Flag130:港へと戻りましょう
翌日の午前9時ごろロイドナールさんとトリニアーゼさんが契約書をもってフォーレッドオーシャン号へとやって来ました。
内容をよく読み抜けがないことを確認して契約を結びます。まあここで契約内容を事前の協議から改変するようなことはないとは思うのですが万が一と言うこともありますからね。大事なことですので念には念を入れなければなりません。
とはいっても船の契約書自体はノルディ王国と結んだものとほぼ同様の内容ですし、魔道具などの売買契約に関してもそこまで難しいものでもありません。ノシュフォードさんの起こした事件を鑑みてかこちらに有利な内容の物でしたしね。
午前11時には最終確認を終え契約を締結することが出来ました。お昼前には港に着くことが出来ますし丁度良い時間です。
ボートで港へと戻っていくトリニアーゼさんたちを追うようにフォーレッドオーシャン号を港へと向けて走らせていきます。港にはエリザさんを始めこの船の乗組員が集まって船が近づいてくるのを見守っているようです。【環境把握】の映像の中でこの船と並走している1つの青い光点はアル君でしょう。後で怒られそうな気もしますが少し頬が緩むのを感じます。
ゆっくりと船足を落としていき、そして船は静かに皆の待つ港の桟橋へと止まりました。操舵室から出て係留用のロープを港で待機していたエルフの方々に半ば放り捨てるように渡しながら後部デッキへと速足で向かいます。
久しぶりに皆と会える喜び、心配をかけた申し訳なさ、様々な感情が私の中でごちゃ混ぜになりそれが足を速く進ませろと急かしてきます。ここで急いだとしても意味がないとわかっているのですがね。
そして後部デッキにたどり着いた私を待っていたのは皆さんの笑顔でした。
子供たちには怖い思いをさせてしまいましたし、獣人の方々には怪我をさせてしまいました。セドナ国との交渉においてはエリザさんやミウさん、マインさんにかなり面倒をかけてしまったはずです。そんなことを感じさせない笑顔に対して、このこみあげてくる申し訳なさを顔に出すのは皆さんの想いを無駄にすることと同義です。だから私も笑いましょう。うまく笑えているか自信はありませんが。
そしてエリザさんに促されるようにして後ろに控えていたミウさんが前へと進み出てきました。その顔は笑っていますが、赤く腫れた目は潤み今にも涙が零れ落ちてしまいそうです。その姿に、その表情に目を奪われます。あぁ、私はなんて愚かなんでしょうか。
他のすべての物が、思考が消えてなくなりただミウさんへの想いだけが私の心を占拠していくのです。恋愛とは2人で愚かになることだと言う言葉を思い出しつつもそれを止めることが出来ないのですから。
ミウさんへと歩み寄り手を差し出します。愛する人を船に迎え入れるために。
「お帰りなさい、ミウさん」
私の言葉にミウさんの瞳からぽろりと一滴の涙が頬を伝っていきました。そしてゆっくりとはにかむように笑うと私の手へと手を伸ばし……
「ただい……」
「おっちゃん、ただいまー!」
「うわっ!」
私とミウさんの手が触れることはなく、水の中から私の胸へと体当たりするように飛び出してきたアル君を受け止めたことで体勢を崩した私はその勢いのまま臀部をしたたかに打ち付けました。じんと痺れるような痛みを感じながらぐりぐりと身体をこすりつけてくるアル君の姿に思考が戻ってきます。
視線を上げるとアル君の跳ねあげた水がかかったのかミウさんが服を濡らしたまま呆れたようにこちらを見ています。そして私と視線が合うとふっと柔らかい笑みを浮かべ、私へと手を差し伸べながら船へと乗り込んできました。
「お帰りなさい、ワタルさん」
「はい、ただいま戻りました。ミウさんもお帰りなさい。えっと……とりあえず服を着替えましょうか」
「そうですね、説教は後にしておきます」
「ほどほどにお願いします。私についてもアル君についても」
「さあ、それはどうでしょうか?」
そこはかとない怒りを含んでいるようにも感じる笑顔に説教が長くなりそうな予感を覚えつつその手を取り立ち上がります。そして改めてミウさんの姿を見て違和感を覚えました。すぐにその正体に気づきます。
「乾いていますね。服が」
「そういえばそうですね。先ほどまでは濡れていたはずですが……」
自分の体を見回しているミウさんですがその服が濡れている様子はありません。
改めて考えてみればそもそもおかしいのです。水中から飛び出したアル君を受け止めた私が濡れないはずがないのに私の服には一滴の水すらついていないのですから。抱いているアル君の姿を確認しても全く濡れていません。と言うことは船に入った時点で水がはじかれたと言うことでしょう。
こんな不可思議な現象は今までありませんでした。おそらく【快適空間】が作用しているのでしょうね。
「おおよその予想はつきました。事情は後で説明させていただきますね。とりあえず皆さん船に乗ってください。ちょうどお昼時ですし特別な食事を用意しておきましたので」
「えっ、まじで! やりぃ」
胸の中でアル君が満面の笑みを浮かべています。皆さんの顔もどこかほっとしたような笑顔です。では改めて歓迎しましょう。
「心配をおかけしてしまいすみませんでした。そしてお帰りなさい、皆さん」
用意しておいたビーフシチューは非常に好評で人数分より多くの量を作っておいたはずなのですがすっかりと空になってしまいました。私は給仕のように何度もお代わりを運んだりと慌ただしい昼食でしたが、気心の知れた仲間との食事と言うのは楽しいものだと改めて感じました。
デザートも食べゆったりとした空気が流れる中、落ち着いた私は改めてエリザさんたちが座っているテーブルへと腰を下ろします。そんな私の前にミウさんがコップに入った水を差し出しました。
「お疲れ様です。本当に手伝わなくて良かったのですか?」
「ええ。迷惑をかけてしまったお詫びも兼ねていますから。私がしなくては意味がありません」
受け取ったコップの水を口に含むとその冷たい喉ごしが気持ちよく、ほてっていた体が冷えていくのを感じます。
ミウさんに感謝を伝え、視線を移すと子供たちはまんまるになったお腹をさすりながら満足そうにしています。まあ何度もお代わりをしていましたからね。
「美味しかったですか?」
「おう」
「美味しかったね」
「うん、美味しかった」
「先ほどのシチューに使ったデミグラスソースはハンバーグなどにかけても美味しい……」
「「「食べたい!」」」
「また今度用意しますね」
がばっと跳ね起きるようにして伝えてきた3人の姿に自然と笑みが浮かびます。食事中や今の反応を見る限り特に3人が怖がったりしている様子はありません。下手をすれば船に乗ることにさえ恐怖を覚えるのではと危惧していましたからね。とりあえずは一安心といったところです。
あとはしばらく様子を見て大丈夫だと確信が持てたらノシュフォードさんの事について話してみましょう。
しかし私のそんな想定はマインさんの発言によってすぐに崩れてしまいました。
「ワタル殿。ノシュフォードはどこにいるのだ? ワタル殿の奴隷になったと聞いたが?」
「ええっと、今はギャレーで食事の手伝いをしてもらっていますが……」
「何だよ、おっちゃん。一緒に食べさせてやればいいじゃん」
思わぬアル君の言葉にそちらを見るとハイ君やホアちゃんも怖がる様子も無くアル君と同じように私の行動に疑問を浮かべているようでした。あれっ、おかしいですね。
「アル君たちはノシュフォードさんのことが怖くないのですか?」
「怖くねーぞ。そりゃあ好きか嫌いかって言えば好きじゃねえけどおっちゃんの奴隷になるんだろ。じゃああいつらと一緒だ。仲間になるんだしな」
まったりとしている獣人の方々を見ながらあっけらかんと言い放ったアル君の言葉に嘘や虚勢を張っているような様子はありません。
「ハイ君やホアちゃんも?」
「怖かったけど仲間なら大丈夫」
「うん。大丈夫」
ハイ君やホアちゃんもアル君と同じようです。本当に良いのでしょうか? いえ、このまますんなりとトラウマになることなく受け入れてもらえる方が都合が良いと言うことは確かなのですが。
「ワタル殿。何を悩んでいるかはおよそ想像がつくが心配するな。ハイもホアもそして俺もそもそも奴隷だったのだ。それなりの経験はしてきている」
「そういえばそうでしたね」
考えてみればマインさん達は奴隷だったところをエリザさんが助けて護衛として雇っていたのですよね。もちろん3人は望んで奴隷になったわけではなく無理やりに連れ去られたと聞いています。過酷な経験をしていないはずがないのです。今の3人を見ると忘れてしまいそうになりますが。
流れからして今この状況でノシュフォードさんと会わせてしまうと言うのがベストでしょう。と言うより今会わせなければいつ会わせるのかと言う状況ですしね。
「ではノシュフォードさんを連れてきます。お詫びをしたいと言っていましたし全員集まっていますからちょうど良いでしょう」
そう言い残してギャレーへと向かい、洗い物をしていたノシュフォードさんに事情を説明して連れ出します。部屋に入った瞬間、皆の視線が集まるのを感じつつ手を鳴らしてこちらへと全員の視線を向けさせます。
ノシュフォードさんが謝意を伝えたいと言うことを説明しその場を彼に譲ります。思いつめた表情をしたノシュフォードさんはそのまま地につかんばかりに頭を下げました。
「本当にすまなかった。今回の事は申し開きのしようもないことだと自分でもわかっている。これから精一杯尽くすことで何とか返すことが出来ればと考えている。そしてその決意を忘れないために……ワタル、やってくれ」
「はい」
ポケットに一応入れておいたそれを取り出しスイッチを入れます。ブーンと言う細かい振動音が静かになったその場に響いていきます。まさかこんなに早く使うことになるとは思いませんでした。充電しておいてよかったですね。
そしてそれをノシュフォードさんの下げている頭に沿わせるようにして動かしていきます。ぱさっとノシュフォードさんの流れるような金髪がバリカンに刈られて床へと落ちていきました。
後ろから前へと一直線にバリカンをかけ終えノシュフォードさんが顔を上げます。真ん中の毛が無くなり左右だけに髪が流れている姿はその思いつめた表情と相まって落ち武者を思わせます。
「ぷっ、何してんだよ。おっちゃん」
笑いをこらえながらアル君が問いかけてきました。一応場の雰囲気を読んでくれたようです。とは言え表情は今にも大笑いしてしまいそうに見えますが。ハイ君やホアちゃんも両手で口を押えています。
「エルフの方にとって髪は非常に重要な物だそうです。それを切ることで謝罪と自分への戒めにしたいとノシュフォードさんがおっしゃいましたので。それならその髪を切る役を迷惑をかけた人たちにしてもらえばどうかと提案させてもらいました。と言うことで切りたい方はこちらへ来てください」
「はいはい! 俺やる」
いの一番に手を挙げたアル君を迎えに行くとそれに続いてエリザさんが立ち上がってくださいました。私の意図を理解していただけたようです。ありがたいですね。
バリカンを受け取ったアル君が嬉々とした表情でノシュフォードさんの髪を切って行きます。
「まあ頑張れよ」
「ああ、すまなかった」
そんな言葉を交わしアル君は満足そうに私に抱かれて席へと戻りました。そしてアル君に続くようにして全員がノシュフォードさんの髪を切って行きます。一言二言交わしながらそれは続いていきそして全員が終わりまだら模様になっているノシュフォードさんの頭を私が最後に整えていきます。元々が細い金髪だったせいもあり遠目には毛が生えていないかのように見えるかもしれませんね。
「これで終わりです。ではこれで一区切りと言うことで皆さん宜しいでしょうか?」
視線を巡らせて確認しましたが問題は無さそうです。これで全てが解決すると言う訳ではありませんが区切りにはなるでしょう。後はノシュフォードさんの今後の行動次第のはずです。
「私から皆さんへ心配をかけたお詫びなどは個別にさせていただくつもりです。欲しいものやして欲しいことなどがあれば考えておいてください」
そう言って流されるままに始まったノシュフォードさんの謝罪を含めた昼食をしめるのでした。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【手旗信号】
映画などで海軍の水兵が両手に持った旗を上げ下げして相手へと伝えるような姿を見たことがあるかもしれませんが現在は全く使われていません。
そもそも海技試験に手旗信号は必要ありませんし、それどころかモールス信号も出てきませんので当たり前とも言えます。知識としては知っているが使うことは無いと言うのが現状の様です。
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お読みいただきありがとうございます。切りが悪かったので少々長めです。
また章の名前が当初予定していた内容とはだいぶ変わってしまいふさわしくないので修正しました。




