プロローグ
しかし、歌いすぎた。
気休め程度に、喉をさすってみる。
さっきまで春休み最後の遊び収めと称し、友達とカラオケで盛り上がっていたのだ。
明日起きるの七時ぐらいでいいかな……なんて事を考えながら玄関のドアを引き、足を踏み入れた。
「ただいま」
「おかえり。桜音」
――えっ。
聞きなれない声に出迎えられたので、思わず顔を上げる。
そこにはキューティクルの傷んでいない黒髪に、整った顔立ちをした長身の青年が立っていた。
そのへんの雑誌に載っていても違和感はないだろう。
「在原海……」
なんでこの人がここにいるの?
面識もないのに、思わず呼びすてにしてしまった。
その人は私の通う白塚高校では、王子と呼ばれ知らないものはいないというぐらいの有名人。
そのため、私も彼の事は一方的に知っている。
顔よし、頭よし、おまけに家が金持ちという、天は二物以上与えてしまったというなんとも羨ましい存在だ。
もちろんそんな好条件だから、女の子達が放っておくわけがない。
入学当初から騒がれた。でも、それは最初だけ。
携帯で撮られたり、おっかけの女の子達のせいで、部活が出来なかったりなんだかんだしてとうとう本人がキレたのだ。
それ以来、みんな遠まきに眺めたりして大人しくしている。
もしかして家間違えた?否、さっき『逢月』って書かれた表札みたもん。
それに、ここ私のうちの玄関だ。この特徴的な玄関はうちしかない。
玄関わきに並べられているものに目を向ける。
あ、やっぱうちだ。
こけしを確認すると納得した。
一、二体ならいいけど、こう十数個並んでいると不気味だよね。
うちのお母さんは民芸マニア。
旅行先などから大量に買ってくるため、置き場がなく仕方なしにここに飾っているのだ。
ここがうちって事は……ああ、夢か。
これが俗にいう白昼夢ってやつですか?
そうだよね。じゃなきゃ、王子がこんなところにいるわけないもん。
とりあえず、夢なら目覚めなければ!!
思いたったらいざ行動と、思いっ切り頬を引っ張ってみた。
ほら、よくテレビとかでやるじゃん。夢かと思ってほっぺたを摘むってやつ。
「痛いんですけど」
ってことは、現実?いやまて、幻覚という線も考えられる。
「お前、何やってんだ。早く上がれ」
「うわっ」
掴まれた腕を、思わず払ってしまう。
だって、幻覚だと思ったのに感覚があるんだもん。
拒絶が気に食わなかったのか眉間に皺をよせ、こっちを睨んでいる。
体を縮め、思わず目をつぶった。怖い。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい――」
繰り返していた謝罪の言葉は、体を包んだ暖かいものせいで途切れた。
「そんなに怯えるな」
優しい声と共に、頭を撫でられる。
視界は彼の胸に遮られ、私の背中には手が当てられている。
この状況は、抱き締められているの……?
何が起こってるのか理解できない私を、リビングから現れた人が呼び戻した。
「あら。おじゃまだったかしら」
エプロンをつけた女の人が、口に手をあてて立っている。お母さんだ。
「ちがっ」
顔に血液が集中しているのか、火照っているのがわかる。
私、今絶対顔赤い。
「知らなかったわ。二人がそうゆう関係だったなんて」
「いえ。ただ桜音さんが、転びそうになったので抱きとめただけですよ」
「そうなの?でもお母さんは、海くんと桜音がそういう関係になっても構わないわよ?」
「はっ!?無理でしょ。隣に立つのも嫌」
うっ。
また、睨まれた。
「とりあえず、二人共リビングに入って。桜音、貴方にお父さんから大事な話があるそうよ」
この時の私はその大事な話が、私の平凡な生活に嵐を巻き起こすなんて思いもしなかった。