夢だから。
いよいよこの話がドリームウォーカーズとして、ドリームをウォーキング(?)します。前回の話はどちらかというと前日談みたいな感じでしたね。
果たしてアリスの「世界を知る」旅はどうなるのか、千里の道も一歩から。私の小説経験も一歩からです。まだ物語は始まったばかり、どんどん行きましょう!
白の軍拠点城門横の簡易通路。最後の昼食を終えた二人は馬車のない普通の馬に乗った。
「本当によいのですか? 本当なら隣国まで馬車を出す予定だったのですが」
白の女王が見守る中、馬の背中に荷物をくくりつけるジルを手伝いながら、兵士が心配そうに聞いた。
「いいんだ、あいつにはしばらく玉座から離れてほしいんでな。特に注文通り白馬にしなかったあたり、最高だな」
他国で目立たないよう用意された馬は、やや黒混じりの灰色の毛並みをしていた。ジルはその首を撫でながらふと後ろを見る。彼の視線の先、すでに準備を終えて、数人の上級兵士に別れを告げるアリスがこちらに気付いた。だが再び兵士の集団に戻り話を続ける。
「まあでも、アリス殿がご不満でなければ構いませんが」
「だからその殿付けで呼ぶのやめろよ。あいつは今日から一般人なんだぜ」
確かにアリスはその服装も先ほどまでとは違う、質素なものに変わっていた。それでもトレードマークなのか、ウサギの耳のようなカチューシャは外さなかった。
「いえいえ、彼女がどこに行っても我々にとっては救国の英雄なのですから」
「っあーもうわかった。勝手に呼んでろ」
ジルにとってアリスは平等、年齢的に見ればむしろ格下のような存在なのだが、白の軍にとってはそうでもないらしい。まったく義理堅い連中だと、ジルは満足げに息をついた。
「ジルー、もう準備できた?」
不意にアリスが振り返って大きく手を振る。ジルはそれに少し腹が立った。
「何だ、こっちはお前を待ってたんだよ」
ジルの横で、荷物のひもを結び終えた兵士が楽しそうに笑う。
そして、頃合いを見た女王がぽんと軽く手を合わせて切り出す。
「では、そろそろ出発としましょう。お二人とも、くれぐれもお体を大事に」
それを合図にアリスとジルが馬にまたがると、兵士たちの個性豊かな別れの挨拶を背に、二人は門をくぐった。アリスは一度だけ背後の声に振り返って応えたが、ジルはただ前だけを見据えて国を出た。
◆◆◆
第三の女王崩御のニュースは、白の女王や赤ずきん達によって瞬く間に国中に広まり、国は白の王国として変わり始めた。
しかし二人が立ち寄った国外の店では、その情報は今日の天気の次の次くらいの話題としてしか取り上げられず、つい数分前に店に入った少女が元第三の女王その人だと知る者はまずいなかった。
「はいよ、旅の方」
当然、酒とオレンジジュースのジョッキを差し出す店主もそれを知るはずがなく、料金と交換する手に愛想などは感じられなかった。
「……ジル、あなた大人だったのね」
ジルが受け取った発泡酒のジョッキを横目で眺めながら、アリスはつぶやいた。
「あぁ、今年で十九だけどな。多分」
アリスは驚いた。ジルが現実でどのような環境にいたのかは知らないが、少なからず荒れた生活をしていたのだろう。それなりに裕福な家庭で育ったアリスにとって、その程度のことは容易に想像できた。
「そーいうお前はどーなんだよ。まっ、俺より年下だろーけどな」
アリスが驚きで固まっている間に一口でジョッキの半分くらいを飲みきったジルが、豪快な音を立ててそれをカウンターに置き、質問を返した。
「十六歳よ」
「ふぅーん」
予想通りの返事だったのか、ジルの反応はいたって地味なものだった。アリスも何か求めていたわけではないが、つまらなそうに手元のオレンジジュースを眺める。そしてあらためて周囲を見た。
店内は薄暗く、いかにも酒場という雰囲気を醸し出していた。ジュースのおかげで酒臭さはある程度ごまかせるが、アリスにとってその環境は初めて感じる息苦しさを伴っていた。
ふとアリスは天井近くの小窓から外を見た。もう太陽がだいぶ傾いている。これが夢でなければ、きっと自分は部屋で勉強しながら夕飯の支度が整うのを待っていることだろう。この世界に来てからそう短くはない彼女だったが、なんとなしにそんなことを考えてしまった。他にも色々なことを思い出しそうになったが、それは次の質問でごまかした。
「ねえ、今私たちはどこに向かってるの?」
ジルに向き直ると、その手元のジョッキはすでに空になっていた。もしかしたら自分が長く考えすぎたのかもしれないが、アリスはジルに驚かされてばかりだ。彼女にとって少し年上のその男は、もはや不思議な存在として捉えられつつあった
「ん? ああ、考えてなかったな」
ジルははっと気が付いて髪をかき始めた。
「一人だったら野宿のつもりだったんだけど、さすがにそれじゃマズいよな?」
ごまかすように愛想笑いを浮かべるジルに、アリスはとうとう腹が立った。
「マズいに決まってるでしょ! あなたがどんな生活してきたかは知らないけど、レディを連れて野宿なんて考えられないわ!」
アリスは思わず立ち上がってしまった。
「おい、レディって……」
ジルは恥ずかしさとアリスがレディと呼べる年齢かという疑問に戸惑いながらも、両掌を向けて「まあまあ落ち着け」のサインを送った。が、もはや手遅れのようだ。テーブルにジョッキを配る店員を含めて、ほとんどの目線がカウンターの二人に集まってしまった。
「と、とりあえず座れ」
その一言で我に返ったアリスは、周囲からの注目に気付いたのか、静かに元の席に座って恥ずかしげにジュースを飲み始めた。
しかし、すでに酒の入った一部の客は、その場違いな少女の存在に引き寄せられた。一人の男性客が後ろからアリスに話しかける。
「おい嬢ちゃん、なかなかかわいいじゃねぇか」
ジルはとっさにアリスを守ろうとしたが、同時に現れた他の男に捕まってしまう。
「お前、ずいぶん若そうだな。あの嬢ちゃんは彼女か? どこで見つけたんだよあんないい女」
男たちはからかうようにジルを肘で突き、笑い始めた。このままだとアリスに危険が及ぶ可能性がある。そう判断したジルは、無計画に馬を進めて、この店に入ったことを後悔していた。そして男にすり寄られるアリスに伸ばそうとした手も、すぐに他の男に払われる。
「おっと、俺たちゃ何も悪いことは考えてねぇぜ。なんせ俺達の国にはもっと美人の姫様がいるからな! カーッハッハッハ!」
ジルは一瞬戸惑った。てっきりアリスに手を出されるものと思い込んでいたから、予想外の情報を見逃しかけた。すぐに男たちを振り払って立ち上がる。
「お前らの国だと? それはどこだ、こっから近いのか?」
それは相手にとっても予想外だったのか、酒に浮かれた顔はしばらく真顔になった。
「お、おう。この店から北に二、三時間だぜ」
一番近くで、というより男の腕の中でそれを聞いたアリスが真っ先に希望を見出した。
「本当? ジル、すぐに行くわよ!」
これまでになく明るい表情のアリスに対して、ジルの反応は微妙だった。
「ところで俺、明かり持ってないぞ……」
「えっ?」
アリスの表情から希望が消え、すぐに焦りの色が出始めた。
「ランタンは?」
「ない」
「マッチは?」
「ない」
「じゃあさっきまでジャラジャラ鳴ってたのは?」
「金と銃弾」
一通り一方的な会話を終えると、アリスは立ったまま、まだ半分以上残っているジュースを飲み干してジルの腕をつかんだ。
「すぐに行くわよ」
先ほどと言っていることは変わらないが、その声には怒りさえ感じられた。
「お、おいわかったから引っ張るな。あ、お前らありがとなー。だからお前は手を放せ!」
ジルは男達に礼を言いながら、アリスに引きずられるようにして店を出た。
客が二人減った酒場で、男たちは立ち尽くしたまま、互いに肘で突きあいながら話を続ける。
「おいお前、あいつ逃がしてよかったのかよ。俺には姫様よりも趣味だったんだけどなぁ」
「何言ってんだお前、そんなこと言ってると姫様に殺されるぞ」
「そ、そうだな。俺達の……」
「「白雪姫にな」」
◆◆◆
「ほら、早くして!」
「わかったからお前は俺の前を走るな。ぶつかるか迷子になるぞ」
もうほとんど日が沈んだ野道を、二人は馬に全速力を維持するよう指示しながら言い争っていた。
「どっちにしろ暗くなったら迷うんだから! それまでに町を見つけるわよ!」
「あーもうそれでいい。ただし見つかんなかったら野宿確定だからな!」
「そうならないために急いでるんでしょ!」
アリスは必死だった。明かりも用意しないような男にまともな野宿ができるはずがない。せめて明かりを買うためだけにでも、町を見つけなければならなかった。
だが、仕方ないことなのだが、その必死さがアリスに隙を作ることになってしまった。
「おい、ちゃんと前見て走れよ。そろそろ獣が出るぞ」
「こんな平原にそんなの堂々と出てこないわよ!」
「いや、奴らは平地に穴を掘ったりして……、っておい!」
アリスの馬が突然バランスを崩して倒れた。同時に乗っていたその軽い体はたやすく投げ出されてしまう。
「アリス!」
ジルは馬から飛び降り、倒れたまま動かないアリスに近づこうとする。しかしその近くにはおそらく獣が潜んでいたであろう穴が開いていた。しかも都合の悪いことに、周囲には走行を邪魔しない程度の雑草が生い茂り、足跡が見つからない。
「チッ、もうその渦中ってわけか……」
すかさず肩にかけていた銃剣を構えると、穴の方向から倒れた馬を中心に、対角線上を狙う。野生の動物は複雑な走行はできない。きっと横からすれ違いざまに傷を負わせ、弱ったところに戻ってくるのだろう。ならばその途中を撃てばいい。ジルは冷静だった。
しかし、その予想は大いに外れることになる。
ジルの狙った先にはすでに穴が掘ってあり、獣の姿はなかった。きっとその穴から再び現れるだろうと考えたが、彼の視界の隅、倒れたアリスの向こう側で土が盛り上がるのが目に入った。
ジルがそれに気付き、銃口を向けるよりも早く、獣は現れた。
「あの野郎、穴を伸ばしてやがったな……!」
狼よりもやや前足が発達したような未知の獣は、地上に這い出てゆっくりとアリスに近づく。
ここまでアリスが目を覚まさなかったのは幸いだった。きっとその体が起き上がっていたら、ジルはアリスを貫通させてでも獣を撃っていたかもしれない。発射した弾丸はアリスの髪をわずかにかすめ、獣の体を貫き、その命を一瞬で奪った。獣は口から激しく血を吐き、もがくことなくその場に倒れる。
しかし、その血がアリスの服に付着したのを見てしまったとき、ジルは「やっちまった」と思った。銃弾が獣の消化器官を傷つけたのだ。
「ん? あれ、私……、きゃあっ!」
ようやく目を覚ましたアリスは自分の服に染み込んだ血液と、そばに横たわる獣の体に思わず悲鳴を上げた。
「もしかして私……。ハッ、まだダイナにご飯あげてない将来の花婿候補見つけてない一度でいいからギョーザって食べ物食べたかった!」
「おいおい、おい」
一瞬の判断力で自分が獣に殺されたと思い込んだアリスは、つい色々と余計なことを口走ってしまった。それをジルが慌てて抑える。
「あれ、ジル? 私死んでる?」
「死んでからそんな質問するかよ普通。無傷だよ」
アリスの狂いっぷりにややあきれながらも、ジルは現状を一言で説明した。
「だが、これで野宿は決まったな」
自分の生存に安どのため息をついたアリスの顔が、再び絶望に変わった。一体ジルは今日何回この顔を見たのだろう。そう思うほどに、あの酒場から野宿関係のやり取りは繰り返されていた。
「で、でもあなた何も準備してないんじゃ……」
「明かりの事か? ああ、ありゃ嘘だ」
「えっ? ええぇっ?」
アリスが驚いている間に、ジルは自分の馬にくくりつけた袋から、手のひらサイズのランタンを取り出す。その中にはろうそくとマッチが大量に束ねてあった。
「あーいう風に言っとけばお前が本気で急いでくれると思ったんだが、結果としてはミスだったみたいだな」
ジルがアリスからその傍の馬に目線を移す。その体に力はなく、前足の付け根辺りにはえぐられるように噛みちぎられた痕が残っている。
アリスもそれを見て、しばらく血の気が引く思いをしたが、その恐怖はすぐに消えた。
「無事なら大丈夫よ。生きているなら、なんとかなるわ」
「お前なあ、無事って……」
自分の失敗を年下の少女にかばってもらうことに、ジルはこの上ないやるせなさを感じた。しかし次の瞬間、アリスの冗談のような発言が本当の事だと知ることになる。
「これは、私の夢だから」
アリスが馬の傷口に手を当てるとその部分が弱く光り、手を放すころには、馬の足は何事もなかったかのように完治していた。ほどなくして馬は力強く立ち上がる。
「……そうだな、忘れてた」
もしかしたら自分にもできたかもしれない魔法のような現象に、ジルはただ笑うことしかできなかった。
「だが、野宿は野宿だ。覚悟しろよ」
「……ちゃんとできるならいいわよ」
アリスはついにあきらめた。
予想よりも少し早く日は沈んだ。
先ほどの野道から少し離れた森。元は小さい集落だったようで複数の廃屋が見えるが、今は何か(獣以外の何かが)出そうなほどに静かだ。
ジルは家が崩れたものと思わしき木材の山を椅子代わりにして、焚き火を眺めていた。
「………寝ないのか?」
隣に座るアリスに、ぎりぎり届く程度の小声でジルがつぶやく。
「また、襲われるかもしれないから」
アリスも同じくらい小声だった。だがその理由はおそらく疲労によるものだろう。彼女は三秒ほど目を閉じれば、すぐに眠ってしまいそうなほどに疲れきっていた。
「心配すんな。さっきだって無傷だっただろ。それに俺は寝ない。隣にレディがいるからな」
「……それもそうね」
アリスが荷物から寝袋を取り出し、それにもぞもぞと入るのを見てから、ジルはふと思い出した。
「ところでお前、ダイナって誰だ?」
焚き火のせいかもしれないが、アリスの顔が少し赤くなったように見えた。彼女は寝袋に顔をうずめて答える。
「……家で飼ってる猫」
「そっか」
ジルの返事はさっぱりしていた。そもそも考えてみれば、ご飯あげてないという発言の時点で、何らかのペットであることは想像できていた。
「あとお前、ギョーザだけは食わねぇ方がいいぞ。あれメチャクチャ臭いらしいから」
もう一つ思い出して忠告した時には、アリスは目を閉じたまま、ゆっくりと寝息を立てていた。
かつて馬車の上で聞いた時と同じ、穏やかな寝息だった。
結局二人を襲った獣って何なんですかね。自分でも書いててやりすぎ感がありましたが、まあそこは夢ですから(万能句)。
さて、今回白雪姫という名前をモロに使ってしまいましたが、これって著作権的にセーフなんでしょうか。ちょっと不安になってきました。果たして史郎アンリアルの運命とはッ!