崩れる世界
前回、あまりにもジルの扱いが悪かったので今度はジル回です。ちゃんと最初からこの予定でしたよ!
ジルは地下牢の床に寝転がり、何もない天井を眺めていた。もしあの女性が自分を有罪にしてアリスを見逃したら、もしアリスが自分から離れて一人で旅を続けるとしたら。彼女は本当に自由になれるのだろうか。そんなことをただひたすら考え続けたが、答えは出てこなかった。というより考えが進まなかった。ジルはそもそもアリスと別れることが考えられなかった。初めて同じ境遇の人間に出会った奇跡によって、自分の孤独さに、彼女と別れることの寂しさに気が付いたのだ。先ほどの強制連行で彼の目に浮かんだ涙は、別れることへの恐怖によってついに溢れ出した。
しかし世界は突然動き出す。
天井にひびが入り、瞬く間に開いた大きな穴から、滝のようにがれきが落ちてきたのだ。
兵士だったジルは、この城が何者かに襲われたのかと思った。地震でもないのに天井が崩れる原因といえば、それしか考えられなかった。
しかし異常だった。室内の色がすべて白黒に変わり始めたのだ。落ちてきた黄色がかった石材も、なぜ自分が寝転がるのに使わなかったかわからない簡易ベッドも、そのすべてから色が消え始めたのだ。
ジルにはまずこの現象が理解できなかった。しかし、ただ事ではないということだけはすぐにわかった。どちらにせよ、自分はこれからこのがれきに埋もれて死ぬのだと、そう確信した。
そんな時に思い出したのが、アリスの顔だった。
この世界で死ぬのなら、せめて彼女に別れを告げてから死にたいと、そう思った。
しかし、同時に思い出した彼女の言葉によって、ジルの脳裏にはわずかに希望が芽生えた。
『私の夢』
それは二度も聞いたはずの、忘れかけた言葉だった。十六歳の少女がたった一人で戦争に勝ち、玉座を奪い、馬の傷を癒したのだ。この状況で自分が生き残るくらい簡単なことだと、ジルは無意識に笑ってすらいた。
「……ありがとな、アリス」
覚悟を決めた男に、もはや逃げるという選択肢は存在しなかった。
◆◆◆
アリスは希望を見失った目で、ただ崩れた城の残骸を眺めていた。その両手には、ジルの銃剣本体と、その剣の部分が握られたままだった。この武器が本当に彼の遺品となってしまったのだと、アリスはついにあきらめた。
それでも、石畳の隙間からタンポポが芽生えるように、希望はがれきの下から現れる。
がれきの一部が鈍い音を立てて盛り上がったのだ。その音だけを捉えたアリスは、すかさずその方向に向かって走り出した。
がれきは再び鈍い音と共に、さらに盛り上がる。アリスは最後の望みを賭けて、盛り上がった部分を取り除き始めた。
下から突き上げる音はしだいに近くなり、ついに音の主が、がれきをかき分けて右手から現れた。
そしてその全身が地上に這い出た時、アリスは考える暇もなく、彼を抱きしめた。
「お、おうアリスか。無事だったんだな」
ジルは突然目に入った日光とアリスの行動に驚きながらも、彼女を優しく抱き返した。彼の頬には、まだ涙の跡が残っていた。
「ジルこそ! なんで生きてるのよ!」
自分耳の横でただ泣き叫ぶように聞くアリスの髪を、ジルは慣れない手つきでそっと撫でた。いい香りのする、美しい金髪だった。
「……そりゃまぁ、俺の夢だからな」
アリスがそれに答えることはなく、ただ彼女の泣き叫ぶ声だけが、二人しかいない国に響き渡った。
しばらくしてようやくアリスが泣き止むと、ジルはあらためて周囲を見た。
「何があったんだ?」
もはやただのがれきの山と化した国に、ジルは呆然とした。
やっとジルから離れたアリスは、まだわずかにおさまりきらない涙声で答える。
「この国が白雪姫の、さっきの女の人の夢だったの」
「そいつがどうかしたのか?」
そこから先は、アリスには答えられなかった。しかし、ただうつむいたまま銃剣を差し出されたジルには、彼女が何をしたのかすぐに理解できた。それでもアリスはごまかすように、しかし質問の答えに近い質問を返す。
「ねえ、もしこの世界で私達が死んだら、この世界はどうなっちゃうのかな?」
アリスにとってそれは、とても不安になる答えを伴っていたが、ジルの返答は簡単なものだった。
「なぁに、お前は死にゃしねぇよ。今だってこーして生きてんだろ」
「………そうね。余計な質問だったわ」
アリスはその本当の答えを考えるのをあきらめた。
そして、突然ジルが立ち上がる。
「さて、まずは俺らの馬を探さねぇとな。あいつら無事だといいんだけどな……」
二人はすべてが崩壊した無の国を、ゆっくりと歩き始めた。
「あちゃー、こいつぁ派手にやられちゃってんな」
二人が城に入ったと思わしき場所の近くには、二頭の馬ががれきの下敷きにこそなっていないものの、崩れた柱につながれたまま、全身に深い傷を負って横たわっていた。息はなく、心臓の鼓動も感じられない。二人の馬は城の崩壊におけるたった二頭の犠牲となったのだ。
死んでしまったものは、いくら夢の力をもってしても生き返らせることはできない。もしかしたらできるかもしれないが、二人の倫理観がそれを拒んだ。
「とりあえず、必要な物だけ持って行くぞ」
ジルは無残なその死体におびえることなく、穴の開いた袋の中から旅に必要な最低限の荷物だけを取り出し、別の無傷の袋に詰め込んでいく。
アリスはその様子を、ただ立って見ることしかできなかった。昨晩の獣の件でもそうだったが、ジルは生き物の命に対して無頓着な性格らしい。彼女にとってその男は、やはり不思議な人間に見えた。
「よし、さっさとここを出るぞ。日が沈まねぇうちに次の町を見つけようぜ」
「……うん」
ジルはできる限り明るく振舞ったつもりだったが、アリスの返事はそうでもなかった。
「ねえ、ジル」
「ん? どした」
町を出る道の途中、アリスはふと尋ねた。
「現実のジルって、普段何してるの?」
ジルはもしや白雪姫に何か吹き込まれたなと思ったが、しばらく考えてから、やはりここは本当のことを話すべきだと思い、口を開く。
「農家っつーか猟師っつーか、要するに自給自足だ」
「どうして?」
お前そこを聞くかよ、と言いそうになるのをぐっとこらえ、ジルはそうなるまでの過程を話し始めた。
「元々俺はばーちゃんと二人暮らしだった。両親は知らねぇうちに都会に消えたよ。そりゃまード田舎だったからな。動物がわんさか出るんだ。そんで俺が出かけて帰ってきたタイミングでばーちゃんが狼に食われてな。俺もここまでかーって思った時にたまたまだぜ、たまったま通りかかった猟師の兄ちゃんに助けられたんだ。そんでそいつに狩りのしかたとか教わってよ。まーそいつも一週間くらいで消えたんだけどな。それが俺が十二歳くらいの時の話だ。それからはずっと自給自足ってわけ」
大げさに身振り手振りをつけて話すジルを見て、アリスは少し笑顔を取り戻したが、それでも彼や白雪の過酷な経験から考えると、いかに自分が幸せであるかに気付き、なぜかそれが恥ずかしく思えてきた。
「そーいうお前はどーなんだよ」
不意に質問を返されアリスは少し驚いたが、彼女もまた真実を伝えた。
「あなたに比べたら結構いい生活だったわよ。両親がお金持ちで家には広い庭があって、お手伝いさんも何人も雇って、家庭教師はいらないと思うけど、今考えてみれば幸せだったのかもね」
アリスはどこか懐かしむように目を伏せた。
「ってことはお前、元の世界に戻りたいのか?」
「……わからない」
アリスには、どちらの世界が本当に幸せなのか、よくわからなかった。この旅を始めた時白の女王に言われた通り、彼女はまだこの世界をよく知らなかったからだ。
「俺はこのままがいいんだけどな」
「っ、どうして?」
アリスは一瞬返事に戸惑った。先ほど白雪に殺されかけた時、ジルの事を思い出していたからだ。そして何より、彼女はその命をジルに賭けてすらいた。
ジルもまた言い終わってから地下牢での考えごとを思い出したが、それは自分がこの世界に来た時の最初の思い出でかき消した。
「現実でな、右腕をやられたんだ」
アリスの顔が青ざめた。
「ばーちゃんが死んだ後、また襲われてな。そん時に肩を持ってかれたんだ。なんとか左手で撃ったから助かったけどな。だからこの世界に来て右手が動くって気付いた時、メチャクチャうれしかった。この世界でなら、何かやり直せるような気がしたんだ。まっ、そのせいで動物大嫌いになったんだけどな」
アリスは自分の恥ずかしさからか、ジルの悲惨な経験からか、涙をこらえきれなくなった。しかし、ジルはその顔を見ることができなかった。
「お前は、動物に優しいんだな」
おそらく昨日うっかり口にしてしまったダイナのことだろう。確かにアリスは家族の中でダイナを最も大切に思っていた。もし目が覚めたら、この世界での出来事を一番最初にダイナに伝えるつもりでいた。
「もう、それ以上言わないでよ……」
しかし思わずジルとは反対方向に目をそらしたアリスは、その視界にこの世界にいるはずのない者を見た。
「ダイナ……?」
美しい銀の毛並みに包まれた青い瞳が二人を見る。しかしその猫はすぐにがれきの陰へと消えてしまった。
「待って!」
アリスはすぐにそれを追った。
ダイナはロシアンブルーだと思う。小動物に好かれている気がする史郎アンリアルです。
こういうタイプの話って人対人というより、人対設定って感じがするんですよね。ある意味作者対設定だったり。
ところでもうこちらの世界ではクリスマスシーズンですね。雪とか降ったらロマンチックだなーとか考えたりしてます(積もることは考えていない)。