そうなのですか?」
「私はもっぱらお客様の対応ばかりでして、その付き合いのせいか最近は腹回りが出てしまいましたがね」
「付き合いと言うのは大事なものですからね。オットーさんのお腹はさしずめその勲章と言った所でしょうか」
「妻には痩せろと言われますがね」
ハッハッハと笑うオットーさんに合わせて私も軽く微笑みます。こういった自虐的な笑いは対処が少し難しいのですよね。それに乗ってしまったがために相手を怒らしてしまう可能性もありますし。まあ無難に切り抜けられたでしょうか。
それにしても服飾に関しては妻に一任ですか?しかしそれにしては……
少し疑念を持ちながらイザベラさんの検分が済むまでオットーさんと会話を続けます。服については一任していると言うだけあり持ってきた生地のこととは関係なく、内容は私の出身地やギフトシップの話、この店の歴史やこの町の事についてなどについてなど様々です。その話の中でも客層の違う高級店ならではの町の話については参考になりますね。それと同時にオットーさんの狙いもわかってきましたが。
「ほぉ。ワタルさんの国はかなり独特な場所の様ですな」
「そうですね。周りを海で囲まれた島国ですので独自の文化が発展していますね。潮流の関係で普通の船ではまずたどり着けませんので他国とのやり取りもありませんから。私自身、ギフトシップを手に入れると言う幸運と流れ着いた遭難者の方との出会いが無ければヒノモトで一生を終えていたでしょうね」
感心したようにうなずきながら、一瞬オットーさんの目がイザベラさんへと向かいました。これで十分と言う訳ですかね。
イザベラさんが生地を置き、視線をこちらへと向けます。
「染色、織り、共に素晴らしい生地ですね」
「ありがとうございます。服飾の専門家のお2人にご説明する必要も無いかもしれませんが少し紹介させていただきますね。こちらのベージュとネイビーの生地は綿花より作られた物です。しかしただの綿花では無く「超長綿」と呼ばれる繊維の長さが3.5センチを超える品種を用いており、上品な光沢があり、触っていただいておわかりかと思いますが毛羽立ちも無く肌触りも良い最高級品です」
無意識なのかわかりませんが私の説明を聞きながらイザベラさんが生地をさらりと触るのを見て、少し微笑みます。
「そしてこちらのシアンとオフホワイトの生地は麻より作られております。麻にはいくつかの種類がございますがこちらはリネン、亜麻と呼ばれる一年草を使用しており、吸水、撥水性に優れております。この独特の触り心地は今のような暑い時期には爽やかな涼感を呼び、使い続けることで柔らかくなっていく非常にこの地域にあった生地となっております」
「ほう、なかなかお詳しいですな。付き合いや事務ばかりしている私よりも詳しいのではないのですかな」
「いえいえ、そんなことはありません。より良い商品を仕入れるために学びはしましたがやはり本職の方には適いません」
オットーさんの言葉に軽く首を横に振りながら答えます。商品をアピールする必要はあるのですが、必要以上に知識をひけらかしてしまうとマイナスになってしまいますからね。
特に職人の方は実際に作ってもいないのに知ったような気で話すなと言う方も多く、このラインの見極めが甘かった昔は、商品の説明に集中するあまり話しすぎてしまい相手の気分を害してしまったこともありました。結局は相手に気持ちよく買おうと言う気にさせることが重要なのですが、こればかりは経験しないと難しいですからね。
オットーさんはにこやかに笑いながら話すだけなのでなかなか読みにくいところがあるのですが、布を見ていたイザベラさんは私がオットーさんと話しているので自分には注意が向いていないと思っているのか、たまにうっとりとした表情で布を触っています。これなら大丈夫でしょう。
「それでは値段の交渉をさせていただきましょうか。ワタルさんはどの程度を考えていますかな?」
「そうですね。今回は100センチで切ってきましたが、実際は23メートル単位での売買を想定していますが、よろしいですか?」
お2人がうなずきます。特に問題はなさそうです。
値段についてはもちろん事前に想定してありました。そして店の中に入り売られている服の値段を勘案し修正も終わっています。ちなみに船のポイントで考えるなら綿、麻ともに約6万ポイントでした。ソードフィッシュの魔石一つでは買えないのですよね。
「私としましては1つにつき10万スオンと考えております」
「「……」」
オットーさんとイザベラさんが顔を見合わせて目で会話をしています。ふむ、こういうところは夫婦ならではですかね。
日本円として考えればおよそ100万円。100センチ単位で考えれば4万円を超える金額です。地球ならば鼻で笑われるか、激怒されるかどちらかでしょうね。しかしこれまでの市場調査、そしてこの店の服の値段を考えるとこの値段が妥当なのです。
服の原価率はメーカーによってかなり違いますが、平均的には30%程度でしょうか。そして素材の中で最も高い比率を誇るのが布です。まあボタンなどに宝石を使うようなものは除外するとしてですが。
店で見た服からおおよそで算出した要尺、一着の服を作るのにかかる布の長さから逆算し、服の原価の50%と設定した金額がこの10万スオンという金額です。布だけなのに原価率の平均を超える50%なのは交渉時の余地を残したということもありますが、この生地自体がその他の生地に比べるまでも無い品質だと自負しているからでもあります。
しばらく沈黙の時間が続きます。意外と難航しているようですね。席を外して直接話していただいても私としては構わないのですが。いっそそう伝えてみましょうか。
そんなことを考えながら用意されていたお茶へと手を伸ばします。オットーさんたちが全く手を付けなかったので飲まなかったのですがその紅茶は少々冷めていても薫り高く、変な雑味もないことから考えて良い茶葉を使っているようです。出来たなら最高の状態の時に口をつけたかったものですね。
そんな感じで楽しんでいると、2人の視線が私へと戻りました。慌てずゆったりとカップを元の位置へと戻します。
「わかりました。その値段でお願いいたします」
「そうですか。ありがとうございます」
驚きを隠し、にこやかに笑みを浮かべて手を差し出します。その手をオットーさんが握り返し笑い返してきました。
「いえ、こちらこそ良い取引でした。支払いは現物と交換でよろしいですかな?」
「はい、明日こちらへお持ちします。今日お持ちした布は差し上げますのでご自由にお使いください」
「悪いですな。それではまた明日」
「はい、それでは」
もう一度握手をし、店をあとにします。
しかし値段交渉も無しの即決とは少々見誤りましたかね。やはり知識が不足していると適正な判断が出来ませんか。まぁ、いいでしょう。私としては損はしていませんし、オットーさんの店とは良好な関係を築いていきたいと思っていますからね。逆に好都合だったと思っておきましょうか。
さあ今日のお昼は何にしましょうかね。美味しい店があると良いのですが。
ワタルというギルドからの紹介状を持ってやってきた男は帰っていった。最後まで涼やかな顔をしたままで底を掴ませないその姿はEランクの商人とはとても思えなかった。
「よろしかったのですか、確かに素晴らしい生地ですが交渉の余地はあったのでは?」
「いつもの手か? ワタルには下策だろう。ただ商品を運ぶだけの他の奴らとは違いワタルはこちらの事情にも精通しているようだったしな」
いつもの手とは生地の不備を指摘し値段を下げさせると言ったものだ。例えば麻の場合、どうしても繊維を生地にするためつなぎ目が出来てしまう。それは麻の生地の宿命と言ってよいものなのだが、その生地の織り方さえ知らない商人であればそれを指摘してやればだいたい値段を下げてくるのだ。
少々汚い手であることは重々承知しているが、こちらも商売である。騙し騙されが普通である世界であるし、値段を抑えた高品質の商品を作るためには必要なことなのだ。
イザベラがまだ少し不満そうにしているため、彼女の頭を撫でそしてゆったりと紅茶を口に含む。イザベラも紅茶に手をつけ多少は落ち着いたようだ。
「それにしても面白い人だな」
「そうですか? 確かに執事のような恰好をした商人は珍しいですが。しかし布や出身地の情報をべらべらと喋っていたのでは程度が知れます」
「違うよ、イザベラ。あれは話しても問題がないからあえて情報を明かしたのだ。実際他国の商人と交流の多い私たちでさえワタルの言うヒノモトと言う国のことは一切知らなかった。他の国とも交渉がないそのような国の布などワタル以外からは手に入らない。そうやって希少性を伝えたのだよ」
「あなたがそういうのであればそうなのでしょうけれど」
「それにワタルは私が実際に服を作っていることに気づいていたようだしね。本当に面白い男だ。しかしどうして気づいたんだろう?」
イザベラがわからないと首を横に振る。
特に会話の中でボロは出していない。あえて服飾の素人と装うのはその方が相手も警戒を緩めるし、先ほどの生地の欠点の指摘などで自由に意見を言えるからだ。反論されても自分が無知であったと伝えれば問題は無い。
しかしワタルの私に対する受け答えは一貫して私が服飾に関する職人であると知っているかのような対応であった。なぜわかったのか?それはわからない。だがそれが面白い。
「楽しそうですね」
「ああ、良い生地も入った。そして面白い人とも知り合いになった。ワタルとは今後も良い付き合いをしていきたいものだ。さあ、イザベラ。デザインを考えようか。新しいアイディアが浮かんでいるんだろう」
「ふふっ、わかりますか。では行きましょう。新しい流行を生み出すために」
カップを置き、イザベラと共に工房へと向かう。明日から、いや今日から忙しい日が続きそうだ。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【海上での交通ルール】
車が左側走行であるのと同じように海上を船で行く場合にもルールがあります。とは言っても海に道があるわけではありませんので車とはちょっとイメージが違いますが。
ぶつかりそうな航路だったときは右に舵を切るということが基本です。ちなみに風を受けて走るヨットとエンジンを積んだ船ならば船の方に回避する責任が出てきます。
ルールが守られれば事故はほぼ起きないはずなのですが無くならないのは車と同じですね。
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