Flag137:ドワーフ自治国から出港しましょう
翌日、私たちはドワーフ自治国のガルから出港して北へと進路をとりました。ドワーフ自治国とスエル川を挟んで北に位置するユミリア国へと向かうためです。日が昇ってすぐの早朝に出発しましたので海図で確認した限りユミリア国の港であるホーミリアへは日が落ちる前に着くことができるでしょう。トラブルが起きなければですがね。
他国へ行くというのに1日で着いてしまうと言うとこのバーランド大陸が狭く感じますがそんなことはありません。15ノット、つまりおよそ時速27キロで10時間ほど走り続けるわけですから距離にして300キロ弱ですからね。まあホーミリアがユミリア国の中でも北部に位置しているということもありますが。
こちら側の海についてはマイアリーナ号もあまり詳しくないということで現在はフォーレッドオーシャン号が先導する形で進んでいます。【環境把握】のおかげで岩礁などについてもより詳しく状況がわかるようになりましたし後方のマイアリーナ号にトラブルがあればすぐにわかりますからね。非常に便利です。
「よし、おっちゃん代わるぞ。飯食ってこいよ」
「では舵をアル君に。それではお願いします」
「おう!」
昼食から帰ってきたアル君と操舵を変わり私自身も昼食へと向かおうとしたところで操舵室前を横切る人影に気づきました。
またあそこに行くようですね。笑みを浮かべ昼食の前にその後を追うことにします。
操舵室前のソファーのある前部デッキからさらに降りたところ、この船の舳先の柵に体をもたれかけながらじっと流れていく風景を見続けているその背中へと声を掛けます。
「ここは風が気持ち良いですね」
「うん」
こちらを振り返ることは無く視線はそのままに言葉を返してきたのはドワーフのマリサさんです。港を出発してから食事を食べるときなどを除いてずっとこの場所で流れゆく海の風景を見続けています。
言葉を続けようか迷いましたがやめておきました。自分自身、始めて船に乗せてもらった時に彼女と同様にずっと船の舳先で海を眺め続けていたのですから。
流れる風景は同じようで一つとして同じものなどなく、船が海を割いていくエンジン音を体で感じ、浴びるような潮の匂いに満たされ、体にまとわりついて遊んでいくように流れる風に身を任せる。その全てに圧倒され、その全てに感動していた在りし日の思い出が重なります。
今の彼女に私の言葉など不要です。
「落ちないようにだけ気をつけてくださいね」
「うん」
生返事を返したマリサさんに苦笑しつつ彼女を見守ってくれているノシュフォードさんにお願いしますねと声をかけて昼食へと向かいます。さて今日のお昼はなんでしょうかね。
昨日、私はマリサさんに1つの提案をしました。まあ提案と言うよりはお誘いと言った方が良いのかもしれませんがその内容を端的に言ってしまえば「フォーレッドオーシャン号に乗って旅をしてみないか」というものです。
その提案はマリサさんの予想外の事だったらしく、驚きでしばらく固まった後引き倒されんばかりのの勢いで詰め寄られ、お願いしますと拝み倒されました。そしてあの万歳で寝転がる姿勢をしようとした時にはどうしようかと思いました。もちろん止めましたが。
そんなことをしていて目立たない訳もなく事情を聞かれた私がマリサさんを船にお誘いしたことを告げると当然のごとくテイラーさんは激怒しました。
まあテイラーさんが口ではどう言っていても孫のマリサさんを大事に思っていることは十分に伝わっていましたから、ドワーフにとって死地とも言える海の真ん中へと連れ出そうとすれば怒るだろうと予想していたのですがそれでも体が震えてしまいそうでした。とは言え震えてしまえばはったりを効かせることも出来ませんから表面上は取り繕いましたが。
「先ほど煮るなり焼くなり好きにしろと言ったのはテイラーさんだったと思いますが」
「それは……そうだがそう言うことじゃないだろう!」
「おじいちゃん、お願い!」
「ううむ……いや、絶対に駄目だ!」
しばらく2人で説得してみたのですがテイラーさんが首を縦に振ることはありませんでした。エリザさんが援護しましょうかと視線を送ってきましたがそれを軽く首を横に振って断ります。この交渉はあくまで私とテイラーさんそしてマリサさんの間で完結すべきことですしね。
いつまでも拒否するテイラーさんに若干マリサさんが暴発しそうになったので少しだけ2人で話させてほしいと伝えてマリサさんをその場から離し、2人で操舵室前のデッキへと向かいます。
潮風がゆっくりと向き合った私達の間を流れていきました。
「どうしても駄目ですか?」
「そうだ」
「しかし今のままではいつか取り返しのつかないことになりますよ」
「……」
私の言葉にテイラーさんは何も言葉を返しませんでした。その日の出来事だって下手をすれば取り返しのつかないことになっていた可能性があることは十分に承知していたでしょう。なによりマリサさんの事を心配して見ているテイラーさんがそのことに気づいていないわけが無いのです。
「籠に囲って守ろうとしても空に焦がれる鳥を生かすことは出来ません。その思いは胸を焦がしそして最後にはその身さえ焼き死んでしまいます」
「例え話は好かん」
「それは失礼。しかしわかりやすくはありますよね」
テイラーさんが再び沈黙しました。迷っているようですね。
「危険を犯して希望を胸に自分の道を歩むか、安全な場所で絶望を胸に歩まされるか。マリサさんなら後者を選択させられたとしてもいつかは自分の望む道へ突き進んでいくでしょうね。そしてその時は今よりも無謀な状況かもしれません」
「儂がさせん」
「しかしテイラーさん。失礼ですがあなたはいつか死にます。それはマリサさんより先の可能性の方が高い。死人は止めることも後悔することも出来ませんよ」
テイラーさんが私から視線をきり、憎々しげに海を見つめます。確かにテイラーさんにしてみればこの海は孫を誑かした張本人と言えるかもしれません。その鋭い視線を向けられながらも当然のごとく海はただ雄大にそこにあるだけです。テイラーさんがチッと舌打ちし視線を私へと戻しました。
「お前はなぜそこまでする? いや……マリサを使って何をするつもりだ?」
「何をすると言われても……あぁ、少々お願いしたいことはありますがそれは別にマリサさんでなくても良いですしね」
私の言葉にテイラーさんが怪訝な表情をします。私の想定する武器作りのための良い機会だと思ったのは確かですがお金を払って別のドワーフの方に協力していただければおそらく作ることは出来ると思うのですよね。肝心な部分はノシュフォードさんの力量しだいになるでしょうし。
しかしその言葉が出てくると言うことはやはり特級鍛冶師と言うのはかなりの腕前なのでしょう。まあ今はどうでも良いことです。
「私はマリサさんの夢を純粋に応援したいと思ったのですよ。海をそして船を愛する者としてその夢に惹かれたのです。ただそれだけですね」
「ふんっ、儂にはわからん」
テイラーさんはそう言い、話は終わりと言わんばかりに会場に向けて歩き始めました。そして私の脇を通り過ぎるその時
「この船で一番上等な酒を寄こせ。それで許してやる」
そう言って去って行きました。「美味い酒でも飲まんとやってられんわ」と言う言葉を最後に残しながら。その背中に私は笑いながら「喜んで」と告げるのでした。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【ヒーボイとスライキ】
貨物船に乗る船乗りの方が良く使う言葉にこのヒーボイとスライキと言う言葉があります。
実際は「heave in」つまりウインチでロープを巻きこんだりクレーンで荷物を吊り上げることとと「slack it」その逆にロープを緩めたり降ろすことを示す英語を日本語風にしたものです。英語の得意な人は普通に発音しても通じるのですが、苦手な人は普通に発音しようとするよりもヒーボイ、スライキの方が通じたりします。
掘った芋いじるな、みたいなものですね。
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