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第4章 勝負への道程

1.


 都内某所。マンションの一室で、栗本残党による会合が開かれていた。今日の、そしてこのところ毎回の議題は、『栗本の遺志をどう完遂するか』である。

 資金には当分不自由しない。貿易商として一財産築いていた彼の裏金は相当な額に上る。それを使用して、多方面から鷹取家にダメージを与える。それが、栗本の計画であった。

「エゲリスの奴らは帰ったようだな」

 清多がいかにも吐き捨てるような声色で言った。必要も無いのに声を低める癖のあるこの男は、鬼の血力が使えないことにコンプレックスを抱き、代わりに怪しげな殺人術を会得していると吹聴していた。

 彼の言葉を受けて、乃村が肩をすくめる。

「ああ、あの一家との会談も上首尾だったし、ホクホク顔だったぜ」

「ホクホクなのは、懐じゃないの?」

 これは平居。まだ10代なのに、どこで拾われたのか栗本にじゃれ付いて暮らしていた女だ。最近メキメキと血力を上げていて、侮れない。

 もっとも、私には遠く及ばないと祖笛は自負している。フランク滞在時のディアーブル襲来。修道院内で、自分独りで5体を始末して、栗本の賞賛を浴びたものだ。

 そのことを思い出すたびに、胸が締め付けられる。栗本を護れなかった。護り、共に戦う場にいられなかった。そのことに対する悔恨が日ごと募るばかりなのだ。

 栗本は、いなくなってしまった。彼を救急搬送する車両を襲撃して身柄を奪取したのは祖笛たちだったのだが、アジトへ戻ってみると、ストレッチャーに載せられていたはずの彼の身体は掻き消えていたのだ。

 それ以来、栗本からの連絡はない。何かの力で姿を隠したのだろうと推測しかできない。あるいは最悪の想像をするなら、敵に遺体を渡さぬよう生前に超常的な細工をしたのだろうか。

 いずれにせよ、もはや彼は死んだ、少なくとも生死不明として受け入れ、現状を打破せねばならない。

 平居がもてあそんでいるものに、ふと目が行く。それは安堂のヘアブラシだった。ほかの者も気づいたらしく、眉を曇らせる。

「安堂は戻らないな」

「ああ、やられたんだろう。あの光に」

「光線系のエンデュミオールか。確か、3人殺してるんだっけ?」

 あの一家。栗本が詳細を話してはくれなかったが、鷹取一族の不満分子と聞いている。彼らから入手したデータには、鷹取一族のほかに、『あおぞら』所属スタッフの個人情報も含まれていた。

 鬼の血力の前には児戯に等しい、まして妖魔を使役できる我らには赤子の手を捻るも同然と嘲笑っていたが、安堂が倒されたとなると認識を改めねばならないかもしれない。

 清多が口の端を歪めた。

「へっ! そんな奴、どうってことねぇ。俺が海外で殺してきた数のほうが多いぜ」

「はいはい殺人自慢殺人自慢っと」

 乃村が茶化して、腕組みをした。

「さて、次はどーする? あたしが出ようか? それとも、みんなで行くかい?」

「全員で行こう」

 祖笛は真っ先に断じた。

「そだね。一人ずつなんて、悪の組織のヤラレパターンじゃん」

 乃村も平居も賛同し、清多は黙ってうなずいた。その歪んだままの口が開かれる。

「で、どこを襲う?」

「鷹取本家か西東京支部」

 一同を前に、かねがね温めていた腹案を述べる。

 ことさら言うまでもなく、鷹取本家は祖笛たちの仇敵の本拠である。その防備は、幾重にも張られた結界によって妖魔の出現を封じている以外には、庭師による警備のみ。極めて薄いと言える。

 一方の西東京支部は、表向きただのビルであり、防備の類は施されていないと見られる。警備員すら配置されていない。

「鷹取本家を襲い、宗家一族を抹殺する。それが勝利への最短経路だ」

 じゃあそれでいいじゃんと言いかけた平居を遮って、言葉を継ぐ。

「ただし、あの屋敷は広い。建物だけでなく敷地も、かなり。我々プラス妖魔だけでは攻めきれないかもしれない。なにより、敷地の見取り図が無い」

 ウェブ公開の衛星写真だけでは木々の陰になっている部分が判別できないのだ。

 スマホをいじっていた乃村が声を上げた。

「迎賓館の一般公開、要予約だって。これに申し込めば、侵入できるんじゃね?」

「でも、結界を破壊しない限り、妖魔を召喚できない。やっぱり外から侵攻しないと」

 清多が面白くもなさそうな声を出した。

「それ以前の問題もあるぜ。その日に宗家一族が在宅してるって確証がない。仕事で飛び回ってるんだろ?」

 その時、乃村のスマホを横からのぞき込んでいた平居が口笛を吹いた。すっと取り上げて、こちらに見せ付けてくる。

「この記事見て」

「……ふーん、町内会とお花見ねぇ。お気楽なもんだな」

 これなら確かに主催者としてその場にいるだろう。しかし、次のイベントがいつなのかは分からない。

 結局、周辺地域の聞き込みをしつつ、西東京支部襲撃プランも練ることになった。

 勝負をかけるときが近づいている。その思いを、誰もが共有していた。


2.


 夜。西東京支部に入ろうとした真紀は、複数の視線を感じた。

(狙われて……ないな。ただの見物か、あるいは……)

 知らぬ振りで鷹取家から貸与された黄色い端末を取り出し、通報する。鷹取家のセキュリティシステムは、『あおぞら』の隠密性を考慮して、あからさまに監視カメラを光らせるような真似はしない。

 外付け階段を上がってスタッフ控室につく頃には、映像が届いていた。10メートルほど離れたビルの角からこちらをのぞいている、3人の女子だ。

 陽子がクッキーをかじりながら、眉根を寄せた。

「なんかこの感じ、デジャヴが……」

「先月の自分ちゃう?」

 納得した様子の音大生を眺めながら、真紀もクッキーをいただく。大皿に山盛りのそれは、誰かの手作りのようだ。陽子に問うと、優羽の差し入れだと分かった。

「ふーん、意外とまめやね。おいしいし」

「ですよね。材料がやっぱ高級なのもあるんでしょうか?」

 しばらく世間話に興じたあと、

「そういえば、今日届くんやったっけ?」

「え? ええ、もうそろそろ会長が来るはずなんですけど」

 白水晶にようやく空きができたのだ。

「何系やろうね? 自分」

「見当もつかないですね。けど――」

「けど?」

 音大生は新たなクッキーをつまむのを止めて、自分の色白な両手を見つめながら言った。

「殴り合いする系統はちょっと……」

「ああ、ピアニストだもんね」

 どつき合いに慣れてるようにも見えないしな。

 扉が開いて、サポートスタッフがなだれ込んできた。荷物の搬入作業が終わったらしい。陽子と二人でお茶を淹れて配ろうとしたが、

「春斗君、どうかしたの?」

 海原春斗がクッキーの裏を凝視していたのだ。京子の問いには答えず、同族の耕介に見せてうなずきあっている。

「ああ、すみません。これ、優羽ちゃんの作ったやつですよね?」

「へぇ、さすがご一族、分かるの?」

 他のサポートの反応に苦笑いして、春斗は意表を突く発言をした。

 部屋のみんなに、今つまんでいるクッキーを裏返して見せてくれと言ったのだ。

「分かります?」

「……いくつか焦げてることしか」

「そう、そこなんですよ」

 耕介が半笑いから一転、しなをつくって優羽の物真似を始めた。

「キミのためにあたしぃ、一生懸命作ったんだけど、ちょっと失敗して焦げちゃったのぉ。ドジでしょあたし、グスン」

 サポートスタッフの一人が、ビンゴと言って笑い出した。なんと隼人が『優羽ちゃんからもらったから、差し入れってことでみんなで食べて』と置いていったというのだ。

 俄然好奇心が湧いて、みんなでクッキーをひっくり返してみたら、

「……うわぁ4個に1個、きちんと焦げてるし」

「ほんとに、あざとカワイイ方面に全振りなんだね……」

「親戚としてどうなの? これ」

 顔を見合わせて、また半笑いの親戚男子2人であった。

「だれもかれもお澄ましお嬢様じゃ目立たないし、いいんじゃないですか?」

「僕らに被害が及ばない範囲でなら」

 どちらかというと、耕介のほうが実もふたもない言動が多い気がする。

 その時、陽子が鋭い声を上げた。監視カメラの向こうに動きがあったらしい。

「移動してます……っていうか、連行されてくるみたいですけど」

「誰に?」

「会長にです」

 待つこと3分、本当に会長が女子たちを連れてきた。ちょっと不安げにキョロキョロしだす2人を置いて、ショートカットの子が元気よくあいさつをしてきた。こちらも元気よく返すと、にっこり笑う。

「ここって、鷹取さんが会長さんなんですよね?」

「そのとおり!」と沙良が胸を張る。

「私が会長です」

 だがその宣言は、晴れ晴れとした行動にもかかわらず、新来女子たちの顔に疑問符を生んだ。取り出したスマホをタップすること数秒、

「あのー、会長さんってこの人じゃないんですか?」

「どれどれ……会長、なにしてんねんな」

 『あおぞら』の公式ウェブサイトに掲載された会長の写真は、エンデュミオール・カラミティの姿だったのだから。

「なんで変身後の姿を載せてるんすか?」

「だって、顔バレするの嫌じゃない?」

「意味が分からない……」

「ていうか――」と今度は胸に手を置いて宣言来ました。

「これからこう育つから。これでいいの」

「育つ? 変身?」

 ショートカット女子が食いついてきた。

「てことは?」

「うん?」

「会長さんって、中学生?」

「ちっがーう!!」



 女子たちは沙耶のゼミ生だと名乗った。先日の戦闘に巻き込まれた学生のうち、この3人だけに記憶が残っていることも。

「あ、長壁先生も記憶があるみたいですけど」

 遅れて入室してきた支部長がそれを聞いて小首を傾げたが、すぐに姿勢を立て直した。

「なるほど。で、どうやってここにたどり着いたの?」

 ショートカット――柚亜という子曰く、事態が終息した直後に沙耶がした会話が風に乗って聞こえてきて、『あおぞら』という組織があることを知ったそうだ。

「でですね、検索してみたら活動報告の中に――」

 見せてくれた画面に映っている写真には、老人を介護中の祐希の姿があった。

「この人、あとから飛んできた人にそっくりだなって」

「……意外と顔バレしやすいんですね」

 陽子のうなりに笑って答えてやる。

「まあね。髪の色と服装しか変わらへんしな。ウチと美紀はまだばれたことないけど」

「瞳の色も変わるけどね。それにしても、あんな状況でよく顔を覚えてたわね」

 沙良の問いかけに、女子たちはくすくす笑って目を輝かせた。

「だって! あんな格好で飛んできたら、目立ちますって!」

 もしかしたら、こういう思考というか発想の人には疫病神の『工作』が効かないのかも。真紀がそう考えた時、警報が鳴り響いた。

 素早く端末を取り出した支部長が画面を確認して叫ぶ。

「出動!」

 急にあわただしくなった室内で戸惑う3人に向かって、会長が微笑みかける。

「あなたたち、なんだったら見学に来る?」

「え?! 変身できるんですか?」

「見学だってば。それに、あなたたちでは変身できないわ」

 才能が無い。はっきり告げられてしょげる女子たちをかわいそうとは思うが、これは『あおぞら』にとって痛恨事の結果得た教訓である。

 それでもなんとなく、彼女たちの前で変身する気になれなくて……もう1人いるよ戸惑ってる人が。陽子だ。

「さ、陽子ちゃんは初体験だね」

「えぇぇぇぇぇ無理です! 変身したこともないのに」

「大丈夫。痛くしないから」

「そういう汚らわしい冗談やめてください!」


3.


 敵は長爪が3体に金剛が2体。北部の新興住宅街で最近活発な建て売り住宅建築現場で暴れていた。

 だが、彼らにも今夜はいささか戸惑いの気配がある。なぜなら、彼らを討伐に来たはずのヒトどもが、一向に向かってこないからだ。

 それどころかワイワイガヤガヤと騒がしい。その原因はもちろん――

「嫌ですこんなみんなが見てる前で!」

 陽子であった。

 確かに最初は気恥ずかしかったな、と思い返すエンデュミオール・グリーンであったが、それでは話が進まない。

 仕方がない。ここは一つ、先輩としてアドバイスしてやるか。

「ほな、そこに建ってる家に入ってしたら?」

「え、でもそれ不法侵入になるんじゃ……」

「大丈夫やて。天井のシミを数えてるうちに終わるから」

「だからそういう汚らわしい冗談やめてくださいマジで!」

 ……この子はどういう人生遍歴を経て、男女関係に過剰な幻想を抱くようになったんだろう。ぜひ知りたいとも思わないが。

 グリーンは少しだけ後ろ髪を引かれる思いで、妖魔との戦闘を開始した。エンデュミオール・アンバーが放つ電撃の援護を受けながら、長尺の鉄無垢・紅夜叉丸ver.Kを振り回して妖魔に挑む。

 それは別の歓声を生んだ。新来の女子たちだ。

「わ! すごーい!」

「あれ、さっき2人で運んでたやつだよね?」

「つか、魔法少女っぽくない!」

(うん、ウチもそう思う)

 長爪の爪を叩き折りながら心の中で相づちを打つ。

 グリーンの大立ち回りは、実はフライングである。他の面子が来るのは10分ほどあとなのだ。

 囲まれかけた窮地を脱するために得物を一旋し、飛び退る。その時、背後で光が起こった。思いっきりやけくそな変身コールも聞こえたから、

(やっとかいな……なにあれ?)

 光が収まったところにたたずんでいたのは、ライムグリーンと言うべきか、パステル系と表現すべきか、グリーンよりもだいぶ薄い色合いの緑の戦士であった。

 あごの下から足元までキッチリ――オーバーニーソックスとスカートの隙間からかろうじて肌色が見えるくらいである――コスチュームに包まれた彼女は、メガネが消えてしまった眼をパチクリしている。

 つかあれ、何系?

 会長の嘆くような声が聞こえてきた。

「旋風系か……どうやって教えようかな……」

 体勢を立て直して襲ってきた金剛を迎え撃たず、グリーンはバックステップで逃げた。

 旋風系。確か、風を操る系統のはず。イメージからすると投射系スキルしかなさそうだから、ドツキ合いがしたくない彼女にはお似合いだろう。

 そんなことを考えながら妖魔たちをアンバーと牽制していると、ルージュとアクアが来た。

「ああ、来た来た……もしかして、飲み会上がり?」

 2人とも顔が赤くて、アルコール臭いのだ。

「ん? ああ、大丈夫。そんなに酔ってな――「うわなにあれグリーンの2Pカラー?」

 結構酔ってるらしきアクアが叫んで、ケラケラ笑い出した。意味が分からないのか首をかしげてる陽子を置いて、さっさと戦闘に入る。

「どっちかっつーと2Pカラーはイエローじゃねぇの?」

「誰が色違い(イロチ) やコラ」

 ルージュの失言に、ツッコミごとイエローが飛んできた。

 そして、ゼミ生たちのかしましいこと。

「うわーいっぱい来た!」

「ね? ね? カイチョーサン、色ってなんか意味あるんですか?」

「……なんだありゃ?」

 いぶかしがるルージュに女子たちのことを説明しているあいだに、アクアがさっさと長爪を全て倒してしまった。

「さ、硬い奴はお願~い」

「――ってお前どこ行くんだよ!」

「オトコんとこ。じゃね~」

 アクアは帰ってしまった。

「……久しぶりに来たと思ったら、帰ってっちゃった」

「自由人やな、ほんまに……」

 あんなんで会社勤めできるんだろうか。

 ふと後ろからの気配を感じて、グリーンは横に跳んだ。さっきまで彼女がいた空間を、突風が吹き抜ける。

「おーできたじゃん。じゃ次は――」

『会長! 他所でやってください練習は!』

 と支部長から非難が飛んできて、ペコペコしている陽子と対照的に、まったく気にしていない沙良。

(そういえば会長のスキルも、味方に被害が及ぼうがお構いなしなんだよな……)

「みんな、危ないからさっさと終わらせるで!」

「了解!」

 イエローとアンバーの電撃で麻痺させた金剛を、左はルージュの炎矢が貫き、右はグリーンの唐竹割りが粉砕した!

「ふぅ、お疲れ様っと」

 撤収に向けて機敏な動きを始めたサポートスタッフと、歓声とも悲鳴ともつかない声を上げる見学者と。騒がしいと思ったら、どうやら妖魔の末路に対するものではなかったようだ。陽子が宙に浮いていたのだから。

「飛んでるやん、あれ」

「すげぇな、ビル渡りとどっちが効率いいのかな?」

 真上に浮上しただけだった陽子は、やがて移動し始めた。といってもふらふらしている様子がなんとなく危なっかしい。

「……なんか、自転車覚えたての幼児?」

「いやいやあの色味、大人になりたくない症候群のアレだろ」

「誰がピーターパンですか!」

 陽子がそう叫んだ時、異変は起きた。スキル発動中に気を抜いてしまう結果になったのだろう、突然空中で停止したかと思うと、墜落し始めたのだ。このままでは路面に激突するが、想定地点はちょっと遠い。

 それでも、グリーンは動いた。胸の白水晶を光らせて跳躍し、三角跳びの要領でビルを蹴って上昇した。陽子を空中で受け止めるために。

 結果的に、目的は達成された。陽子を受け止めて質量を軽減したグリーンを、何者かがさらに抱きとめたのだ。その者の名は――

「……お前はほんとそういう時に間に合う奴だよな」

「実はタイミング測ってたんちゃう?」

「ちょっと! ブラック! 私を抱っこしてよ!」

 エンデュミオール・ブラックが無事着地すると、またかしましさが戻ってきた。

「わ! あの時のでっかい女の人!」

「やっぱここで正解だったんだ」

 自分のことかと女子たちを見つめるブラックの顔が、急にのけぞった。至近距離で金切り声を上げられたのだから無理も無いのだが。

「ギャー! 離してください! イヤー!」

 陽子が叫んで思いっきりもがいた反動で、グリーンが手を放してしまった。

 質量操作系のスキルは、手に触れた物の質量を操作できることである。逆に言えば、手が離れてしまうと元に戻るのだ。つまり、陽子の体は元の質量に戻って重力に引かれるわけで、

「いったぁーいっ!」

 鈍い音と共に、尻と背中をアスファルトにしたたかに打ち付けてしまった。撤収作業が一瞬止まって、注目がこちらに向く。

「騒がしい子だなおい」

「「ちょっとあんた、どういうつもりやの」」

 詰め寄る双子を制したのは、意外にもブラックだった。その厳しい顔が、そのまま陽子を見下ろす。

「陽子ちゃん、俺は君に嫌がらせやいたずらをしたくて助けたわけじゃないんだ。ちょっとひどくないか?」

 ブラックの非難の言葉が途切れるのを見計らったように、沙良が手を打ち鳴らした。

「さあ、ここで立ち話もなんだから、撤収するよ」

「あ、じゃあお疲れっした」

「いやーん帰らないで!」

 会長も攻めるなあと苦笑しあうイエローとアンバー。どことなく苦い顔のルージュ。その狭間でうなだれる陽子を置き捨てて、グリーンは撤収作業を手伝おうと踵を返した。



 30分後。スタッフ控室に戻ってきた一同は呆れていた。陽子にではなく、隼人に。

 彼は覚えていたのだ。この新来女子たちがあの日沙耶と共にいたことを。

「「ほんまにこいつは……」」

「もしかして、今まで出会った女の子を全部覚えてる?」

「え? 当然っすよね?」

「いやいやいやいや」

 支部長は別の感想を抱いたようだ。コーヒーを飲む手を休めてつぶやいた。

「あまり便利とはいえない特技よね」

「どうしてですか?」

「だって、嫌な思い出のある子も忘れられないのよ?」

 半笑いで頭を掻く隼人を横目でにらんで、美紀が問いかけてきた。

「ねーやんは忘れてるやろ? 別れた男は」

「失敬な。ちゃんと覚えてるて」

「なんで?」

「また引っかかったら嫌だから」

 そこへ、会長が入ってきた。手にDVDを持って。新来女子の説明に使う物だろう。

「今日はもう遅いから、観てきて。それから考えればいいよ、加入するかどうかは」

「はい……あのー」

 沙良からDVDを受け取りながら、柚亜がおずおずと尋ねた。

「さっきのでっかい女の人、やっぱり帰っちゃったんですか? いないんですけど」

「さ、俺はこれで――「「待てぃ」」

 逃がすもんか。こんな面白シチュで。

 訳知りの人々は、ある者はうつむき、ある者はぷいっと顔を背けている。共通なのは肩を小刻みに震わせていることだ。

 と、ここで隼人にとって救いの神が現れた。支部長が立ち上がったのだ。

「残念ながら、それは今は教えられないわ。重要な機密なの」

 そんなご大層なと思ったが、隼人が変身すると性別が変わることは、部外者に易々と教えていい情報でないことは確かだ。

(アンヌさんも明かされるまで気づかなかったって言ってたしな)

 栗本の残党が蠢動している状況では、不用意なリークは避けるべきかもしれない。

 どうして気にするのかと支部長に訊かれて、柚亜は頭を掻いた。

「その、助けてもらったお礼をまだ言ってないからです。さっきもドタバタしちゃったし」

 ドタバタで思い出したが、柚亜たちが先に帰るまで話題にするのを待った。

「で、陽子ちゃんは?」

「帰らせたわよ」

 と支部長が溜息をついた。これからどうしていくかをよく考えるよう諭して帰らせたとも説明された。

「隼人君、あの子と悪い経緯はないのね?」

「無いですね。一度遭遇したっきりですし」

 琴音の姉の演奏会に行った時、段差に蹴つまずいた陽子を支えようとして逆に突き飛ばされたらしい。

「……ある意味ブレない子ね」

「つか、共学なんだろ? 音大って。大丈夫なのか?」

「まあほら」と隼人が苦笑いした。

「女の子お得意の、『生理的に嫌』ってやつだろうから」

 そのまましばらく雑談をしたあと、解散となった。だが、真紀と美紀の嗅覚は逃さなかった。優菜が思いつめたような顔ですっと部屋から消えたのを。

 無音で捜索して、声を頼りに接近。いたいた。外付け階段を下りたところで隼人を呼び止めていた。

「あ、あのさ」

「どうしたの優菜ちゃん。顔が赤いけど。ああ、飲み会だったっけ?」

 指摘されても、優菜はうつむかなかった。むしろぐっと顔を上げて、隼人の顔を見すえる。

「今度、映画観に行かないか?」

(うわあ、直球投げた!)

「いいよ。いつ?」

(さっくり打ち返しよった!)

 優菜が慌てて取り出したスマホの画面を見て、日程を相談する二人。やがてまとまったらしく、にっこり笑い合った。

「で、なに観るの?」

「ふつー先に訊かないか?」

「フツー先に説明しないか?」

 にらみ合う。でも口の端が震えてる。やがてまた笑い合うと手を上げて、お互いの家路に着いた。

 こちらの二人も、にんまりと笑い合う。

「勝負やね、優菜ちゃん」「せやな」

 真紀は、はたと手を打った。

「とりあえずやね――」

「ほうほう?」

「残念ねーやんに通報――「真紀」

 神速で詰め寄ってきた美紀の眼には感情が浮かんでおらず、掴まれたスマホがミシミシと圧潰音を上げ始める。

「二択や。手足もがれて人豚になるか、爺さんの菩提寺で人間燈籠になるか」

 真紀はもつれる舌で、それでも冗談を言おうとした。

「いいいやあ、燈籠やとほほら、み、美紀とお揃いやないと……」

「ほなヒトブタやな」

 真紀の細く長い悲鳴が、深夜少し前の街路に響いた。

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