第9章 闇雨流転の幕間劇
1.
今日のおやつはドーナツ。沙耶の手作りらしい。
(あとで手を洗わなきゃ)
古文書を扱うバイトで油の手はやっぱよくないよな。そう思いながら、隼人は4つ目に手を伸ばした。
「よく食べるわね」
「育ち盛りですから」
弓子にそう答えて、さらに切り返してみる。
「育たないすか? 弓子さんは」
「そうねぇ」
と言いながら自分の体を見回して、彼女は笑った。
「お尻がもうちょっとあるといいかな。そう思わない?」
「ああ、下のほうの"ボン"を増やすんですね」
実際、まさに"ボンキュッボン"と形容するにふさわしい体つきだが、お尻が少し小振りかなとは思って……
「沙耶さん理恵さん、視線が痛いです」
「そう思うなら自重しなさいよ……」
そう呆れる理恵は発言するだけまだましで、沙耶はジットリとこちらをにらんでくるだけだ。
(こういう会話が苦手なのか?)
一方の弓子はくすくす笑っている。
「ま、男子たるもの、艶っぽい話の一つもできなくちゃね」
「相手によりますけどね」
沙耶に言ったらひっぱたかれるんだろうか。もうちょっと親しくなったらやってみよう。そう心に決める隼人であった。
「ところでシャチョサン」
「は、はい!!」
完全に意表を突いたらしい。真っ赤になってしまった。と思ったらドーナツが喉に詰まったようだ。
コーヒーで流し込むのを待って、仕切り直し。
「今日はきれいな色のブラウスですね」
「う、うん……まだ梅雨も明けないから、明るめのにしようと思って」
「お似合いですよ」
「……ありがとう」
蚊の鳴くような声でつぶやく沙耶の顔を、理恵がさらに赤らめさせる。
「うふふ、卸し立てですもんね。今日は久しぶりに大学に行くから」
「も、もう……」
理恵の思わせぶりな含み笑いと、その肩をはたく沙耶の雰囲気から、容易に察することができた。
(ああ、例の人か……)
なんだろう、この苦味。『一抹の寂寥感』なんてキレイゴトじゃない、チリチリする感じ。
そんな隼人をよそに、弓子がコーヒー片手ににやりとした。
「予言してあげる」
「なにを?」
「オサなんとかさんは、沙耶ちゃんに会って3分後に褒める」
理由を訊かれてにやりと笑うんだよ、この人。手にはドーナツをちゃっかり確保して。
「あたしは、なんでも知っているのよ」
返す刀で、隼人に斬りつけてきた。
「隼人君がフラれたことも」
また苦味がやってきて、でも女子のキラキラした追及の眼からは逃れられなくて、隼人は渋い顔をしながら顛末を話すはめになった。
「で、どうして弓子ちゃんは知ってるの?」
そう尋ねる理恵も眉根を寄せているのは、弓子の話題がプライバシーもへったくれもないからだろうか。
「琴音ちゃんから聞いたわ」
「……俺、探偵されてる?」
理恵がその言葉に反応した。どうも隼人には厳しめの言葉が多い気がするのは、被害妄想だろうか。
「何かやましいことでもあるの?」
「ええ、いくつか」
「あるんだ……」
「無い人なんているんすか?」
後半部分は沙耶と交わした会話だったが、何かにダイレクトヒットしてしまったようだ。傍目にも分かるくらい落ち込んでしまった。
仕方がない。
「てことはこの辺を探ると琴音ちゃんが隠れてて」
「んなわけないでしょ」
「残念だなぁ」
弓子が乗ってくれて助かった。でも、
「ふーん、ああいう細面の子が好みなんだ。メモメモ」
「いやその辺特に好き嫌いはないっすよ」
この人はどうして俺の好みを調べたがるんだろう。このあいだからどうも、この流れが多い気がする。
その後話題が就職のことに変わって、現状が芳しくないことを話した。
沙耶のゼミ生も就職難だそうで、二人して溜息が揃ってしまった。
「その点、沙耶さんのご一族は財閥系の企業を継ぐわけだから、就職難はないっすよね」
「そうでもないのよ」
と理恵は苦笑する。
「継いでもうまくいくとは限らないし。例えば、優羽ちゃんや瞳魅ちゃんは1個ずつ会社潰してるしね」
優羽はともかく――というのも失礼だが――瞳魅が潰してるのは意外だった。
「大胆過ぎても、慎重すぎてもだめなのよ」
ま、私はその点気楽だけどね。秘書はそう笑う。以前弓子が『秘書の才能があるからというより、企業経営者としてはダメだって烙印を親から押されたらしい』って言ってたのを思い出した。
弓子がそこで、ポンと手を打った。
「そうだ! どう隼人君、社長のボディガードとか。得意でしょ? 体張るの」
「……体張るだけは、の間違いっすよ」
自分にボディーガードの才能があるとは思えないし、それ以前にこの人にボディーガードなんて必要とは思えない。その気になれば襲撃者なんてイチコロだし。
そう言ってみたら、いかにもヤレヤレというふうに首を振られた。
「分かってないなぁ」
「なにがですか?」
「男の人に守ってもらう感が大事なのよ。特に、沙耶ちゃんは」
「あいにくだけど、結構よ……あ、別に神谷君が嫌って意味じゃなくって、その……」
そこで秘書から社長に助け舟が出た。
「そうそう、私がいますから。いざとなれば庭師で固めればいいですし」
最後のドーナツを食べ終わって、隼人は手を合わせた。
「ごちそうさまでした、沙耶さん。おいしかったです」
「うん、どういたしまして」
やっと微笑んでくれた。その笑顔に勢いを得て、踏み込んでみる。
「おやつ作りとか、手料理とかされるんすか? よく」
たまにするらしい。沙耶は続けて、
「このあいだユミちゃんがお弁当作ってきたから、そういうのもいいかと思って」
「じゃあ今度はお弁当を食べたいです」
「ふふふ、いいわよ。お肉さえ入ってればいいんでしょ?」
「はい!」
元気が良くてよろしい、と沙耶は笑って部屋を出て行った。続く理恵がドアを閉めてしばらく、弓子が最後の一片を口に放り込んで、あからさまな溜息をついた。
「理恵ちゃんも分かってないなぁ」
「なにがですか?」
「ボディーガードのことよ」
まさか、隼人にさせるというのは本気の提案だったのか。そう尋ねたら、そういうことじゃなくてと首を振られた。
「沙耶ちゃんの周りに女子しかいないのが問題なんだっつーの。理恵ちゃんもそうだし、いざって時の庭師も女性が来るだろうし」
そういうのではなくて、身近に男性がいるということが必要なのだ。美人SEはそう結んだ。
「そういうのは、ほら、オサなんとかさんの役割なんじゃないですか?」
問いかける隼人に流し目を一つくれたあと、弓子は頬杖を突いて、窓の外を眺めながら答えた。
「どうだかね……」
2.
優菜が学生課に行くと、その前のピロティで真紀と美紀が考え込んでいるのに出会った。
「どうしたんだお前ら? 珍しいな」
「「ん? ああ、おはよう、フラれねーやん」」
「誰がフラれただこら」
優菜は二人をにらむと、学生課で用事を済ませた。待っていてくれたらしき二人に礼を言って、人文学部棟へ向かって共に歩き出す。
「んで、どうしたんだ考え込んで」
この双子が考えなしで生きてるとは思っていない。いつも決断が速いので、考え込んでいる姿をあまり見たことがなかったのだ。
「「あんな、昨日、庭師頭っちゅうお人が支部に来たんよ。ウチらを訪ねて」」
庭師頭と聞かされても優菜は覚えがないが、鷹取家絡みの人だと検討をつける。
「なにしに?」
「「スカウトに」」
支部長室の応接セットで、庭師頭は先日の戦闘で双子がした助太刀を感謝したあと、切り出したのだ。
『庭師にならないか? いや、ぜひお願いしたい』
他の受験者の手前、試験は受けねばならないが、
『君たちなら、筆記はともかく、実技も面接も、まあ、決められた時刻を守れるかどうかを見るだけだね。鷹取家の仕事は理解してるから、そこの説明も省けるし』
という誘いを受けて、考え込んでいるのだという。
「ふーん、即答はしなかったんだ」
優菜の感想に、真紀はうなずいた。
「二つ返事はできへんよ。るいちゃんや圭ちゃんの手前」
そう言えばあの2人も、庭師への就職を選択肢に入れてることを思い出す。
「それにな、ウチ、篠木君と約束してるんよ。一緒のところか、近いところに就職しよって」
美紀の顔はいたって真面目で、その分姉よりも悩みは深そうだ。しかし、スカウトを即拒否しなかったということは、
「就職、うまくいってないんだ」
「だから悩んでんの」
美紀はそう言って溜息をついたが、真紀は逆に感触のいい就職先があって、悩んでいるそうだ。
人文棟への坂を一緒に登る。残念ながら爽やかな時期は過ぎ去り、沿道の並木からこぼれてくる日差しは夏のものになりつつある。炎系の優菜にとってはまだ涼しいくらいだが、双子はうっすらと汗をかき始めた。
真紀がその汗をハンカチで拭いながら尋ねてきた。
「優菜ちゃんはどう?」
「あたしは民間が2つ内々定だけど、一応市役所の試験も受けるよ」
「「ええなぁ、有能な女は」」
「あんな試験で有能かどうか分かるかっつーの」
ふと、こういう会話ができなくなる日もそう遠くないのだと気がついた。それを口に出すと、意外にも双子は首をかしげた。
「せやろか? 『あおぞら』で会えるかもしれんし」
「まあ激減するよね、きっと」
というわけで。そう言って、双子に左右から腕を組まれた。
「「ま、さよならを言う日まで、仲良うしてや」」
「……ん」
さよなら、か。
ふいに、彼のことを思い出した。
次の日に彼女との約束があることを承知で、彼は敵に向かっていった。
分かってる。劣勢な味方を今日助けないと、明日はないことを。
でも、でも。
彼女を優先してほしかった。
だから翌日の電話は刺々しい糾弾になり、ひたすら謝る彼を一方的に断罪して、電話を切ってしまったのだ。
彼が心身ともに弱っているのを承知で。
(嫌な女だな、あたし……)
ここから、どうなるんだろう。
このまま、なのだろうか。
「なるようにしか、ならないよな」
そうつぶやいて、ぶら下がってくる双子をむしろ引っ張ろうと、優菜は登る足に力を込めた。
3.
ピンヒールの足音も高く、沙耶は長壁との待ち合わせ場所へ向かって,いそいそと歩いていた。
だがその輝かしい表情とは裏腹に、頭の中は弓子の予言で一杯だった。なぜならば、それが悔しくも的中してしまったのだから。
講師控室の前で偶然会った長壁からは、表情を作るのに失敗したのがありありと分かった。だからすぐに現われたあの柔らかい笑顔も作り物にしか見えなくて、沙耶の心を打ちのめした。
それでも、だからこそ、沙耶は自分にできる精一杯の笑顔で言ったのだ。
『お久しぶりです。長壁さん』と。
『お久しぶりですね。お元気でしたか?』
『ええ』
そのままどちらも言葉が出ず、講義室まで一緒に歩く。
そして、体感時間でまさにその時、彼はにこやかに言ったのだ。
『その服、お似合いですね』
経過時間が的中したこともそうだが、隼人とまったく変わり映えのしないコメントに、思わず言葉を失ってしまった。以前の彼は、もっと巧みな言葉選びで彼女の心を浮き立たせてくれたのに。
だがそんな失望も、彼の次の言葉で吹き飛ぶことになる。
『講義が終わったら、晩御飯でも一緒にどうですか?』
自分は今確実に、舞い上がっている。ついさっき沈んだだけに、まさにV字回復で。当然ながらその返答は、上ずったものになった。
『は、はい! じゃあ講義が終わったら』
自分こそオウム返しなのを気にせず、勢いに任せたのだ。
だが、そんな彼女の前に、予期せぬイベントが立ちはだかった。
とあるゼミ生の卒論テーマの検討が手付かずだったのだ。学生におずおずと指摘されて、もちろん『予定があるから』なんて冷たくあしらう彼女ではない。
それが存外に時間がかかってしまった。彼に連絡は入れてあるから、待っていてくれるはずなのだが。
そういえば、たずなが以前言っていた。
『男が最初に選ぶ店は、彼の意気込みと性格を示すものよ』
どんな所をチョイスしているのだろう。いい店だといいな。
ふと立ち止まって、辺りを見回す。尾行はいないな。そういえば、琴音も鈴香も今日はいないんだった。
自宅に連絡した時、『外で食べてきます』としか伝えなかった。ゆえに、上空に無人機も無し――
彼女の鋭敏な感覚は、その時異変を感知した。ついさっき通り過ぎてきた竹林に。
「妖魔? なぜ?」
大学には結界が施してあるはず。それが破られたというのか。
「栗林の残党か? こんな時に……」
呼び出そうとして、あの2人がいないことをまた思い出した。
手早く片付けようと走り、竹林に飛び込む。彼女は前線に出ず、他人を育成することを心掛けているが、今ここには彼女しかいないのだ。
中を進むまでもなく、いた。長爪が3体、金剛が4体。怯む数ではない。
密集した竹ごと突光で押しつぶすか、大月輪で撫で斬りにしようか。そう考えたが、さほど遠くない場所から人の声がするのを聞いて、考えを変えた。竹が切り倒されて人目を引くのは避けたい。
ゆえに接近戦を挑む。ピンヒールなど、何の不利にもならない。竹をよけながら、手近な敵から順に斬り捨てていく。射線が通れば月輪を放ち、1分とかからず最後の金剛を仕留めた。
断末魔の叫びに心臓が跳ねる。外に聞こえてなければいいんだけど。
だがその時、彼女は鷹取の巫女として当然の事実を失念していた。
疫病神の工作により妖魔に興味が持てないヒトは、そもそもこの界隈には近づかない。体が無意識に避けると言っていい。
それは逆に言えば、工作が効かないヒトは、好奇心もしくは関心があれば、ここに近づき、踏み込んでくるということである。
そう、例えば沙耶の背後から聞こえる笹を踏む足音のように。
「沙耶さん……」
振り返って見た長壁の顔を、彼女は一生忘れないだろう。
彼女の名を呼んだきり沈黙した彼の視線が、妖魔の死骸と彼女の身体――妖魔の返り血が飛び散った――のあいだを揺れていることに気付くのにしばらくかかり、その引きつった頬を見て、彼女の緊張は極限に達した。そしてそれはわななく唇を必死に制御して、勝負へと彼女を押し出したのだった。
「わたしの話を、聞いてもらえますか……?」
4.
陽子が浅間大学の裏山に立ち入るのは、むろん今日が初めてである。彼女は理佐ほどではないがホラー系お断りの人なのだし、そもそも他大学の裏山など訪問候補地には絶対に入らない。
ゆえに凌にお願いしてついてきてもらった裏山で、最初にむくれる優羽を発見することになった。といっても2泊3日の旅行からの帰り道で別れたばかりなので、新鮮味は皆無である。声が胡乱げになるのは当然と言える。
「どうしたの?」
「隼人先輩が冷たい」
また始まったのか。あんな男のどこがいいんだろう。鷹取家の祟り神の話は瞳魅から聞いたが、それを抜きにしても、彼にまったく魅力を感じない。
その当人は変身して、月明かりの中でなにやら琴音と話し込んでいた。
「そう、もう少し分厚い幕を一面に張る感じで」
「ふむふむ。こう?」
エンデュミオール・ブラックが右手をゆっくり横に流すと、それに連れて幅30センチほどの光の幕が展開され、すぐに消えた。
「んー、もう少し残留時間を増やさないと」
「ああ、これじゃ跳ね返しきる前に消えちゃうな」
その光景を見て、凌が手を叩いた。
「ああ、發布か」
鷹取の巫女が光弾などを相手に跳ね返す技だと説明された。
「あたしに訊いてくれればいいのにぃ」
「まあそう言わずに」
優羽を慰める凌があちらをちらりと見て、にやりと笑った。一瞬遅れて、陽子も悟る。
(なるほど、琴音さん、すっごい嬉しそうだな)
ブラックに教える声は、かつて聞いたことがないほど潤いに満ちているのだから。
「さ、わたしたちも訓練しよ」
凌に促され、一緒のタイミングで変身する。
「いいなぁいいなぁ、あたしも変身したい」
今度はこっちか。陽子――エンデュミオール・ブリランテは苦笑した。
「変身すればいいじゃない。有り余るお金を使って」
「それ変身じゃない! ただの衣装替えじゃん!」
そこに向こうから声が掛かった。琴音がこちらに向かって大きく手を振っている。
「優羽ちゃーん、ちょっと突光撃ってみてー」
「はぁい」
思っていた以上に素早いアンダースローが気合いとともに繰り出され――
「優羽ちゃん?」
「はぁい」
「どうしてわたしに向かって撃つのかなぁ?」
「あれ? 違うんですかぁ?」
凌――エンデュミオール・イツヒメがナイフを振る手を止めて、呆れ始めた。
「さすが、外さないね」
「ある意味ね」
「んで、すかさず琴音さんをかばうブラックと」
「そこもある意味外さないね……」
そのブレなさだけは感心できる。
今度こそブラックに向かって撃ち始めた優羽を横目に、精神を集中する。以前優菜に『眼をつぶっちゃダメだよ。敵がいるんだから』とアドバイスされたが、周りに注意しながらというのはなかなか難しい。
旋風系は、自ら空気を生み出すわけではない。だから、周囲の空気を動かすスキルを開発せねばならない。そのためには文字どおり空気を読む必要があるのだが、鋭敏な感覚が必要とされる。
その意味で、耳のいい自分は向いていると陽子は思う。近視も変身すればなくなるし。あるいは逆で、だからこそ旋風系になれたのかもしれないが。
湿った微風が右斜めから吹いてきている。風をつかみ、反時計回りに渦を巻かせる。加速させて――
「むー! ブラックから離れてください!」
「教えてるだけじゃない」
「いいえ、琴音様の周りが桃色に染まってます!」
(うるさいわね)
と思ったのがいけなかったのだろう。加速された風はブリランテの周囲を離れ、優羽の背後を襲った!
不意打ちに悲鳴を上げて前へと吹き飛ぶ親友を、唖然と見つめる。
「ごめん! ……いや訂正」
うん、別にいいや。なぜなら、ブラックがまたも機敏に動いて優羽を抱き留めてるから。
「汚らわしい……っ」
「なんで人助けをして罵詈雑言を浴びるんだ? 俺……」
優羽の跳ねるような歓喜の声と、どことなく仏頂面に見えなくもない琴音のつぶやきと、その両方に挟まれてやさぐれるブラック。堪えきれない様子で始まったイツヒメの爆笑も含むすべてが耳に入ってきて、
「余計な情報を遮断する訓練ってあるのかな……」
と悩みが増えたブリランテであった。
同じ頃、沙耶は自宅へと帰りついた。気力を振り絞る必要も無いくらい、足が勝手に前へ出る。
執事のあいさつにも上の空で応えて、のっそりと進む。
進まなきゃ。部屋に戻るために。
もう一度、あの時のように殻に閉じこもるために。
あらゆることを置き捨てにするんだ。沙耶の心を切り刻んだ現実を。
まるでその心の残骸から溢れ出た血が溜まったかのように、重い足。それでもようやく、部屋に到達した。勝手知ったる真っ暗な自室で、布団を敷く。
自分は今、能面のような顔になっているだろう。
そこに付いた眼は薄暗がりに慣れ、足下の白い空間を捉えた。
もう、だめだ。
沙耶は布団の上に倒れ付すと、むせび泣きを始めた。
鷹取家に降りしきる闇雨は、やがて光明からの激憤へと流転する。
悠刻のエンデュミオール Part.9 END
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
次が最終巻、かな?
さて、次回の公開は8月17日(金)を予定しています。作品は『わたしと兵殻外装してくださいッ!』です。久しぶりの(唯能の魔王を大人と捉えるならですが)大人主人公です。ラブコメ+チョイエロ+バトル物なので、どうなりますことやら。
では、またいずれ。




