海BOY!
「ぼくと、デートしてくれませんか?」
突然、ひとりの少年に声をかけられた。
日焼けをした、十六歳くらいの少年だった。顔つきは日本人だが、瞳孔が深い青色をしている。ハーフだろうか?
白い長袖のシャツにジーンズを身につけたその少年は、おだやかな笑みを浮かべながら、わたしを見下ろしていた。
「ふえ?」
わたしはまぬけな声をあげてしまった。
なぜならその時、わたしは港の堤防で釣りをしていたからだ。しかも、学校指定のジャージ上下に、麦わら帽子といった格好で。
とてもナンパされる女子にふさわしい、シチュエーション、服装ではない。
わたし、上野渚は釣りが好きだった。
幼い頃、父に教えてもらって以来、すごくはまってしまい、十七歳になったいまでも、暇さえあれば釣り竿を抱えて、近所の海辺に出かけている。
そんなわたしだから、クラスメートの中では、少し浮いていた。他の女子がみんな、ファッションや恋愛の話で盛り上がる中で、わたしは釣り雑誌に載った黒鯛の写真をうっとりとながめていた。
おかげで友達からは、「海ガール」と呼ばれるようになった。
まあ、イヤじゃないけどね。
実際海はすごく好きだから。
日曜日の昼間、わたしはいつものように釣り道具一式を持って行って、港で釣りを楽しんでいた。
ハゼを三匹ほど釣りあげて、しばらくしたところで、前述の少年に声をかけられたのだ。
「ぼくと、デートしてくれませんか?」
「ふえ?」
まぬけな声をあげながら、少年を見上げた。
少年は、やさしい笑みをうかべながら、堤防にあぐらをかいて座るわたしを見下ろしていた。
「え?え?え?え?」
わたしは顔を赤くした。
ナンパされるなんて、生まれて初めての体験だった。どうすればいいのか、わからない。釣り竿をにぎったままの姿勢で、ただただ困惑する。
しかも、この少年、結構かっこいい。
「上野渚さん、ですよね」
と少年は言った。
「えええええっ!?」
混乱した。
え?なんでわたしの名前を知ってるの?初対面なはずなのに。・・・・・・いや、もしかしたら、実は知り合いで、わたしが彼のことを忘れてしまっているのかもしれない。
「あの・・・・・・、なんでわたしのことを?」
恐る恐る聞いた。
少年は答えた。
「いつも見ていたんです。あなたのことを」
「ふえっ!?」
ドキッとして、思わず釣り竿を落としそうになる。
少年は続けた。
「小さい頃から、何度もこの海に来てくれましたよね。初めは三歳くらいだったかな。ピンク色の水着を着て、お母さんにだっこされて。砂浜まで来たんだけど、波が怖くて入れなかった。潮干狩りをしたのは、五歳の時でしたね。あなたは、あさりをとるのが、とても上手でした。お父さんに釣りを教わったのは、六歳の時。失恋して、自分をふった男子の悪口を叫びに来たのは、十四歳の時。」
聞いているうちに、少し怖くなった。
このひと、なんでそんなことまで知ってるの?
「あなた、一体何なの?」
警戒しながら聞くと、少年は答えた。
「ぼくは、海です」
「・・・・・・え?」
どういうこと?名前が海ってこと?
でも、少年の口ぶりはそんな感じではなかった。まるで自分自身が海そのものだと言っているかのような・・・・・・。
「いつも、ぼくのことを好きでいてくれて、ありがとうございます。今日はお礼をしたくて、人間の姿の分身を作って、あなたに会いにきました」
「・・・・・・・・・・・・」
さては、危ないひとか?
「あ、疑ってますね?」
「・・・・・・まあね」
「では、証拠をお見せしましょう」
そう言うと少年は、ジーンズのポケットに手をつっこんで、何やら中をまさぐりはじめた。
そのとき突然、海面に垂らしていた釣り糸が勢いよくひっぱられた。あわててリールを巻こうとしたが、あまりにも引く力が強すぎて、わたしは釣り竿を海に落としてしまった。
「あーーーーーっ!?」
大声をあげ、四つん這いになって海を見下ろす。
釣り竿は、海の中に引きずりこまれて沈んでいった。かなりの大物がかかっていたようだ。
ああ、がんばってアルバイトして買ったお気に入りの釣り竿が・・・・・・。
わたしは泣きそうになった。
「渚さん、渚さん」
少年が声をかける。
・・・・・・こいつが変な話をしてくるから。
わたしは立ちあがって、少年をにらみつけた。
しかし少年はひょうひょうとした様子で、
「よく見ててくださいね」
と言って、とんでもないことをした。
ジーンズのポケットの中から、一本の釣り竿を、するすると取り出してみせたのである。
海水に濡れたそれは、いまさっき海に沈んでいったはずの、わたしの釣り竿だった。
「はい、どうぞ」
少年がさしだした釣り竿を、わたしはぼうぜんとしながら受け取った。
「・・・・・・どうなってるの?」
「言ったでしょう?ぼくは、海なのです。ぼくのポケットは、海とつながっているのですよ。だから、海の中にあるものなら、何でも取り出せます。ほら、こんなこともできますよ」
すると、少年のポケットから、大きなマグロの頭がにゅるっと出てきた。口がパクパクと動いていた。生きている。
物理法則を無視したその光景に、わたしの胸は高鳴った。
すごい。この少年、本当に「海」なんだ。
「信じてくれたみたいですね」
少年はそう言うと、マグロの頭をポケットに押しこんだ。
「うん」
「では、もう一度聞きます。ぼくと、デートしてくれませんか?」
「いいよ!」
わたしは即答した。
大好きな「海」が、どんなデートに連れていってくれるのか、すごく興味があった。
「ありがとうございます」
少年は笑った。
「うん。あ、ところでさ、わたしは君のことをなんて呼べばいいのかな?海って呼ぶのは、ちょっと変だよね?」
少年は、少しの間考えてから、答えた。
「渚さんは、友達から、『海ガール』と呼ばれているのですよね。だったら、ぼくのことは、『海ボーイ』と呼んでください」
少年、いや、海ボーイは、では行きましょうか、と言って歩き出した。わたしはワクワクしながら、それについていった。
一体、どんなデートになるのだろう?
三十分後、わたしと海ボーイは、街中のマクドナルドの店内で、フィレオフィッシュセットを食べていた。
「海の中には、いろんなひとが落とした小銭が結構沈んでましてね。ハンバーガーを買えるくらいのお金は持っているのですよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「ぼくのおごりですから、遠慮なく食べてください。シェイクを注文してもらってもいいですよ」
「・・・・・・・・・・・・」
「このフィッシュバーガー、タルタルソースがおいしいですね」
「・・・・・・・・・・・・」
「渚さん?」
「・・・・・・・・・・・・マックって」
わたしはため息をつくと、フライドポテトを一本、もそもそと口に運んだ。
海ボーイは、むっとして聞いた。
「何か不満でも?」
「いや、あのさあ!『海』が連れていってくれるデートっていったらさあ!やっぱり海の中のきれいな世界に行くんじゃないかって期待するじゃない!それが・・・・・・マックって!」
「海の中って・・・・・・、そんなところに連れて行ったら、渚さん、水圧で溺れ死にますよ?」
「いや、そこはさあ!なんかシャボン玉みたいなもので、わたしの体を包んでくれてさあ!それで海の底に潜って、亀とたわむれたり!マンボウとたわむれたり!」
「あははははっ!そんなことできるわけないじゃないですか。ファンタジーじゃないんですから」
「むう・・・」
ファンタジーな存在に言われると、腹がたつ。
まあ、できないものは、しょうがない。
気を取り直して、わたしは海ボーイとのおしゃべりを楽しむことにした。
魚について、いろんなことを聞いた。
北極や南極の海から、太平洋、日本の海まで。
海ボーイが話す、最近の魚事情は、本物の海が話すだけあって、臨場感があって、とてもおもしろかった。
夢中で話しているうちに、あっという間に時間がたち、気がつけば夕方になっていた。
わたしと海ボーイは、港にもどった。
「そろそろお別れですね。今日は、お付き合いいただいて、ありがとうございました」
海ボーイは、ていねいにおじぎをしてくれた。
「こっちこそ、楽しかったよ。誘ってくれてありがとう」
「それは何より」
「あの・・・」わたしはおずおずと聞いた。「また、会えるかな?」
海ボーイは、にっこりと笑った。
「渚さんが、大人になっても海を好きでいてくれたら、『海ウーマン』でいてくれていたら、ぼくは『海マン』になって、また会いに行きますよ。そうしたら今度は、フィッシュ&チップスを食べに行きましょう」
そんなビミョーなセリフを残すと、海ボーイは、
「では、ご機嫌よう」
と言って、ざぶんと海へ飛び込んだ。
そして、海にかえった。
これがわたしの体験した、ささやかな海の物語。
終わり