OS1:ランドル皇国海軍
ランドル皇国の南、入り組んだ入り江の奥に一般人には知られていない軍港が存在していた。いや、知られていないと言うのは正確ではない。その入り江へと近づこうとすると哨戒している軍艦に威嚇されるし、陸地から近づこうとしても厳しい警戒線が敷かれていて近づけない。人々はそこには何かがあるとは知っていながらそれが何なのかは知らないというのが最も適当な表現だろう。
その軍港には40メートル級の外輪船が整然と並んでいた。5つの桟橋にそれぞれ20隻ずつが停泊し、そして今にも動き出さんばかりに煙突から白煙を上げている。
それらの桟橋から少し離れた広場にそれぞれの船の船長や副官など500名以上の水兵たちが整然と並ぶ中、その目の前の一段高い台の上に糸目の男が昇った。水兵たちが固唾を飲んでその男の発言を待っている。
「出港準備、即時行動」
「目標はドワーフ自治国。海上戦力は無いはずだが油断するな! 目標地点に到着後拠点の設営、補給経路の確保を急げ。新兵器の取り扱いには十分注意しろ。自滅は許さんぞ!」
「「「「サー、イエスサー」」」」
ガウェインの発言に続けてその副官が張り上げた作戦指示に水兵たちが返事をし、それぞれの船へと散って行く。その表情はこれから戦争に行くとは思えないほど明るい。
それもそのはずでドワーフ自治国に海上戦力が無い事は周知の事実であり、たとえ同盟を組んでいると言ってもその湾岸には多くの船を止めておけるような港はほぼ無いのだ。それに加え風が無くても蒸気で動く外輪船と言う選ばれし船とその船に搭載された新兵器がこの戦いの勝利を揺るぎないものにしていると信じて疑わないのだ。
その様子を見えているのかわからないような目で眺めていたガウェインだったが広場から全員の姿が見えなくなったことを確認すると台から降り、そして自身の旗艦でもあるビクトリー号へと向かって歩き始めた。
その他人からは見えないくらいのまぶたに隠れた瞳は皆とは違い、ただ現状を冷静に見つめていた。
「油断大敵」
「確かに浮かれていますがあまりに厳しく言いすぎて水を差すのもまずいです。士気は高いに越したことはありませんから。何やらドワーフ自治国で不穏な動きがあるとは聞いていますがこちらに有利なのには変わりはありません」
「委細承知」
ガウェインの呟きのような言葉を斜め後ろを歩いている副官聞きとがめ反論する。しかしその反論にもガウェインは短く返すだけでそれ以上は何も言わなかった。そして副官もそれ以上何も口を出さない。長い付き合いのある2人ならではの理解がそこにはあった。
そして2人は旗艦ビクトリー号へと乗り込み、軍港から次々と外輪船が出港していく様子を眺めそして自身も港から目的地へと出港した。
ランドル皇国の外輪船の艦隊はドワーフ自治国への途中の港へと寄港しながらその数を増やしていき、ドワーフ自治国の領海へと入るころにはその数をおよそ300まで増やしていた。とは言え増えた船のほとんどは従来から使われている帆船であり、さらにそのうちのおよそ2割の40隻は軍艦ではなくランドル皇国の大商会であるウェストス海運商会の船であった。
船団は外輪船2隻と8隻の帆船という構成で小集団を作ってある程度の範囲に散開しており、残りの外輪船がウェストス海運商会の船の周囲を護衛するかのようにして進んでいく。その進みは決して早いとは言えない。船団を組んでいるためどうしても最も遅い船に合わせる必要があるということもあるのだが、なにより陸軍と足並みをそろえる必要があるためその調整をしているからだ。
しかしそれも今日までの事であり、夜間の内にドワーフ自治国の領海を進んでいき夜明けとともにドワーフ自治国の唯一の港ガルを強襲する予定になっていた。明日に向けて夕食には久々に豪勢な食事が並び水兵や船に同乗した陸軍の兵士たちの士気は上がっていた。
その船団の中央に位置するウェストス海運商会の船の中でもひときわ異彩を放つ全長25メートルほどの漆黒のギフトシップの中で1人の男がゆったりとした椅子に座りながらワインを片手に豪勢な食事を頬張っていた。その体はやや小太りで頬に贅肉のついたその顔は優し気であり争いごととは無縁とでも言うかのようだった。
その食事中の部屋のドアがノックされ男の返事を待たずに背の高い精悍な顔つきの男が入ってきた。
「ノックの意味ないよね。カーター船長」
「僕のことは気にしなくていいからと言ったのはあなただったと思いますが。お忘れですか、未来のドワーフ自治国支部長殿?」
「その名称はやめてほしいなぁ。僕にはルイジって名前が一応あるんだしね。はぁ、なんでそんな面倒な役割をすることになったんだか」
「ご自身の生まれた家が悪かったのでしょうね」
「それは僕には選びようがないしなぁ」
のほほんと返事をしながらもルイジの食事の手が止まることはなかった。にこにことした笑顔を崩さないルイジの様子にカーターがあからさまに、はぁーっと大きなため息を吐き厭々とわかる表情で言葉を続けた。
「ビクトリー号から連絡があり明日にはガルの制圧が完了するので準備を進めるようにとのことです」
「へえ、強気だね。ガルが制圧できるのは決定事項の様じゃないか」
「海軍もない国にこれだけの船団で向かって負ける要素がないでしょう。兵を裏から戦場へと送る役目がなければ船団の3割程度でも制圧は可能ですから」
「ふーん、まあ僕にはそういったことはわからないしどうでもいいや。準備はカーターから指示しておいてよ。僕の名前を自由に使っていいからさ」
もう興味はないとばかりに視線を外し食事を続けるルイジにカーターは侮蔑の視線を送り、そして荒い足音を残して部屋から出ていった。バタンと閉められた扉へと視線を向けルイジがため息を漏らす。
「はぁ、埃が立ちそうだな。それにしても見通しが甘いなぁ。皇子も軍もそして親父殿も。自国の変化に浮かれて相手国の変化に気づけていないんだ。いや気づいていても負けるはずがないって妄信してるってとこか。相変わらず狭い世界だねえ」
ルイジは自分の服の内側を探りそこから折りたたまれた1枚の紙を取り出す。大小さまざまな形の書かれたその紙の中央からやや右下に外れた場所。ルイジが良く知る形の上にはバーランド大陸と言う文字が小さく申し訳程度に書かれていた。
これはルイジが独自に手に入れた世界地図だった。確かかどうかなど証拠は全くないが少なくともこの世界地図で他の巨大な大陸に比べれば島と言っても良い程度の大きさで描かれたバーランド大陸の形はルイジの良く知る物だった。それだけがルイジがこの地図を大枚はたいて買った理由だった。
他の大陸ではどんなものがあり、どんな話がされ、どんなものが売れているのか。そしてどんな景色が広がっているのだろうか。そんなことをルイジはこの地図を見ながら夢想するのが好きだった。
ルイジの指がパーランド大陸をトントンと突く。
「こんな狭い世界で争って何になるんだ。せっかくのギフトシップもこんなことに使って。僕の提案したクレバヤシ商会との取引は却下するし、その上危険な軍への同行を命じてくる。親父殿も耄碌したなぁ」
ルイジは再び大きなため息を吐くと、丁寧に世界地図を折りたたみそしてその内ポケットへと大切にしまった。そして少し苛立たし気に厚いステーキへとフォークを突き立てるとそれを無作法に噛み千切るのだった。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【造船国家イギリス】
19世紀末、蒸気機関の発明もあり鉄と鋼の船体を持ち蒸気エンジンで進む船はどんどんと大型化しそれに対応するために大型の造船所が作られていきました。
その中でも特に造船に特化していたのがイギリスで1892年には世界中の造船量の80%以上がイギリスに集中していました。この率は20年ほどかけて徐々に下がっていきますが19世紀後半から20世紀前半のイギリスは正に造船国家だったと言えます。
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