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海の日です。(投稿日)

海に行きたい、船に乗りたい、海戦が書きたいと思ったら書いていました。

お付き合いいただければ幸いです。

 パチパチパチパチ。


 祝福の拍手の中、今年の4月に配属されたばかりの若宮君が花束を私に手渡してくれました。彼女の顔が見えないほどのその大きな花束は、私の好きな白と青の花々を基調にしたものです。私の好みを把握してくれていた部下たちの心遣いが私の心を温かくします。


「お疲れ様でした。海原(かいばら)部長」

「ありがとう。若宮君もこれから頑張ってくださいね」


 とびっきりの笑顔で私に微笑んでくれた彼女はまだ22歳。私とは3回り近くも違います。その前途には夢や希望が溢れているでしょう。もちろん仕事をしていくうえで辛いこと、悲しいことは起こります。しかしそれを乗り越えるだけの若さがあり、そしてそれを手助けしてくれる良い先輩たちもここにはいます。

 最高の職場でした。最後の仕事をこのメンバーと共に行えたことを私はずっと誇りに思うでしょう。


 こんな老骨のために残ってくれた皆には悪いですが、既に就業時間は終わっています。あまり長引かせても皆の迷惑になるでしょう。私を取り囲んでいる部下たち一人一人としっかりと目を合わせます。


「私を送り出すためにこんなに盛大に皆さんが祝ってくれたことで胸がいっぱいです。私は今日、退職しますが皆さんと共に過ごした日々は私の宝物です。私は素晴らしい部下に恵まれました。あっ、もちろん社長も素晴らしい方ですよ。忘れていたわけではありません」


 私の冗談にクスクスと笑いが漏れます。


「皆さんもこれから仕事をしていくうえで壁にぶつかることがあるかもしれません。そんなとき自分一人で抱え込まずに周りを頼ってください。あなたの周りには素晴らしい仲間たちがいるのですから。それでも詰まってしまったときは窓の外を見ましょう」


 私は手で窓の方向を指し示しました。皆の視線が沈みゆく太陽に赤く染まる大海原へと向かいます。私の席からいつも見えていた光景です。茜色に染まる雄大な海を一艘の漁船が走り抜けていき、その軌跡が白い泡となってそこに一本の線を引いていくのです。


 美しい。


「海の前では私たちの悩みなど小さなものです。同様に私たちも。仕事ばかりしているとそんな当たり前のことを忘れてしまいがちです」


 そう、私のように。


 出てきそうになったその言葉を表情に出さないように飲み込みます。幸いにも気づいた人はいないようですね。心の中でほっと胸を撫で下ろします。

 彼らに真実を知らせる必要はありません。私と違い彼らにはまだこれから長い人生があるのですから。


「小倉君、また部長の海の話が始まったとか言わないように。海は良いですよ。自分を見つめ直すにはもってこいの話し相手です。何を言っても文句は言い返してきませんしね」


 こそっと、しかし皆に聞こえるように言った小倉君が頭を掻きながら照れています。お調子者でムードメーカーである彼なりの気遣いに気づかない私ではありません。

 それに便乗して冗談を言えば、先ほどまでの少ししんみりとした雰囲気も吹き飛び、皆が笑っています。

 本当にいい部下に恵まれました。


「あまり長いのも嫌われてしまいますからこの辺りで。社長にも呼ばれているので待たせるのも怖いですし。あっ、これは私が今日帰るまでは社長には内緒にしてくださいね」

「「「お疲れ様でした」」」


 一斉に頭を下げて見送ってくれる彼らに軽く手を振り、慣れ親しんだ事務室を後にします。胸に湧いた寂しさを見せないように笑顔の仮面を被りながら。


 乗り慣れたエレベーターの動き出しの浮遊感に、これを感じるのも最後なのかと妙な感慨を覚えながら2階上の社長室へと向かいます。

 秘書の橋本君が私の姿を見て立ち上がろうとしたのを手で制し、1人で社長室のドアをノックし入っていきます。返事は待ちません。それが私と社長との間の普通なのですから。


「来たか」


 大きな窓から外を見ていた社長が私に振り返ります。私はそれに応えることなく静かに社長の横へと並び立ちます。部屋と私たちを赤く照らしていた太陽は海へと沈みつつあり、上空のほの暗い空が夜の始まりを告げていました。


「長い間お世話になりました」

「ああ」


 私たちの間にかわされた会話はそれだけでした。

 社長は知っています。私が既に全身をガンに侵され余命いくばくもないことを。こうして立っているだけでも私の全身に無数の痛みが走っていることを。そしてそれを必死に隠そうとしていることを。

 だからこそ社長は私に何も言わないのです。私の想いを守るために。


 本当にこの人は私に甘い。


 無言ではありますが決して気まずくはないそんな時間が過ぎていきます。太陽はじりじりと水平線へと姿を消していき、そしてその姿を完全に隠しました。


「これからどうするんだ?」


 ぽつりと社長が窓の外を眺めたまま聞いてきます。目を合わせれば余計なことを言ってしまいそうだという社長の心が垣間見え、こっそりと苦笑してしまいました。隠したつもりだったのですが社長の肩が跳ねていたので気づかれてしまいましたね。私もまだまだのようです。

 私は黙って月明かりに照らされ、ほの暗く光る海を指さします。


「本当に変わらないな、(わたる)は」


 彼のつぶやきに私の眉がピクリと動きました。


「航と呼ばれるのは本当に久しぶりですね。ヒロ」


 懐かしい呼び名です。最後にそう呼んだのはいつだったでしょうか。少なくとも大学のころまではそう呼んでいた記憶があるのですが。

 そうではなくなったのは彼の一族の会社であるこの紅林グループに就職してからだったでしょうか。嫌ですね。年を取るのは。大切だった思い出さえ淡くなっていくのですから。

 お互いの白髪が増え、しわの刻まれた顔を見ながらそう思います。

 私の返しにヒロが私の方を向きます。ここからは紅林グループの社長である紅林 洋(くればやし ひろし)とその部長の海原 航ではなく、昔懐かしいヒロと航ということでしょう。


「本当にすまない。最後まで航に迷惑をかけて、しかも汚名まで着せて……」


 先ほどまでの貫禄のある姿はどこへやら、肩を落とし少し俯きながら述懐を始めるヒロの肩へと手を置き止めます。そして顔を上げたヒロへと笑いかけながら首を横に振ります。


「いいんだ。どうせ私はもう長くない。先代に拾われ、君と共に歩んだこの会社の為ならどんな汚名でも引き受ける。それが私に出来る最後の恩返しだよ」

「航……」


 そう、彼が謝る必要など何もない。私は満足なのです。

 彼が私に謝る理由も、私がこれから着るであろう汚名も、すべて理解した上でそうするように提案したのは他でもない私なのですから。

 それが大きくなった、いえ、大きくなりすぎたこの紅林グループを救うために最も効果的だと判断したのです。

 それに……


「残りの余生を大好きな海で過ごす許可もいただきましたしね」


 こわばっていた彼の顔からふっと力が抜けました。もう大丈夫でしょう。

 私が責任のほとんどを引き受けるとは言え、彼には何も影響がないと言うことはありえません。クリーンなイメージを大事にしてきたわが社にとって今回の出来事は多大な影響を及ぼすでしょう。

 それに立ち向かっていくのは他でもない彼なのですから。

 彼は下手くそな笑顔を私に向けます。目は潤み、今にも泣いてしまいそうなのを必死に押し殺しているのが丸わかりです。本当に不器用ですね。


「航が過ごすのに最高の物を用意させてもらった。楽しい余生を送ってくれ」

「はい、草葉の陰からヒロの活躍を見守っています」

「冗談になってないぞ」

「はい、冗談ではありませんから」


 彼ににっこり笑って返します。文字通りわが身を削った渾身の冗談だったのですが彼には受けなかったようです。

 その冗談は彼の瞳から涙を流させる役目しか果たしませんでした。


 あぁ、ダメですね。私まで泣いてしまうじゃないですか。


 うすぼんやりとにじみ始めた彼の輪郭が、その姿が、否応なしに自分が泣いていることを知らしめます。年を取ると涙もろくなって嫌ですね。

 笑顔で別れると決めていたのですが。


 どちらからともなく右手を差し出し、力強く握ります。彼と会うのもこれが最後でしょう。だからこそこの感触を覚えていたい。

 彼という親友がいたことを忘れないために。その思い出だけで残りの人生を過ごせるように。


「では、そろそろ行きます」

「ああ、良い旅を。ボンボヤージュ」


 離れがたい手をゆっくりとはがし、軽く頭を下げてから出口に向かって歩き始めます。名残惜しむようにゆっくりとした歩調で。


「そうだ、それを持っていけ。必要だろ」


 出口のそばにある紙袋を指さした彼に従い、それを覗き込みます。


「クロのヴィンテージですか。私が飲みたいくらいですね。ではありがたく」


 一本50万以上するであろう高級シャンパンが無造作に入った袋を持ち社長室を出ます。それ以上の言葉は交わしませんでした。話し続ければ私の決意が鈍ってしまう、そう彼もわかっていたのでしょう。

 彼の声を聞くことはもう二度とない。

 それがたまらなく寂しくて、震えそうになる足に檄を入れながら通いなれた社屋を離れ、海へと向かいます。陸を歩くのもこれが最後かもしれません。たまには海の夜風に吹かれながらの散歩もいいものでしょう。


 小さくなっていく社屋を時折振り返りながら、潮の匂いと波の音の響く海岸線を歩いていきます。秋も深まるこの季節では海で遊んでいる若者どころか、この海岸線を歩いている人さえいませんでした。

 まるで真っ暗な海に溶け込んでいくかのような浮遊感を覚えながら目的のヨットハーバーへと着きました。無人の紅林グループのクラブハウスのカギを開け、そして保管ロッカーから目的のキーを持ち出します。そしてしっかりと鍵を閉めると、桟橋に並んだプレジャーボートの中でも一線を画す巨大な船体へと向かいます。


 暗闇の中、ライトに照らされたその船体は、全長約40メートル、全幅約8メートルの巨体でありながらレーシングカーを思わせるシャープなカーブが美しく、その無駄のないホワイトのフォルムに斜めに一本惹かれた赤い線が私の目を捉えて離しません。

 静かに桟橋に係留され、初めての航海を待つその姿はまるで美の女神のよう、いえ陳腐な私の言葉など不要でしょう。


 この船の処女航海の記念として、彼にもらったシャンパンは確かに相応(ふさわ)しい。

 袋から取り出すのももどかしく思いながら、手に持った高級シャンパンを惜しげもなく船首へと放り投げます。瓶の割れる音、そしてシャンパンの炭酸のはじける音とその匂いがこの船の海神の眷族への仲間入りを祝います。

 もっと盛大に祝ってあげたいところですが仕方がありません。いつまでもここにいるわけにもいきませんしね。



 タラップを登り、1人その船体へと乗り込みます。こんなにワクワクするのはいつぶりでしょうか。私を蝕んでいたはずの体の痛みさえ全く感じません。

 ライトを照らしながら少年の戻ったかのように探検を続けます。4階層からなるその内部はまさしく船の中の一流ホテル。質の良い家具が設えられ、そしてシックな内装は私一人が過ごすにはもったいなさすぎるほどの物でした。

 サロンやラウンジにはクロのヴィンテージとはいかないまでも高級な酒が各種取り揃えられており、そして食糧庫には私が死ぬまでに食べるには十分すぎるほどの食料が保管されていました。


 それを確認した私はヒロに感謝しつつ操舵室へと向かいます。

 操舵席へ座り、キーを差し込むと目の前の6つの画面へと計器が表示されていきます。もちろん異常なんてありません。


「ようこそ、フォーレッドオーシャン号へ。あなたの快適な旅をナビゲートさせていただきます」


 突然流れた機械音声に体がびくっと震えます。そして同時におかしさがこみ上げてきました。そのナビの声が私の声であることもそうですがこの船の名前の意味に気づいたからです。

 フォーレッドはフォレスト・レッドの略。つまり紅林を逆にしたもの。そしてオーシャンは海。つまり紅林洋という彼の名前からついていると一見思えます。しかし実際オーシャンは私の海原という名字から来ているという確信があるのです。

 なぜなら幼いころ自分たちの船につける名前として彼と一生懸命に考えた思い出の名前なのですから。


「覚えていたのですね。それにしてもいつの間に私の声を集めたのでしょうか?」


 親友のとんだサプライズに顔がにやけるのが止められません。まあ見ている人は誰もいないので問題ないでしょう。


「では出港しましょう。まずは太平洋の公海を目指します。出港は自動で可能ですよね」

「はい、もちろんです」


 2700kwを超えるパワーを船へと供給する2基のエンジンの力強い音と振動が私の心を揺さぶります。さて暖気している間に準備をしないと。

 係留用のもやいロープをクリートからいったん外し、ただクリートに引っ掛けた状態にして船と往復させていきます。幸いにも桟橋から離れる方向に風が吹いていますし、このマリーナ内は潮流も早くありませんから私一人でも問題ないでしょう。

 もやいロープをゆっくりと緩めていくと船体が桟橋からゆっくりと離れていきます。そして十分な距離が取れたことを確認し、急いでもやいロープを回収します。


「では出港です」

「アイアイサー」


 ナビが自動でゆっくりと船を操舵し、陸地から少しずつ船体が離れていきます。まだ多くの明かりが灯った思い出深い社屋を目に焼き付け、そして社長室のある最上階の灯りがまだ点いていることに気づき、こちらを見ているであろう彼の姿を夢想します。

 そして彼に向けて片手をあげて敬礼をしました。


「ボンボヤージュ」


 彼のそんな言葉が聞こえたように感じたのは私の気のせいでしょうか。





 夢のような時間が続きます。いえこれは私が死の間際に見たうたかたの夢なのでしょう。

 目的地もなくただ穏やかな海をたゆたう日々。何にわずらわされることもなく、ゆったりと本を片手に釣りをし、新しい料理に挑戦し、たまに晩酌をする。

 この船には彼の思いが詰まっていました。釣りをしながら本を読む癖があることを知っている彼のおかげでこのフォーレッドオーシャンには様々なジャンルの本が並んでいます。

 私が暇を持て余してはいけないと考えたのか、各種趣味の本にそれに関する材料まで取り揃えられていましたしね。料理に関しては非常に助かりましたが、ミシンや縫い針、反物まであったのには少し笑ってしまいました。彼は私をどうさせたいのでしょうか?


 時折、彼のいないことが無性に寂しくなります。結婚せず、両親もすでに鬼籍に入っている私にとって唯一家族と呼べる存在が彼でした。この船には彼の想いが詰まりすぎているからなおさら寂しくなったのかもしれません。

 彼ともう一度会ってみたい。叶わぬ願いを抱きながら眺める夕日の美しさに涙流すこともありました。そんな私の想いさえ海はただ黙って受け入れてくれました。


 そんな夢のような日々にも終わりは来ます。

 私の体はどんどんと動かなくなっていき、次第にベッドから出ることさえ難しくなってしまいました。全身に痛みが走り、ただでさえ減退気味だった食欲はさらに落ち、私の手はまるで棒のように細くなってしまいました。

 立ち上がることの出来ないほどのめまいが続き、熱に浮かされる日々。唯一の楽しみと言えば寝室から見ることの出来る雄大な海の景色を眺めるだけ。

 しかしあと数日もすればそれも叶わなくなってしまうのでしょう。枕元に置かれた水をコップに注ぐことさえも難しいのですから。


 しかし海は何も変わりません。私の最後を看取ってくれるこの船をゆっくりと揺らすだけです。


「坊主、そんなに船が好きか?」


 不意に懐かしい声が聞こえた気がして笑みがこぼれます。本当にいつぶりでしょうか。大きな手でぐりぐりと頭を撫でられながら聞いたその野太い声に、正に海の男と言わんばかりの男くさい笑みに少し怯えながらも返事をしたあの日がよみがえります。

 迎えに来てくださったのですね、雄一郎おじさん。私の想いはあの日、あの時からずっと変わっていませんよ。


「はい。大好きです」


 ゆっくりと目をつぶります。そこに雄一郎おじさんがいるなんて都合の良いことはもちろんありません。でもきっと私を待っていてくれるのでしょう。

 今、行きますよ。


「アイアイサー」


 ナビの声が聞こえ、しばらくしてゆっくりと船体が動き出すのを感じます。三途の川をこの船で渡ることができるのでしょうか。もしそうならどんな鬼がいたとしても大丈夫でしょう。なにせ最高の船なのですから。

 心地よい波とエンジンの振動を感じながら私の意識は淡く薄くなっていき、気泡のように消えていくのでした。

本日は2話更新予定です。2話目は午後7時前には投稿する予定です。


なにぶん始めての海の話ですのでご意見、ご感想などお待ちしています。m(_ _)m


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シンデレラが一人の女の子を幸せにするために奔走する話です。

「シンデレラになった化け物は灰かぶりの道を歩む」
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少しでも気になった方は読んでみてください。

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