Flag136:お孫さんに会いましょう
「お孫さんですか?」
「ああ、鍛冶の腕は一級品なんだがな」
深い息を吐きながら顔をしかめるテイラーさんの様子はまさしく頭痛が痛いという言葉が似合います。もちろん誤用なのですがその表現がぴったりとくるしかめっ面です。不法侵入したのが責任者の身内なのですからそんな顔になるのもうなずけますね。
とは言え面白いことも言っていましたね。鍛冶の腕は一流で船を研究する変わり者ですか。ぜひとも一度お会いしてじっくり話してみたい人材です。個人的にもそうですし将来的なことを考えても会って損はないでしょう。性格に少々不安が残りますがね。
「では私は操舵室へ戻ります。テイラーさんは他の方々へ説明をお願いいたします」
「ああ」
ドスドスと苛立ちを表現するかのように足音を響かせながら歩いていくテイラーさんと別れて操舵室へと向かいアル君に港へと戻るようにお願いします。そして港へと戻るまでの間に私は切ってしまった係留ロープを替えのロープへと取り換えていきます。船を留めるための係留ロープはかなりの強度があるのですがすっぱりときれいに切れてしまっています。うーんこれはドワーフ自治国に請求出来ますかね。さすがに取り決めはしていませんでしたから話し合いの上といったところでしょうか。
そんなことを考えながら作業を続けているとどんどんと港の岸壁が近づいていき人の姿もはっきりと見えるようになってきました。テイラーさんのお孫さんの姿は集まってきたと思われるドワーフの方々のせいで見ることは出来ません。取り押さえられたのかもしれませんね。
「ちょっと、邪魔よ。せっかく戻ってきたのに見えないじゃない!」
「お嬢、抑えてください。あそこには各国の代表が……」
「そんなの知ったこっちゃないわよ! それとお嬢って呼ぶな!」
港へと近づくにつれてそんな騒がしい声がはっきりと聞こえるようになってきました。内容を聞く限りこちらに害をなそうとしているとは思えませんが当事者からしたら頭が痛くなるようなものです。テイラーさんのあの表情の理由が良くわかりました。
港へと着き私が取り換えた係留ロープを投げ渡していると後部デッキから港へと上がっていくテイラーさんの姿が見えました。テイラーさんが近づいてきたことで固まっていたドワーフの方々の壁がモーゼの十戒の海のように割れていきます。
「あっ、おじいちゃ……」
「この馬鹿もんが!」
お孫さんがテイラーさんに気づいて助けを求めようとしたようですがテイラーさんの拳が有無を言わさずその頭へと落ちました。鈍い大きな音がここまで響いてきます。一切躊躇も手加減もしませんでしたね。
頭を抱えてうずくまっているお孫さんをテイラーさんが荷物を担ぐようにぞんざいに肩へと乗せ再び船へと戻ってきました。うーん謝罪でもさせるつもりでしょうか。
ロープがしっかりと固定されたことを確認し私も2階のリビングスペースへと戻ります。扉を開き、目に入ってきた光景に一瞬足が止まりますがそのまま固まっていてもどうにもなりませんのでゆっくりと皆さんの所へと近づいていきます。
「ええっと、謝っているということでしょうか?」
「そうらしいぞ」
テーブルから少し離れたところに立っているマインさんにこっそりと話しかけると怪訝な表情をしたままそう答えていただきました。その視線の先には万歳した姿勢のままうつぶせに床に寝ころんでいるお孫さんの姿があります。その横ではテイラーさんが腕組みをしたまま厳しい表情で立っています。
マインさんが知らないということは獣人の国やランドル皇国でもなじみのないドワーフ自治国独自の謝罪方法なのでしょう。状況から判断して最大限の謝意を表すようなことだとは思うのですがどうしてそのような形になったのか少し興味が湧きますね。
「先ほど説明したとおりこの馬鹿は儂の孫だ。こいつの馬鹿さ加減を甘く見た儂の責任だ。本当に申し訳ない」
そう言うとテイラーさんも膝をつきそしてお孫さんと同じような姿勢で横になりました。それを見て慌ててマルコさんも同じように横になります。川の字が出来上がりましたね。そんな場違いな感想が頭をよぎります。
テーブルに座っているメンバーがお互いに顔を見合わせ無言のまま苦笑を浮かべてやり取りをしています。
どうやらエリザさんに一任されたようですね。
「顔を上げてください、テイラー様。特段彼女がこちらに被害を与えたわけではありませんし、これから同盟を組もうとしているのです。少しの間違いでそこまでしていただく必要はありませんよ」
「しかし……」
「テイラー坊。こちらが気にしないと言っているんじゃ。それともこの過失にかこつけて不利益な同盟を結ばせてもらえばいいのかのぅ?」
「ぐっ……寛大な処置、感謝する」
複雑そうな表情をしながらテイラーさんが立ち上がります。個人の心境的には謝りたい気持ちがあったとしてもそれを出してはいけないという時はありますからね。特にテイラーさんのように立場がある人にとっては。悪いことは悪いと謝るという態度は個人的には好ましいのですがね。
しかし話の流れからして係留ロープの請求はしにくくなってしまいましたね。まあ必要経費だったと割り切るしかありませんか。
「よっし。じゃあ船を見て回っても良い……訳が無いですね、はい」
立ち上がってパンパンと体を払ってにこやかにそう言い始めたお孫さんをテイラーさんの鋭い視線が射貫き、尻切れトンボで言葉が終わります。しかしその視線がキョロキョロと動いている所を見れば反省よりもこの船に対する興味が優っているのは明白です。
うーん、話してみたいところですがさすがにこの空気の中でそれは無理です。ふむ、少し空気を変えましょうか。
パン、パンと手を叩き注目を集めます。
「それでは少し予定外のことが起こりましたが同盟の目処がたった記念の乾杯を改めて行いましょう。せっかくですしお孫さんもいかがですか?」
「えっ、いいの!?」
「私は構いませんよ。皆さんはいかがですか?」
エリザさんの言葉に反対の言葉は上がりませんでした。テイラーさんが苦虫を噛み潰したような顔はしていらっしゃいましたが相手側が良いと言っているのですから今は拒否できませんよね。
「では同盟国の発展と平和を願って、乾杯」
「「「乾杯」」」
エリザさんの音頭に皆さんがグラスを掲げ、そしてそれを口へと含んでいきます。最後にちょっとしたハプニングはありましたがこれで一区切りしたということでみなさんの表情も穏やかです。例外はテイラーさんぐらいでしょうか。まあそれでもお酒を飲んで多少は機嫌が良くなっているようですが。
「おかわりも用意してありますのでご自由にどうぞ。連日の会談でお疲れでしょう。ゆっくりと歓談して絆を深めて頂ければ幸いです」
そう言って追加のお酒を用意し、ミウさんに目配せして軽くつまめるものの準備に向かっていただきました。お酒だけでは少々時間が持ちませんしね。ミウさんなら程よい塩梅のものを用意していただけるでしょう。
歓談する皆を横目に一人でワインを美味しそうに飲んでいるお孫さんの所へと向かいます。人との交流は得意ではないというよりあまりそういったことに興味がないのかもしれませんね。
「いかがですか?」
「あっ、美味しい……です」
話しかけた私に少し驚いた表情をしながらお孫さんがこちらを見ます。そんな彼女にほほ笑みかけながら空いたグラスへとワインを注ぎます。
「申し遅れました。この船の船長のワタルと申します」
「あたしはマリサ。おじい……じゃなくってテイラーの孫でドワーフ自治国の特級鍛冶師……です」
「無理に言葉遣いを直さなくても大丈夫ですよ」
話しにくそうにしているマリサさんの姿に内心苦笑しながらそう告げましたが首を横に振られました。さすがに怒られたばかりですし仕方がありませんかね。
しかし特級鍛冶師ですか。どういった称号なのかはっきりとはわかりませんが言葉からしてかなりの腕前ではあるのでしょう。まだ若く見えるのに……天才なのかもしれませんね。
そんなことを考えつつマリサさんと何気ない会話を交わしていきます。少しずつですがマリサさんの言葉遣いも元に戻り始めた頃、不意に会話が止まりそして意を決した表情でマリサさんが私を見ました。
「あの、船を見てまわりたいんだけど駄目……ですか?」
「どうしてでしょうか?」
「あたし、船を研究していて。皆は金属の船なんてギフトシップ以外にできっこない。ドワーフなんだからそんな危険なことより武器を打てって言うけど諦めきれなくて……」
マリサさんの拳がぎゅっと力強く握られます。その拳には悔しさがにじみ出ていました。どれだけマリサさんが否定され続けていたのかを示すように。
「私が特級鍛冶師になったのは自由に研究できるって聞いたからなのにそんなことなくて……だからせめて近くでこの船が見たくて……」
ポロポロとマリサさんの瞳から涙が溢れてきました。
明日には私たちはドワーフ自治国から出ていく予定でしたからね。その前にという思いが暴走した結果が今回の出来事だったのでしょう。
しかしなぜこれほどまでに船にこだわるのか、それはわかりませんが船についてここまで想いを持っているという点でとても共感できますし応援したくなります。マリサさんが考えていることは実際に正しいですからね。金属の船は作ることが出来るのですから。
「マリサさん、1つ提案があるのですが?」
その言葉にマリサさんがゴシゴシと目をこすり私を見上げました。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【空気潤滑システム】
環境問題が取りざたされる昨今ですが日本で実用化された新しい省エネ技術としてこの空気潤滑システムがあります。
このシステムは船艇に空気の泡を噴きだして気泡の流れを作り水の摩擦抵抗を減少させることで航行に使用されるエネルギーを低減させるというものです。まだ実際に搭載されている船は多くはありませんがこれ以外にも様々な研究がされていますのでいつか船の形態が変わるかもしれません。
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