欲求の発祥
空が吸い込んだように浮かんで行ったその風船は私の胸元にそっと降りてきた。
遊園地で見るような、決してきらびやかでも、誕生日会で飾られるような派手なものでもなかった。
どこか懐かしい淡色の暖かい色。その色のせいか暖かくもあった。
初めて人を殺そうと思ったのは十歳のとき。
おそらくその年で人を殺そすことに頭をいっぱいにした人間はそういないと思う、し、実際に実行した人間もそう聞いた事がない。
もう二度とこんな苦痛を耐えるものかとそっと刃物を手にした。誰にもばれないように、誰にも気づかれないように細心の注意を払った。家を出ようとしたその時この行動は祖母によってたやすく阻まれた。自分でも気づいていないほどの殺気を隠しきれなかったのかもしれない。それほどにも学校をいう場所が嫌いだった。学校の中に居る人間、先生、生徒、「友達」といわれる者の存在。毎日毎日身体に受ける痛みと、周りの人間から受けるさすような目線。この大きな箱で何を学べというのか。私が学んだのは「やられたらやり返す。」「やらなきゃやられる。」だ。
祖母に阻まれたことによって助かった「友達」は私の祖母によって今もどこかで生きているのだろう。
この頃から私は殺意を宿しいきている。そいつらは幸せに暮らしているのだろうか。稼ぎもよくいい暮らしをしているのだろうか。考えてしまうと止まらなくなる。あの頃に殺していたらどうなっているのだろう。
「・・・助けて。」
それからはなんとなく中学生になり高校生になった。あまり普通の思考を持ち合わせてはいない子供だったかもしれない。同じ教室にいるやつらには四肢で体中に痛みを刻み込まれ、私を捨てた母親は、私の父親ではない、他の男を飼い馴らし私を同級生のそれとおなじことをさせた。
体だけででは済まず、体の内側、胸の辺りを握りつぶされる感覚まで植えつけさせた。
子供の自分にとっての大事なもの、大切にしていたもの、来るたびに壊され潰されていった。
「こいつらも・・・死んで、しまえばいい。」
年を重ねるたびに人を消したい気持ちがつよくなった。表の顔の私は本当の私ではない。笑ってる?それは作り上げた私だ。今まさに殺意を持っているだなんて誰も気づきはしないだろう。小学生の自分ではもうない、人前で居る自分を作ることはもうすでに覚えた。
こんな風になっている私を周りはどう見るだろう。本当の私を知ったらみんな離れていくのだろうか。
と思ってみたが、そんなことはどうでもいい。今目の前にいるやつらだってあの頃のやつらと変わらない。同じだ。
なぜ人は人を殺めてはいけないのだろうか。甚だ疑問である。この世に必要ない人間だっているはずだ。私の心を殺したやつらと同じように。
人は殺してはいけない、それは教えられずともわかっている。人を傷つけた、いや、傷つけようとしたやつでさえ両手首を二つの輪でつながれる。ニュースでその映像、音、ナレーション、目と耳からの情報で教わらなくてもいけないことだと漠然と思い、それに疑問も持たずに大人になる。たいていの人間がその過程を経てるだろう。
「全員ぶっころしたい・・・・殺したい、殺したい・・・助けてくれ・・・」