第5章 その先につながる未来8
1.
午後3時のパティスリー『ヴィオレット』は、随分にぎわっていた。久しぶりに訪れた琴音はそれを、代替わりだと見ていた。
なぜならば、高校生に毛の生えたような私服の女の子たちが店内に満ちているからだ。恐らく大学1年生であろうことは、3人、4人のテーブルごとに上級生らしき成人が見受けられることで分かる。お気に入りのお店に連れて来たのだろう。
一方で、皮肉な見方をする者もいる。そいつ――鈴香がにやりと笑って時期尚早のアイスコーヒーをすすっていた。
「大人気だね執事さん。ねぇ琴音?」
「そうね」
あえて見ない。ええ見ないわ。たとえその人の声がだんだん近づいてきているとしても。
「琴音さん、今日は気分が悪いんですか?」
お店では、隼人は丁寧な口調を使う。店員だから当たり前なのだが、普段の親しげな物言いを知っているだけに、よそよそしく感じてしまう。
だから、こっちも素っ気なくしてやるんだ。琴音はそっぽを向いた。
「大丈夫です」
大きな窓ガラスに映る隼人は、もう既に鈴香のほうに笑顔を向けている。
「鈴香さん、冷たいもの好きですね。おなか壊さないんですか?」
「ええ、わたしは丈夫なんです。琴音と違って。ね? 琴音」
ぷーい。眼を閉じて、興味ないわということを表情でも示してみる。
「ああ、そういえば冬のあいだ、飲み会はいつもお湯割りでしたもんね」
という隼人の言葉に相づちを打ちそうになって、そんな自分が悔しくて。だから逆恨みで隼人の顔を横目でにらんでしまった。
「お湯割りなんてもったいない。焼酎をビンごと温めちゃえばいいのに」
「そりゃ鈴香さんなら冷める前に飲めちゃうでしょうけど――」
「すみませーん執事さーん」
よそのテーブルからお呼びがかかり、隼人は一礼するとそちらへ行ってしまった。
これを潮時と立ち上がり、運転手にメールを送ってからお会計へと向かう。鈴香に有無を言わせず。
店の外は、入った時よりも暖かな日差しが増していた。
「もう、せっかちなんだから琴音は。ケーキと紅茶フルコースで粘ればいいのに」
「何で粘るのよ?」
「隼人さんが『琴音ちゃん』って呼んでくれるまで」
「かんけーないし」
くふふ、と笑う親友は、驚くべきことを言いだした。
「そんなのんびりしてると、負けちゃうぜ!」
「なにによ?」
「優菜さんに」
にらみ返すと、鈴香はスマホを操作してメールの文面を表示した。
「知ってるわよ、わたしにも来たから。真紀さんでしょ? ていうか、理佐さんには内緒にって……」
血の雨が降る。そんな予感に琴音は震えた。もちろん、興味津々の興奮にである。
「誰がいつばらすのかしら」
「いや本題はそこじゃなくて」
待っていた車に乗り込みながら、鈴香が顔を寄せてくる。
「いいの?」
「いいじゃない。優菜さんのお手並み拝見ってことで」
それが、いま琴音にできる返事だった。彼女自身がどうしたいのか、まだ決めかねているのだから。
「だいたい……」
「? なんか言った?」
黙って首を振り、琴音はだんまりを決め込んだ。いくら疫病神の眼をもってしても、隠し事の詳細までは見抜けないのだから。
2.
弓子の目の前のイスに座っているのは、小学6年生の女子。目を閉じ、精神を集中している。しばらく待っていると、実験開始を告げるチャイムが鳴った。
「いきます」
いかにも清楚な風情の女子が静かに開いた眼には、確かな意志の光が宿っている。その意志に呼応して、彼女の頭上に三日月状の光が出現した。
おぼろげに光るそれ――月輪は、妖魔を切り裂くためのものである。しかし、今この場所に妖魔はいない。代わりというわけではないが、金属製の筒が彼女に向かって口を開けているだけである。
2メートル先にあるその筒口に向かって、月輪は前進を開始した。アゲハ蝶が飛ぶようなゆっくりとした速度で。
月輪は出現した瞬間から徐々に細っていく。ゆえに、女子の放ったそれが金属筒の口にたどり着いた時には、半分以下になっていた。ちょうど口の大きさにぴったりの大きさだ。
すーっと音も無く金属筒に吸い込まれていったところで、弓子が素早くふたを閉めた。
ふぅと息を吐く女子に、微笑みかける。
「お疲れ様、美鈴ちゃん」
声を掛けられて嬉しそうな美少女は、半ば志願してこのプロジェクト――庭師用護身装具の対妖魔戦闘転用計画に参加している。
これはまた、この海原美鈴のためのプロジェクトでもある。鷹取一族が持つ鬼の血力が殊の外弱い彼女に、この流体金属装甲を装着させて、妖魔討伐に参加可能にしようという目論見だ。
それにしても、と弓子は溜息をついた。
「SEのあたしが、なんでこんなことまで……」
金属筒に月輪を密閉したのは、成分の分析に回すためである。鬼の血力を科学的に分析し、再現するために。
それは、護身装具に備わったパワーアシストだけでは、妖魔に対して有効なダメージを与えられないという現実を補うためであった。つまり、拳や蹴り足にその力を乗せて、妖魔に叩きつけようというわけである。
ふと、美鈴に見つめられていることに気づいた。
「あの……嫌でしたか? 何か予定が……」
「ううん、嫌とかそういう問題じゃなくてさ。便利使いされてるなって思っただけだよ」
とは言ったが、半分嘘である。
実験の立ち会いを予定していた女性研究員が急用で来られなくなったのだ。どうも男性が苦手らしい美鈴が固まってしまわないよう、弓子に声がかかったという次第である。
(オトコねぇ……慣れの問題だと思うけどな……)
そう考えたが、彼女には兄がいることを思い出して、その線は捨てた。
(逆に、兄貴が何かしたとか……)
邪推はとりあえず置いて、次は美鈴に試作機を装着してもらうことにする。総領たち鷹取家首脳部に内覧する前に、プログラムのブラッシュアップを少しでもしておかないと。
3.
「それでは、意図的にエンデュミオール・ブラックへの増援を遅滞したというわけではないのですね?」
「無論です」
袴田主任参謀が昂然と胸を張って答える様を、鷹取家総領の美弥は一団高い席から見すえていた。
自分が平板な表情をしているのが分かる。この白々しい茶番劇――査問会にオブザーバーとして参加する義務が、今は呪わしい。
参謀長主催の査問会の議題は、先の星海丘陵公園での戦闘において、エンデュミオール・ブラックへの増援を意図的に遅らせ、彼女が護っていた沙耶の身命に危機を及ぼしたのではないかというものだった。
もちろん物理的な証拠は無い。彼は言質を残すほど愚かな男ではない。
だが、
「意図的でないとしたら、怠慢ではないですか?」
そう指摘する仙道主任参謀の指摘に思わずうなずきそうになってしまうのを抑えられない。
急がせることはできた。2ヶ所ほどの戦闘は、あの丘での出来事が始まった時点で既に終息していたのだ。たずなの指摘は、もちろん袴田の意図を分かった上でしている。
そして、これにも袴田の回答は堂々たるものだった。
「さまざまな観点から考慮して、転戦をさせるにはまだ早いと結論付けたのだ」
白々しい答えに平静さを装うのは顔だけでいい。美弥は机の下で、手をきつく握り締めた。
結局、査問会の結論は『難しい判断ではあったものの、主任参謀としていささか不首尾である』というもの。袴田は口頭での譴責処分に終わった。
執務室では妹の茉弥が待っていた。彼女のおっとりとした口調で慰められて、少しだけ落ち着く。召使がお茶を淹れに来たのと同時に、たずなが入室してきた。
「お疲れ様。ありがとね」
「私はお役に立てませんでしたわ」
茉弥の隣に座るよう勧められて、ゆっくりと座るたずなにもお茶を出すよう指示する。
「敵もさる者引っかく者、ってわけですね」
「茉弥、古いわねそれ」
いずれにせよ、公の場で――つまり記録が残る場でぼろを出すとは思っていない。本番はここでの会話と同じ。参謀長の私室でだ。
その後会話が雑談に流れて、妹が残念そうな顔を見せた。
「せっかく来たのに、会えないなんて」
「美玖?」
「いえ、狗噛の子ですよ。もうこちらに戻ってきてるかなぁと」
岡山在住の彼女にとっては同郷人ゆえ、なにか話でもあるのかと思いきや、
「東京なんかに出てこないで私のところに来てくれれば、悪いようにはしなかったのに」
「地元だといろいろしがらみがあるから、やめたんじゃないの?」
そうかしらねぇとあっさり引き下がってお茶をすする妹を眺めて、自分もお茶に手を伸ばす。この淡白さゆえ鷹取家の首脳陣には入れず、手薄だった地域へ婿ともども行ってもらったのだが、こうして茶飲み話をするには和む相手で、最近少し悔やんでいる。
「足取りは何か掴めた?」
「全然。だからこそ、ひょっこり戻ってきてるんじゃないかなって思ったんですけど」
そう、狗噛凌は現在消息不明である。帰省したっきり。
警察に捜査を依頼するだけでなく海原家の情報部にも動員をかけ、この茉弥にも手助けを頼んだのだ。その結果、『約1カ月前、シノビランド内で何かが起きた』ことまでしか掴めていない。
静かに戸が開き、男性が入ってきた。茉弥に随行してきた社員だ。
「社長、そろそろ」
「あら、もう? せっかく今いただいたばかりだから、もう少し、いいでしょ?」
「だめよ」
と社員に肩入れする。妹が上京してきた目的は、商談なのだから。
「ほら、ちゃっちゃと行きなさいよ」
「んもぅ、お姉様ったら。そういう気ぜわしいこと言ってるから、沙耶ちゃんがジリジリしちゃうのよ?」
にらみつけると軽く悲鳴を上げて、妹は退出していった。
「まったく……あら、たずなさんもお帰りなの?」
たずなも立ち上がり、すまなそうに頭を下げた。
独り残った居間で、総領は考える。
反乱分子を処断する時期が近づいているのかもしれない。今回は隼人の自己犠牲で大事に至らず済んだが、同様のことが二度と無いとは断言できないのだ。
美玖に期待をかける? 小学3年生の10年後、20年後に?
「冗談じゃないわ」
しわしわの老婆になってまで遂行する職務ではないのだ、鷹取家の総領というものは。
茉弥はああ言ったが、やはり娘にねじを巻かざるをえない。美弥はいつもの結論に至り、深い溜息をついた。
4.
一方こちらは、大きなあくびを一つ。少しして、また一つ。さっきからどうにもとまらない。
別に夜更かしをしたわけじゃない。隼人が今立っている駐車場は、パチンコ店横の大型のもの。今日は新台入れ替え日だというのに、客の入りがさっぱりなのだ。
「潰れるんじゃねぇの? これ……」
パチもスロットもやらない身にはどうでもいいが、これでバイト代がもらえるなら楽なもんである。
(これで弁当の量が多ければ完璧なんだけどな……)
やがて巡ってきた昼休憩は警備会社の車の助手席。お弁当はやっぱり、
「少ねぇ……」
そして、雑巾舌の隼人をしてうならせるほどのまずさである。
簡単な料理しかしたことがないが、ここまで味を落とすには、材料費をケチる以外に何か工夫が必要なのかもしれない。
料理といえば、なごみが家に来なくなって、もう半年経つことに気づいた。音信不通になったわけではないから、単にあきらめてくれたのだろう。
なごみが嫌いなわけじゃない。彼女の気持ちだって分かってる。でも、自分では多分彼女を幸せにできない。そんな気がするのだ。
なぜなら、彼女は上昇志向が強い。『お兄ちゃんにがんばって引き上げてもらわなきゃ』なんてことも言ってる。彼女が大学浪人したのも、勉強に集中できない家庭環境とは別に、もうワンランク上の大学に行きたかったからだ。
隼人だって、貧乏暮らしがしたいわけじゃない。でも、自分に一発逆転できるような才能があるとはとても思えないわけで、そうなると、
「……どうなるんだろうな、俺」
今のところ、就職活動はかんばしくない。このままでは誘われている2件――塾講師か、ボランティアの正職員のどちらかになりそうである。
お誘いがあるだけましではあるが、将来のことを考えると、頭と胸がジリジリしてくる。この感覚は、いつまで経っても慣れない。慣れたくもない。
「どうしたもんだかな……」
座席に力なくもたれかかってそうつぶやいた隼人の真横で、窓ガラスがコツコツ音を立てた。びっくりして振り向くと、
「ああ、美玖ちゃん、久しぶり」
沙耶の姪である美玖がにこにこして立っているではないか。後ろに従えているのは、年恰好からして、護衛兼付き添いだろうか。背広こそ着ていないが、ピシッとした背筋はただのお守り役のじいやとは思えない雰囲気を醸し出している。
車から降りてあいさつを交わし、まず浮かんだ疑問は、
「どこかにお出かけ?」
「ええ、ちょっと通りかかったら隼人さんを見かけたんです」
なるほど、かわいい服を着ている。そう褒めると、はにかんでうつむいてしまった。時折ませた言動をする子だが、そこは小学3年生、まだまだである。
後ろに立つ男性にもあいさつをすると、にこやかかつ慇懃に答礼された。美玖の家族に仕えている執事だそうだ。
「初めまして。かねて噂の方にお会いできて、光栄に存じます」
「は、はあ。僕のこと、噂になってるんですか?」
「はい、それはもう。沙耶様をお護りくださったこと、我が家で知らぬ者はおりません」
今度はこちらが盛大に照れていると、背後から声がかかった。警備会社の社員だ。昼休憩の交代に来たら、この状況。何か苦情を言われているのかと勘違いしたらしい。
入れ替わりに現場復帰しようとしたら、美玖に呼び止められた。
「隼人さん?」
「? なに?」
「ダメですよ浮気は。メッ、です」
咎めるような顔と仕草をされても、身に覚えがまるで無いんだが。
意味を訊こうとしたが、美玖と執事は一礼すると、さっさと立ち去ってしまった。警備会社の人が小突いてくる。
「隼人君、キミ、小学生にまで……やるねぇ」
「違いますから」
現場に向かって歩きながら、
(浮気? もしかして、あの時の台詞まだ覚えてるのかな?)
初めて会った時、彼女のかわいい顔をしげしげと眺めて、『うーん、10年後かぁ』なんて言った覚えがある。
でも、なんで"浮気"なんて単語が出てくるんだ?
5.
京子が夜10時のスタッフ控室で聞いた唸り声は、かつてないほど深刻で、かつどうでもいい内容のものだった。
珍しくやってきた会長が、しばらく世間話をしたあと受信したメールを見て唸り始めたのだ。
「どうかしたんですか?」
表情があまりに深刻そうだったので、ほかのスタッフと顔を見合わせて訊いてみたのだが、答えは、
「今建ててるビルがあるでしょ? 北東京支部が入るやつ。あれの名前をどうしようかと思って」
設計事務所から、そろそろ名前を決めてくれと催促されたらしい。
「ちなみに、何か共通のキーワードとかあるんすか?」
「あるわ。ずばり和名よ」
「和名?」
会長は首を振ると、付け加えた。
「ここは日本よ? なんで英語やフランク語やジャーマニア語で名前付けるのよ」
隼人が手をぽんと叩いた。
「そういえば、このビルはヨシカネビルでしたね……ヨシカネってなんすか?」
「わたしの5番目の旦那の名前よ」
「5番目?!」
いわゆる江戸時代中期に結婚した相手らしい。
そこへ、ミキマキがやってきた。みんなが驚き唸っている理由を聞くや、
「「ほな、6番目の人でいいじゃないですか」」
聞いて会長は鼻を鳴らした。
「残念ながら、5回しかしてないの。結婚は」
「あれ? 前伯爵は……」
「結婚はしてないわよ。それにアルマンって、思いっきりフランク語じゃない」
京子はふとつぶやいた。
「それに、その人の弟に破壊されたビルですしね……」
沈黙が支配する控室内で、美紀がサラサラと何かの裏紙にペンを走らせている。
「「会長会長、これでどうです?」」
双子が両端を持って掲げた紙には、
『指 月 城』
意味が分からずポカンとしてしまった。2人の例外を除いて。
その1人、隼人が素早く立ち上がり、唐竹割りで裏紙を破り裂いた!
「縁起が悪すぎる!」
「「ほな、これで」」
『帰 雲 城』
「全滅しちゃうじゃん!」
どうも日本史ネタらしく、会長も加わってワイワイと掛け合いをしている。
(仲いいな、この人たち)
特に隼人とミキマキは、ゼミ仲間というだけでない何かを感じてしようがない。
でも、真紀も美紀も彼がいる。特に美紀はラブラブらしい。
(そういえば、2月にお泊り旅行に行った時、寝言でシノキクンとか言ってたよな)
翌朝それを指摘したら首まで真っ赤になって。なぜか真紀まで。
そこはユニゾンしなくてもいいのにって笑っていたことを思い出して、くすりとした。
「あの……」
声をかけられて振り向くと、春斗が本を差し出していた。
「これ、このあいだの本です。ありがとうございました」
「あ、ああ、うん。これ、どうだった?」
先日の出動後の帰り道に世間話をしていて、スリラー物の批評で盛り上がったのだ。そこでお互いに一番だと譲らない作品を貸し合ってみようということになった次第である。
彼の意見はよく整理されていて、読み込んでいるなと伺わせるものだった。
「京子先輩は、あれどうでした?」
「んー、クライマックスだけどさ――」
感想をひとしきり述べて、彼が返してきて、また考える。2人きりで話し込んでいると気付かないくらい、没入した。夏休み直前に封切りされる映画を観に行くかという約束までして、出動がかからなければまだ話し続けられただろう。
それが周囲の気配りであることに気付くのは、後日の話。
6.
メールを見ていた神谷くるみが飛び上がったのを、姉のなごみは仰天して見つめた。まだ体調が思わしくない妹らしからぬアクションだったのだ。
「どうしたの?」
「お兄ちゃんが、お兄ちゃんが!」
兄――正確には義兄――の隼人のことか。なごみは鼻の息を抜くと、さらっと言った。
「優菜さんとデートするっていう話でしょ?」
「そーだよ! どーしよう!」
どうしようもないのに、まだあきらめていないのか。姉は妹に噛んで含めるように言った。
「お兄ちゃんが誰と付き合おうと自由なんだから、いいじゃない。少なくとも、理佐さんよりは」
「それはそうだけど……複雑だな……」
「なんで?」
「だって、年上のお友達だって思ってたのに、万が一お姉ちゃんになっちゃうかもしれないんだよ?」
胸に両手を当ててのたまう妹。その『万が一』に力のこもった疑問に笑うと、膨れてしまった。
「じゃあなに? ある日突然連れて来た人を『キミのお姉さんだよ』って紹介されたほうがいいの?」
「やだ」
「でしょうね」
そうつぶやいた時、くるみが咳き込み始めた。慌てて背中をさすり、布団に戻るのを手伝ってやる。
ようやく落ち着いた妹が、潤んだ目で見上げてきた。
「お姉ちゃんは、それでいいの?」
「わたし? わたしは……」
しばらく考えて、ぽつりとつぶやく。
「優菜さんは無いな」
妹の同意するような溜息を片耳に、なごみの意識は記憶の片隅に飛んだ。
あの夢。
兄が横にいる誰かに、穏やかに笑いかけているシーン。
誰かは分からない。そこにはまだ誰もいないから。
くるみでも、優菜でもない。もちろん、あのサイコ女でもない。
なごみのまだ見知らぬ、誰か。
そう、優菜が隼人の恋人になる可能性もあるだろう。人の動きに、いや、未来に定めなど無いのだから。
それがなごみの望まぬ未来であっても。




