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第7章 鷹取屋敷攻防戦(後編)

1.


 色とりどりの花。表現するならそうなるだろうか。

 午後1時の鷹取屋敷は、6月下旬らしい雨模様だった。懇親会はもともと蒸し暑いのを見越して屋内での開催だったのだが、それでも洋館の大ホールは人いきれで空調が追いつかないほどである。

 隼人たちが18名。それに対して、鷹取家の人々がなんと30名もいるのだ。そのほとんど――ぶっちゃけた話、総領以外若い女性である。皆着飾ってはいないがそれなりのおめかしをしてきていて、だから『色とりどり』と表現したのだ。

 もう一つ、気付いた点がある。

 皆、とてもよく似ているのだ。品のいい顔立ちを縁取る髪色の赤黒や青黒こそ、色調に濃淡があって逆に個性が現われているが、それもしょせん2系統である。

 2系統といえば、ふっくら顔の鷹取さんと細面の海原さんという具合に、きれいに分かれていて、例外は無い。

 そんな美女が30名ひとかたまりになっているさまは、正直言って、

(……怖いな、ちょっと)

 優菜も同じ感想を抱いたようだ。

「やっぱあれかな? 鬼の血とやらが優先するっていう」

「ハンコ絵師大歓喜だな」

「メタ発言すんな」

 ツッコミに苦笑して、キョキョロしている陽子に声をかけた。

「どうしたの?」

「え、ああいえ、瞳魅と優羽がいないな、と」

 そう言われて見渡して、祐希がつぶやいた。

「怪しい……」

「何が?」

 どう怪しいのかは分からないけどと前置きして、祐希のつぶやきは続く。

「沙耶さん、琴音さん、鈴香さん、会長もいないですね」

「たまたまじゃない?」

 たまたまにしては、揃い過ぎてる気がするのだが。

 やがて案内に従って各自のテーブルに散り、総領の挨拶により会は始まった。

 隼人のテーブルは、彼以外に万梨亜、サポートスタッフの真田、鷹取家の女性5人である。自己紹介をしあって、2人が博多在住、青森、盛岡、京都が1人ずつと判明した。

「なるほど、見たことない人たちばっかりだなと思ってたんですよ」

 万梨亜が手を打つと、真田が混ぜ返す。

「言うても自分、最近サボリがちじゃん? ボランティア」

 そういえば、あまり見かけない。

 万梨亜は少し照れてから、どことなく遠い目になった。

「いやあ、なんか気が抜けちゃって。伯爵家が来てた時のピリピリしてた感じとだいぶ違うっていうか」

「まあね」と真田も相づちを打った。

「全滅しかかったしね、ウチら」

 旧北東京支部――今も書類上は消滅していないが――所属の2人としては、今の状況はぬるいということなのだろうか。

 そこを尋ねてみようと思ったら、海原晴菜から質問が飛んできた。

「神谷さんはどうですか? やっぱり気が抜けましたか?」

 少し考えて、隼人は答えた。

「そうでもないですよ。特に最近ほら、あいつの残党が活動しているし」

 そこで話題がまた自爆の話になった。

(みんな興味深々だな……)

 説明をしながら、そう思う。普通は自爆したら死んでしまうのだから、生還した人間の話を聞きたくなるのは当たり前だとは思うが、

(質問がマニアックなんだよな、この人たち……)

 オリジナルは何か、どんなポーズで発動して、どのくらいで発火したのか、などなど。さすが変身ヒーロー大好き一族、細かいのである。

 おまけにご一族で議論まで始めちゃって、おかげで万梨亜や真田と久しぶりに話ができた。この2人とは最近なかなか会えなかったからだ。

 そうしたら、なんと!

「え?! 万梨亜ちゃん結婚するの?!」

 盛大に照れる彼女曰く、北東京支部OG・小森の披露宴に出席していたく感動し、『いいなぁいいなぁ』とカレシの前で言っていたら、じゃあするかとなったらしい。

「また軽いなオイ! おめでとう!」

「てへへ、どもども。て言っても、彼が就職してからっすけどね。披露宴やりたいけど、お金ないしなぁ」

 そこへ、横から声がかかった。晴菜と同じく博多在住の鷹取浪深が、眼をキラキラさせている。

「もしよければ、披露宴を琴音ちゃんの会社でプランニングしてもらったら? お友達価格でやってくれると思うよ?」

 なんだったらうちもお花をお友達価格で提供できるし、だそうな。

それを皮切りに次々と提案が来て、

「あ、あの、彼に相談してから……ていうか、マジ具体的な予定無いっすよ……」

 万梨亜はてんてこ舞いになった。

「売り込みすげーな」

「さすがだね……」

 などと真田と話していたら、突然晴菜が振り向いた。

「さっきの話に戻るんですけど」

「お、おう」

 今度はどんなマニアックな質問が来るんだ?

「神谷さんは、わたしたちが同じ状況になっても、助けてくれますか?」

「当然だよ」

 即答に真田から混ぜ返しが来た。

「"わたしたち"っていうのは、女性全般だよね?」

「当然だよ」


2.


 そのころ、清多の運転するごみ収集車は、雨水を屋根から盛大に撒き散らしながら鷹取屋敷の通用門前に停車した。守衛に身分証を提示する。むろん、偽造したものだ。

 守衛は時間をかけてパスカードを眺めている。その様子を助手席で見るともなく見つめながら、祖笛はじっとりと汗をかいていた。

 偽造ゆえ、身分証に貼ってある写真は一味のものである。それが何か不審なのだろうか。

 それとも、本物の作業員から強奪した作業着はサイズが合わず、パッツパツなので、それが疑念を招いているのか。そんな埒もないことを考えてしまう。

 守衛はちらりと後方の同僚を振り返り、なにやら指示を出した後、向き直った。

「はい、お疲れさん。時間かかっちまってすまんね」

 短い返事で清多が受け取り、車をゆっくりと発進させた。車内に安堵のため息が流れるが、しばらくして清多が上げた不審の声に押し流されてしまった。

「また壁だぞ。どうなってんだ?」

 その答えは、壁に沿って積まれた一群のゴミであった。

 てっきり、敷地内の建物を周回して収集するのだとばかり思っていた。これでは至近からの襲撃ができないではないか。

「どうする?」

 祖笛は窓の外に目をやりながら問いかけが、平居はその言葉を待たずにドアを開けた。

「あ! おい!」

「やるしかないじゃん」

「ゴミ回収をか?」

「ばーか」

 高い席から飛び降りた平居は、盛大に水しぶきを上げて地に降り立つと、降りしきる雨に負けじとこちらを振り仰いだ。

「ゴミの駆逐だよ」

「ゴミとはひどいな」

 突然、収集者の陰から聞き覚えのない声が発せられた。驚いて振り向く平居の身体が地に叩き伏せられる!

「なっ! 庭師だと?」

 転げるように車から飛び出した祖笛は、車の後方に向かって月輪を放った。2秒ほどして起こるくぐもった悲鳴を待たず、月輪を乱射する。

「祖笛!」と清多の怒鳴り声。

「予定どおりやれ! こっちはなんとかする!」

 その声の末尾に知らぬ声の悲鳴と、平居の感謝する声が続く。彼女を押さえていた庭師を清多が『なんとか』したのだろう。

 祖父江は所定の位置に向かって走る。敷地内で食い止められた時の予備手段を、今こそ実行する時だ。

 コール2回で乃村が出た。

「崩すぞ!」

『ああ!』

 狙いは、鷹取屋敷を囲み守る呪符式。それを崩せば、結界に穴が開き、妖魔を召喚できる。2人がかりでやれば、呪符式は崩せるはず。

 祖父江は一旦立ち止まって、追いすがる庭師に向かって月輪を投げつけると、また走った。

 降りしきる梅雨の中を、来たるべき勝利に向かって。


3.


 和やかに進む懇親会を爆発音と揺れが襲ったのは、開会から1時間ほど経った時だった。

 反応は2種類に分かれた。

 隼人たちボランティアスタッフは、何事かと不安げにお互いを見やった。

 鷹取家の人々は、ある一方向をさっと見つめた。まるである何かを察知したかのように。

「……うそでしょ? 妖魔?!」

 続いて、大ホールに庭師が駆け込んできた。総領を見つけ、

「敵襲です! 栗本の残党が結界と内壁を破り、妖魔ともどもこちらに向かってきます!」

 総領は了解の印にうなずくと、俄然騒がしくなったホールの空気を割って指示を飛ばし始めた。その声は凛として、まさしく大家の統率者のものだ。

「巫女たちは迎撃。『あおぞら』の人たちは、母屋に非難して」

 続いて傍らの巫女に、

「沙耶を呼んで」

 慌てふためくこともなく厳しい表情のまま、会場を出て行く巫女たち。まさに一糸乱れぬ有様で、あれも鬼の血の為せるものなのだろうか。最前とは別の意味で怖い。

 ボランティアスタッフはその後に移動だろうと思って待っていた隼人は、見てしまった。

 ミキマキが、気配を消して会場から抜け出ていくのを。

 そして直感が働く。『栗本の残党』掛ける『ミキマキの出動』の答えは、

(このあいだのオッサンと戦うつもりか)

 もともと素でも奇妙に身体能力が高い双子だとは感じていたが、先日の戦果を聞くと、優菜の口癖である『あいつらほんとナニモンなんだよおい』が脳裏に蘇ってくる。

 少しだけ迷ったが、指示どおり母屋へ向かうことにした。『みんなを護る』のが本望だけど、変身できない身で――まだ昼の2時過ぎである――のこのこ出て行くことは、かえって邪魔になる。

 ましてミキマキの相手は専門の暗殺者のようだ。隼人の存在が重荷になっては申し訳ない。そう自分に言い聞かせ、優菜の促しに従った。


4.


 袴田主任参謀は早番を終えて帰宅しようとしたところを邪魔されて、不機嫌であった。だが、すぐに気分を切り替える。彼は沙耶の存在が疎ましいだけであって、鷹取家の滅亡を望んでいるわけではないのだ。

 参謀部の指揮所に駆け戻って自席に腰を下ろす。戦況を俯瞰し、自分の斜め後ろにいる副参謀長に告げた。

「この数なら、オンステージしている巫女だけで撃退可能ですな」

 副参謀長はうなずいて、首のうしろを揉みだした。

「まったく、あと9ヶ月だというのに、楽にはならないな」

 ぼやきに控え目な苦笑いで返して、ふと、

「沙耶様をお呼びしますか? 念のため」

「もう呼ばれたよ。総領様がな」

 内心の舌打ちを隠して頭を下げ、大型スクリーンに向き直る。その顔が驚きで歪むのに、そう時間はかからなかった。

「あれはまさか……!」


5.


「あーいたいた、忍者のおっさん」

 清多が庭師めがけて吹き矢を放とうとしていた。その筒を小石で弾き飛ばして、こちらに注意を向けさせる。

 どうやら、彼の任務は騒乱に紛れて関係者の暗殺を図ることのようだ。ここへ来る道すがらしか確認できなかったが、3名ほどの遺体を見かけた。その凶手が巫女に向かないのは、

(飛び道具は羽衣が防いじゃうからかな?)

 清多はこちらを向くと、いきなり樹上へ跳んだ。丸っこい黒いものを置き土産に。

 ダッシュで逃げるついでに、呆然と立ちすくむ庭師に飛びついて伏せさせる。次の瞬間、爆発音で耳が痛み、身をすくませた。

 それが隙となり、黒ずくめが雨の中を滑るように迫ってくる。それも途中で美紀の迎撃に遭い、間を取って対峙した。

「真紀、行くで」

 美紀の手には細目の枝が握られていた。器用に手の中でくるりと回して逆手に持ち変えると、清多めがけて突進する。

「ほう、双子か」

 清多もナイフを音もなく抜き出すと、美紀と真紀に立ち向かってきた。その足取りはやはり滑るようで、泥状になり始めた地面など気にならないようだ。

 真紀は傍らで防戦の構えを取り始めた庭師の装備から、素早くナイフを取り上げた。

「借ります。逃げて」

 短く告げて、清多との近接戦闘に身を投じるべく、ぬかるみを蹴った。


6.


 雨の中を東京へと突き進むヘリの機内。

 沙耶は前を見据え、心を落ち着けていた。傍らで優羽がしゃべり続けているのと好対照をなしている。

 話題はもちろん、栗本残党の襲撃だ。

「んもぅ、間が悪ぅい! なんでよりによって沙耶ねえさまがいない時に攻めてくるのよぉ!」

「優羽、あんた自分が迎撃しようとは思わないの?」

「あたし? 瞳魅を傷つけた奴は許さないよ?」

 優羽はにっこり笑って、

「でもそのほかの有象無象がい~っぱいいるんでしょ? そこはほら、沙耶ねえさまがバチコーンと一発で」

「やらないわよ」

 そう釘を刺す。

 『沙耶がバチコーンと一発で』なんて期待を抱かず、まず自分たちで何とかする。いざという時の反応速度を速め、一人に依存しない討伐体制を作り上げるための合意事項だ。

 だが今回は、反論者が出た。琴音だ。

「ですが、それを承知で総領様が指示を出されたのだとしたら、もしかして……」

「大事になる予感、ということね……」

 向かいの席で唇を噛んで座っている鈴香に尋ねる。

「どう? そんな感じする?」

「今のところは、なんともないです」

 疫病神の"代替ワリニ叶ウ者"たる鈴香がそう感じているのは、本当に大したことではないのか、それともここから鷹取屋敷が遠いからか。

 そう、遠すぎるわ。沙耶は溜息をついた。なにせヘリで一直線に帰京せねばならないほどなのだ。

 みんなでぶっちゃけ話もできて、楽しい旅行だった。今日は雨で外出もおっくうだし、もう一風呂浴びようか迷っていた時、急報があったという顛末である。

 その急報がまた飛んできた。今度は無線で。副パイロットが差し出したヘッドセットを耳に当てて交信していた琴音の顔色が変わる。

「どうしたの?」

 沙良の問いかけに、交信を終えた琴音は思案顔になった。難題が持ち込まれた時の顔だ。

「地獄からの穴が、敷地内の結界が外れた場所に開いたそうです。疫病神の攻勢も始まりました」

「高坂さん、比企嶋さんに屋敷に直行するよう伝えてください」

 巫女たちの息を飲む音は、ローターの回転音に負けないものだった。そんな中、パイロットへの伝達を副パイロットに指示して、沙耶は軽く溜息をついた。

 軽くではすまない子もいる。

「ああああ、また空挺降下か……」

 鈴香の嘆きに琴音が笑う。

「あなた、ほんとに嫌いなのね」

「私もよ」

 と思いもかけない人が盛大な溜息をついた。沙良だ。

「飛行物体から飛び降りて無事着地しろなんて、未来人の考えにはついていけないわ」

 その物言いにひとしきり笑っていると、ヘリの進路変更で機体が揺れた。

 それが刺激になったのか、ふと沙耶の脳裏に、懇親会の出席者たちのことが思い浮かぶ。今頃逃げ惑っているのだろうか。それとも母屋かどこかに避難しているのだろうか。

 それとも、変身できないなりに戦っているのだろうか。

 そのイメージはなぜかあの笑顔の隼人になってしまい、赤面して振り払っても消えなかった。


7.


 妖魔の攻勢第三波を凌いで、ようやく総領は一息ついた。

 既に巫女の負傷者が4名出ている。庭師の損害も同等。思ったより少ないが、千葉や神奈川からの増援はまだ到着しない。

 厄介なのは、栗本残党だ。3人の女性が妖魔を統率して進退を指揮し、時折月輪や突光を放ってくるのだ。

 中央と右翼、左翼に分かれている彼女たちの連携が取れていないのが救いか。当方が小型ヘッドセットを使用しているのと違って、通信手段が携帯しかないのだろう。

 そのヘッドセットに向かって声を発する。確か、一味には男性がいたはず。

 返ってきた答えは、一瞬呆然とさせるものだった。

 ボランティア所属の双子が敵男性と交戦中だというのだ。邪魔になるのを恐れて増援を送らず、双眼鏡での観察しかしていないが、今のところ互角に渡り合っているという。

「もし劣勢になったら、迷わず介入してちょうだい。そこは、あなたたちの持ち場よ」

 そう発したところで、別件で凶報が飛び込んできた。

 地獄からの穴が広がり、妖魔の第二陣が這い上がりつつあるのだ。

「参謀部。彼我の戦力差は?」

『当方は巫女26名。妖魔は推測で、40体ほど。第二陣は含まずです』

 それでは攻勢には出られない。あの3人を無力化できれば別だが。この時ほど、自分が巫女として並の能力しかないのを悔しく思ったことはない。

 総領が唇を噛んだ時、敵が動いた。稚拙ながら隊列を整え直し、攻勢を再開したのだ。月輪も複数飛んできている。

「防戦よ! 沙耶たちが来るまでここで耐える!」

 巫女たちも隊列を組み直し、妖魔を迎え撃った。

 一方、祖笛はにやつきを抑えきれない。パツパツの借り物衣装が動きを阻害するのが癪に障るのを差し引いても。

 あと20メートルほどで、鷹取の総領に届くのだ。

 雨の中、迷彩柄のポンチョで揃えた巫女たちは一見判別し難かった。だが時間が経ち、指揮をしている女性が自分より二回りは年上であることを顔立ちと声で確認でき、興奮は増した。

 戦力は背後から補充されてくる。緋角が来ないのが不審だが、数でこのまま押せば勝てる。総領と、ついでに巫女たち――とりすましたお嬢様どもを殺せる。

 そう、殺してやる。栗本さんの仇だ!

 スマホが振動するのを、あえて無視する。どうせ平居だろう。戦闘が始まって以降、ろくでもない提案しかしてこない。

 あんなに馬鹿だとは思わなかった。事が成ったあかつきには粛清してやる。

 その時、戦闘の喧騒に負けない声が横手から聞こえてきた。

「へぇ、老けてんな。意外だぜ」

 男声での嘲弄にきっとなって振り向いて眼を疑い、次の瞬間、全てを察知した。

 右手10メートルほどに離れて立っていたのは、安堂を殺した男。ボランティアスタッフの神谷とかいう大学生だったのだ。



 雨に濡れながら、同じく雨に打たれる女性の顔を凝視する。できるだけ小馬鹿にしたような表情を作って。演技がうまくないことは自分でも分かっているが、ここは引っかかってくれるよう祈るしかない。

 隼人は最初、母屋で大人しくしているつもりだった。だが窓越しに苦戦を眺めているうちに、やはり疼いてきたのだ。

 『女の子がピンチになると身体が勝手に動く』という業が。

(トイレに行く振りをして……でもきっと優菜ちゃんとかに見つかるよな。くそっ)

 そう忸怩たる思いを抱いているうち、ふと警護の庭師たちが交わしている会話が耳に入った。

「三枝さんは?」

「まだ来ないな。本部で呼び出してるみたいだけど」

「困るなぁ」

「あれか? 女の子だけの空間にはいられないとか?」

「違いますよ! 前線に呼ばれてるんです!」

 その瞬間、隼人は閃いた。

 自分が今、女子扱いされていることに。

 こういう時、隼人は『その他大勢の女子』に紛れてしまうのだ。

 それでも慎重に、みんなから滑るように静かに離れてみる。少しだけ、少しずつ。

 さっきまでチラチラと、まるで監視するような視線を送ってきていた優菜や理佐が反応しない。

(よし!)

 隼人はできる限り足音を立てずにドアのところまで行き、庭師の一人にこっそりと、

「お手洗いに……」

「ああ、どうぞ」

 さすがに面と向かって話せば、女子扱いはされない。そのための小声を、庭師は勘違いしてくれた。

 ドアを開けて廊下に滑り出す。昨日まで泣いてきたこの理不尽な特質に今だけは感謝し、母屋を出たところで走ってこの位置まで来たというわけだ。

 さあ、続き続き! 煽り続行だ!

「このあいだ殺した女の人の仲間だろ? おばちゃん」

「はっ! のこのこ出てくるとは、死にたいんだね?」

 そう叫んだのは、手前にいるほうの女性。化粧が雨で崩れて醜いったらありゃしない。そう指摘したら、効果てき面だった。妖魔の群れを離れて襲い掛かってきたのだ!

 妖魔の群れごとこの戦場から引き離したかったが、仕方がない。少し戦って、逃げて。それを繰り返して戦場から引き離すのだ。


7.


「あいつ、なんで?!」

「ありゃりゃ、全然気付かなかった」

「わたしも行く」

 ドアに向かって突進した理佐だったが、庭師に行く手を阻まれた。

「勘弁してください。これ以上皆さんを外に出したら、我々の首が飛びます!」

「槍」

「? は?」

 理佐は鬼気迫る目で、あたりをねめ回した。

「この家に、槍ないの?」

「いや、蔵に行けばあるとは――「余計なこと言うな!」

 結局、庭師に阻まれて、理佐たちは部屋から出られなかった。

 半狂乱の理佐を冷ややかな眼で眺めながら、祐希がつぶやく。

「ある意味、分かってたことじゃないですか。隼人さんがこういう時どういう行動をとるかなんて」

 その物言いにカチンときて、優菜は思わず声を荒げてしまった。

「分かってたんなら止めろよ!」

「止めませんよ。そもそも気付きませんでしたし」

 祐希は諌めようとする万梨亜と京子の手に自分の手を重ねながら、応戦した。

「止まるんですか? 止めれるんですか? 優菜さんなら」

 そんなボランティアスタッフたちの会話を聞き流しながら、庭師2人は暗鬱とした気分であった。

 ゲストの警護を失敗してしまった。もしあの男性になにかあったら、自分たちも処罰は免れまい。そう思えば思うほど、気分が沈むのは当然だろう。

 彼らが態度を硬化させた理由は、もう一つあった。隼人が部屋を抜け出したことが判明する5分ほど前に、庭師の本部から通信が入ったのだ。

 『装備保管庫に侵入者有り。照明弾が盗難にあった模様。予期せぬ侵入者に注意せよ』


8.


 避ける。避ける。反撃する。避ける。

 隼人の策は成功し、しかし彼は追い詰められつつあった。

 予想外にしぶとく逃げ粘る彼に嘲弄され、女性は徐々に妖魔勢から引き離されていた。

 だが、飛び道具と近接用の得物――遅刃とかいう手首から出る光の刃で武装している女性に対して、隼人は丸腰である。1年余りのエンデュミオール生活で鍛えた体術を駆使しているのだが、どうしても次第に傷が増えていく。

 いずれ、致命的な一撃を食らうだろう。

 そのことは女性も分かっていると見えて、顔が嗜虐的な様相を帯び始めた。

「くく、さあそろそろ楽になったらどう? お前が殺してきた奴らのところへ送ってやるよ」

「へっ、嫌だね」

 雨が沁みる各所の痛みをこらえて、減らず口を叩く。戦況が分からない以上、少しでも長く引き付けないと。

 そして、あの思い付き(・・・・・・)を試してみないと。

 その時、隼人の背後から唸り音が1つ飛んできた!

「?! 月輪?」

 それは狙いこそ正確だったが、勢いがなく女性に叩き落とされてしまった。女性の顔が驚愕に歪む。

「なんだ?! 小学生?!」

 隼人が振り向くと、そこには美玖が立っていた。羽衣をまとい、女性への敵意を露わにしている。

 その横から執事が歩み寄ってきて、隼人をかばってくれた。女性を牽制しながら美玖のもとまで後退しようとする。

「逃がさん!」と勢い込む敵に向かって、

「そんなこと言ってていいんですか?」

 美玖が答えて彼方を指差す。

「ほら、押されてますよ?」

 つられて振り向いた女性に向けて、月輪がまた飛ぶ! 気づいた女性が横薙ぎに払おうとしたが間に合わず、腕を切り裂いた。

「うー、やっぱ遅い……」

 そうつぶやいて唇を噛む美玖。小学生らしい単純な引っ掛けだったが、この状況でできるというのはなかなかの肝の据わり方だと思う。

 もちろん、引っかかったほうは激高する。眼を吊り上げた女性が攻撃を仕掛けてきた。月輪を飛ばしながら猛然と詰め寄ってくる。

 執事と、少し遅れて隼人は身構えたが、相手の動きは想定以上だった。まるで彼らなど眼中に無いかのようにあっさり交わされて、

「死ねガキィ!」

 美玖の命が狙いと分かって、隼人の中でスイッチが入った。

 振り向きざまに伸ばした指が女性の襟を捉えたのを幸いと、力の限り振り回したのだ。

 隼人と女性と、ともによろめいて美玖の前から離れる。ああでも、女性のほうが速い……!

 対抗の構えを見せる美玖の前に必死の思いで走りこんで、両手を大きく広げて。隼人は女性の振り下ろした遅刃を、胸で受けた。

 想像より熱量の無い刃が身体を突き通る感覚に鳥肌が立ち、ついで体中の力が抜ける。いや魂が抜けるのだろう。

 常人ならば。

 隼人が最後に感知したのは、女性の驚愕の声、美玖の悲鳴、執事の絶叫。そしてそれらに続く、彼の身体を覆うと、

「ああ、やっぱり……」

 という自身のつぶやきだった。


9.


 美玖をかばった隼人が敵に刺されて倒れた。その報を耳にして、総領は一瞬我を忘れた。

「敵は? 美玖はどうなったの?」

『執事が取り押さえました。美玖様は無事です』

 安堵の溜息を漏らして、しかし慄然とする。

 鷹取家の守り神にして祟り神・サカイコ様が認めた、一族に繁栄をもたらすはずの男性。その隼人が凶刃に斃れたのだ。

 彼を一族に広く紹介し、あわよくば良縁に結びつかないか。そう考えての懇親会だったのに、裏目に出てしまった。

『総領様、ご指示を!』

 総領は頭を一つ振って、現実に戻った。あとのことは、あとで考えねばならない。

 あの女性が持ち場を離れて以降、敵は右翼を明らかに制御しきれていない。ゆえに三々五々に突出してくる妖魔を複数人で囲んで処理する方法で数を減らしてきた。

 だが、妖魔の第2陣が到着し、数は明らかな劣勢となっている。巫女たちの疲労の色も濃くなってきている。こちらの増援は到着したが、穴を塞ぐほうに回した。元から絶つしかないのだ。

 ゆえに指示は、現状の戦法を維持。これしかない。沙耶たちが来るまで、あと少し。総領は参謀部からの意見具申どおりに指示を出した後、自らも月輪を飛ばして戦闘に加わった。

 同じ状況で、祖笛は焦れてきていた。攻略が一向にはかどらないのだ。原因は乃村の勝手な離脱である。おまけに平居が指揮下手で、押して引いてくらいしかできないとくる。

 焦れてくると、動きにくいこの服まで憎い。脱ぐにはカッパを脱がねばならないのがさらにムカツク。

「清多は連絡してこないし……なにをやってるんだ!」

 憎き総領が目の前にいるのに、奴さえ倒せば全てが変わるのに。

「こうなったら……!」

 突撃だ。自分が統率できる限りの妖魔を率いて。

 総領の前衛を勤めていた巫女が、金剛のパンチをかわしきれずに吹き飛んだ。今だ!

 空が明るく輝いたのは、その時だった。

 だがその光は、この雨降り注ぐ大地をあまねくではなく、母屋から遠く離れた場所を中心に照らしているではないか。

「照明弾……?」

 わけが分からず立ちすくんだ祖笛の行動が、結果を左右することになる。



 真紀と美紀は、男から距離を取った。もう何度目か分からないくらい。

 強敵だ。こちらの攻撃が相手に当たらないのだから。

 相手も同じ思いのようだ。どこからともなく、野太い声が響いてくる。

「くくく、いいねぇ。久々の感動だぜ。ぜひ別の方面でお相手してほしいくらいだ」

「あいにくやな」

 足を止めないように気をつけながら、毒づく。

「敵と寝る趣味はないわ」

「同じく」

 美紀がつぶやきながら、反時計回りに円軌道を描いて離れていく。

 それに誘われた敵が飛び出してきた時、真紀の耳は何かの発射音を捉えた。

「撃ってきたで!」

 美紀に警告すると同時に横っ飛び。飛んできた物は、無かった。なぜなら、頭上が急に明るくなったのだから。

(照明弾? 庭師?)

 次の瞬間、地面に鈍い刺突音が複数聞こえ、その中央に黒ずくめの敵がいた。おかしな体勢で固まっているように見える。

 そのわけを、真紀はすぐに悟ることができた。地面に突き刺さっていたのは、棒手裏剣だったのだ。

 男が絶叫した。喉にも棒手裏剣が突き立っている。影縫いされているため倒れることすら許されず、男の殺気が、いや、生気が消えていった。

 やがて姿を現した女の子に、真紀と美紀はユニゾンで応えた。

「「やあ、凌ちゃん。久しぶり」」

「双子さん、すみませんでした」

 謝罪のわけは、男の影がちゃんと地面に投影できる瞬間を待っていたため、照明弾の打ち上げが遅れてしまったことだそうだ。

 照明弾の光が消えて、影縫いの効力も消えた。男の亡骸がゆっくりと地に伏し、固体にぶつかる音と液体にぶつかる音が不協和音を為す。それにかぶせるかのように、凌がまた声を上げた。

「あと、お手柄を奪ってしまって……」

「ええよ、そんなの」

 ぬかるんだ地面を凌に近づいて、真紀はゆっくりと微笑んだ。美紀もそれに続いた。

「ありがとな、助けてくれて。おかえり」

 凌はまるで救われたかのように涙ぐんでいるように見えたが、降りしきる雨でよくは分からなかった。


10.


 整わない戦力を支え続けた参謀部の苦労は、甚大なる突光によって終わった。

 直径が2メートルはあるであろう光弾が敵勢を真横から薙ぎ倒し、勢い余って屋敷の西翼まで破壊していく。そのさまを無人機の空撮で眺めて、副参謀長が呆れている。

「相変わらず、凄まじいな……帰っていらっしゃったか……」

 上辺だけ相づちを打って、袴田は額の汗を拭った。

 改めて、敵と見定めた小娘の力を目の当たりにしているのだ。

『沙耶! 屋敷を壊さないで!』

『屋敷と現世うつしよ、どっちが大事なんですか?』

『あなたが来た瞬間から屋敷よ!』

 母と子の掛け合いは参謀やオペレーターの苦笑を生んだが、袴田にとってはまさに苦い笑いしか生み出さなかった。

 副参謀長が敵の女性を捕縛するよう庭師に指示を出している。それを補足しながら、袴田はとりあえず残務処理に頭を占有させることにした。

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