第一章 第一話 おはぎは甘いが、現実は甘くない
あ〜。やっぱ落ち着く。
手から伝わる湯呑の温もりが、平穏をもたらしてくれる。
隣には在原、テーブルを挟んで目の前のソファには、両親が座っている。
あれから場所をリビングへと移し、私たちはみんなでまったりとお茶を楽しんでいる。
両親と在原は何か会話をしているが、私にはそんな事よりもいま口に頬張っている物の方が大事だ。
これは在原が持ってきてくれた彩堂のおはぎだ。
予約しなきゃ買えないぐらいの人気で、私の大好物ランキング第一位に輝くぐらいの代物。
もっと食べたい……
自分の皿はすっかり空になっちゃったので、ついついテーブルの上に乗っている他の人のおはぎに目が行ってしまった。
食い意地が張っていると言われるのは嫌だが、このおはぎに関しては別だ。
みんな半分以上残っている。隣の人にいたっては、まったく手をつけていない。
食べないなら、くれないかな?
視線が気になったのか、在原は笑いながら目の前におはぎを差し出してくれた。
「やる」
「いいの!?」
ありがとう。とそれを受取ると、一口に切って口に運ぶ。
この人、もしかして良いやつかも。
「うまっ」
もう、語尾にハートをつけたい。あ〜。幸せ。
「――で、話をそろそろ始めたいんだが」
あ。すっかり、忘れてしまっていた。
そういえば玄関先で何か大事な話があるとか言われたっけ。
実はさっきお父さんが話を始めようとした時に、お母さんがおはぎを出してきてしまったのだ。
そして、それを見た私が狂喜乱舞。呆れて話が中断になってしまったのだった。
「桜音。やっぱり父さん達と一緒に行かないか」
またその話か。
今度お父さんは、仕事の都合でニューヨークに転勤になったそうだ。
その為一人残すのも心配だから、私も連れて行きたいらしい。
「嫌。学校だってあるし、友達と離れたくないもん」
せっかく高校で出来た新しい友達と離れるなんて嫌だし、それに何より英語の成績がギリギリの私が、海外でやっていけるはずがない。
「大丈夫。料理だって洗濯だって出来るし。何かあったらお兄ちゃん達もいるから平気だよ」
うちは元々共働きだったから、家事は中学から少しずつやってきたから出来る。
なにか問題が起きたら、結婚して隣町にいるお兄ちゃんに頼れば安心だし。
そのため一人でも別に問題はないと思う。
私の返事にお父さんは目を閉じ何か考えこむと問題発言を口にした。
「わかった。それなら、海君と一緒に暮らしなさい」
――は?
あいた口が塞がらない。なんでいきなりそうなるの?
お父さんは、そんな事は構わずに話を続け始めた。
「女の子の一人暮らしは防犯面等を考えるといろいろ心配だ。その事を考えると、海君がいればなにかと安心だろう」
さも当然のような顔をして、お茶をすすり始めた。
こんな突然の事に、納得が出来るはずがない。
「そもそも、根本的におかしいから。同じ屋根の下、男と女が住むなんてどうかしている。娘の身に何かあったらどうするの!?」
思わずテーブルに身を乗り出して、睨みつけた。
それでも冷静に、「母さん、お茶」などと言いながら、湯呑を差し出している。
「海君がうちの娘に何かするはずがないだろう。お前は父さんと母さんの遺伝子を継いでいるからな」
ああ。すみませんね。
どうせ、平凡ですよ。人並みですよ。
「そんなら、私がこの人に何かしたらどうするの?」
隣に座り自分も関係があるのに、全然会話に参加していない人物を指差した。
子供の頃に、「人様に指を指してはいけません」と言われたけどこの際しょうがない。
「お前をそんな娘に育てた覚えはない!!」
さっきの私と同じように、ドンと音をたてテーブルに手をつけ身を乗り出している。
お父さんは怒りで顔が真っ赤だ。
「……ごめんなさい、ただ言ってもみただけです」
「お前が日本に残る条件を覚えているか?」
「うん。啓吾さんの娘さんと一緒に暮らす事でしょ。私は大丈夫でも、啓吾さんの娘さんなら相当美人だし危ないんじゃないの?」
在原啓吾。お父さんの会社の取引先の社長さん。
だいぶ前に奥さんに先立たれてから、お子さんを一人で育てているそうだ。
年もたいして変わらず出身も同じということで二人は馬が合い、たまに家に啓吾さんが遊びに来てくれる。
この間も家政婦のみちるさんと一緒に家に来てくれた。
みちるさんは家政婦さんであると共に、啓吾さんの彼女さんでもある。
二十八歳で、私にとってはお姉ちゃん的存在の人。
そんな二人が、反対していた周りを説得してこのたび結婚する事になったそう。
なんともおめでたい話である。
その為啓吾さんの娘さんが、二人を気遣って家を出るのが心配だという話になった。
一人暮らしを反対されていた私は、その子との同居を申し出たのである。
一人はダメだけど、二人暮らしなら日本に残れるんじゃないかという算段もあったし、やっぱりどこかで一人暮らしが不安な所もあったから。
この提案には両親も賛成し、私は無事日本に残る事になったのである。
「そうだ。在原さんのご子息との同居だ」
ご子息?まさか――
たしか、この人も苗字は在原だよね。そういえば、よくみると顔のパーツとか似ているかも。
彼の顔を見やると、何事もないようにお煎餅を食べている。
なんでお煎餅食べていても、絵になるんだろう?
「在原啓吾は、俺の親父だ」
それは、この流れでわかったよ。それより、大事なことはそんな事じゃない。
「ちょっと、この人男だよ!!」
「お前は、海君が女の子に見えるか。それに在原さんは、一言も娘なんて言わなかったぞ」
たしかに圭吾さんは言ってないよ。いつも「うちの子」ってしか言ってないもん!!
「見えるわけないでしょ。それにこいつが男なんて事さっき味わーー」
さっきの玄関での抱擁の映像が頭の中に浮かんできて、思わず口ごもってしまった。
女の子と違い、硬い筋肉質の体に、低い声――
思いだしたら、また顔に血液が。
「どうした、桜音。顔が赤いぞ?」
在原は、そう言ってクックッと喉で笑った。
……うぅ、絶対私をからかって楽しんでる!!
「とにかく。一緒に付いてくるか、海君と一緒に住むか、どちらかしか選択はない」
そう言って、お父さんは英語で書かれた学校のパンフレットをテーブルの上に置いた。
二者択一。
私は、日本に残りたい。
ということは――
……ああ、無常。




