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第8章 過去との決別

1.


 スマホの振動で、鈴香は目覚めた。琴音からの着信をしばらくとろんとした眼で眺めて――

「わああ忘れてた!」

 スマホを放り出して着替えを急ぐ。昨日の戦闘についての事後評価作業を、蔵之浦家当主として立ち会うこと。総領から言われていたのに、アラームをかけずに就寝してしまったのだ。

 もう少しで着替え完了というところで、また琴音。

『もしもーし、蕎麦屋さん? 出前はまだかしら?』

「うちは居酒屋だよ!」

『まだ家ね? 先に始めとくから』

 待ってくれなんてわがままは言えない。身分:大学生オンリーな鈴香と違って、琴音たちは企業のオーナーである。おそらく仕事が溜まっているだろう。1泊2日の旅行に昨日の出来事もプラスされて、なおさら。

 部屋の戸がノックされて、義理の姉の声がした。

「スズちゃん、どしたの? 居酒屋がどうとか聞こえたけど」

 部屋を出て身だしなみを整えに洗面所に向かいながら、義姉・向井木之葉に仔細を説明する。

「あーさっきテレビでもやってたよ。お屋敷の敷地にすっげぇ溝ができてんの。沙耶だろ? あれ」

「よくご存じで」

 さすが高校以来の親友、分かってらっしゃる。

 さっさっと身支度して洗面所を飛び出ようとして、危うく姪を踏みそうになった。最近ハイハイができるようになった姪は、鈴香の目線の完全に下を行き来する神出鬼没の存在なのだ。

「わあ! かんなちゃん! 危ないって!」

 叔母――最近琴音に“おばさん”呼ばわりされるようになって心外の極みである――の急ぐさまを見ても理解できないのだろう、あーあーいいながら笑っている。そんなかんなに笑顔で手を振って、玄関へと急ぐ。

「スズちゃん! 朝飯、じゃねぇ昼飯は?」

「途中で買い食いします! 行ってきます!」

 最寄のバス停目指して、鈴香は駆け出した。



 40分ほどで鷹取屋敷に到着して、周辺を封鎖している警察官に入れてもらう。警察官の目が『こんな粗末な身なりで鷹取家?』って言ってる気がするけど、気にしない気にしない。自分でもそう思っているんだから。

 現場に向かう途中で、幾人かの庭師とすれ違った。あいさつを交わしたが、平静さを装った仮面の下、みな一様に心が泣いている。

 無理もない、と鈴香の心も暗くなった。庭師が7名死亡しているのだ。

 総領と沙耶、琴音も同様だった。遅刻を責められるでもなく、淡々とかつテキパキと戦闘の検証作業が進んでいく。

 一同の中で唯一、悲しみに染まっていない男を見つけた。袴田主任参謀だ。総領たちと同じ表情の仮面を付けながら、こちらは白けきった心情が手に取るように分かる。

 鈴香は言ってやりたい。だからあんたは支持されないのよ、と。

 誰もが彼女のように他人の心が読めるわけではない。だが、知らず滲み出るものはあるのだと思っている。

 総領が立ち止まり、声を上げた。

「これでだいたい終わりね」

「はっ」

 そう答えたのは、庭師頭の岩政だ。彼の表情が、ここに至ってついに崩れた。深くうなだれて、嗚咽を漏らし始める。

「さあ、岩政さん、行くわよ」

 総領に促されて、庭師頭はうなだれたまま後に続いた。琴音に尋ねると、殉職者宅へ弔問に行くのだという。

「辛いね……」

「ええ……主任参謀さんも、ご苦労様でした」

 無言で敬礼して去っていく袴田の後ろ姿に、思いっきり舌を出してやる。沙耶には含み笑いをされ、琴音には肩を軽くはたかれてしまった。

「はしたないことしないの」

「庶民ですから」

 母屋にみんなで戻りながら、激戦の爪痕を確かめようとした。だが、昨日の夜遅くまで降り続いていた雨が洗い流したのだろう、地面には何も残ってはいなかった。

「みなさんは?」

「ああ、晴菜ちゃんたちのこと?」

 昨日の戦闘参加者たちは、屋敷内でそれぞれゆっくりしているようだ。鷹取の鬼の血力は、使用者に翌日倦怠感をもたらす。個人差はあるものの、昨日の激戦で血力を限界まで使った巫女もいるだろう。

「こんな状況じゃあ、東京見物ってわけにもいかないしね」

 そう結んだ沙耶は、母屋の玄関に彼女付きの執事・藤堂を見とめた。

「沙耶様、お電話が入っております」

 うやうやしく差し出された電話に応対する沙耶を横目に、鈴香は琴音をからかうことに決めた。この陰鬱な雰囲気に耐えられなくなってきたのだ。そこがしょせんはぽっと出の一族、分家のなれの果てなのだとは思うが。

「ねぇねぇ、琴音、あんたはいつ行くの?」

「どこに?」

「決まってるじゃん。隼人さんのオ・ミ・マ・イ」

 言われて、親友は明らかに視線を逸らした。

「あとで行くわよ」

「あとなんて言ってると、退院しちゃうんじゃないの?」

 その時、藤堂が口を挟んできた。珍しいことだ。

「失礼ながら、いささか遅うございます」

「え?! もう退院しちゃったの?」

 いえそうではなく、とにっこりした執事は、通話中の沙耶すらそれを忘れて瞠目するような台詞を吐いたのだった。

「既に美玖様が行かれておりますので」


2.


 隼人は病室のベッドで横になって、テレビを眺めていた。彼の事前の予想どおり、白水晶によって無理やり一命をとりとめて。

「だりぃ……」

 もう既に午後2時を過ぎたが、一向に気力と体力が回復してこない。

 今までにこんなことはなかった。

 彼の決して長くないエンデュミオール生活で致命傷を負った回数は、そろそろ両手では足りなくなりつつある。そのたびに、白水晶が彼の体に絶命回避のためのエネルギーを注ぎ込み、九死に一生を得る代わりに翌日の倦怠感を残してくれた。

 だがそれは、普通は午前中にだいたい回復する程度のもの。今回は異常事態とも言える。

 だが、睡眠を十分過ぎるほど取って、そろそろ頭が痛い。だからテレビを流し見して、だらだらしているわけだ。

「うう、またバイトが……」

 ついつい独り言をつぶやいてしまう。それができるのも、彼が個室に入れられているから。おそらく鷹取家の好意なのだろう。

 ゆえにイヤホンをつけずに見ているテレビは某局を除いて、鷹取屋敷のテロ事件一色だ。

 財閥に恨みを持つ者、あるいはグローバリズムに反感を持つ者の犯行と推測されているが、実行犯は死亡もしくは行方不明であり、どこかの組織からの犯行声明も出ていないため不明である――

「怖ぇぇ……」

 思わずつぶやいたのは、事情を知っているがゆえだった。

 情報操作が完璧で、妖魔のヨの字も出てこない。栗本のクの字も。

 下手をすると、自分が抹殺されるような事態に陥った時でも……

 その時、ドアがノックされた。一瞬心臓が縮み上がり、変な声が出そうになったが、すぐに気を落ち着かせて返事を返す。すると、聞き覚えのない女性の声がした。

「失礼します」

 入ってきたのは、30歳前後と思しき女性と、美玖だった。

「初めまして。美玖の母です。昨日は美玖を助けていただいて、ありがとうございました」

 慌てて起き上がろうとして、女性に止められる。それでも答礼をしてから、素直に横になった。

 美玖がその傍に来て、神妙そうな顔で頭を下げた。

「あの、昨日はありがとうございました。まだ具合が悪いんですか?」

「うん。エンデュミオールの時とは治り具合が違うのかもしれないね」

 そう説明してからしまったと思ったけれど、美玖の母親が事情を知らないわけがないだろうと思い直す。案の定、母親は不思議そうな顔もしなかった。むしろ関係者しか分からないことを質問してくるではないか。

「えーと、白水晶でしたっけ? それが助けてくれるって分かってらっしゃったんですか?」

「え? いえ全然」

 気だるいながらも笑って答える。白水晶が身体に同化しているのなら、もしかしてとは思っていたと答えると、美玖が眉をひそめた。

「そんな理由だけで、あんなこと……」

「ううん、違うよ」

「違うんですか?」

 隼人は美玖の顔を見つめた。ベッドの端に置かれた小さな手に、自分の手をそっと重ねて。

「助けたかったから。護りたかったから、ああしただけだよ。まあ、ちょっとだけ、試してみようかとは思ってたけど」

「……ダメです、そんなの」

 物問いたげな顔を作ってみせると、頬を赤く染めた美玖は咎めるような顔になった。

「だって……デート、だったんですよね? 今日」

「デート? ああ、うん」

 そう、今日は優菜と映画を観に行く日だったんだ。

 なんで知ってるんだと尋ねると、琴音から聞いたのだと教えてくれた。

(なんで琴音ちゃんが知ってるんだ……?)

 母親が止めるような仕草をしたが、美玖は気にせず続けた。

「怒られたんじゃないですか? 優菜さんに」

「うん……『ほかの奴と行くから、もういい』って。フラれたよ、はっはっは」

 最後はおどけたが、空元気風に聞こえたのは倦怠感のせいだ……きっと。

 なんとなくやさぐれて見上げていた天井から視線を戻すと、美玖はまだ眉をひそめたままだった。が、その顔が突然明るくなったのは、その直後である。

「あ! じゃあ――」

「ん?」

 美玖は隼人の手にさらに自分の片手を重ねると、明るく声を張った。

「わたしが隼人さんのお嫁さんになってあげます!」

「ああ、うん。結婚できなかったらよろしく頼むよ」

 無下に断るのも大人げない気がして、隼人はゆったり笑うと、その手を抜いて彼女の腕に添えた。

 この無邪気な約束が10年後の騒動となるためには、まだ幾つもの激憤や未来をつながねばならない。


3.


 夜。自室に戻った鈴香は『S・H・A・R・E』を起動させた。海原重工の家電部門が開発中のSNSツールで、音声通話(多言語自動翻訳機能付)プラス3Dホログラフィによって双方の仕草や表情も伝えることができる。同じ物が確かアンヌ主従に贈られているはずだ。

 今日の用向きは、琴音の姉・満瑠やその友人である江利川千夏に、こちらの状況を報告しついでに世間話をすることである。

 幸い、海の向こうの彼女たちは朝のレッスンと公演の打ち合わせを終えたところだった。全高10センチ、3頭身のホロキャラ『パペット』に向かって、早速報告をする。

 満瑠は眉をひそめながらも安堵をしているようだった。

『そう……庭師の人たちにはお気の毒だったけど……』

 千夏は素直にサバサバした表情と仕草をした。ボーイッシュな彼女らしいハスキーボイスが聞こえる。

『でもこれで、その残党とやらも全滅したんでしょ?』

「さあ、なにせ遺体は1つしかなくって……」

 それは双子と凌が斃した男性のものであり、妖魔勢を指揮していた2人の女性は行方不明となっているのだ。単純に、沙耶が放った突光に薙ぎ払われたのだとしても、欠片すら見当たらないというのは……

「捕まえた女の人も話すのを拒否してるから、一味全体で何人いたのかも分からないし。だからあれで全滅かどうかは分からないんですよ」

『そっか……』

 千夏パペットは考え込む仕草から一転、何もない空間を突いた。どうやらすぐ横に満瑠が座っているようだ。

『ほら、本題に入りなよ』

『あ、ああそうね』

 空咳一つした満瑠の本題とは、琴音のことだった。回りくどい問いかけを要約すると、『いい人できた?』ということである。

「まだですね。このあいだコクって振られてましたし。美玖ちゃんには先を越されるし」

 不審と興味で俄然色めき立つ2人に、一足違いで隼人の見舞いに行った時のことを話す。『わたし、隼人さん予約しました!』という宣言に至って、ついに2人は爆笑しだした。

『まだ小3だっけ? いいねぇ! 優羽ちゃんみたいになっちゃったりして』

『よくないわよ』

 目尻の涙を拭いながら、満瑠がたしなめた。

『で、琴音は?』

「え? ああ、笑ってましたよ」

 鈴香の答えは、満瑠にとっては満足できるものではなかったようだ。

『んもぅ、どうしてそこで押し返さないのかしら』

「押し返す?」

『そうよ。かわいく拗ねてみたり、自分をアピールすればいいのに』

 そういうところが歯がゆいのだ。そう姉はおっしゃる。

『まあほら、相手は小学生だし。さすがに歳の差があり過ぎて、その人も本気にしてないでしょ』

 千夏のフォローを途中でさえぎるアクションをして、満瑠パペットは思い深げな表情になった。

『なに言ってるの? 私の父は10歳年上だったわよ?』

 一族の者を愛してくれて、血をちゃんと繋いでくれれば、歳の差も生まれも関係ない。それが鷹取家の結婚なんだから。満瑠はそう締めた。

『なるほどねぇ、それで満瑠はあの――『お黙り』

 にらみ合いをしばらくしたあと、千夏パペットが顔を逸らして、

『それにしても、その人、怖いね』

「隼人さんがですか?」

『そうだよ。だって、自爆の次は人の盾じゃん? なんかさ、死にたいのってくらい自分に厳しいと思わない?』

 確かに。『女の子がピンチになると、勝手に身体が動く』と冗談めかして言っているが、深層心理に根ざした何かの衝動があるのかもしれない。

 そんな人を琴音に勧めていいんだろうか。

 当たり障りのない世間話に移行しながら、鈴香の心の片隅で、すっきりしない何かが漂い続けた。


4.


 河端千早の恋人は、系列会社を親から任されている社長である。学生社長というわけで業界紙に取り上げられることもある彼は、よくモテる。それは千早にとって、納得ずくのことだった。

 だが、彼が取引先の一人として出した名前に、千早は全力でNOを出さざるを得ない。

 本人が目の前にいても。

「あら千早さん、こんにちわ」

「しゅに……えと、仙道さん……っ!」

 うふふふふ、と艶然な微笑みは確かに色っぽい。周りにオッサンが群がってるのも分かる。でも、でも、

「孝太君、あっち行こ」

 ここは横浜市内のとある高級ホテル。アパレル業者が家族や友人・知人を連れての立食パーティーであった。

「あのさ、仙道さんとちょっと仕事の話を」「ダメ」

 分かるのだ。彼を見る仙道たずなの眼が、あの日あの時横田――西東京支部のサポートスタッフリーダー――を捕食しようとした時と同じ色をしていることが。

「仙道さんを知ってるの?」

「え?! ああ、うん、サイ……知り合いがあの人の店でバイトしてて」

「サイ?」

「なんでもないなんでもない」

 彼にはボランティアの正体は話していない。それに、『サイコちゃん』の話をすれば、隼人のことにも触れざるをえない。

 ボランティアに隼人がいることはそれとなく耳に入れている。でも、彼と隼人との因縁を考えると……

 そういえば以前、隼人と黒岩圭に『ボランティアのことを隠してるなんて』みたいなことを言ったな、あたし。

 あたしは、いつ話すんだろう。圭はあの時、どうして指摘してこなかったんだろう。

 その後、彼が繰り返すので仕方なく、たずなとの会話についていくことにした。

「仙道さん、提案があるんですが」

 彼は単刀直入に切り出した。たずながわざわざヨーロッパまで買い入れに行かなくても、彼が扱っている商材を直接卸してもいい。そういう提案だった。

 しかし、たずなは微笑みを崩さないまま首を振った。

「お言葉ですけど、それでは、ほかの店と同じになっちゃいますわ」

「ああ、そっか」

 と思わず口を挟んでしまった。彼の視線に応えて、

「たずなさんが向こうで選んで買い込んでくる品物を並べてるお店ですもんね」

「ご名答。ナマモノじゃないから、地球を一周しても腐らないしね」

「しかし、商品としての鮮度が落ちます」

 ああ、分かってないな。たずなの店に来る客は、最新のモードに身を包みたいわけじゃないのに。

 そう指摘しようとしたが、たずなやほかの業者の前で言ってもいいんだろうか。

 迷っているところへ、騒ぎは起こった。パーティ会場の扉が開けられたとたん、頭痛の種が無限増殖するあの声が響いてきたのだ。

 そして、あたしはやっぱりセレブにはなれないな。千早はそう実感する。なぜなら、

「げ」

 という身もふたも無い――有体に言えば品が無い――台詞を発してしまったのだから。

「遅くなってすみませ~ん! 今日に限って車が……キャー千早さ~ん相変わらず素敵な服~!」

 鷹取優羽が抱きついてくるのを逃げ損ねて、フカフカの体にガッチリホールドされてしまった。

「ゆ、優羽ちゃん、重い……痛い……」

「これ、ニイミさんの新作ですか? いいなぁ、あたしお胸が入るかな?」

 聞いちゃいねぇ……

「千早、鷹取さんと知り合いなの?」

 ボランティアでと言いわけするより速く、千早の身体はリリースされた。リリースした優羽が素早く、むかつくほど素早く、彼にすべり寄って腕に手を、腕を胸に!

「ゆう、って呼んでください。うふっ」

「もう、優羽様ったら。新見さんは私とお話ししてたんですよ?」

 とか言いながら、たずなまで彼の腕に胸を押し付けてきてる!

 そしてオッサンどものどよめきとオバサンどもの囁きに心炙られて、千早はついにキレた。

「帰るぞ、孝太!」

 だめだ! 捕食者が2体に増えたこんな場所にいられるか!

 千早は彼氏の襟首を引っつかむと、出口に向かって一目散に引きずっていったのだった。



「ったく……鼻の下伸ばしやがって……」

 彼に送ってもらって、ここは横浜支部。一部始終を話したら、黒岩圭を初めとするスタッフに笑われてしまった。

「見てみたかったなぁその2人の揃い踏み」

 深く深くうなずき合う男性スタッフたちの要望に、応えてやるさと圭がスマホに手を伸ばす。

「あんたたち、覚悟しなさいよ」

「なにをっすか?」

「あの人たち、特に主任参謀さんはね、付き合う男がみんな衰弱死してるんだから」

 都市伝説でもなんでもなく、琴音と鈴香から聞いたマジバナである。精力を吸い取られて干からびるのよ、とは赤面しながらの沙耶の証言であった。

 だが、男どもの前にはそんな説諭、無駄無駄無駄無駄ァ! であった。

「うぉぉぉぉいっぺんそんな目にあってみてぇぇぇぇ!」

「本望っす。押忍!」

「今のうちにスタミナドリンク、買ってこようかな」

「……うちのスタッフがこんな刹那の欲望に身を委ねるような奴らばかりだったとは」

 支部長の慨嘆は、わずか2秒で撤回された。

「あ、じゃ支部長はお帰りで」

「ごめんなさい見たいです」

 それを目の当たりにしていきり立ち、男どもを蔑み始めた女性スタッフを諭してやる。逆立ちしてもかなわないゴージャスさだから、見物して楽しむのが吉だと。

「そういえば、隼人君は夕方やっと退院したそうだね」

「みたいですね。まったく、バカなんだから」

 支部長に身も蓋もない返答をして、そっぽを向く。圭がニヤニヤ笑ってるのが見えたから。

「散々護ってもらっといてそのセリフはさすがだね!」

「う、うっさい! 過去の話はすんな!」

 スタッフたちの奇異の視線を避けたくて、トイレに駆け込む。

 洗面台に両手を突いて、うなだれる。荒い息を整えながら上げた顔は赤い。圭のせいで、過去の記憶が脳裏にフラッシュ映像のように蘇ってきたからだ。

 隼人は優しかった。優しすぎた。ゆえにいつも戦っていた。恋人を、女の子を、妹たちを護るために。

 隼人の恋がフラれて終わることが圧倒的に多いのは、恋人がついていけなくなるからだ。

 どうしてそこまで、誰かを護らなくちゃいけないの?

 どうしてわたしだけを護ってくれないの?

 隼人から満足な――正確に言えば、恋人が納得できる――答えが返ってきたことはなく、ゆえに恋人の愛想も尽きる。その繰り返しだったのだ。

 そして千早は、そんな隼人を放っておけない性質だった。だから2回もヨリを戻した。そのことを、なぜかいまだに後悔していない自分がいる。

『どうして俺って、いつも分かってもらえないんだろうな』

 ……その言葉を最後に聞いたのは、鷹取家の人々と初めて共闘した時だったか。最初に聞いたのはいつだったか、別れるまでに何回聞いたか、もう覚えがない。

 こうやって、人の過去は流れ去っていくもんなんだな。

 千早の眼に涙が溜まり、零れ落ちた。

 トイレの外が騒がしい。どうやら本当に襲来したようだ。

 捕食者どもめ。

 千早は涙を拭うと、現実に帰還することにした。

 ついでに、しっかりと因果を含めてみせよう。ああ、やってやるさ。

「あたしの彼に手を出すな」って。

 あたしには、未来があるんだ。


5.


「ダメ、だったの……」

 それが、凌の語り始めだった。

 雨上がりのカフェは客が少なかった。これ幸いと中央の席に陣取った陽子と優羽、瞳魅に、そう切り出したのだ。

 彼女は帰省し、会長のメモを一族に見せた。そして説得したのだ。

 これで、一族を再興できる。今のしがない境遇から抜け出ることができると。

 だが、一族から返ってきた答えは『否』だった。彼らは今の生活に満足していて、古術を覚え、新たなる道を切り開こうとは思わなかったのだ。

 なぜならそれは、諜報や戦闘などの茨の道だから。

 幾度かの説得失敗の後、諦めきれない凌は、並行して修行していた古術のデモンストレーションを深夜のシノビランド内で行うと周知した。

 それを見てもらって、興味のある者だけでも募ろう。そう考えたのだ。

 だが――

「デモンストレーションなんてできなかった……みんなが襲ってきて……わたしを、排除しようとして……殺さないように反撃するのが精一杯で、逃げてきたの……」

 凌の目から、涙がこぼれた。

 陽子は言葉も出ないままコーヒーを飲んで間を取ろうとして、我が目を疑った。優羽だけでなく瞳魅まで、スマホをいじり出したのだ。

 凌の眼をそちらに向けまいと、声を大にする。

「そ、それにしては、ずいぶん遅かったね……もしかして、怪我したとか?」

「ううん。歩いてきたの」

「え?! 岡山から?」

「うん、ついでに古術の修行をしながらだけどね。怪我もしてなかったから」

 涙を拭って笑う凌についなじるような口調をしてしまうのは、心の底から案じていたからなのだが、

「れ、連絡くらいしてくればいいのに……」

「できなかったんだよ。スマホも財布も全部置いて逃げてきちゃったから」

 いやあいい運動になったと言わんばかりの爽やかな笑顔を、信じられない目で見つめる。神奈川出身の陽子にとって、岡山は『京都より西にある、どこか遠くの場所』でしかない。

 信じられないといえば、友人たちだ。まだスマホをいじっているではないか。優羽なんて顔を上げもしないで、

「同じ考えの若い人が6人くらいいるって言ってなかったっけ?」

 そのおざなりな態度からの質問は、凌をうつむかせた。前髪が垂れて、彼女の失望感を増伏しているかのように見える。

「シノビランドで真っ先に襲ってきたんだよ、あの子たち……長に言われたんだって……責任取れって……」

 へーたいへんだったねー。心のこもっていないあいづちに、ついに陽子はキレた。

「ちょっと!! あんたたち!! いい加減に――「よし!」

 パチンとスマホのカバーを閉じて、優羽は立ち上がると、凌ににっこり微笑んだ。

「さあ行こう、凌ちん!」

「え?! どこへ?」

「決まってんじゃん。ご一族のところだよ」

 そう言って、瞳魅も立ち上がる。こちらは笑ってない。

「な、なにしに?」

「皆殺しに行くんだよ。ガンバルゾー! オー!」

「こらこら優羽、言葉を選べよ。懲らしめに、だろ?」

 急展開にやっと追いついて、陽子も立ち上がると瞳魅の腕を掴んだ。自分の膝が震えているのが分かる。

「皆殺し?! 嘘でしょ?」

「本気だよ。な? 優羽」

 笑い顔のままうなずく優羽を見て、鳥肌が立つのを覚える。まるで『ちょっと思い立って旅行にでも』という風情なのだ。

「あたしね――」

 優羽がしゃべりだした。その雰囲気は、いつものふわふわとした感じがまったくない。

「大事な人を傷つけられるの、嫌いなの。絶対許せないの」

「わ、わたしは……」

 凌が絞り出した言葉は、あっさりと優羽によって遮られた。

「怪我してるでしょ? だから、このあいだの敵を仕留める時も、棒手裏剣投げたんでしょ?」

 答えは、凌の表情から易々と読み取れた。

 じゃあさっきの笑顔は、無理やり作り出したものだったのか。

 影を完璧に作り出すためという理由も、そうでないとあの恐るべき男性に太刀打ちできなかったからなのか。

 陽子の瞠目をよそに、優羽の独白は続く。

「だから、皆殺し。凌ちんの思いがたとえ迷惑だったとしても、拒絶してお帰りいただくだけで済んだのに。手を出して、あたしの友達を傷つけた。

 つまり、戦うってことだから。凌ちんの思いを応援している、鷹取家と」

 首の骨を鳴らしながらそう断言する優羽は笑顔そのものなのに、どうしてこんなに怖いんだろう。これが鬼の血というものなのか。

 その笑顔を正視できなくて、陽子は瞳魅のほうを向いた。どちらかというと理屈が通りそうなほうを相手に、なんとか思いとどまらせようとして、回らない頭で必死に言葉を探す。

「あ、あの、今からって、岡山まで? 遠くない?」

「うん。もう遅くなっちゃうから今日は岡山で泊まって、懲らしめに出向くのは明日になるよね?」

「うん、大丈夫だよ、3日後まで予定キャンセルしたし」

 うなずく優羽を見て、思い至る。2人がスマホをいじっていたのはそのためだったのか。

 そして、返しの矢が飛んできた。そう感じた。

「陽子はどうする?」

「え、えーと、わたしはレッスンがあるから……」

 語尾が消え入る。そうやって逃げる自分が嫌いだ。でも、皆殺しなんて……人を殺すって……

 その時、凌が動いた。優羽に取りすがって、泣き出したのだ。

「お願い、やめて。お願い……あれでも、親戚なの……わたしにとっては、大事な人たちなの……」

 戸惑いの表情を浮かべる優羽は、あくまで決行しようというのか、凌の両肩を鷲掴みにして、口を開いた。

「許せないわ。キミを傷つけて、それでもこんなに泣かせて、泣かせて……泣かせ――」

「優羽! そこまで!」

 瞳魅が素早く優羽の肩を掴んで揺さぶった。まるで何かを抑え込むかのように。

「わ! ど、どしたの? 急に」

「い、いや、なんかさ」

 と瞳魅は心配げな眼をしてうつむいた。

「急に優羽が怒った感じがさ……ほら、あの……」

「あの? ああ、鬼還り? しないよそんなの」

「そんな気がしただけだって。でもさ――」

 肩の手の力が、いくらか緩んだように見える。

「今回は凌の涙に免じて、許してあげなよ。監視対象として総領様にお願いするってことで」

 優羽は少しだけ目を閉じて、開いた時にはいつもの女の子に戻っていた。

「んもぉ~しょーがないな~。ねぇどーする? 3日間、暇なんだけど」

 いや勉学に励めよ。そう言おうとして、陽子は解決策を思いついた。この湿った雰囲気を吹き飛ばしたい。そう、自分は旋風系なのだから。

「ねぇねぇ、じゃあさ、みんなで旅行に行かない? 優羽と瞳魅、温泉行って来たんでしょ? 別の所でいいからさ」

 どうして、そんな胡乱げな眼で見つめるの?

「陽子?」

「なに?」

「レッスンは?」

 当然の切り返しに何も備えておらず、苦し紛れな言いわけを考えた。

「きゅ、急病でお休みに、しよっかな……」

 そしてなぜ、2人して指をワキワキさせるの?

「陽子に嘘をつかせるのは心苦しいからさ」

「キミの指が折れれば、急病だね!」

「ちょっと待って!! ダメ! 顔と指はやめて! 来ないで!」

 笑い出した凌が、ぼそりと言った。

「優羽、瞳魅、今の一連の流れさ――」

「うん?」

「ミキマキ先輩そっくり」

 ショックの受け方までそっくりで、みんなでひとしきり笑い続けたのだった。

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