第十話:屋台通り
ノインはライムエルを頭に乗せ、屋台通りへと向かう。屋台通りとは、屋台が道にずらっと並ぶ通りの通称である。様々な屋台が出ており、食べ歩きをするにはもってこいの場所だ。
猫舞亭から屋台通りまではおおよそ三十分ほど歩けば着く。まだお昼を知らせる鐘も鳴っていない。向こうに着く頃には良い時間になっているはずだろう。散歩がてらのんびり向かえばいい。
『そういえばノインよ。その屋台とやらの料理で異時空間収納を試すと言っていたが、それはまずいのではないのか?』
『うん、どうしてだ?』
急にライムエルがそんなことを言い出した。屋台の料理はその場で調理しているものが多く、熱々の料理を振る舞ってくれるため、異時空間収納のテストに適しているはずだが。
『人の間では、時空魔法は遺失魔法と言われているのであろう。それをノインが使えることがわかれば、目立つのではないか?何かと目立ちたくないと言っているのに、それはまずかろう』
ノインは「あっ」と声を上げた。少し考えればわかることだ。時空魔法を習得して、少しテンションが上がっていたのかもしれない。こんな当たり前の問題点がすぐに浮かばないなんて。
今現在、時空魔法を使える人はノインただ一人のはずだ。知られれば、ノイン自身もライムエルと同様に研究対象になりかねない。厄介事に巻き込まれるのは確実だろう。
それよりも、商人からのプッシュが強いかもしれない。異時空間収納は、物の持ち運びにかなり便利な能力だからだ。例えば、海に面した街で新鮮な魚を大量に仕入れ、それを入れられるだけ異時空間の中に収納して魚が獲れない街で売れば、一攫千金も夢ではないだろう。
『舞い上がっていてそこまで考えが回らなかったな……。遅かれ早かれバレることになるとは思うが、できる限り知られたくないな。自由に動きにくくなるだろうし』
どうするべきか。人がいないところで、自分で料理を作って試すしかないだろうか。そんな考えをしていたノインだが、ライムエルから別の提案がされた。
『お主、何か袋などの入れ物は持っておらぬか?』
『うん?ああ、それくらいなら持ってきているが。何か考えがあるのか?』
懐に入る麻袋なら、大抵いつも持っている。何か良さそうな食材を見つけたら、すぐに購入するためだ。
『うむ。簡単なことじゃ。袋の中に、異時空間収納の入り口を作ってやればよい。そうすれば、外からは袋に物を入れたようにしか見えんからな。一度創れたのならば、今度は好きな場所に入り口を作れるじゃろう』
『おお、なるほど。そういう使い方をすればいいのか』
試しにノインは持っていた袋を取り出し、袋の中に異時空間の入り口を作ってみる。袋の中をのぞいてみると、黒い靄ができていた。どうやら、問題なく異時空間へと繋がる入り口ができたようだ。
『うん、大丈夫そうだ』
『それはなによりじゃ。ところで、さっきから何やらこちらの方をチラチラ見てくる者が多数いるのじゃが……』
『そりゃそうだろ。頭にドラゴンを乗せたやつがいたら、俺も絶対見る。二度見は確実だな』
ライムエルは多数の視線に晒されて、居心地が悪そうだ。こちらを見る人たちは、興味深そうに見るだけで、その場から逃げるといった行動は取らない。各所から町の人まで通知がいっているのか、それともライムエルにそこまで恐怖を感じることがないのかまではわからないが。
『まあ、頭に乗せてなくても、小さなドラゴンが近くにいれば誰だって見るだろうさ。街の人が慣れるまで、しばらくは我慢だな』
『そこまでワシが珍しいのか?』
ライムエルは自分が珍しい存在だという感覚はないようだ。しかし、その認識は間違っている。ある例外を除いて、人の領域にドラゴンがいるということが知れれば、大騒ぎだけでは済まない。すぐに国家レベルでの討伐軍があげられる。
なにせ、国を亡ぼすほどの力を持つ魔物だ。放置しておくことなどできない。最低でも追い払う必要がある。
だから、一般人がドラゴンを目にする機会など滅多にないのだ。そのドラゴンが目の前にいれば、誰しもが見てしまうのは当然だろう。
『ああ、珍しいな。その上、ドラゴンが従魔ときている。高ランクの魔物が従魔になるなんて滅多にないことだしな』
『ドラゴンが珍しいか……。昔はかなりの数が空を飛んでいたんだがのう』
『当時は恐ろしい世界だったんだな……』
ドラゴンが多数空を飛んでいる様子を思い浮かべ、身震いするノイン。一匹だけでも街や国を壊滅させる力を持つと言われる魔物だ。それが多数いたらどうなるのだろう。想像したくもない。
そうやってライムエルと念話で会話しながら歩いていると、どこからともなくいい匂いが鼻を刺激する。
『むう、先程からいい匂いがするのう。だんだんと近づいていっているようじゃ』
『もうすぐ屋台通りに着くからな。そこからの匂いがここまで届いているんだろう』
話をしながら歩いているうちに、屋台通りの近くまで来たようだ。肉が焼ける香ばしい匂いがここまで漂ってくる。ノインの食欲を刺激するには十分すぎる。今朝は遅めの朝食だったが、既にお腹は空腹の悲鳴を上げている。
『うむうむ。この匂いは食べたくなる気持ちが湧き出てくるのう』
ライムエルもこの匂いにやられたようだ。早くこの匂いのもとである料理が食べたいという気持ちが伝わってくる。
『匂いも食事を楽しむ要素の一つだからな。食欲を刺激されるのは当然だ』
『ほう!じゃが言われてみれば確かにそうかもしれぬな。今朝のソーセージもそうであった。匂いで食事を楽しむか……』
ライムエルは感じ入った様子で考え込んでしまった。自分なりに何か解釈しようとしているのだろうか。ノインはライムエルが少しずつ”食”というものを理解していっているように思えた。これならば、時間をかけずとも、食を様々な方向から楽しめるようになるだろう。
そろそろ屋台通りが見えてくるだろうか、というところで、カランカランと鐘の音が四回鳴らされた。どうやら十二時になったみたいだ。
『む?何じゃ今の音は』
『十二時を知らせる鐘の音だな。ちょっと急ごうか。今の音は、街で仕事をしている人たちへの昼休憩を知らせるものでもある。休憩に入った人たちが、屋台通りに押し掛けてくるかもしれない』
人が多くなれば、その分料理を提供する時間も遅くなる。ノインはそれに巻き込まれないよう、急いで屋台通りへと入った。
道の端にいくつもの屋台が並んでいる。ここに並ぶ屋台すべてが、何かしらの料理を提供しているのだ。どこで料理を頼もうか目移りしてしまう。
屋台では持ち運びのできるような手軽な料理を出している店が多い。というのも、近くには井戸もなければ飲食スペースもない。器に盛るような料理を出すのはそういった理由で難しいのだ。
稀にスープのような器がなければ提供できない料理を出す店もあるが、その場合は器は持ち込みか、もしくは器ごと料理を買う必要がある。
『うむぅ!こんなにも料理を出す店があるのでは、どこの料理を食べればよいかわからぬな!』
『何か食べたいものは……。って言っても、何がどんな味なのかもわからないよな。適当に見繕って食べるか』
ノインはまず、串焼き肉を出す屋台へと足を向けた。先程から辺りを漂う香ばしい匂いを嗅げば、食べたくなるのも当然だろう。
「おっちゃん、串焼き二つね」
「あいよ!」
近くにあった串焼き肉の屋台で二本注文するノイン。屋台の店主は慣れた手つきで火にかけていた串焼き肉を二本取る。
「ちなみに、ここで使ってる肉は何かな?」
「うちで使ってんのはオークだな」
オークはメジャーな魔物である。放置しておけば人の集落を襲うこともあるので、定期的に人の手によって狩られる。そのため、肉は市井に十分供給され、いつでもどこでも食べられる肉と言っていい。しかし、オークの肉はそこまでランクの高い肉ではない。どの部位も硬く、その噛み応えのある肉質は、人によって好みがわかれるだろう。
「ほらよ、銅貨二枚だ」
ノインは銅貨二枚と交換で串焼き肉を二本貰う。そのうちの一本を、頭の上にいるライムエルへと手渡した。
「それじゃ、食べるとするか。ここのはシンプルに塩焼きかな」
手に持つ串焼き肉にはソースはかかっていない。しかし、肉自体の味を味わうなら、ソースは余計な雑味になることもある。それに当たり外れも大きい。最初の一本を楽しむなら、これはこれでアリだと言えよう。
『オークとはあの人に似た亜人種の魔物か……。昔、噛み殺した際にその肉を食ろうたことがあるが、まったく美味いとは思わなかったぞ?』
『まあ、黙って食ってみろ。話はそれからだ』
ノインは串焼き肉にかぶりつく。熱々の肉を噛むたびにあふれ出る脂が舌を刺激する。どうして肉の脂というのはこうも美味く感じるのか。ここの店で出す肉は丁寧な処理をされているのか、臭みもない。どうりで塩だけで出せるはずだ。いくらでも口の中で噛んでいられる。肉の弾力が心地よい。
『むぅ!これがオークの肉じゃと!?』
恐る恐る串焼きの肉を一切れ口に入れたライムエルが、念話で驚愕の声を上げる。
『前に食べた物と全く違うと言っていい。これは本当にオークの肉か!?』
ライムエルは持っている串焼き肉の残りを一気に食らう。どうやらお気に召したようだ。ノインからは顔は見えないが、喜んでいる雰囲気が伝わってくる。
「そいつが噂のドラゴンか……。危険性はないとの御触れだったが、確かにそうやって美味そうに串焼き肉を食ってる姿を見りゃ、信じられるかもな」
店先で串焼き肉を受け取ってそのまま食べていたからか、屋台の店主が声をかけてきた。
「まさかうちの店の料理をドラゴンが食うとは思いもしなかったが……。気に入ったんならもう一本食うか?」
「きゅ?きゅー!」
そういって屋台の店主はライムエルに串焼き肉をもう一本差し出す。ライムエルは嬉しそうに声を上げながら、屋台の店主から差し出された串焼き肉を受け取ると、そのまますぐにかぶりついた。
「あ~、勝手に受け取っちゃって……。おっちゃん、お代の銅貨一枚だ」
「なに、俺が勝手にあげたんだから金はいらねえよ。にしても、そこまで喜ばれるんならあげた甲斐があったってもんだ」
ガハハと笑う気の良い店主に礼を言い、ノインはその場を離れた。そのままそこにいると、さらに串焼き肉を渡される恐れがある。昨日の夕食の出来事を忘れてはいけない。
『う~む、オークの肉が美味いとは思わなんだ』
二本目の串焼き肉を平らげたライムエルが、念話でそう伝えてくる。
『おそらく、前に食べたというやつは血生臭かったんじゃないか?これはちゃんと食べるために処理をしているからそう感じるんだと思うぞ』
『食べるために処理か……。確かにそうかもしれぬな。ワシが以前食べたのは、生きたオークをかぶりついて、その肉をそのまま食ろうたようなものじゃしなあ……』
流石のノインも苦笑いする。それは決して食事のための行為ではない。敵を倒すついでに偶々口の中を通っただけだ。そんな肉が美味いわけがない。
『今の串焼き肉を食べたことで、下処理と調理の大事さがわかったんじゃないか?』
『うむ。きちんと食べるための準備をすることで、こうも味が変わるのじゃな。勉強になったぞ。具体的にどうすればいいのかまではわからぬが』
下処理といっても、素材によってその方法は多岐にわたる。それに口で説明しただけではイメージしづらいだろう。こういうのは実物を見ながらの方がわかりやすいものだ。具体的な方法は、また別の機会のお楽しみということにしておこう。
『それはそのうちな。今はそれよりも、他の料理を食べることだ』
『それもそうじゃ!次は何を食べるのじゃ?』
『そうだなあ……』
次は何を食べようかと、歩きながら辺りの屋台を見渡す。やはり昼食時のためか、どこの屋台も結構な数の人が並んでいる。
そうやって歩いていると、最近あまり見かけないものを売っている屋台を見つけた。
『お、珍しい。あれは茹でたトウモロコシか。今は時期じゃないはずだが、せっかくだし食べてみるか』
ノインは茹でたトウモロコシを売っている屋台へと向かう。近づくにつれ、蒸気に乗った甘い香りが漂ってくる。
「二本……、いや三本貰えるか?」
「へい、ありがとうございやす」
屋台の店主は、大鍋の中の熱湯で湯がかれたトウモロコシを一本一本取り出す。鍋から出されたトウモロコシの瑞々しい黄色の粒がノイン達の目に入った。
「三本で銅貨十五枚になりやす」
「高いな……」
いつもなら、トウモロコシ一本あたり銅貨三枚程度が相場のはず。そのため、ノインは思わず口に出てしまった。
「お客人は知らないかもしりやせんが、トウモロコシはこの辺りではとっくに時期が過ぎてやす。なので、このトウモロコシは別の街で手に入れた行商人から手に入れたものなんでやす。その分、値が張るということでして」
この辺りではトウモロコシの収穫時期はとっくに過ぎている。だが、気候の違う別の地域なら、まだ収穫時期であることもある。
時期でないものを手に入れようとしたら値が張るのも理解できる。ノインは納得しつつも、先程よりも大きな出費に渋々と代金を手渡し、トウモロコシを三本受け取った。
「ほらライム、一本持ってくれ」
ノインはその内の一本を頭の上のライムエルに渡す。もう一本は、麻袋に入れるふりをして異時空間収納の中に収納した。
『ふむ、これを異時空間収納に入れて試すのじゃな』
『ああ。ただ、これだと麻袋に膨らみがないから、入れるところを見た人にはおかしく見られるかもしれないな』
手早く麻袋を懐へと入れるノイン。できるだけ、人に見られないようにしないといけない。別の料理を入れるべきだったかと、今になって失敗に思うノインだった。
『その辺りは仕方なかろう。見たと言ってもこの店の主くらいじゃし、さっさとこの場を離れればいいだけではないか?』
『そうだな。さっさとこの場を離れようか』
屋台の店主に一声かけ、足早にそこから立ち去るノイン。ひとまずはこの屋台通りに来た目的を達成できただろう。あとは適当に食べ歩いて帰ればいい。ノインは歩きながら、手に持つトウモロコシを持ち上げた。
「よし、それじゃあ食べようか」
ノインはぎっしりと詰まった黄色の粒に噛みつく。一つ一つの粒から、トウモロコシ独特の甘みが口中に広がる。確かに甘いのだが、ノインは以前に食べた物よりも甘みが弱いように感じた。
遠くから運んできたせいか途中で鮮度が落ちてしまったのだろうか。それとも以前食べた物と種類が違うのか。まずいというわけではないが、その味を知っているノインを満足させるには至らない。ノインは残念に思いつつも、トウモロコシを食べ進めた。
バキィ!ボリボリ……。
なにやら頭の上からそんな音が聞こえてきた。周りの人たちが唖然とした様子でノインの頭の上を見ている。ノインは今聞こえてきた音と、周りの反応でライムエルが何をやったのか大体わかった。
『なあライム。このトウモロコシは周りについた黄色の粒の部分だけを食べる物なんだけど。中心部にある芯ごと食べてないか?』
『何故そんなことをするのじゃ?全部食べてしまえばよかろう?』
どうやらノインが想像していたことは正しかったようだ。ライムエルはトウモロコシの芯ごと、そのまま丸かじりしたのだ。これについては、確かに食べ方を言っていなかったノインが悪いかもしれない。
『芯の部分は硬いから食べないのが普通なんだ』
『ワシには硬いとは思えんがのう。そういう理由なら、食べられるのなら食べてもいいのではないか?』
確かに一理あるかもしれない。硬くて食べられないから、食べないのが普通であっただけである。なら、硬くても食べられるなら食べてもいいのかもしれない。
『まあ、ライムが食べられるのなら、それはそれでいいか……』
『じゃが、中心部の芯よりも、周りの粒の方が甘みは強いのう。全体的に味は悪くないが、そこまで美味いとも思えん、といったところかのう』
トウモロコシを丸ごと食べ終えたライムエル。その総評を聞くも、ノインには答えられない。なぜなら、ノインはトウモロコシの芯を食べたことはないのだから。
『別の街からこの街に運ばれてきたものだから、鮮度が落ちてたんだろう。また旬の時期に取れたてのものを食べるとしよう』
とりあえずノインは、トウモロコシの芯についての言及は避け、鮮度が悪かったのではないかとライムエルに伝える。
『鮮度……。時間が経つと味が落ちるということじゃな。では、今の味は覚えておいて、いずれ取れたてのものを食べた時と比べるとするかのう』
ライムエルは美味くないことに文句を言うでもなく、それを次の比較材料にしようとしているようだ。貪欲に”食”を学ぼうとしているのが見て取れる。こういう姿勢は、ノインにとってとても好ましい。
『まだまだ食べ足りないな。次の料理を食べに行こうか』
『うむ!次は何にするかのう』
次は何を食べようか。たくさんある屋台を見ながら悩むノインとライムエル。こうやって悩むのも食事の楽しみの一つだろう。一人と一匹は、正解のない問題にうんうんと唸りながら、屋台通りを進んでいくのだった。