Flag151:敵を引き付けましょう
両者の距離が1キロを切った辺りでギフトシップは海へと何かを投げるのをやめ動き始めた。しかしその方向はランドル皇国の船団の方向ではなくガルの方面へだった。
「やはり大型と言えど武装はあまり出来ていないようですね」
その様子を見ながらベネディクトが呟く。
確かに継続的な航海能力や操船性能から言えばギフトシップはランドル皇国の外輪船よりも二段も三段も上である。しかし欠点がないという訳では無かった。
ギフトシップは完成された船として現れる。そしてそれを分解しようとすると天罰が下るのだ。つまり戦える船として改造することが非常に難しいという事である。
移動式の大砲を積んだり、魔道具を積むと言った方法で武装することも出来ないことはないし、魔法の使える人員を乗せればそれなりに戦う事は出来る。それでも圧倒的な数の軍艦と比べるべくもなかった。
「船長、もしギフトシップが進路からそれたらどうしましょうか?」
傍にいた水兵の問いかけにしばしベネディクトは考え込んだ。視線を徐々に近づきつつあるギフトシップと今は見ることが出来ないがその先にあるドワーフ自治国のガルへと向ける。
「多少のずれならば追おう。後顧の憂いは無くすべきだ」
「上はあのギフトシップを欲しているようですが?」
「馬鹿を言え。上とは海戦をよく知りもしない輩と欲の皮の突っ張ったどこかの商会主のことだろう。ガウェイン大将なら沈めたとしても褒めこそすれ、罰は与えられんさ」
「ですね。必要のない心配でした」
2人が顔を合わせ笑いあう。海戦のことを理解していない上層部からの無理な注文が来るのは日常茶飯事だったからだ。ガウェインが大将になってからは比較的少なくなったとはいえ無くなったわけではない。
今回の特別なギフトシップの拿捕という命令もその1つという訳だ。
「まあ個人的には乗ってみたいし、あの船が欲しいと言う気持ちがわからないでもないがね」
「確かにそうですね」
既に彼我の距離は500メートルを切り、ギフトシップの姿がはっきりと確認できていた。一般的なギフトシップに比べて巨大な船体でありながらシャープなその洗練された美しさは貴婦人を思わせるほどだった。
船乗りであるのならばこんな船に乗ってみたい。それを体現したかのような姿に戦争中とはいえ惹かれるものがないとは言えなかったのだ。しかし彼らにとっては勝利こそ全て。その前ではそんな羨望ごときが心を動かすことは無かった。
そして2者の距離は300メートルを切った。
「放て!」
ギフトシップへと向けて魔法が飛んでいく。それは狙いたがわずその中心へと向かい、その途中で透明な壁にぶつかるようにしてかき消えた。
「やはりそれなりの装備は積んでいるか。しかし限りはある。継続して攻撃を続けろ。砲も狙える時は狙え!」
「「「「アイアイサー!」」」」
魔法が届く距離になったことで外輪船からの攻撃が激しく行われる。その全ては透明な壁に防がれてしまっているが魔法を防ぐ魔道具の燃費の悪さは誰もが知っていた。このまま攻撃を続ければいずれは終わりが来る、そう誰もが確信していた。
ギフトシップからは反撃らしい反撃はされなかった。しかしその代わりにその後部デッキへと出てきた獣人たちが海へと何かを次々と投げ捨てていく。それは黒く丸い玉のようなものだった。
「距離を保て。結界の距離に注意しながら対処しろ。見逃すな!」
「「「「アイアイサー!」」」」
海面へと浮かぶ黒い玉を的確に魔法水兵たちが処理していく。ギフトシップからは次々と黒い玉が海面へと投げられているがその全ては魔法によって破壊され、水しぶきを上げるだけの結果に終わっていた。
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距離を近づけ大量に撒けばどうにかなるかと思ったのですがなかなか思い通りにはいかないようで獣人の方々からは芳しい返事がもらえません。あまり近づきすぎるのもまずいですしね。
「うーん、デッドラインですね。仕方がありません」
事前に決めておいた線を超えたことを【環境把握】の立体地図で確認します。海中に一直線上に並んだローレライの方々の光点で把握できるようにしておいた訳ですがこの線が文字通りデッドラインになります。この線を超えた船は全て沈めると言う。
そしてその線を私の船に攻撃を仕掛けていた先頭の外輪船が超えました。
ドゥン! ドゥン!
2発の機雷が爆発し、外輪船が船足を急激に落としました。そして獣人の方が嬉しそうに外輪船が沈みそうだと報告に来ます。ひとまず安心ですね。
そのまま船を止めることなくいくつもの丸い玉が浮かぶ海を突っ切って進んでいきます。それがときおり船体に当たり嫌な音を立てていますが爆発することはありません。そもそもこれは機雷ではありませんからね。
私達が事前に海に撒いた黒い玉は全て機雷ではありません。ただの海に浮かぶ中が空洞になっている金属の玉です。
別に機雷を造るのに費用が掛かりすぎるというわけではありません。まあただの金属の玉に比べれば格段に費用は掛かるのですがね。それでも作れないと言う訳ではありませんでした。
それなのになぜこんなことをしたかと言えばこの戦争が終わった後の事を考えての事です。機雷は非常に強力で、しかも船からは見つけにくい兵器です。まさしく脅威と言って良いでしょう。
しかし戦争が終わった後、役目を終えた機雷と言うのは負の遺産でしかありません。交易が再開した時、何の罪もない商船が、漁師の船がその被害にあう可能性があるのです。それはどうしても防ぎたかった。
そうした考えの結果がただの黒い金属の玉を浮かべると言う方法になったわけです。
本当の機雷はローレライの方が長い紐を引っ張って水中で動かして船に当てているのです。その事実を隠すためにわかりやすく船からでも見えるように黒い玉を浮かべているのですがね。
このデッドライン付近には100を超える機雷が海中に用意されています。さらには周囲はこれでもかと言うくらいに黒い玉も設置しています。魔法を使える人員を多く積んだ先頭の外輪船は沈む運命ですしこれで諦めてくれると良いのですが。
1キロほど離れたところで船体を回転させると30度ほど傾いだ状態で外輪船が浮かんでいました。先頭が速度を上げたことで距離を離されていた2隻目の船も追いついてきたようです。
固唾を飲んでその姿を見つめていると、遂に先頭の外輪船がゆっくりと船体を横たえ水しぶきが上がりました。救助するにしても満足に動けない状況ですし、近づけば機雷の餌食になります。
ひとまず動きは止まるはず、そう思った時でした。倒れた外輪船から大きな火柱が3度空へと向かって放たれたのです。
「何でしょうか? トッドさんわかりますか?」
「すみません。わかりません」
トッドさんが首を横に振ります。今のタイミングからしてなんらかの合図であることは疑いようがないのですが……。普通に考えれば救援を求めるものであるはずです。しかしちりちりとした嫌な予感が胸をざわつかせているのです。何か悪いことが起こるとでも言うようなそんな予感が。
その予感が当たりだとでも言うように1隻、2隻と後続の船が救助も行う様子も無く突っ込んでいきそして機雷の餌食になって行きました。突撃しろと言う合図だったのでしょうか。
そんなことを考え始めたころ、慌てた様子でホアちゃんが操舵室へと飛び込んできました。
「海が、海が変な色になってる! 船が沈んだところ、人も魚も浮かんで動かないの!」
「動かない……まさか毒ですか!?」
「っ、親父!」
「アル君、ダメです!!」
操舵席から離れ飛び出していったアル君を止めようと追いかけます。何か不測の事態が起こった時に撤退する合図は決めてあります。フォーレッドオーシャン号で少し戻り、一周ぐるりと旋回すれば撤退は伝わるはずです。
【環境把握】で見ていた限り今はまだローレライの方々の所まで影響は出ていないはずです。アル君を向かわせるのは危険でしかないのです。
「ワタルさん!」
「えっ? ぐっ……」
ミウさんの聞いたことのない切羽詰まった声に疑問を抱くとほぼ同時に誰かがぶつかってきた衝撃で地面へと転がります。視線を上げるとそこには短剣を構えたトッドさんが立っていました。その短剣からは赤い液体が滴り落ちています。
自分の胸へと視線を下ろすと、黒いスーツと下のシャツの胸部分に穴が開いており白いシャツに赤いしみが広がっているところでした。不思議と痛みはありません。ただジンジンとした熱さと共に湧き上がる、なぜ? と言う疑問が頭を埋め尽くしていました。
「ふぅ、やっと隙が出来ました」
「な……ぜ?」
こぽっ、と血が口から溢れてうまく言葉が発せません。肺に血が入ってしまっているのでしょうか。
「ああああー!!」
ミウさんが憤怒の形相でトッドさんを組み伏せていきます。トッドさんは特に抵抗することも無くなすがままに私と同じように地面へと転がりました。しかしその表情はとても穏やかです。
「あなたは危険です。ローレライと交友を結び、国をまとめる橋渡しをし、途方もない金を短期間で稼ぎ、さらには兵器まで開発する。我々にとって最大の障害は他でもない、あなたです」
「黙りなさい。ホア、ポーションをワタルさんに!」
「わかった!」
ミウさんが背中を強く押さえつけ、トッドさんがうめき声を上げます。ホアちゃんが操舵席奥にあるポーションを取り私へと振り掛けていきますが治っているような気がしません。熱かった胸が徐々に冷えていき、痛みを感じるようになったのに声も出ず視界が暗くなってぼやけていきます。
「無駄ですよ。それはポーションではありません。この船のポーションは全てすり替えました。ユリウスから何か言われて私を警戒していたようですがそこまで手は回らなかったようですね。残念でした」
「そんな! いえ、個人の部屋には鍵がかかっていて入れていないはず。ホア、私の部屋の棚にポーションがあります。行きなさい!」
「うん!」
誰かが去っていく足音が聞こえます。おそらくホアちゃんでしょう。でも……もう……
「ワタルさん、ワ……さ……かり……て、置いて……で」
あぁ、耳も聞こえません。最後に一目で良いからミウさんの姿を、笑顔を見たかったのですが……。
頬に当たる温かい液体の感触を最後に私の意識は消えていくのでした。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【英蘭戦争のきっかけ】
1652年に始まった英蘭戦争は帆船時代の戦争として有名ですがそのきっかけはあまり知られていません。
当時、オランダもイギリスも巨大な商船団を抱えており海運業が盛んでした。いわゆるライバル関係だったわけです。そこでその状態を切り崩すためにイギリスが制定したのが「航海法」です。
この航海法の規定ではイギリス向けの商品はイギリス船またはその品物の生産国の船によって運び込まなければならないとされており、実質オランダの商船を締め出すような法律だったわけです。いわゆる保護主義なのですがこれに反発する形でイギリスとオランダは何度も戦争をする間柄に変わっていきました。
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