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第1章 白い炎

1.


 エンデュミオール・ブラックの攻撃はかろうじて長爪を1体屠っただけで、包囲を破るには至らなかった。

 彼女は今、単身戦っている。背後にプリズム・ウォールを展開して。その中で青い顔をしているのは、鷹取沙耶。そして、彼女の所属するゼミの講師と、学生たち。学生たちも半ば以上は気を失い、他の者はそれを介抱する精神的な余裕など無く、お互いに抱きしめあって震えているのみであった。

 光壁の中で、講師である男――どうやら沙耶の意中の人らしい――だけは昂然と立ち続け、妖魔をにらみつけている。

  だが、それが一体何になるというのだろう。状況は危機的であった。

 なぜなら、いつもの妖魔だけでなく、普段は現れない強力な妖魔である緋角が2体も出現し、ブラックと光壁を攻め立てているのだから。

 緋角を呼び出したのは、中年の女。かつてブラックたちと交戦して死亡したと推定されている栗本の残党だろう。

 その女の眼は、もはや満身創痍のエンデュミオールなど見ていない。その背後の、鷹取家総領候補者をねめつけるのみ。

 その沙耶は戦えない。事情を知らぬ一般人の前で、鷹取の巫女としての力を振るうことはしたくないのだ。どうやら過去に辛い経験があるらしいことは、ブラックも察していた。

 そうだ、彼女を護らなきゃ。

 痛みをこらえて、ブラックはある覚悟を決めるために、敵の攻撃のあいだを縫って後ろを振り返った。彼女の、沙耶の瞳を見るために。

 さまざまな感情が揺れている。怒り、悲しみ、躊躇、動揺、そして、意中の人への迷いの視線。

(……やっぱ、戦えないか)

 最後にもう一度、鷹取家参謀部に増援の可能性を問う。答えはさっきと変わらず、到着時間未定だった。

「了解。なんとかします」

 そう短く送って、突っ込んできた金剛を渾身の力で蹴り飛ばした。敵は単発でしか攻めてこず、じわじわと包囲の輪を縮める戦術のようだ。恐怖と苦痛を長く味あわせようとしてるんだろう。

 よし。やるか。

 大きくため息をついて、覚悟を決める。そしてブラックは振り向かず、沙耶の名を呼んだ。

「今からすごい光と音が出ます。たぶん。目と耳を守ってください。ほかの人にも、そう伝えてください」

 ぶり返した苦痛に少しあえいでから、注意を続ける。

「それから、プリズム・ウォールも消えてしまいますから、身を守ってください。もし――」

 あ、いけね。あの男の人も聞いてるんだった。

 ブラックは言葉を濁して続けた。

「――残ってしまったら……その時は、お願いします」

 敵の女の顔色が変わった。感づかれたようだ。何が起こるのかまでは分からないだろうけど。

 だが、その時背後から聞こえた、いまだかつてない声色に驚いて、ブラックは思わず振り返ってしまった。

 沙耶の声は、いや瞳までも震えていたのだ。

「……なにをする気なの?」

 そのはかなげな姿に勇気を得て、ブラックは莞爾と笑った。

 あなたを、護ってみせるから。

「行きます」

 敵に向き直ったブラックは、胸の前で、硬く握り締めた手をクロスさせた。たちまち沸き起こる白水晶からの光は、形を変えて全身を包み込む。

 神々しき、白い炎に。

 女が何事か叫んでる。俺を押し包もうとしているのだろう。

 無駄だ。でも、できるだけ近づかなきゃ。

 確実に、俺もろとも全ての敵を吹き飛ばすために。

 ブラックは雄叫びを上げると腕を回して開き、女目がけて突進した。


2.


 エンデュミオール・トゥオーノは屋根伝いに跳躍を繰り返し、現場へと急いでいた。

 バイト先をやっと開放されたのが20分ほど前。悪いことに、変身をするための適当な場所が見つからず、ようやく10分前に跳躍を開始したのだ。

 ブラックが単身戦っていることは承知している。巫女たちの増援が遅れまくっていることも。

 そして、緋角という未遭遇の妖魔がいることも。

 嫌な予感が消えない。それは、端末から流れてくる琴音や鈴香の怒号で増幅されていた。

(やっぱり、あの噂は本当なんだ……)

 沙耶を快く思わない派閥があって、抹殺とまではいかないまでも、失脚を狙っているという噂。それは、巫女たちとの触れ合いの中で――他の支部からの情報でも――それとなく流れてきていた。

 権力闘争なんて、よそで勝手にやってればいい。トゥオーノ――祖父江祐希にとって、沙耶はさほど親しい友人というわけでもない。

 だが、仲間が巻き込まれているとあっては、それがいけすかないブラックであっても助けにいかねばならない。隼人がもし死んだら、祐希の周りの人々で錯乱する者が出てきかねないのだ。

「まったく、面倒なんだから……」

 そうぼやいて、あと少しで目的地というところで、閃光が彼女の眼を射た。幸い雑居ビルの屋根に着地したところでバランスを崩さずに済んだが、視力を回復するためうずくまる。

 しばらくすると、爆発音が耳に届いた。

 慌てて立ち上がり、端末と見比べて、その方向を見定める。間違いない、彼女が向かっている現場、星海丘陵公園の方角だ。

「隼人さん……まさか……!」

 トゥオーノはブラックの身に起きた凶事を直感し、ビルの屋根を蹴って直行した。


3.


 光壁が消滅して数瞬、衝撃波が来た。沙耶はブラックの指示どおり目と耳を塞いでいたが、衝撃波が来ることまでは想定していなかった。伏せていた身が一瞬で息が詰まり、地から離されて後ろに吹き飛ばされる。

 宙に浮いたわが身を省みず、周囲に眼を走らせた。同じように吹き飛ばされた者が多数いる。このままでは地面か、背後の切り立った岩に衝突してしまう。

 そこまで瞬時に考えて、もはや沙耶は迷わなかった。手を振って羽衣を作り出して広げ、膨らませる。展張はどうにか間に合い、皆をその柔らかさで受け止めることができた。

 羽衣をゆっくりと消してから、回復した荒い息を整える。そして跳ね起き、ブラックの言っていた『残り』に備えようとして、沙耶は茫然自失となってしまった。目の前の風景が一変してしまっていたのだ。

 妖魔たちはあるいは四散し、あるいは仰向けに倒れて動かない。緋角2体も同様だ。栗本の手先は見当たらない。

 程よく配置されていた、あるいは自然に生えていた潅木や植え込みは、全てとある一点を中心に薙ぎ倒されていた。そこここに突き出て、逃げる学生たちが足を取られていた岩も、どことなく削れてしまったように見える。

 それは、まさに大爆発の跡地であった。そしてそこにいるべき人を見つけられず、沙耶は足を踏み出した。

「ブラック……? ブラック? どこ? ブラック?!」

 知らず絶叫に近くなる自分の声に、誰も答えてくれない。嫌な予感が膨らみ始めた時、どこからか叫び声が聞こえてきた。

 きょろきょろと捜すまでもなく、それ・・は沙耶の3メートルほど前の空中に出現した。

「白水晶……?」

 沙耶のつぶやきに反応したかのように光り始めた白水晶。それに向かって、なにやら細かい粒子のようなものが集中していくのだ。

 叫び声はそこから聞こえ、粒子の塊が大きくなるにつれて、声もまた大きくなった。塊は球形ではなく、背が、肩と腰が、腕や脚が、どんどんできてゆき――隼人の形を為したところで終了した。

 どおっと音を立てて倒れる彼の肉体が発した音で我に返って、沙耶は駆け寄ると、その背中を揺すぶった。

「神谷君! 神谷君! しっかりして! 神谷君!」

 そこへ、短い悲鳴とともに、エンデュミオール・トゥオーノが来た。着地してまた悲鳴を上げたのは、倒れているのが隼人だからか、それとも彼が全裸だからか。

「さ、沙耶さん、これ一体……」

「説明は後よ。とりあえず救急車を――」

 その時、沙耶の左で動きがあった。見なくとも感覚で分かる。緋角の1体が立ち上がったのだ!

「ひ、緋角……」

 トゥオーノの怯えを関知せず、沙耶は沸騰した。薄赤い光の壁を作り出した右手で殴りかかり、緋角を瞬く間に圧殺して、

「ったく、この忙しいのに……!」

 スマホを取り出してレスキューコールをかける沙耶は、あえてある方向を向かなかった。

 彼女の想い人である長壁順次郎が、沙耶のほうを見ているかどうか、確認したくなかったから。

 今はそれどころじゃない。そう、自分に言いわけをして。


4.


「自爆した?!」

 ここは沙耶が理事長を勤める病院。『あおぞら』がいつも使う浅間会病院ではなくここを選んだのは、現場から近かったことと、なぜかそちらに隼人を送りたくないという意識が働いたからだ。なぜなのかは、あれから2時間立った今も分からないのだが。

 今の素っ頓狂な叫び声を上げたのは、隼人のボランティア仲間である田所優菜と光明寺るい。ゼミ旅行帰りの駅から駆けつけてきた彼女たちは、その荷物を持ったままだった。

「ええ……おそらく、インフィニット・ダイナマイトだと思うわ」

 その手の知識がない優菜とるいに説明してやる。

 エストレインフィニティの持ち技の一つで、我が身を爆発させて敵を粉砕し、インフィニティブレスの力で身体を復元するのだと。

「そっか、隼人君の場合は白水晶で復元したんだ」

「あいつ、そんな技まで……」

 不意に、胸が苦しくなる。

 わたしが戦えば済んだ話なのに。

 長壁や学生の目を気にして、それを彼は承知していて。

 あんな、あんな笑顔で……

 沙耶の苦しみをよそに、ふと、るいが手を叩いた。

「つーかさ、戦闘不能になっちゃうけど、サイキョーじゃね? 元に戻れるんだし」

「だからってお前、爆発できるか毎回?」

 たしなめた優菜に水を向けられて、沙耶も口を添えた。胸の中に暗い影が宿り始めるのを感じながら。

「それに、寿命が縮むっていう設定なんだけど……」

 聞いて目を見交わす2人は、引きつった笑いを見せた。

「ま、まさか、ねぇ」

「いくらなんでもそこまでコピーは……」

 それきり押し黙ってしまった2人と一緒に、沙耶も隼人が眠る病室の壁を見つめ続けるしかなかった。



 翌朝。なんとなく早起きしてしまって、沙耶は病院を再訪した。昨日の騒ぎでゼミが休講になってしまって、暇ができたこともある。

 でも、隼人の安否が気になったことは確かだ。

 夢にまで、あの笑顔が出てきたのだから。

 エンデュミオールが体力切れを起こすと、体力の回復と引き換えに多大な倦怠感が引き起こされるという。恐らく彼は、半日くらい寝たきりだろう。

 だから、ちょっと顔を見せて、すぐに帰ろう――

「いいかげんにしてください!」

「それはこっちの台詞です! 俺は行かなきゃいけないんです!」

「……なにやってるの?」

 沙耶の心配を吹き飛ばす光景が、彼が入院している病棟の廊下で繰り広げられていた。

 顔色の悪い隼人に、看護師が3人とりついて押し引きしているのだ。どうも病室に戻そうとしているようで、

「あ! 理事長! この人に言ってやってくださいよ!」

 バイトに行こうとして見つかった彼は、強行突破を試みたらしい。

「お願いです! 行かせてください! 遅れるとヤバイんですよあのバイト!」

「だめです! まだ回復してないじゃないですか!」

 えーと、これは、

「と、とりあえず、そのバイト先に電話してみたら?」

 結果は、隼人の涙目であった。

「あのー、服も何もかも、全部吹き飛んじゃったんですけど……」

 とたんに彼の全裸姿を思い出して、思わず赤顔を背けてしまった。

 震える手で自分のスマホを差し出す。

「こ、これ使っていいから……」

 隼人は素早かった。ちゃんと電話番号を覚えていたのだろう、画面を高速でタップして、せわしなく耳に当てる。二言三言、通話先と会話して……がっくり崩れ折れてしまった。

「だ、大丈夫?」

「ええ……これからもう来なくていいって言われましたよ……」

「あ、そ、そう……」

 ずいぶんと横暴なバイト先だな。ちょっと哀れみを催したが、3秒後に取り消すことになる。

 隼人ががばっと立ち上がり、もう少しだけスマホを使わせてほしいと願い出てきたのだ。

「何に使うの?」

「せっかく時間が空いたんで、単発バイトを――「だめです!」

 そこから始まった、隼人と看護師の押し問答は長く続かなかった。彼が突然ぐらついて、壁にもたれかかってしまったのだ。

「ほら、病室に戻りましょう」

「いやいや、大丈夫ですから。バイトしないと飯代が無いんで」

 もう見ていられない。沙耶は思わず彼の腕を取ると、青い顔を真っ直ぐ見すえて宣言した。

「ウチの会社でバイトさせてあげるから、今日は寝なさい」



 ようやく大人しくなって、隼人は病室に戻った。ベッドにも素直に横になる彼の脇で、沙耶は顔を曇らせざるをえない心境に浸っていた。

 会社でのバイトはちゃんとあるのだから、心配はそこじゃない。そこまでせねばならない彼の境遇に心を痛めていたのだ。

 もう一つ。何が彼を昨夜のような行動に走らせたのか。それも気になっていた。

 そんなことを思いながら見つめる彼の顔は天井に向けられていて、その表情から考えはうかがい知れない。

 よし、訊いてみよう。沙耶が口を開きかけた時、訪問者がやって来た。

「おはよう、隼人君」

 理佐だった。病室に沙耶がいることにぎょっとして、ぺこりと頭を下げて。沙耶が答礼しているあいだにベッドを回りこんだ彼女は、持ってきた紙袋をすっと差し出した。

「これ着替え。全部吹き飛んじゃったんでしょ?」

「おー悪いね。サンキュー」

(……ちょっと待って。どうして理佐ちゃんが神谷君の着替えを持ってくるの?)

 笑顔で紙袋を受け取った隼人は、また手を差し出した。

「なに?」

「カギも返してよ。吹き飛んじゃったから」

「あ、そっか」

 モトカレからモトカノへ返されるカギを、沙耶は呆然と見つめた。

(合鍵返してなかったのか……)

 つまり、今の今まで請求してなかったのか、この人。

(意外とズボラなのね……)

 そして、沙耶の反対側にストンと座り込んだ理佐は、沙耶の訊きたいことも代弁してくれた。

「なんで自爆なんかしたのよ?」

 答える隼人の口調は、よどみのない確固としたものだった。

「俺しか戦えるのがいない。増援も来ない。沙耶さんを護らなきゃいけない。なら、敵を一気に吹き飛ばすしかないだろ?」

 三つ目の理由に、心臓が跳ねた。苦しい息のまま、

「け、結論が飛躍しすぎじゃない?」

「沙耶さんが言うことじゃありません」

 正面切って向き合う形となった理佐の視線と言葉が沙耶を射る。

「戦えなかったのよ……でもそれは、反省してるわ」

「そうだよ理佐ちゃん、できないことを無茶言うなよ」

 隼人がやおら起き上がり加勢してくれた後、なぜか口ごもった。

「あの……それで、無事だったんですか?」

「え?! ええ、わたしはなんともないわ」

 首を振った彼は、さらに口ごもった後、

「……その、学生さんとか……あの男の人とか」

 ああ、長壁さんのことか。全員軽傷で済んだこと、しかし大事をとって病院で精密検査を受けていることを話した。

「男の人……ああもしかして」

 理佐の顔がにやりと歪む。

「沙耶さんと格別お親しいっていう、例の人ですね?」

 どうして彼女はそんな持って回ったような言い方をするのだろう?

 沙耶が反駁するよりも、理佐が畳み掛けるよりも、隼人の質問のほうが早かった。

「それで、スキルの威力はどうでした?」

 緋角1体以外は壊滅していたと説明したが、彼の表情は晴れない。眉根を寄せて、うなだれてしまった。

「だいたい、一般人を適当な所に避難させればよかったじゃないでですか」

「後知恵でしゃべらないで。そもそもそんな都合の良い場所なかったわよ」

「ああ、彼に夢中で余裕がなかったと」

「彼じゃないわよ。どうせ後知恵で言うなら、『私がいればこんなことには』とでも言ってなさいよ」

 理佐はにんまりと笑った。むかつく笑顔だ。

「本当ですね。わたしがいれば、隼人君に自爆なんてさせなかったわ」

(そういえば、帰省してるんだっけ。教育実習……だったわね)

 だが黙って聞いている気は毛頭無い。沙耶の口調も自然に激しくなった。

「わたしだって、みんながいなければ一瞬で済んだわよ。神谷君が助けに来る間もなく」

「護ってもらってその言い草。財閥のお嬢様は違いますね」

「現場に来すらしなかったのにその言い草。長くやってるだけのザコ専は言うことが違うわね」

 その時、隼人がぽつりと漏らした。

「そうだ、うん」

(……わたしがお高くとまってるって言うの?)

 理佐も自分への悪口に同意されたと見なしたのだろう。目を怒らせた。きっと自分も同じ表情をしていると確信する。

 だが、隼人は左右の女たちなど気にも留めていない様子だ。それは次に吐いた台詞で明らかとなった。

「やっぱ寿命と引き換えに火力を増やそう」

「「なんでそうなるの!!」」

 思わず繰り出した右フックは、狙い過たず隼人の左テンプルを捉えた。ほぼ同時に繰り出した理佐の左フックは右を強打し、隼人の頭を挟み撃ちする格好になってしまった。

 その姿勢のまま、理佐とにらみ合う。

「ちょっと! なんで神谷君を殴るのよ?」

「そりゃあ心配してですよ。わたしは彼女ですから」

「モトでしょ? 島 崎 さん」

 彼女のこめかみの青筋とともに、隼人の頭蓋がミシミシ言い始める。

「沙耶さんこそ、なんで隼人君を殴るんですか?」

「わ、わたしはほら、助けてもらった者として心配で……」

「助けてもらって殴る。へー」

 もう我慢できない。挽き肉にしてやる……!

 まなじりを決して立ち上がる。理佐も少し遅れて立ち上がる。その結果は、挟み撃ちから逃れて仰向けにベッドに倒れこんだ――

「わ! 神谷君?!」

「ちょ、ちょっと! 白目剥いてるじゃない!」

「あなたが殴るからよ!」

「あんただ怪力女!」

 結局、彼はその後の処置が長引いて、もう一泊となってしまったのであった。


5.


 翌朝、身支度を整えた隼人は両のこめかみを軽く押さえた。

「はー、ひどい目にあった……」

 おかげで午前中の単発バイトはまたドタキャンとなってしまった。今度はバイト代行業(?)の天城に連絡して代行してもらえそうだが、

「これ以上バイトが減ると、マジで飯代がヤバイな」

 そういう意味では、三食きちんと出る入院のほうが……やっぱよくないよな。金かかるし。

「さて、帰るか……ん?」

 病室の戸が控え目にノックされた。入ってきたのは、

「あ、沙耶さん。おはようございます」

 ぼそぼそとあいさつを返して、沙耶はなにやらモジモジしている。やがて頬の赤らんだ顔を上げると、

「あ、あのね」

「はい」

「昨日、まともにお話しできなかったから。その、助けてくれてありがとう」

 どういたしましてと微笑むと、ますます頬の赤みが増した。

「そ、それでね、神谷君、身の回りの物が全部吹き飛んじゃったでしょ?」

「ええ、まあ」

「だから、その……わ、わたしが全部、お金を出してあげようと思って。お礼代わりに……」

 隼人は驚いて、でもすぐ笑顔を作った。

「お構いなく、って言いたいすけど、ありがたいです。ゴチになります」

 言い草が面白かったのか、頬の赤みが無くなった代わりに笑顔が顔一面に広がった。やっぱりかわいいな、と素直に思う。

「えーと、まず携帯からかしら?」

「いや、免許証がないと本人確認ができないっすよ」

 というわけで、まずは警察署へと向かったのであった。

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