クマキチの化け物
昔々ある村に、熊吉という若者がおりました。
熊吉は熊のように身体が大きく、気は優しくて力持ち。村の者は皆、力仕事のたびに快く手伝ってくれる熊吉を慕っておりました。
ある日、村一番の長者の家に、泥棒が入りました。何でも、宝物が詰まった蔵の門と鍵が乱暴に壊されて、中の物が根こそぎ持っていかれてしまったとか。
長者はたいそう怒って、誰が蔵の宝を奪ったのか突き止めようとしました。その時疑いの目を向けられたのは、なんと熊吉でした。
蔵の門と鍵はとても丈夫で、並の力では壊すことができやしない。でも、村一番の力持ちである熊吉なら。それだけの理由で、熊吉を犯人扱いし始めたのです。
村人達は皆、熊吉がそんなことをするはずがないとは思いました。ですが、熊吉をかばおうとする者は誰もいませんでした。長者は村の中でも強い権力を持っており、誰も逆らえなかったのです。
それに、皆怖かったのです。熊吉をかばうことで、自分が犯人として疑われることが。村人達は、自分を守ることで頭がいっぱいだったのでした。
熊吉は無実を訴えましたが、長者は聞く耳を持たずに役人の元へ突き出しました。そして、奪った宝のありかを言わせるために、来る日も来る日も熊吉を痛めつけさせました。
しばらく経って、とうとう宝のありかを話さぬまま、盗みを働いた罪で熊吉の首がはねられることが決まりました。役人の手によって痛めつけられた熊吉は、ボロボロになった姿を皆の前に晒されながら、自分を見ていた者達に向かって恨めしそうにこう言い放ちました。
「いいか、お前ら。ただで済まされると思うなよ。この恨みは必ず、必ず……」
村の者は単なる恨み言だろうと、これをあまり気にしませんでした。ですが、熊吉の首がはねられてから何日かした頃、世にも恐ろしい出来事が起き始めました。夜になると力の強い化け物が山から降りてきて、村人をパクリパクリと食らうようになったのです。その化け物は黒くて大きく、まるで熊のようだと噂されました。
熊吉の最期の言葉を思い出した人々はそれを「クマキチの化け物」と呼ぶようになり、熊吉を見捨てた罪を許してもらうために祠を建てて祀ったということです。
「ねえ、おじいちゃん。このお話って、本当なの?」
村の外れにある小屋の中。火がちろちろと燃える囲炉裏の前で、年端もいかない孫娘が聞きました。
孫娘の名はお雪といい、おじいさんの名は平作といいました。
「ああ、そうとも。これはこの村に伝わる、本当のお話じゃ。と言っても、化け物が現れたのはずっと昔の話で、今は山から出てこないがね」
平作じいさんはそう言うと、窓からちらりと外をのぞきました。
外はすっかり真っ暗で、辺りの景色は全く見えません。
「でも、お友達にその話をしたら、みんなあたしを嘘つきって言うよ。化け物なんているはずないって」
「昔の話だからねえ。みんな、忘れてしまったんじゃ。この村で一番長生きなのは、おじいちゃんじゃろう? おじいちゃんより若い人は、みんな忘れてしまったんじゃよ」
「村の真ん中にある、祠のことも?」
「ああ、そうじゃ。あの祠が何のためにあるのか、誰も覚えちゃいない。自分達が犯した罪を、すっかり忘れてのう……」
平作じいさんが寂しそうに語り終えると、ちょうど外から誰かの叫び声が聞こえてきました。平作じいさんはお雪に家でおとなしくしているように言ってから、あわてて飛び出しました。
すると、声のした方にあったのは黒山の人だかり。かき分けて奥に進んでみると、井戸の近くの地面には赤い染みが落ちていました。その横では、腰を抜かしている若者がガタガタ震えています。
駆けつけた男達が、青い顔をした若者に尋ねます。
「おい、何があった。何を見たんだ」
すると若者は、思いもよらないことを口にしたのです。
「オ、オラ、見たんだ。でっけえ化け物を。熊みたいなでっけえ化け物が、ペロリと人を飲み込むところを」
この話を聞いた村の者は、目をまん丸くして驚きました。何を隠そう、若者が語った化け物の姿にどこか聞き覚えがあったものですから。
「クマキチの、化け物」
平作じいさんは人込みの中、一人でポツリと呟いたのでした。
若者が最初に姿を見た夜から、化け物は毎晩のように村に現れるようになりました。村の者達は化け物を恐れ、家に閉じこもって怯える日々を過ごし続けました。
そんな時、村に一人のお坊さんが通りかかりました。そのお坊さんは化け物退治の名人で、どうすれば化け物の怒りを鎮められるのかを占ってくれると言います。
「お願いします、この村をお救い下さい」
「よろしい。少々待っていなさい」
お坊さんは村人の期待を一身に背負いながら占いました。すると、占いを終えると困り果てた様子でこう言いました。
「なんと、この村は呪われている。とても強い恨みが、化け物となって村をさまよっているのだ。これまでは少し落ち着いていたようだが、どういうわけか蘇ったらしい」
お坊さんは難しそうにしながら、こう続けます。
「こればかりは、私の力ではどうすることもできない。恨みの元を絶たなければ、化け物は消えないだろう。これからもずっと、化け物は村を苦しめ続けるだろうな」
それだけ言い残すと、申し訳なさそうにしながら村を去ってしまいました。
しかし、これからも化け物に怯えながら暮らさなければならないと宣言された村人にとってはたまったものではありません。皆、村長の家に集まって、どうにかできないかとあれこれ考えます。
「強い恨みって、もしかして村に伝わってる、あの伝説のことか?」
「さあ、オラは知らねえよ。だって、オラが生まれるずっと前の話だからな」
「オラだってそうだ。確かに村に祠みたいなもんはあるが、何のためにあるのか親父やお袋は教えてくれやしなかった」
「なあ、確か化け物の話は、平作じいさんがよくしていなかったか? あの、村で一番長生きの」
これを聞いた皆は、目の色を変えました。
「そうだ。どっかで聞いたことがあると思ったら、平作じいさんがよく話していたんだ」
「全然相手にされていなかったが、村の子供にもよく聞かせていたな」
「じいさんの話だと、熊吉って男を、村の者が見捨てたことで恨まれてるって話だったな」
「もしかしてあの人、その男が村にいた頃から生きていたんじゃ」
「つまり、坊さんが言っていた恨みの元って……」
恨みの元さえ絶つことができれば、村は救われる。
このことがわかっている以上、村人の想像は止まりませんでした。
「そうだ、全て平作じいさんのせいだ。あの人がえんえんと化け物の話をするから、せっかく眠ってた化け物が起きちまったんだ」
「いや、それだけじゃねえ。きっと、熊吉って男を見捨てた村の者の一人なんだ。あのじいさんが生きている限り、村は助からねえ」
「恨みの元を絶つんだ。平作じいさんを生贄にして、化け物に許してもらうんだ」
こうして村の者は、平作じいさんの元へ押しかけることにしたのでした。
「ふむ、何事じゃ?」
平作じいさんは、夜にしてはやたらと騒がしい外を気にしていました。
お雪は落ち着かない様子のおじいさんを見て、小首をかしげます。
「どうしたの、おじいちゃん」
「いや、いつもは化け物が怖くて誰も外に出ないというのに、今日はやけに……むっ」
突然、家の扉をドンドンと叩く音が響き渡りました。それに混じって「早く出てこい、出てくるんだじいさん!」という怒鳴り声まで聞こえます。
「こ、怖いよ。何があったの」
「お雪、お前はここにいなさい」
平作じいさんが家から出ると、村人が待ち構えていたかのように飛びかかってきました。
若い衆に老いた力が適うはずなどなく、平作じいさんはあっという間に捕まってしまいます。
「こ、これは、どういうつもりじゃ」
「じいさん、みんな気づいちまったんだよ。あんたが、全ての元凶だってな」
「それは、どういう意味じゃ」
「とぼけようったって無駄だ。じいさんよお。あんた、ずっと昔に熊吉って奴を見捨てた村人の一人なんだろう?」
「そ、それは……」
「やっぱりな。よし、みんな。じいさんを連れて行くぞ」
村人は平作じいさんの手足を縄で縛ると、最初に化け物が現れた井戸の近くまで運びました。
「この場所で何人も食われたんだ。ここに転がしておけば、そのうち化け物がやってくるだろう」
そう言って、動けなくなった平作じいさんを置いて、村人は散り散りになっていきました。
取り残された平作じいさんは暗い寒空の下、悲しそうな目をしながら独り言を漏らします。
「そうか。やはりわしが全ての元凶じゃったか。恨んでおるじゃろうなあ、熊吉殿は」
実は平作じいさんは、本当に熊吉と会ったことがありました。ただしそれは遠い昔、子供だったの頃のことです。
「熊吉殿は、すごく優しいお方じゃった。わしも幼い頃、重い荷物を運べずにいたところを何度手伝ってもらったことか。それなのに、村の者は自分の身がかわいいあまり……。そろそろ、来たようじゃな」
風もないのに木々がざわざわと揺れ、闇の中にゆらりと影が映ります。それは段々と膨れ上がっていき、次第に平作じいさんの目にもはっきりと見えるようになりました。
並の大人よりもずっと高い背丈。長く黒い毛に覆われた、もじゃもじゃとした身体。筋肉のついた、太くたくましい腕。顔の端から端までパックリと裂けた、真っ赤な口。この世のものとは思えないほど恐ろしい化け物が、とうとうその正体を現したのです。
しかし、平作じいさんはそれを前にしても驚きはしませんでした。それどころか、懐かしそうにしながら化け物に語りかけ始めたのです。
「熊吉殿か。わしを覚えておいでか?」
化け物は身体を揺らしながら、返事をするようにぐおぉんと唸りました。
それを見た平作じいさんは、うんうんとうなずきます。
「そう。お前さんの家の近所に住んでおった、平作じゃ。そなたには、本当に世話になったのう。さて、話を戻そうか。わしはそなたに、大変申し訳のないことをしたな。そなたが盗みを犯すような者ではないとよくわかっておったのに、わしはあの時何もしなかった。そして誰にも信じてもらえぬまま、そなたは死んだ。無実の罪を着せられたまま。村の者を、たいそう恨んだことじゃろう。そして、わしのことも……。子供が何を訴えたところで、どうなることもなかったのかもしれん。じゃが、わしは確かにあの時、そなたを見捨てたのじゃ。それには代わりない。わしも己の身がかわいくてならなかった、村人どもと同じ罪を背負っておるのじゃ。さあ、この老いぼれの身をむさぼることで怒りが鎮まるのなら、好きなようになさるがいい」
化け物はもう一吠えすると、平作じいさんの元に近寄っていきます。
大きな身体を揺らしながら一歩一歩足を前に踏み出していき、とうとうおじいさんの手前まで来ました。
「さあ、わしを食らうがいい。熊吉殿……」
覚悟を決めて目を閉じた時、どこからか小さな足音が聞こえてきました。
何事かと思い平作じいさんが顔を向けると、そこにあったのはこちらに駆けてくるお雪の姿でした。
「おじいちゃんを食べないで!」
お雪はポロポロと涙を流しながら、平作じいさんをかばうようにして化け物の前に立ち塞がります。
「これ、お雪! お前は家にいろと言ったじゃろう」
「嫌! だって、このままだったらおじいちゃん、食べられちゃうもの。おじいちゃんを食べるんだったら、代わりにお雪を」
「やめなさい。わしが全て悪いんじゃ。だから、だから」
平作じいさんが言うのを聞かず、お雪は化け物の方に向き直って必死に話しかけます。
「おじいちゃん、毎日祠に行ってごめんなさいって謝ってるよ。それなのに、許してもらえないの? いつも祠をピカピカにして。お供え物もあげて。それに、村のみんなに熊吉さんのお話をしてるよ。熊吉さんのことは、忘れちゃいけないことなんだって。同じ悪いことを繰り返しちゃいけないんだって。お願い、おじいちゃんを許してあげて。お願いします」
そう言って小さな頭を、何度も何度も下げます。そんな孫娘を、身動きのできない平作じいさんはただ見ていることしかできませんでした。
化け物は身体を揺らしながら、毛に埋もれた目玉でそれをぎょろりと睨みつけます。そして裂けたような口を動かして、おどろおどろしい声でこう言いました。
「オナジアヤマチヲクリカエシタ、オロカモノドモメ……」
ぐわぁと大口を開けたかと思うと、化け物はぎょろぎょろとした目玉をのぞかせながら、そのまま二人に向かって覆いかぶさるように倒れ込んできました。
あまりの恐ろしいさまに、平作じいさんとお雪はそのまま気を失ってしまいました。
気がつくと二人は、地面の上で眠っていました。
既に日が昇っており、化け物の姿はどこにもありません。
「よかった。おじいちゃん、食べられなかったんだね。許してもらえたんだね」
お雪は安心した様子でニコニコ笑いますが、当の平作じいさんは違いました。
「待ってくれ。様子がおかしい」
平作じいさんはお雪に縄をほどかせると、村を歩き回り始めました。すると、昨日の夜まではいたはずの村の者達の姿がどこにもありません。
残っているのはところどころ地面に落ちている染みと、黒くごわごわとした毛。平作じいさんとお雪以外、どこを探しても村には誰もいませんでした。
「ねえ、おじいちゃん。みんな、どこ行っちゃったの」
「そうさな……。みんな、どこか遠くに行っちまったんじゃないかな」
人の気配がなくなった村の中で、平作じいさんはふう、と溜め息をつきます。
しばらくして祠の前に着くと、手を合わせてからこう言いました。
「同じ過ちを繰り返す愚か者ども、か。そういう意味だったのじゃな、熊吉殿よ」
それから二度と、村に化け物が現れることはありませんでしたとさ。