サイリュートへ
「ヤヒコ君、本当に行っちゃうの?」
「はい。いずれは、と思っていたので」
閉店後の、客のいない白猫料理店本店にて。
エリンは溜息をついた。
「サイリュートねえ……うちの支店もないし、しばらく会えなくなっちゃうわね。寂しいわ」
「まあ、メールかチャットでこまめに連絡入れるようにしますよ」
そう、ヤヒコがついにサイリュートに旅立つ決心をしたのだ。
本来ならばジェイレット島から帰ってきてすぐに出かけるつもりだったのが、ボス攻略や恐怖の島ツアー、魔竜到来などの様々なイベントにより延び延びになっていた。『ハロウィンカボチャ暴動事件』と称される一連の騒動も、ハロウィンを過ぎるとカボチャ達が一斉に沈静化したため、最近は《始まりの町》もすっかり落ち着きを取り戻している。故に、この機会に、と思い立ったのである。
《始まりの町》からサイリュートまでは遠く、通常は徒歩なら数日はかかる。だが、ヤヒコには鯛子がいるため、町の近くのスィールー河を遡ればそれよりもずっと早く到着できるのだ。早朝に出れば、上手くいけば夕方遅くには到着できる。途中のリューモーンの滝登りは苦難だが、それを乗り越えればあとは滝も段差も存在せず、平和にサイリュートまで行けるはずだ。
「イリーンベルグとかソスはそうでもないんだけどね、サイリュートとかリンデンロウは……何て言うか、NPCがきついのよね」
「NPCが?」
「そう。はっきり言って、余所者に厳しいの。町の人たちに受け入れられるまで、長期滞在して顔を覚えてもらったり、いくつもお手伝いクエストとかをこなさないと、一人前の冒険者として扱ってもらえないし、碌な仕事が回ってこないわ」
「うわー……苦労しそうだなあ……でも、俺はそんなに長期滞在するつもりじゃないんですよね。観光のつもりって言うか……」
「それだと町の人達がとても冷たいわよ? それでうちの支店も開けてないんだもの。店の場所ひとつ借りるだけでもハードルが高いのよねえ」
何とも鬱陶しそうな町である。どこぞの恐怖の島の方がフレンドリーとはこれいかに。
「ま、まあ、どうしても駄目そうならすぐ戻ってきますよ」
「こればっかりはそうしたほうがいいでしょうね」
出発は明日の予定だというのに、早くも暗雲が漂いはじめているかのようだった。
白猫料理店本店を辞したヤヒコは、白銀や福助の待つ宿までの道をぶらぶら歩いていた。そんな彼の目の前に、突如立ち塞がる人影がひとつ。
「やっと……やっとみつけましたよ!」
ぜいぜいと息も絶え絶えに言ったそいつは、何時ぞやの攻略ギルド『明けの明星』所属の若草色の少年であった。彼はヤヒコをびしっと指さし、
「お兄さん! 僕と一緒にリンデンロウに行きましょう!」
「やだ」
即座に拒絶された。
少年は一瞬膝をつきかけたが持ち直し、再びヤヒコに向き直る。
「リンデンロウはいいところですよ、魔術師いっぱいいるし!」
「それのどこが良いところなんだよ」
「お友達とか増えますよ!」
「余計なお世話だ!」
「魔術学院で楽しい学生生活が送れます」
「ゲームの中でまで試験勉強とかしたくねーよ」
「おっきい図書館とかもあるんです」
「そんなの知ってるよ……」
全く興味のなさそうな返事しか返さないヤヒコに、少年はついに怒りをあらわにした。
「何でですか! お兄さんは魔法職のはずなのに、何でいつまで経ってもリンデンロウに来ないんですか! ずっと待ってるのに!」
「だって行く必要ないし……」
「あるでしょう! 新しい魔術とか、覚えないといけないでしょう!」
「他の町でも覚えられるだろ?」
「いやいや、リンデンロウじゃないと覚えられない魔術もあるんですよ、中級以上の魔術とか!」
「水属性の中級魔術書ならイリーンベルグの図書館にもあるじゃねーか」
はっきり言ってしまうと、今現在ヤヒコにはリンデンロウに行く必要がない。より近くて往来しやすいジェイレット島という学術都市があり、そこの図書館での上級魔術書の閲覧許可も既に下りているためである。
ヤヒコは溜息をついた。
「何でいきなり名前も知らない大豆カツアゲ未遂犯に怒鳴りつけられて、一緒に知らない街に行かないといけねーんだよ。だいたい、ずっと待ってるって何だよ、お前は俺のストーカーか何かかよ」
「ぐぬぬ……」
歯軋りする少年。そんな少年の隣を抜け、ヤヒコは再び歩き出した。そんなヤヒコの後ろ姿を睨みつけ、少年は悔しそうに呟く。
「負けません……! このままじゃ、済ませませんよ……!」
翌日早朝。
日も登らぬうちからヤヒコ達は宿を出て、まだ暗い町を歩きだした。
「サイリュートとはどのような町でござるか、今から楽しみでござるなあ!」
白銀はまだ見ぬ町に期待が大きいらしく、傍目にもうきうきしているのがわかる。福助はヤヒコのローブのポケットの中で大きく欠伸をした。彼はこれから寝る時間である。鯛子は寝ているのか、壺の中で大人しくしている。
「……なんか変だな」
しばらく歩いているが、妙に多くの人とすれ違う。この時間帯はほとんどのNPCは寝ているし、プレイヤーもある程度睡眠をとらないと睡眠不足というバッドステータスを受けるので、夜の狩りをしているのでもない限り、出歩く者は少ないはずだ。それに、すれ違う人の多くが砂色のローブやマントを着用しているところも気になる。
「気になるなら、後をつけてみるでござるか?」
「……ちょっと覗いてみるか」
ヤヒコ達は適当な路地に一度入る。少し時間が経つと人通りが減ってきたので、こっそり路地を出て、適当な砂色ローブの人影を追った。
そっと後を追ったその先は、先程までヤヒコ達が宿泊していた宿だった。
砂色の集団は、かなりの数で宿を取り囲んでいた。
「…………一体何なんだ……?」
「何やら事件の予感がするでござるな!」
ひっそりと近くの物陰から覗いて見ているヤヒコ達であったが、砂色の集団の中に昨夜の若草色の少年が混じっているのを発見した。少年は集団を指揮しているらしく、あちらこちらと人々に指図している様子だった。
「あいつの差し金かよ……こんなに人を集めて、夜明け前から何する気だ?」
「一体あやつは何者でござろうか……」
そうしているうちに、少年が大きな木箱を持ってこさせ、その上に立つ。そして、取り出したるは――緑色のメガホンであった。彼は片手を腰に当て、宿に向けてメガホンを構え、そして叫んだ。
『お兄さーーん! おはようございまーーす!』
「」
ヤヒコはとっさに言葉が出なかった。突然の大声にびっくりしたのか、鯛子が壺の中で跳ねる。
『僕の名前はエルフィン! ギルド『明けの明星』の幹部のひとりです!』
「……あいつ馬鹿なの? 何なの?」
「……ご近所迷惑であることは確かでござるな……」
福助は眠気が吹っ飛んだらしく、丸い目を更にまん丸くして、ポケットから身を乗り出して覗いていた。
『僕ら『明けの明星』のギルドマスターであるカガセさんが、貴方のことを探してます!』
「……誰だよカガセって……何で知らない他人に探されてんの、俺……?」
「殿、これは逃げたほうが良いのではござらんか……?」
『一緒にリンデンロウに行きましょう! というか連れて行きますよ! 今日という今日は逃がしません!』
「おい、白銀、逃げるぞ! って言うか、とっととサイリュートに行くぞ!」
「この町には、しばらく帰って来れそうにないでござるな……!」
ヤヒコ達は狭い路地をなるべく音を出さないように駆け出した。背後ではまだエルフィン少年が何事か叫んでいる。なるべく人目につかない路地を選び、何とか町の外へ出ると、一目散にスィールー河へと駆ける。
こうして、ヤヒコ達のサイリュート行きの旅は始まったのであった。




