Flag108:お茶会の後始末をしましょう
注文通り、紅茶とオレンジジュースをギャレーで用意し操舵室へと戻ってくるとトリニアーゼさんも先ほどよりだいぶ緊張もほぐれたようでときおり笑みを浮かべながらアル君と話していました。アル君も楽しそうですし良い感じですね。
「お待たせしました」
「あっ、すみません。お茶までいただいてしまって」
「別にいいって」
「アル君。それは私のセリフですよ。まあその通りなのですがね」
笑うアル君の前にオレンジジュースを、恐縮するトリニアーゼさんの前に紅茶を置きます。ミウさんが淹れればもっと薫り高いものになるのですが基本のきの字くらいしか知らない私が淹れたので少々もったいないことになっています。まあ茶葉自体が良い物ですので私が淹れてもそれなりの味にはなってくれますが。
「美味しい……」
思わず漏れたと思われるトリニアーゼさんの声ににっこりと笑って返すと、慌てて顔をうつむかせて逃げられてしまいました。うーん、褒められてうれしかっただけなのですが変な顔をしていましたかね。
「ぷはぁ。うまい! あっ、そうだおっちゃん聞いてくれよ。トーゼって女で唯一の入国管理官なんだぜ」
「そうなのですか?」
「いえ、言うほど大したものでは。こうやって案内人として働く女性職員は私だけですが入国管理官として働いている女性は他にもいますし」
「謙遜することはありませんよ。案内人として働けるということはこの湖について知り尽くしているということに他なりませんから。十分に大したことです」
トリニアーゼさんが照れている様子を微笑ましく見守ります。それにしてもアル君は既に愛称呼びですか。子供ならではの距離感のなせる技でしょうかね。
確かに考えてみると女性の案内人と言うのは珍しいです。地球でも案内人は基本的に船の船長経験者が行うことが多いせいもあってか私自身の経験でも数度しか女性の案内人の方にお世話になったことはありません。まあそもそも船員に女性が少ないということもありますがね。
この世界に来てからなど案内人が乗船して指示を出すと言ったことさえありませんでしたからね。まあ今までは漁船で町を巡っていましたのでフォーレッドオーシャン号で向かえばまた違うのかもしれませんが。
アル君が楽し気にトリニアーゼさんから聞いたことを私に話してくれるのをうなずきながら聞きます。誇張の入った表現や勘違いの発言にトリニアーゼさんが焦った顔で訂正したりとなかなか楽しいお茶会になっています。
トリニアーゼさんのローレライに対する偏見は薄れているようですね。これならばアル君も問題なく受け入れられるでしょう。さすがに町に行くことは許可されないでしょうが。
せっかく外の世界を見に来たのです。なるべくならアル君には美しい姿を見て欲しいですしね。そうでない部分を見せることもガイストさんは織り込んでいるのでしょうが、そういった部分は大人になるにつれてどうあっても知るものですから急ぐ必要はないと思うのですがね。まあこれは家族でもない年寄りのたわごとですが。
しばし歓談を続け、お茶とお菓子が尽きるころ外から小さく響くエンジン音が室内まで届きました。
「おや、マイアリーナ号が動き出したようですね」
「えっ、あっ!」
トリニアーゼさんが慌てた様子で立ち上がり操舵室の窓から港の方へと進んでいくマイアリーナ号を見つめています。がっくりと肩を落としている様子からするとマイアリーナ号は私たちを待っていたのかもしれませんね。こちらの検査が終わり次第合図などをする予定だったのでしょうか。
お茶会は有意義でしたが色々な方に悪いことをしてしまいましたね。
うーん、このままではせっかく仲良くなることの出来たトリニアーゼさんの評価に関わってきてしまうかもしれません。多少検査が遅れた程度でどうにかなるようなものではないとは思いますが待たせたのが王族ですしね。万に一つと言う可能性もあります。
「すみません、ワタルさん。船を……」
「落ち着いてください。お聞きしたいのですが港で誰かが待っているとか危険が迫っていると言う訳ではないですよね」
「はい。そう言ったわけではありません。私のミスです」
最後は消え入りそうな声で答えたトリニアーゼさんの様子から考えると私が思っていたよりも重大なことなのかもしれませんね。ますますこのまま出発するわけにはいきません。
「お茶に誘ってしまった私たちが原因ですね。うーん、しかし一緒にお茶を飲んでいましたでは私たちも外聞が悪いですし、トリニアーゼさんも立場が悪くなってしまいますね。ちょっとお待ちください」
「あの、ワタルさん?」
「大丈夫だって。だいたいおっちゃんに任せておけば何とかなるって」
アル君の無責任ともいえるお気楽な言葉は信頼の証です。ならばそれに応えるためにも何とかしなくてはいけませんね。まあ幸いにして理由などいくらでも作ることは出来ます。何せこのフォーレッドオーシャン号は世に2つとない素晴らしいギフトシップなのですから。
およそ10分後、私は両手に荷物を抱えて操舵室へと戻ってきました。結構な重量でしたので若返っていなかったら持てなかったかもしれませんね。
一応エリザさんにもおおよその説明はして了承をいただきましたしこれだけあれば問題はないでしょう。
「あの、これは?」
「この船に積まれていた不審物ですね」
目の前に積まれた山を見て目を見開いているトリニアーゼさんににこやかに告げます。砂糖、胡椒から始まり、ボディソープやシャンプーといった浴室の用品から化粧水などと言ったものまでフォーレッドオーシャン号の消耗品がずらりと並んでいます。もちろん不審物などではありません。
「仕事熱心なトリニアーゼさんはよくわからない物品の多く積まれたこの船の検査に時間がかかってしまったわけです。入国管理官として不審物を持ち込ませるわけにはいきませんからね。いやー、不審物が多くて申し訳ないです」
「いや、しかし……」
「ちなみにエリザベート殿下にも既に許可はいただいております」
「……わかりました。ご厚意感謝いたします」
頭を下げるトリニアーゼさんの肩をポンポンと叩きます。顔を上げ不思議そうな顔をしていますがこれで解決したわけではありませんからね。むしろこれからが重要です。トリニアーゼさんの記憶力が良いといいのですが。
「ではこれらの物品の名称と使い方などを覚えてもらいます。メモを取っても良いですがある程度は記憶してくださいね」
「えっ?」
私の突然の言葉に呆けているトリニアーゼさんを放置してソファーに座ったままこちらを見ているアル君の方を向きます。
「アル君、ゆっくりと船を港へ向けて走らせてください。流れと底は見えますよね」
「おう、任せとけ。頑張れよ、トーゼ」
「えっ?」
アル君がソファーから飛び降り操舵輪へ向かってずりずりと這っていきます。その様子をトリニアーゼさんが眺め、そしてこちらを再び向き直ったところで笑顔で机の上に並んだ雑多な品々を指さします。
「では始めましょう。港に着くまでにどこまで暗記できるか、トリニアーゼさんの記憶力に我々の未来がかかっていますね。頑張りましょう」
「えー!」
声を上げたトリニアーゼさんの目の前に品々を並べ説明をしていきます。反論すら許さずに説明をしていく私の姿に慌ててトリニアーゼさんがメモをとっていました。本当はそこまで暗記する必要もないのですがね。まあ暗記している部分が多い方がしっかりと検査していたという信ぴょう性が増すので全くの無駄ではないのですが。
まあ集中力が増す環境に置いた方が記憶ははっきりと残るでしょうしこのままで良いでしょう。必死の形相でメモを取っているトリニアーゼさんが書き漏らさない程度の速度で説明を行いながら私たちはゆっくりとした速度でセドナ国の港へと向かうのでした。
役に立つかわからない海の知識コーナー
【二重底】
小型の船を除いては船底は二重にすることが規則で定められています。これはもちろん座礁などで沈没することを防ぐためなのですが、1992年までその例外となっている船がありました。油タンカーです。
理由としては船底が破れたとしても中に液体が入っているため浸水せず船が沈没しないからという理由だったのですが、1989年に同型船のエクソン・バルディーズ号が座礁し多大な量の原油が流出する事故が起こり周辺環境への悪影響を及ぼしたことから現在では規制されています。
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