第十話 涙
「大丈夫ですか?」
気づいたら、もう二人はいなくなっていた。
力が抜けて動けないよ……
私は崩れ落ちたままの体勢でいる。
千里ちゃんがかけてくれる気遣いに何の反応も出来ない。
たださっき見てしまった事に思考が支配されてしまっていた。
それを振り払うように頭を左右に振る。
もしかしたら、見間違えかもしれない……
そういう風に見えただけかだよね、きっと。
「キスしてましたね」
「――っ」
そんなわずかな思いも、千里ちゃんの言葉で打ち消されてしまう。
自分でなんとか誤魔化そうとしても、他の人に言われてしまったら意味がない。
目から落ちる雫がスカートにシミをつくっていく。
「どうやら噂も本当のようですね」
「やめて……」
そんな事今言わないで。
止めたいのに、涙が止まらない。
なんでこんなに嫌で仕方がないんだろう。
「桜音さんは泣いても可愛いんですね」
そう言って千里ちゃんは私の顔を輪郭に沿うようになぞると、顎に手をかけ顔を上げさせる。
千……里ちゃん……?
「んっ」
突然眼尻に這った感触に体がビクとなった。
――千里ちゃんの唇。
それが涙をすくっていく。
「やっ」
感触はだんだん眼尻から頬へと移っていっている。
このままじゃ唇にあたっちゃう!!
思わず目をぎゅっと瞑ったけど、唇にその感触が落とされる事はなかった。
「それ以上やったら、お前確実にこいつに嫌われるぞ」
この声――
千里ちゃんの視線はすでにその声の人の向いている。
日下部君どうしてここに……?
「気持ちもわからないでもねぇけどよ」
「……余裕ゼロなんですよ」
「だからこんならしくねぇ事してんのか?こいつ泣いてるじゃねぇか」
「これは僕だけのせいじゃありません」
涙と腫れぼったい瞼のせいで視界が悪い。
ぼーっとしか二人が見れず表情までは見えない。
「お前もいつまで泣いてんだ」
日下部君が溜息を吐き、しゃがんで視線を合わせる。
「……っく。泣いてないもん」
泣き顔見られたくないから、涼以外の前でなんてめったに泣かないのに、
今日に限って千里ちゃんや日下部君に見られるなんて。
手でゴシゴシと涙を拭ったせいもあってか、痛い。
「だあ〜っ、こするな!!赤くなるだろうが!!濡れたタオルとかで拭け」
似たような事昔誰かに言われたような……
『だぁ〜っ!!こすんじゃねぇよ。赤くなるだろうが!!ハンカチでも濡らして拭け』
あれ?一瞬学ランを着たピアスの男の子の姿が頭をよぎったような……
顔は靄がかかったように見えなかったけど。
「お前、何キスされそうになってんだよ」
「なってないよ!!そういうのって普通好きな人としかしないでしょ!?」
好きじゃなくてもする人もいるけど、千里ちゃんはそういうタイプじゃないし。
「僕は好きな人としかしたくないですよ」
「ほらっ。千里ちゃんもそう言ってるじゃん。だから、私にキスしようとしたなんて言いがかりをつけないで」
「お前な、あの状況でそれか」
そりゃあ、私だってキスされるかと思ったけど私にそんな事しても何の得もしないから違うもん。
「日下部君は大きなため息を吐くと、いきなり私を米俵のように担いだ。
「うわっ」
「行くぞ」
「何処に!?」
日下部君の肩に体重を預けるように担がれている。
揺れる!!揺れる!!
「掴まってないと落ちるからな」
落ちるという言葉にビビり、とりあえず日下部君の首に腕を回す。
必要以上の力を加えてしまったのか、ぐうぇという声が聞こえた。
「馬鹿かお前は!!そんなに締め付けると死ぬだろうが!!」
「ごめん」
「藤原は少し頭を冷やせ」
千里ちゃんを残し、私達は中庭を後にした。
「隙だらけなんだよ。お前は」
それ涼とか海にも言われた事あるけど、隙って何なの?
白い机に薬品が綺麗に並べられている棚、カーテンのある数個のベット。
日下部君に連れてこられたのは、保健室だった。
ちょうど先生が居なく、部屋には二人だけ。
ここっていつ来ても、消毒液の匂いするんだよね。
「ほら、これで目冷やせ」
「ありがとう」
差しだされたのは濡れタオル。日下部君がさっき自分の部屋のようにその辺をあさって探し出してくれた。
「横になりたきゃ、そこにあるベットで寝てろ」
「どっか行くの?」
「ああ。お前の鞄、中庭に置きっ放しだったろ?あれとってくる」
「いろいろごめん」
迷惑掛けっ放しだ。
「気にすんな」
扉の開く音と一緒に、人の気配が消え一人だけ残されてしまった。
ほんの一時間ぐらいの間にいろいろありすぎる。
「はぁ……」
扉の開けられる音と一緒に人が入ってくる気配がした。
あれ?もう戻って来たの?
「日下部君、早いね」
返事がないって事は、もしかして違う人?あっ、みくが探しに来たのかな?
タオルを目にあているから、何も見えない。
「悪いけど、私は日下部君じゃないわ」
返ってきた返事は、今私が一番聞きたくない人の声だった。