Flag132:決意を新たにしましょう
ピピッ、ピピッという電子音に重い瞼を開け、妙にけだるい体をもぞもぞと動かして頭上のアラームを止めます。うまく頭が働かずこのまま二度寝してしまいたい誘惑が頭をもたげてきます。
「ううんっ」
すぐ横で聞こえたむずがるようなその声にぼんやりとしていた思考が一気にクリアになりました。そちらへと視線をやると少し顔をしかめながら身じろぎするミウさんの姿がありました。真っ白なシーツからのぞく首筋から肩にかけてカーブを描く柔らかな白肌に、昨夜のことが思い出されました。今にも襲い掛かってしまいたいという衝動を何とか抑えミウさんの首元までシーツを上げ、穏やかな表情に戻ったその愛しい寝顔を眺めます。
うーむ、昨夜も思いましたがどうやら若い肉体と言うのは精神まで引きずるようですね。前々からそう思うことはしばしばありましたが改めて実感しました。
時刻は朝の5時半。皆さんの朝食の準備はありますがもうしばらく猶予があります。今日はミウさんも手伝ってくださるでしょうしね。それではしばしこの愛しい人の寝顔を眺める穏やかな時間を過ごしましょうか。
10分ほどそうして過ごしそろそろ起こそうかと考え始めたその時、ミウさんの瞼がゆっくりと開いていきそして私と目が合いました。
「おはようございます、ミウさん」
「おはおうございます」
寝ぼけているのかとろんとした瞳のままそう返したミウさんがもぞもぞと体を動かして私の胸へと体を寄せてきます。その可愛らしい猫のような仕草と温かく柔らかな感触にこのまま流されてしまっても良いのではないかと言う考えがちらりと頭をよぎりますがなんとか踏みとどまります。夜を徹して警備してくれている獣人の方々の食事を用意しないなんてことは出来ませんからね。
非常に残念ではありますが。
「ミウさん。私は皆さんの食事の用意をそろそろしようかと思いますがもう少し眠りますか?」
「んー、手伝います……」
私の胸に頭をぐりぐりとこすりつけるようにして頭を横に振りゆっくりと上半身をミウさんが起こしました。シーツがはらりと落ちたために隠すものが無くなってしまいましたが何というか寝ぼけた今の姿と普段のミウさんのギャップが非常に可愛らしくて情欲は湧いてきません。本当は朝が弱かったのかもしれませんね。
ベッドから降り部屋に備え付けのガウンをミウさんにかけます。
「ありがとうございます」
「いえ、私は軽くシャワーを浴びてすっきりしてきますので少し待っていてくださいね」
「ふぁい」
上半身を起こしたまま固まってしまっているミウさんにそう告げてシャワーを浴びに向かいます。シャワーを浴びている途中に悲鳴のような声が聞こえたような気がしますがきっと気のせいでしょうね。
「大変申し訳ありませんでした」
「いえ、それはもう何度も聞きましたし別に気にしていませんから。むしろ可愛らしい姿を見ることが出来て役得でしたよ」
何度目かのミウさんの謝罪に同じように返していきます。実際その通りですしね。しかしミウさんとしてはあの寝ぼけた姿はあまり見せたくないもののようですね。顔を赤らめて恥ずかしがる姿はまた可愛らしくはあるのですがとりあえず話題を変えましょう。
「そういえばミウさんと一緒に料理を作るのも久しぶりですね」
「そう言われてみればそうでしょうか。基本的に私が作らせてもらっていましたし」
契約上エリザさんたちはこの船で雇っていると言う形でしたからね。仕事としてミウさんには主に調理や清掃などをお願いしていました。私が週に1日ほど料理する日以外はミウさんの担当になっていました。まあそれはあくまで通常時のことでたびたびは一緒に料理をしていましたがね。
「これからはどうしましょうか? 結婚するわけですし雇用契約についても変更した方が良いですかね?」
「変更は別にどちらでも良いんですが料理については私に作らせてほしいです。あっ、でもたまにこうして一緒に作ることが出来ればいいなとは思います」
「わかりました。まあゆっくりと変えていきましょう」
会話を交わしつつも2人とも料理の手を止めることはありません。相手がどうしてほしいか何となくわかるので比較的狭いギャレーの中でも相手の邪魔になるようなことが無いので非常に楽です。
しばらくとりとめのない会話を続けながら料理を作り続けそして朝食の用意がほぼ完了しました。後は時間になり皆さんが集まり始めたら最後の仕上げをしてお出しするだけです。
「あの……」
今までとは違う少し重みのあるその声色に気を引き締めながらミウさんへと向き直ります。ミウさんの表情には不安の色が含まれていました。
「殿下が私を首にした理由なのですが……」
続きを言いにくそうに口ごもるミウさんへ笑い返しながら言わなくても良いと無言で首を横に振ります。私のその仕草を見てミウさんがほっと息を吐きました。私自身ももっと他の重大なことではないかと思ってしまいました。ミウさんが心配していることなど、なんだ、そんなことかといった程度です。
エリザさんがミウさんを首にした理由。そこにはもちろんミウさんの将来を思う気持ちが大きいでしょう。しかしそれだけのことで側近のミウさんを首にする訳がありません。
エリザさんがミウさんを首にしてでも手に入れたかったもの。それは私、というよりもこのフォーレッドオーシャン号を所有する者との繋がりを確かにすることでしょう。プレゼンで未知の武器の出ている映画などを見たこともその思いを強くしたのかもしれません。
とは言え私はそれが悪いことだとは思いません。私自身エリザさんを利用している部分が無いとは言えませんしね。私がこのフォーレッドオーシャン号で自由に旅が出来るようにランドル皇国の皇女というエリザさんの立場を利用しているのはまぎれもない事実ですし。
それをエリザさんも承知していますから現状で私が裏切る可能性は低いと考えているでしょう。しかし万が一という事もある。それを防ぐためにエリザさんを絶対に裏切らないミウさんと婚姻させる。まあ有効な手段と言わざるを得ませんね。元々裏切る気などさらさらありませんが。
とは言えこれは全て私とミウさんの憶測です。実際エリザさんが単純にミウさんの幸せを願って首にしたと言う可能性もありますからね。それを知るには直接本人から聞くくらいしかありませんが別にそうまでして知りたいことでもありません。
私はミウさんと結婚し、そしてエリザさんを補佐する。
その事実には変わりはないのですから。
午前7時を過ぎパラパラと人がリビングに集まってきましたので仕上げをして盛り付け朝食を配膳します。とは言っても見張りの方などは一斉に食事をすることが出来ませんので外遊に出てからは各自でギャレーまで取りに来るスタイルに変わっていますので配膳とは言わないかもしれませんが。
「おっちゃん、ミウ、おはよう。珍しいな、朝から2人で一緒なんて」
数人の獣人護衛の方々の後にやって来たアル君に元気に声をかけられます。その言葉に食事を食べていた獣人の方々がちらちらとこちらを見ながら笑っているのはまあ気付かれているという事でしょう。獣人の方々は鼻が良い方が多いですし、まあ元々私たちが付き合っているという事は身内には隠していませんし問題ないのですが。
顔を少し赤くするミウさんの姿に笑みを浮かべつつその手からプレートを受け取り、朝食の定番であるオレンジジュースをコップに注ぎアル君へと差し出します。
「おはようございます。アル君も快適そうですね」
「おう、最初はびっくりしたけど便利だぞ。まだちょっと変な感じはするけどな。それより飯だ、飯。腹減ったー」
そう言い残して私からプレートとコップを受け取ったアル君が空中を泳いでいつもの自分の席へと向かって行く姿を見送ります。何度見ても不思議な光景ではありますが驚いている人はいません。昨日散々見ましたしね。
もちろんアル君が特殊な能力に目覚めたという訳では無く【快適空間】の機能の一部です。自由に動けることが楽しくて調子に乗ったアル君が船の外へ出て普通に湖に落っこちましたしね。あれは肝が冷えました。
もしかすると【快適空間】が威力を発揮するのはアル君のように陸上生活に向いていない種族についてなのかもしれません。
まあそれはおいおい検証するとしても同時に少し困ったこともわかりました。この【快適空間】ですがどうやらポイントを消費するようなのですよね。夜に航海日誌をつけている時に「補給」も「保全」もしていないのにポイントが減っていることに気づいたのです。そう大きなポイント消費ではありませんのでそこまで気にすることは無いのかもしれませんが頭の片隅に入れておく必要はあります。
しかし【快適空間】の機能をつけた初日である私とノシュフォードさんだけの時はポイントは変わっていなかったような気がするのですが……。このあたりも検証が必要そうですね。
やるべきことは山積しています。しかしこの仲間たちと、最愛の人と、そしてこのフォーレッドオーシャン号の明るい未来のために頑張らなくてはいけませんね。
さて朝食を終えたら何から始めましょうかね。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【閘門】
船が通るのは海だけでなく川ももちろん通ることがあるのですが地面というものは平らに見えても結構起伏があるため平らな所だけに運河を通すとすると行くことが出来る場所が限定されてしまいます。
こういった地形による起伏などに対応するための施設として閘門があります。設備としては水路の途中にゲートを2つ作り、その間に船を入れゲートを開け閉めすることで水位を変えて船を昇降させ航行が出来るようにするものです。
このことによって高い位置へと船が行くことが出来るようになりますので道路の上を船が通ると言う不思議な光景が出来上がったりします。
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