OS2:ランドル皇国海軍
月明かりの下、ランドル皇国海軍の船団はドワーフ自治国のガルへと向けて進んでいた。既にランドル皇国の領海からドワーフ自治国の領海へと抜けているのだが警戒をしている様子もなく船一隻さえ見えなかった。
一応警戒を続けていた水兵たちだったが、ドワーフ自治国の予想通りの無警戒さに見張りの水兵が思わずあくびをする。
「油断大敵」
「申し訳ありません!」
背後からかかった声に見張りの水兵が顔を引きつらせ、慌てて振り返りガウェインとその横に立つ副官に敬礼をする。
「見張りを続けろ。2度目は無いぞ」
「サーイエスサー」
その言葉に一瞬表情を緩め、そして真剣な顔で返事をして見張りに戻っていった水兵の姿に副官は苦笑する。その水兵の気持ちがわからないでもないからだ。
現在船では必要最小限の灯りしかつけていない。ある程度陸地からは離れた位置を航行しているとはいえ発見される可能性があるためだ。もちろん発見されたとしても負けるというわけではなく戦果が低くなってしまうという程度の予測ではあるのだが。
距離は離れているが周囲を20分隊に囲まれ、さらに中央の本隊の先頭をこの旗艦は走っているため前方の見張りでは味方との衝突を警戒する必要もない。ただ月明かりに照らされる海を警戒し続けるだけなのだ。
とは言えそれが油断してよいということではないと副官もわかっているが。
そんな考えに耽る副官をよそにガウェインはじっと暗闇の海を眺めていた。その視線の先にはおぼろげに味方の分隊の船影らしきものが見えている。夜間の航行中に関してはそれぞれの分隊のうち1隻の外輪船が旗艦となり指揮を執ることになっているためこの船が指揮を執るのは中央の本隊だけになるのであるが……
「大将、どうされましたか?」
視線を動かさないガウェインに副官が声をかける。
この副官はガウェインが海軍で一介の船長だったころから副官として補佐してきていた。ガウェインが昇進していくにあたって副官自身にも船長にならないかと言う誘いはあったが、言葉少なで誤解されやすいガウェインを補佐することを選んだ忠臣と言っても良い人物だった。
そんな彼だからこそ今のガウェインの様子に違和感を覚えた。現在いるのがドワーフ自治国の領海とは言えど危険性は低いためガウェインがこうして起きて警戒する必要はないのだ。明日の朝の開戦に向け仮眠するかそうまでしないまでも休んでいるべき状況だったし実際に副官もそう言った。しかしそれを断りガウェインは起きて警戒をし続けている。そんな状況に既視感を覚えながら副官はそれがいつのことだったか思い出せずにいたのだ。
「空気険悪、災来予感」
「……わかりました。一層気を引き締めるように伝えてきます」
ガウェインの低く重いその言葉に副官が既視感の正体を思い出す。
副官がガウェインの下で働きだしたころ航海中に同じようなことを言い、その直後に敵から奇襲を受け味方艦隊が多大な被害を受けたのだ。その戦いを無傷で切り抜け敵を打被した戦果でガウェインが昇進したためそのことに関して悪い記憶と言うイメージが薄れており副長は思い出せなかったのだ。
そして副長が手近な水兵にそのことを伝えようとしたそのとき……
ドォン、ドォン、ドォン!
何かが破裂するような大きく、そしてくぐもった音が振動と共に伝わってきたのだった。
**********
「どこだ。敵はどこにいる!」
「わかりません。周囲に船影なし!」
「そんな馬鹿なことがあるか。現に攻撃を受けているんだぞ!」
ランドル皇国の艦隊、その中でも第1隊と名付けられた小集団の旗艦の外輪船は混乱の極致にあった。いきなり大砲の発射音のようなものが聞こえたかと思えば僚艦が次々と航行不能に陥っているのだ。
敵の姿が見えればまだ指揮の取りようもあった。しかしそれさえわからない現状どうすべきか判断材料があまりに少なかったのだ。
ドォン!
「ぐっ!」
船全体を揺らすような振動にたたらを踏みながらもなんとか船長が踏みとどまる。周囲を確認し甲板上の被害が無いことを確認するとほっと胸を撫で下ろした。その直後に必死な表情で機関部にいるはずの部下が駆け寄ってきたことに悪い予感を覚える。
「船底部から浸水。長くはもちません!」
「穴をふさげ!」
「無理です。入ってくる海水の勢いが強すぎます。区画を封鎖して対応すると言っていましたが機関部にも影響が出るのは時間の問題です」
「くそぉ、何が起こってるんだ!」
船長が苛立たし気に足を鳴らしたがそれで状況が変わるはずがなかった。既に従えていた帆船のほとんどは航行不能に陥っており、船団の栄えある先頭を走っていたこの第1隊が壊滅状態であることは疑いようのない状況だ。
その時後方で大きな火の玉が上空に打ちあがった。
「船長、撤退の合図です!」
「馬鹿が。今の状況で戻れるはずがないだろうが!」
喜色を浮かべた部下を船長が怒鳴りつける。船の状態もそうではあるが、それ以上にこの隊の壊滅の責任があるのだ。有益な情報の1つでもあればマシだが、現状なに1つわかっていない。そんな状態で帰還など出来るはずがなかった。
何の成果も出せない無能の行く先など決まっているのだから。
船長が思考を巡らせる。周囲に見えるのは自分の船と同様に沈みかけている僚艦の姿だ。その中には積んでいる火薬に火がついたのか爆発して燃え上がり周囲を明るく照らしている船さえあった。
波によって揺れ動くその炎が船長の瞳に映り妖しくその瞳を揺らす。
「灯り、灯りだ……」
「せ、船長?」
「僚艦に火を放て。魔法でも火矢でも構わん。周囲を照らせば手掛かりが見つかるはずだ!」
「しかしまだ僚艦には味方が……」
「それがどうした。誇り高き帝国海軍の船が何の成果も残せずに沈むことの方が問題だ。第1分隊旗艦フリューゲル号船長として命じる。僚艦に火をつけろ。手段は問わん!」
「サーイエスサー」
目を血走らせた船長の言葉に副官はそれ以上抗うことが出来ず指示を受諾した。そしてその指示は速やかに広がっていきフリューゲル号から飛んだ火矢や魔法によって僚艦が炎上していく。僚艦から聞こえてくる悲鳴や怒声の中を徐々に沈みつつあるフリューゲル号が進んでいった。
甲板には青い顔をしながら自らの放った魔法で燃え上がっていく僚艦を呆然と眺めている水兵がいた。耳をふさぎひたすらに謝る水兵もいた。それでもフリューゲル号は動き続けていた。しかし……
「なぜだ、なぜ敵の姿が見つからん!」
「船長、この船ももう限界です。避難を!」
「……そうか、そうだな。この船に火をつけ動かせば良いのだ。そうすればきっと」
「船長、何を!」
ぶつぶつと何事かを呟き始めた船長の目の前から炎が吹き上がりそれが甲板へと燃え移って広がっていく。巻き込まれた水兵が狂い踊るようにしながら海へと飛び込んでいった。
「ははっ、明るい。明るいぞ。これならきっと見つかるはずだ」
狂気を帯びたその船長の声に応える者は誰もいなかった。船長を見限った副官が部下たちに撤退を指示していたのだ。その指示に従って兵士たちは夜の海へと飛び込んでいく。一時的にでも命が長らえるようにと。
「どこだ、どこにいるのだ。ははっ、ははははは」
目を血走らせ周囲を見回すその瞳には既に部下がいないことなど映ってはいなかった。ただただ目に見えぬ敵を探し笑う船長を乗せながらランドル皇国海軍、第1隊旗艦フリューゲル号は炎に包まれ、しばらく後に海の底へと沈む運命をたどるのだった。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【プレス・ギャング】
ギャングと名前がついていますが今イメージするものでは無く軍籍のある水兵や士官で構成されたギャング団です。
18世紀、イギリスなどの海軍では人員を募集するときにある種の強制的な手段をとっていました。簡単に言うと街を歩いている人に声をかけ、水兵でないとわかると集団で取り囲み連れ去ると言った方法です。嘘のような話ですが実際にそうやって無理やりに海軍に入れられた人の手記やその様子を風刺した絵画などが残されています。
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お読みいただきありがとうございます。




