第二話:主従契約
ぶち抜いた洞窟の天井を抜けて、大空へと飛び立ったライムエルとノイン。しかし、どこに行けばいいのかわからないライムエルは、すぐさまノインに助言を求めた。
「それでノインよ。どの方角に向かえばよいかのう?久々に外に出たからか、この辺りも大分様変わりしておる。どこに行けばいいかさっぱりわからぬわ」
「ひとまず地上に降ろしてくれ……。話はそれからな……」
「ふむ、ならそこの山の中へ降り立つとしようか。目立つのもアレじゃしの」
ライムエルの配慮は正しい。こんなところにドラゴンが急に現れては、とてつもない騒ぎになるだろう。あまり注目を集めたくはないノインとしてはありがたいことだ。ただ、先程のブレスの時点で、もうこのライムエル山周辺は注目を集めていてもおかしくはない。ライムエル山はアルベールの街から近い。もしかすると、今の状況を誰かに見られている可能性もある。
「この状況、どうするかなぁ……」
「何の話じゃ?」
「いや、何でもない。それよりもゆっくり、慎重に降りてほしい」
「わかっておる。人はもろいからのう」
ノインの要望通り、ゆっくりと地上へと降りていくライムエル。一応は気遣ってくれているようで安心する。頭には鋭い爪が刺さっているが、生きていれば後で治療すればいいので問題は無い。
「大地を足で踏みしめるって……、こんなにも忝いことだったんだな……」
「人は簡単に飛べんのはわかるが、あの程度で大げさじゃのう」
治癒魔法で頭の傷の治療を行いつつ、涙を流すノイン。この数時間で様々な出来事に直面し、その緊張が一気に解けたのかもしれない。パニックを起こさなかった自身の胆力を褒めてやりたいくらいだ。色々あり過ぎて頭の中で処理が追いつかず、流されるままだった可能性も否めないが。何はともあれ、無事に外に出られることができた。今はそれだけで十分だ。
「いろいろと言いたいことも聞きたいこともあるけど……。ライムエル、あの生き埋めだった状況から助けてくれてありがとう」
「別に助けたつもりはないぞ?ワシはただ、美味い食べ物がある場所に連れて行ってほしかったから連れだしただけじゃし」
「それでも、俺一人じゃ無事に外に出られたとは限らないからな。理由はともあれ、感謝しているよ」
「あれくらい些細なことじゃ。気にせんでよい。それよりも、ライムと呼ぶことを許したのじゃ。そんな他人行儀にライムエルと呼ぶでない」
そういえばあの洞窟内で話しているときに、ライムと呼ぶように言われた気がする。このドラゴンに気に入られたのだろうか。友好的でいられるなら、それに越したことはない。
「わかった。そう呼ばせてもらうよ、ライム」
「うむ。それでは、先程のような美味い食べ物を食べに行こうではないか」
「あのサンドイッチ、そこまで言うほど美味かったか?俺が作ったから市販のものよりかは遥かに美味いとは思うが、潰れてたしなぁ」
「ほう!ノインよ、お主が作ったのか!!今まで食べた食べ物の中で一番美味かったぞ!!」
美味いと言ってくれるのはうれしいが、ぐちゃぐちゃにつぶれてしまったサンドイッチを提供したのは少しばかり不本意であった。本来ならふるまえるものではない。しかしながら、あれが今までで一番美味いというのなら、ライムエルはこれまで何を食べてきたのだろうか。とても気になる。
「ライム、普段はどんなものを食べているんだ?」
「ワシは別に食べんでも生きていけるからの。稀に襲い掛かってくる魔物を狩って、そのまま食らうくらいじゃったのう」
「そのままってことは生肉か……。魔物の肉には美味いものもあるが、美味いといっても肉は肉。流石に毎回そのまま食べるってのも飽きそうだな……。他には?」
「先ほどのサンドイッチとやらを食べるまでは、食すことにそれほど興味などなかったしのう。それまでは肉以外に食ろうたことはないな」
なんということだろうか。食べるということは、生きるといってもいいほどなのに。食べることに興味がなく、稀にしか食事をしないとは。このドラゴンはいったい何のために生きてきたのだろうか。
「マジか……。それは人生の十割損してるぞ」
「まあ、ワシはドラゴンじゃが、お主がそこまで言うくらいか……。しかし、人の短き生とは違い、ワシにはまだまだ時間はあるしのう。今までの分の遅れはこれから取り戻せばよかろうて」
潰れてしまったサンドイッチだったとはいえ、長年にわたり生きてきたドラゴンの価値観を変えるきっかけとなったのなら幸いだ。食の素晴らしさに気づかずに生きていくなんて、悲しすぎる。今回の出来事を機に、これからは食事を楽しんでほしいと思う。
「でも、今まで肉しか食べてこなかったのか……。だとすると、味覚が発達してないかもしれないな」
「む、そうなのかえ?もしそうであるのならば、何か支障があったりするのかの?」
「例えば、俺が美味いと思った料理が、ライムには美味いとは思えない可能性がある」
ノインは苦味や辛味、渋味といった味も、美味しいと感じられる。しかし、小さい子供だと苦味や辛味などの味は苦手であり、美味しいとは言わないだろう。その理由の一つが、”食経験”の少なさと言われている。〈食べたことのない味、食べなれない味〉=〈嫌い〉と頭が思ってしまうのだ。ライムエルも今まで肉しか食べたことがなく、”食経験”は少ないと言える。だからライムエルも子供と同じような味覚なのではと思ったのだ。
「まあ、本当にそうなのかはわからないけどな。ドラゴンだし」
「ぬぅ……。もしその場合、どうすればよいかの?一生、その美味さがわからないままなのか?」
「いや、味覚は鍛えられるから大丈夫。次第に美味しさがわかってくるから」
「ふむ、なるほどのう。にしても、ノインよ。お主、”食”に関して詳しそうだのう」
「まあ、そんじょそこらの人よりかは詳しいと思うぞ。俺の人生を豊かにするために必要だったから、いろいろと勉強したし。そのうち、自分で料理も作るようになったしな」
ノインは食へのこだわりが非常に強い。食事は基本的に毎日三回も行う。それを蔑ろにしていては、日々の人生も無駄にしているのではないだろうか。そう思い、ノインは食について勉強し、料理の腕前を磨いた。今では、そこいらの人には負ける気はしない。
「のう、ノインよ。ワシに”食”というものを一から教えてはくれんか?」
「うん?どういう意味?」
「お主が作ったサンドイッチとやらを食べて、美味いものを食べるということに興味を覚えたのはいい。しかし、ワシには”食”について知らないことが多すぎる。お主に教えを乞うのが、”食”というものを知り、そして楽しむことができるようになる近道じゃと思うてな。どうかワシの頼みをきいてはくれまいか」
まさか自分よりも長年生きているドラゴンに、教えを乞われるとは思わなかった。とはいえ、肉しか食べたことがないというのであれば、”食”においては経験に勝っているのは確かだろう。せっかく食べることに興味を持ったのだ。それを良い方向にもっていかなければ、再度食べるということの興味が薄れてしまうかもしれない。長い寿命を持つドラゴンだ。それなのに食事を楽しめないというのはもったいない。そして何より、ライムエルには恩がある。
「ライムには命を助けてもらったしな。俺なんかでよければ教えるよ」
「おお、本当か!感謝するぞ!!」
そういってライムエルはノインの胸元へと飛んでいき、自身の頭をそっと触れさせた。
「これで良し。ではノインよ、これからよろしく頼むぞ」
「えっ、今のはいったい……」
ノインは何か糸のようなものが体の中に入って来たように感じた。根拠はないが、その糸はノインとライムエルを繋いでいるような気がする。
「うん?ただ主従契約を結んだだけだろうに」
「…………はああああぁぁぁぁ!?」
「なんじゃ、そんなに驚いて」
「なんで主従契約が結ばれてるんだよ!?俺、特に何もしてなかったよな!?」
魔物と主従契約を結び、従魔として使役する者をテイマーという。テイマーになるためには、対象の魔物に自身の力を認めさせ、契約の呪文を唱えなければならないとされている。特にそんなことをしていないノインが、ライムエルと主従契約を結べるとは到底思えない。
「何をいっておる。お主、ワシに”食”について教えてくれると言っただろう?それを対価にワシが従ってもよいと思ったのじゃから、お互い契約には納得しておるということじゃ。その状態で触れ合えば契約が成されるのは普通じゃろうに」
「えっ、契約の呪文とかいらないの?今の初耳なんだけど」
「主従契約の仕方にもいろいろあるのではないのかの?ワシは今やったやり方しか知らんが」
「ちなみに、今の契約の解除方法は?」
「なんじゃ、お主。契約の解除方法を知りたいということは、先程の言葉は嘘じゃったということか?」
急にライムエルから強大なプレッシャーを感じる。どうやら周囲に威圧を放っているようだ。こうやって人語を会してコミュニケーションを取れるから忘れていたのかもしれないが、彼女はれっきとしたドラゴン。俺のことを殺そうと思えば簡単にできるだろう。ちゃんと誤解を解いておかなければまずい。
「滅相もない。ただ、わざわざ主従契約を結ばなくても、俺はちゃんと教えるつもりだったからな。わざわざ俺になんて従う必要なかったんじゃないかと思って、解除方法を聞いたんだよ」
「ふむ、そうじゃったか。じゃが一度結んだ契約は、契約の内容が果たされぬ限りは解除できぬ」
そういうとライムエルから放たれていたプレッシャーが霧散した。彼女の機嫌を損ねたり、怒らせたりする言動はしないようにしよう。
それにしても、特に問題はないとは思うけど、契約の解除はできないということか。
「”食”について教えてくれるということは、今後はお主がワシの食事を用意してくれるということじゃしな。そこまで世話になるからには、ワシの力が必要になった場合に力を貸さねばならぬ。と思うて主従契約を結んだのじゃが」
「ん?食事の用意……?」
「どうかしたのか?」
何かお互いの認識がずれているような気がする。またライムエルから威圧が放たれるかもしれないが、ここはしっかりと確認しないといけないだろう。
「俺は確かにライムに”食”について教えるつもりだ。ただそれは、『こういった食材は苦い』とかいう感じで教えていくだけで、今後ライムの食事を用意するということではないと思ってたんだけど」
「何をいう。”食”を知るには食べることが一番ではないか?なら、ワシのために食事を用意するのは当然じゃろう?まあ、じゃからこそ主従契約を結んだという面もあるな。主が従魔の世話をするのは普通のことじゃろうからの」
確かにテイマーは従魔の世話をするのが当然だろう。ならば、契約の内容はどうあれ、テイマーとして主は従魔に食事を用意しなくてはならないのは当たり前のこととも言える。
そういえば主従契約を結ぶ際、ノインは特に何もしなかった。ということは、ライムエル主体で結ばれたと言っても過言ではない。つまり、ライムエルの考えで契約が結ばれたのではなかろうか。であれば、ライムエルの言う契約内容が正しいといえる。
「あと、主従契約を結ぶ前に、契約期間の話とかはしていなかった思うんだけど……」
「期限を決めていない場合は、その契約の内容が完了されるまでずっと続くぞ」
「つまり?」
「今回の場合、内容的に契約が完了するということがないじゃろう。ということは、契約が維持できなくなるまで続くのじゃ。簡単に言えば、どちらかが死ぬまで契約は続くということじゃな」
どうやらノインは、死ぬまでライムエルの食事の世話をする契約を結んでしまったみたいだ。知らなかったと言っても手遅れだろう。なにせ契約は結ばれ、解除する方法もないのだから。
「……少し気になったんだけど、契約って言うからにはその内容に反した場合はどうなるんだ?もちろん、俺はライムとの約束を反故するつもりはないが」
「契約はお互いの魂に繋がるもの。その度合いにもよるじゃろうが、軽くて体のどこかに痛みが走ったり、動かなくなる。最悪は死ぬじゃろうな」
「……OH」
俺の人生、死ぬまでライムエルに食事の世話をするか、食事の世話を辞めて死ぬかの二択のようだ。