Intermission
1.
エンデュミオール・ブランシュは嫌々、本当に嫌々車から降りた。
なぜって、まったくもって気が進まないミッションだったからだ。
目の前にそびえるのは、もう何年前からか分からない廃ビルである。夜目にも、いや夜だからこその廃墟感がブランシュの心をすくませる。
「本当にここに……?」
嫌々な理由は2つ。
このいかにもな雰囲気を漂わせるスポットに踏み込まなければいけない、ということが1つ目。
そして、
「そうなんですよぉ、3匹も逃げ込んだっていうんですぅ」
このいけ好かないアーパーとコンビでというのが2つ目。
仕方がない。さっさと終わらせて帰ろう。ブランシュはライト片手に、自動ドアのガラスが割れて用をなさない正面玄関をくぐった。
「おい」
「なんですかぁ、先輩」
名前を呼ぶのも嫌なのを態度で示しても、ちっとも堪えてないのがむかつくが、今はそれどころじゃない。
「庭師の人たちが追い込んだんだよね? 妖魔」
「そうですよ」
「じゃあ、今何階にいるのか、確認しなさいよ」
横目でにらみつけた優羽は、ぺろりと舌を出した。猫手にした拳までこめかみに当てて、
「いっけな~い、忘れてた」
「早くしなさいよ」
「そうじゃなくってぇ」
優羽は想定外の事を言い出した。
「無線が死んでるんですぅ」
「は?!」
大きく舌打ちをして、自分のヘッドセットで呼びかける。まったく、機器のチェックくらい事前に……あれ?
「ね? な~んにも聞こえないでしょ?」
優羽ののんびりした指摘に構わず、繰り返す。しかし、うんともすんとも言わないのだ。
ブランシュは焦りを押し隠して即断した。
「いったん戻る」
「そですね」
だが、まっすぐ来た通路を戻るだけのはずなのに、
「……通り過ぎた?」
「いえ、歩数からいってもそろそろのはずなんですけど」
越えてきたはずの正面玄関が、無い。
そして、先に異変を発見したのは優羽だった。
「先輩、外……見てください」
「外? ……嘘でしょ?」
数少ない窓の外に見えるのは、向かいのビルの窓。つまりここは、1階じゃない。
慌てて窓辺に寄って見下ろしても、乗ってきた車が無いではないか。
「どうなってんのよ、これ」
膝ががくがく震えだすのを、必死で押さえ込む。このアーパーの前で、弱みなんて見せられない。見せてたまるか!
そう、エンデュミオール・ブランシュこと理佐は、幽霊やホラーその他恐怖系全般が大嫌いである。その嫌いっぷりは徹底していて、それ系の看板が掛かっている時の映画館には絶対に入らないほどだ。最近その手の映画が激減して安堵してたのに……
「先輩、来てください」
優羽の声に駆け寄ろうとするのを、早足に抑える。見せるもんか、お前なんかに。
その後輩がライトの光で照らし出した壁には、数字の『3』。
「……ここ、3階?」
「らしいですねぇ。いやぁんあたし分かんなぁい」
また始まったよとにらもうとして、慌てて目を逸らした。
(今、こいつの顔、別人だった……?)
ドキドキしながら近くの階段を確認したら、下りる段が無いではないか。
(3階なのにくだりが無い?)
パニックを起こしかけたが、そういう仕組みなのだろうと思い直して、
「と、とりあえず、上るわよ」
「はぁい」
もう一度顔を確認しようなんて気にはなれない。ブランシュは先頭に立って、階段を上った。
踊り場の手前で立ち止まり、ライトを階段の上のほうに向ける。
何もいないな。よし。
用心して上った4階はアパートだったのだろうか。それらしきドアが左手の壁に並んでいる。ドアはこちらから4つ目のが半開き。もうそれだけで、理佐の心臓はバクバク――
「おお~い」
「きゃああ!」
悲鳴を上げて、優羽をにらむ。直後に失敗に気付いたが、優羽の顔はいつもの憎たらしいそれに戻って(?)いた。
安堵半分激高半分で怒鳴る。
「いきなり大声出すな!」
「だってぇ、庭師さんたち、返事しないかなぁって思って」
真っ当な発想だけど、今この場限りでは、怖い。深呼吸して心を落ち着け、
「さて、どうしようか」
選択肢は3つ。
このまま4階の端まで行くか。
もう1階上るか。
下って――下り階段があればだが――3階に戻るか。
「先輩はどうしたいです?」
「なんでわたしに訊くのよ」
「だぁってぇ」
優羽は鼻を鳴らした。
「あたしが言ったことに逆らいますよね? 先輩」
読まれてるのが無性に悔しい。でも、この異常事態を切り抜けるのに、一人で考えるのは無理だ。
ブランシュは大きく息を吸い込むと、ゆっくりと言った。
「しないわ。このビルを出るまでは。一緒に考えよう」
「そですか。じゃあ、この階の端っこまで行きましょう」
「なぜ?」
優羽は少しだけ耳を澄ますと、うなずいて言った。
「さっきから、あたしたちの立てる音しかしません。つまり、庭師と妖魔はこのビルにはいない。そう思うんです」
「それで?」
「この階の状況を確認してから上か下に移動しないと、また4階に来た時にさっきと同じところに来たのかどうか、分からないじゃないですか」
「……つまり、わたしたちが入ってきたビルと、庭師たちがいるビルは同じじゃないということ?」
優羽は首を振った。
「正確には、並行世界のかもしれない、ということです」
2.
瞳魅が西東京支部に入ると、スタッフがバタバタと動き回っていた。
「あ! 瞳魅ちゃん! ちょっと」
スタッフの1人に連れられて支部長室に行くと、支部長と横田がなにやら深刻そうな顔で話し合っていた。
「あの、どうかしましたか?」
声をかけると、支部長から意外なことを訊かれた。
「優羽さんと連絡取れますか?」
仔細を尋ねると、理佐ともども姿が見当たらなくなったのだという。
廃ビルに妖魔討伐に出動したのだが、庭師だけが戻ってきたのだ。
承知してスマホを取り出し――瞳魅は固まった。
「なにこれ……」
SNSのメッセージ画面を開いた途端、優羽からの『助けて』で埋まったのだ。
急いで『今どうなってるの?』とリプライを返したのだが、送信に失敗してしまった。何度繰り返しても。
横田曰く、どうやら理佐も同じ状況らしい。
瞳魅はしばらく考えて、琴音に電話した。優羽のスマホの位置情報を調査してほしいと。
3.
「瞳魅ちゃんからリプは?」
「返ってきませぇん」
理佐も支部宛に送ってみたが、なしのつぶてである。
「とりあえず、端まで行くか……どうしたの?」
歩き始めた優羽が妙にそわそわしているのに気がついて声をかけると、
「お手洗い、どこかにないですかね?」
「……この状況で、それ?」
頭が痛くなってきた。
「3階に戻ろう。共用のお手洗いがあった気がする」
「ううう、すみませぇん」
「いいわよ。わたしもそう言われると行きたくなってきたし」
踵を返すと、また用心しながら階段を下った。
そして、呆然と立ちすくむ。
そこは、見慣れぬ廊下。階数表示は『5』だったのだから。
「なんで下ったのに上ってるのぉ?!」
「……冗談でしょ?」
そして、下り階段はない。つまり、この階の端まで行かないといけなくなったわけで。
ドアは全て閉まっている。その前を、そろり、そろりと進む。窓の外からはなんの音も聞こえてこない。外にばかり意識を向けていると、前が疎かになる。でも、廊下ばかり見つめているわけにもいかない。
幸い何事もなく、無事に下り階段までたどり着いた。思わず大きな溜息が出る。
下りてみると、階数表示は4階だったが、案の定3階への下り階段が無い。いよいよあの半開きのドアの前を通過しなくてはならないのだ。
「行くよ」
「あ、今度はあたしが先行してみます」
「並び順になにかカギがあるってこと?」
「かもしれないじゃないですか」
そんな規則性があるのだろうか。理佐はいぶかしみながらも優羽を先行させた。
ドアを3つ通り過ぎて、半開きのドアのところまで来た。室内から何か物音が聞こえるのが心臓を締め付ける。
「なんの音?」
「んー、風にはためくカーテンっぽいですね」
「じゃあのぞいてみてよ」
「いやですぅ」
こんな状況でなければ、このクネクネしている痴れ者を槍で串刺しにしてやるところだ。でも、ぐっとこらえて歩を進める。
だが逆に、優羽の足が止まった。どうしたのと尋ねる気は、床を見て吹き飛んでしまった。
月明かりだろうか、室内から廊下に光が漏れている。その中心は黒く、ご丁寧に手足まである。つまり、ヒトガタの影がそこにあったのだ。
見たくない。見なきゃよかった。でも、そこを通り過ぎないと端にはたどり着けない。でも、通過する時に……
ブランシュは思いついて、氷槍を召喚した。
「いやぁん突かれるなら男の人がいいですぅ」
「黙れイロボケ」
と吐き捨てて、床を見ないよう注意しながら優羽の前に出る。そして槍先を開き十文字にして、ドアの端に引っ掛けた。
「あ、そっか。ブランシュあったまいい~」
ドアを閉めたついでに槍でつっかえ棒をして、さあ出発だ。
4階の端には下り階段があり、無事に3階へ下りることができた。共用トイレに駆け込む優羽の後ろ姿を見ながら、さあどうしよう。
今後の進路もそうだが、今ここでどうするかということである。
トイレに入って待つのは怖い。でも、もし優羽が出てこなかったら、それはそれで怖い。
少しだけ考えて、トイレの向かいの壁に背中を預け、槍を召喚して抱いた。左右の視界を意識的にシャットダウンして。警戒任務的には失格だが、怖いものは見たくない。
壁のひんやりとした冷たさがコスチューム越しに伝わってくる。最近蒸し暑くなってきてダレ気味のブランシュにとっては心地よいくらいだ。
水を流す音にびくっとして10秒ほど、優羽が手を拭き吹き出てきた。
「ありがとうございました。お先にです」
交代でトイレを済ませて、次の行動を考える。
「向こうの端っこには、上り階段しかないんですよね?」
「そうだったね」
ちなみに今降りてきた階段にも、その先の下りは無かった。つまり3階から抜け出る方法が無いことになる。
「てことはぁ、各部屋をしらみつぶしに当たってくしかないんでしょーか?」
「あの影の部屋も?」
「案外、あそこが突破口だったりして」
ブランシュはしばらく考えて、決断した。
「よし、あの部屋から行ってみよう」
「ですね。あからさまに怪しいし」
階段へ戻って、慎重に進む。敵が姿を現す。そんな気がするのだ。
だが予想は外れた。いわゆる斜め上に。
「……嘘でしょ?」「ふぅぅぅぅぅまた変わってるぅ……」
またも見知らぬ廊下に呆然として階数表示を照らしたら、そこには『6』を書かれていたのだ……!
4.
瞳魅が琴音から受けた連絡は、件のビルを含む周辺から信号が出ているというものだった。ちなみに理佐のは別キャリアのため、現在照会中とのこと。
「ということは、優羽はあのビルの中ということでしょうか?」
「そういうことね」
あちらからの『助けて』コールは続いている。こちらからのリプライは相変わらず届かないのだ。
「軟禁されているということですよね」
「でも、こちらから届かないっていうのは、どういうことなのかしら」
そこへ、隼人が来た。事情を聞いているのだろう、心配げな顔つきだ。
「捜索隊、出しますか?」
「まだよ」と支部長が答える。
「誰かに軟禁されている可能性もあるから。うかつなアクションはできないわ」
支部長の卓上電話からコール音が鳴り響いた。受話器を取り上げた支部長が、改まった口調になる。
「はい、私です――ええ、理佐ちゃんも一緒です――なるほど、ではその報告待ちですね?――はい、出動態勢は維持します。では」
受話器を置いて、支部長は横田以下スタッフに指示を出し始めた。沙耶からの電話だったらしい。
「現場の調査を海原家の組織で開始するそうです。栗本の残党がなにか仕掛けてきている可能性も排除せず。だから、あちらさんが陽動を仕掛けてきた時のために、私たちは出動待機です」
部屋の一同が了解と返した時、ドアが控え目にノックされた。開いて入ってきたのは、祐希だった。
「あのー、まさかとは思うんですけど……」
「ああ、出動待機だよ」
隼人の言葉に首を振って、祐希は続けた。
「理佐さんと優羽ちゃんが行ったのって、バンディアルビルですか?」
「えーと……」
横田が住宅地図を調べてうなずくと、祐希の顔が曇った。
「うわぁやっぱり……」
「どうしたの? やっぱりって」
「そのビル、オカルト関連のサイトで最近噂のヤバいビルですよ。度胸試しで入ってったウェーイ系の人たちが錯乱状態で出てきたって」
5.
6階の端まで行くと、下り階段があった。下った5階を端まで行くと、4階に下りる階段があった。
この調子で行けばと思い、予定を変更して人影の部屋をパスしたのだが、そうこうしてたどり着いた3階の端には下向き階段がなかったのだ。
「階段の上り下りが操作されてる……?」
「みたいですね」
そのまま4階に戻って腕時計を見ると、ビルに入ってかれこれ30分は経っている。ブランシュは優羽に休憩を提案した。
それは、例の人影の部屋に入る前に一息入れようということでもある。
横に並んで座り、スマホを眺めた優羽が溜息をついた。
「ブランシュ、気付いてます?」
「なにを?」
「あたしたちの顔、時々変わりません?」
「あ、やっぱり?」
わたしの顔も変わっていたのか。まったく気付かなかった。
「あたしの顔、誰になってました?」
「うーん……知らない人。男の顔だったな。チラッとしか見なかったけど」
「それって――」
そっぽを向いていた優羽が、ゆっくりと顔を向けた。
「こんな顔?」
「……いや変わってないから」
呆れてその美顔を見やる。
「そのメンタルだけは褒めてあげるわ」
「わーい」
「鋼どころか劣化ウラン並みね」
「健康被害が出るんですか? ひどいですぅ」
「いろんなところに被害をバラまいてるくせに……」
掛け合いをやったところで、常々思っていることを訊いてみる気になったのは、出発を少しでも遅らせようとする意識の現われだろうか。
「なんで、隼人君につきまとうの?」
「うふふ、言いませんでしたっけ? 隼人先輩は、いい匂いがするって」
「知らないわよ、そんなの。それは……あの祟り神様と関係があるの?」
「違います」
優羽はゆったりと首を振った。
「神様の嘆きなんてどうでもいいんです。あたしは、自分の直感に正直なだけです」
「迷惑だわ」
そう言い切って、しかしこのアーパーには毛筋ほどの傷も与えられなかった。
「当然ですよぉ。だって、誰からも相手にされないような人、好きになれません」
自信たっぷりに、優羽はこう結んだ。
「あたしは、慈善事業をやってるわけじゃないんです」
これ以上この話題は荒れる。なにより、自分が。
「さて、行くか」
「ですね」
例の部屋のドアを封じている氷槍を取り除いて、ドアノブに手をかける。心臓がバクバク言って苦しい。
(隼人君、わたしを護って)
そう願いをこめたあと、勢いよく開いて後退する。すかさず優羽が玄関前に立ち、月輪を放った!
次の瞬間、何か硬いものが砕ける音とともに、優羽が短い悲鳴を上げた。
「どうなったの?」
「……ああ、なぁんだ」
優羽に手招きされて、おっかなびっくり室内を覗き込む。
そこはまさに四畳半ほどの狭いワンルームだった。空き缶やペットボトルが散乱するフローリングの向こうはもう外壁で、大きめの窓はガラスがなく、カーテンが夜風にはためいている。
だがブランシュの眼は、その窓に釘付けになっていた。正確にはカーテンレールに吊るされた、男物のジャンバーとジーパンに。
「誰よこんないたずらしたの……」
気が抜けて思わず廊下にへたりこんでしまった。優羽の放った月輪はジャンパーを切り裂き後ろの窓枠を傷つけていたが、罪悪感がまったく湧かない。
その時、優羽が自分の頭をポカリとやった。
「いっけな~い、ライト置いてきちゃった」
「しようがないわね」
さすがのこの女も神経をすり減らすことの連続で、疲れてきているのかもしれないな。
そう独りごちながら、優羽とともに休憩場所まで戻ろうとした時、それは起きた。向かう先の一番端のドアが、嫌な軋みをたてながらゆっくりと開いたのだ!
自分も優羽も、どんな悲鳴を上げたか分からない。それほど動転は極みに達し、反転すると廊下の端までダッシュした。そのまま階段を駆け上がる。後ろで優羽が「待ってくださぁい!」なんてほざいてるが、それすらも自分を追いかけてくる何かの声に聞こえるのだ。
そうして階段の上がりはなで信じられないものを見たブランシュは、ついに槍から手を放して膝から崩れ折れた。
「なんで、なんでわたしがこんな目に……」
やっと追いついてきた優羽がぶうぶう言っているのを聞き流し、震える手でライトを照らす。
壁に描かれた数字は、『3』。
「えええ!? 下っちゃった? なんで?」
いちいち素っ頓狂な声を上げる優羽にいいかげん苛立ってきた。荒い息を吐きながらスマホを取り出し、写真アプリを起動する。
そこには、笑顔の彼がいた。
「隼人君、助けて……」
その時、スマホに着信!
びくっとしてしまい、危うく取り落とすところだった。相手は、
「! あああ、隼人君!」
急いで電話に出る。あの忘れようもない声が聞こえてきた。
『やっとつながった。大丈夫?』
「うん、うん、うん……」
彼が状況を訊いてきたが、うまく説明できない。すると、優羽にスマホを取り上げられてしまった。
「もしもーし、隼人せんぱーい、声が聞けてうれしいです! もっとずっと聞いていたいんですけどぉ、状況を説明しますね」
「殺す。ビルから出た瞬間ぶっ殺す。わたしから最愛の人を取り上げるなんて、殺す」
ブランシュの放つ殺害予告を意に介さず、優羽は要領よくビル侵入から現在までの経過を説明した。
「というわけなんですけどぉ――いやぁんあたしはむしろ隼人先輩にもてあそばれたいですぅ――はい、はい、分かりました! お待ちしてまーす。あ、連絡は今後あたしに……切れちゃった」
ちょっと不満げな優羽の手からスマホをひったくる。
「当たり前じゃない。今度勝手に出たら殺す。そっちに連絡が来ても殺す」
「んもぉ。あたしを殺してもぉ、隼人先輩の愛は戻りませんよ、ザキシマパーイセン? キャハッ」
よし、死ね。
ブランシュが氷槍を改めて作り出そうとした時、またスマホが振動した。
「あ! もしもし! 待ってたよ隼人君!」
やっぱり隼人君はわたしを見捨てなかった! 彼の声はいつもの頼もしさ溢れ、かつ冷静沈着なものだった。
『今の話から推測すると、こういうことだと思う。
まず、階段を上るとプラス1階。階段を下るとマイナス1階。それはそのとおりだと思う。
それから、廊下を移動中に戻ると、その場でプラス2階される。さらに、戻ったあと、また反転するとその場でマイナス2階されるんだ。
今、3階にいるんだよね?』
ブランシュも、近づいてきて耳をそばだてている優羽も、そうだと答えた。
『じゃあ答えは単純だよ。廊下の途中まで行って、いったん少し戻って、また振り返って進めば――』
突然、優羽が後ろを振り返った。
「何か来ます!」
階段の下から、ヒタ、ヒタ、と足音が上ってくるではないか……!
「隼人君、今行くね!」
ブランシュは叫ぶと同時に走った。一瞬遅れて優羽も走る。廊下の中ほどでターンし、階段のほうは見ないように気をつけつつちょっと戻ってまたターン!
「あった! 玄関だ!」
『よし、いいぞ! もうちょっと行ったらそこで――』
隼人が何か言ったようだが、ブランシュの耳にはもはや届いていなかった。両手を振り、一心にゴールめがけて疾走する。
玄関の割れ残ったガラスなど、恋する女が飛び越えられないわけがない。
ブランシュと優羽はほぼ1秒間隔で廃ビルの外へと飛び出したのだった。
「あ! 出てきた!」
そして目の前に、極上の褒賞が待っていた。飛び出した勢いそのままに、褒賞――隼人に抱きつく。周りのスタッフのヤレヤレ顔など知ったことか!
「ありがとう! ありがとう! 助けてくれて!」
「え、いや、俺、なんにもしてないから」
時が、止まる。
「……え? だって、電話かけてくれて」
「つながらなかったんだが」
その時、手にしたスマホから声が聞こえた。
『理佐ちゃーんそっチイッチャダメダヨォコッチニオヴィネアキイポキセム――』
通話が切れた機械音とともにブランシュの意識も途切れ、優羽の悲鳴も薄れていく――




