へびさんとたまご
次の日、服もすっかり乾いたヤヒコは島の探索を始めた。念のため、鯛子は腰の壺に入れてある。1メートル半に迫る大きさの鯛子が小さな壺に吸い込まれていく様は、何度見ても不思議なものだった。壺の中にいる間は鶏の卵くらいの大きさになっているらしい。
森の中は鬱蒼として、見通しが悪い。落ちていた長い枝を拾い、周囲を叩きながら段々奥に進んでいく。迷子になったら困るので、拾ったつる草を適当に千切り、木の幹に結び付けて目印にした。
一応道々の植物に《鑑定》を使用してはいるが、どれもこれも必要とするスキルレベルが高すぎるらしく、名前すらわからない。しかし、スキル経験値は結構入ってくるので、いい練習台なのだと思うしかない。
道の類は見つからないので、多分人がいないのだろう。時折生き物の鳴き声らしき奇妙なものは聞こえてくる。いや、近づいてきている。
「ぴょん!」
「!?」
がさっ、という音とともに茂みから飛び出してきたソレは、ヤヒコの顔面にもふっと激突すると、今度は近くの木の幹に激突、次は別の木の幹に、段々ぶつかる個所は高くなり、しまいに梢にまで登ってしまった。よくみるとそこには巣のようなものがあって、卵のようなものも見える。
「いってー……まさか、いつもこうやって巣まで登ってんのか……?」
どこか間の抜けた、愛嬌のある顔をした鞠のように丸っこい鳥、らしきもの。
真っ黒でくりくりした目、嘴とわずかに見える足は黄色、体色は背側と翼は紺色で、腹は真っ白なそいつは、ぴょん、としか形容できない声でひと鳴きすると、まるで勝ち誇るように体に比べて随分と小さい翼をはためかせた。あの翼ではとても飛行には堪えまい。
「運営のセンス、どうなってんだ……」
やれやれと鳥が来た方の茂みを見ると、そこにも木の上にあるのと似たような巣がある。そして、紺色に白の水玉模様という何とも言えない模様の卵があった。
「なんで木に登れるのに地面に巣を作るんだよ?」
卵の名前は【手鞠鳥の囮卵】。初めての《鑑定》成功である。
「囮?」
恐らく手鞠鳥とはこの紺色の鳥の名前だろう。先ほどの巣の中の卵を鑑定しようと巣のある木に近づこうとすると、
「ぴょぴょぴょぴょぴょん!」
すさまじい勢いで威嚇されているらしい。ばっさばっさと羽ばたく翼から抜けた羽根を鑑定すると、【手鞠鳥の羽根】と出たので名前は確定だろう。鳥自体と木の上の卵のほうは《鑑定》失敗するので、木の上の巣の卵が本命で、地面にあるのは囮、ということなのだろうか。
「じゃ、この卵もらってもいいのか。ていうか、これWikiでみたことあるぞ…」
囮のほうの卵を拾い上げると、仮想ウィンドウでWikiを開く。――あった。
「レアアイテムじゃねーか! 全部もらってくか」
囮表記とはいえ美味なこと、なかなか見つからないこと、周辺を高レベルで邪眼スキル持ちの大きな蛇の魔物とこれまた大きくて怪力な熊の魔物が徘徊していて危険なのと、木の上の卵は手鞠鳥本体が強すぎて取れないことで、非常にレア扱いらしい。戯れに攻撃した24名のレイドパーティーが全滅したとかいう恐ろしい記載は見なかったことにして、5つあった囮卵を全部拾い上げる。
手鞠鳥はこの島とそのすぐ近くにある2つの島で目撃されているらしい。卵を見つけて売りとばせば、まともな装備が買えるかもしれない。ヤヒコは周辺を捜索し、時折体当たりされたり樹上から威嚇されたりしつつ、なんとかもうひとつの地上の巣を見つけ出し、もう3つの卵を手に入れた。ほくほくである。
もうひとつくらい見つからないかと視線を上げると、大の大人と同じくらいの太さの胴の蛇と視線がかち合った。
「あ」
音もなく忍び寄られていたらしい。近く、というよりすぐ隣にいた。
胴は深緑で、腹側がうっすら白っぽい。背中側全体に人が書いたかのような黒い綺麗な模様がある。爛々と光る眼は橙色で、知性を宿している、気がする。
「やっべ……!」
これがWikiにもあった蛇の魔物だとするなら邪眼を持っているはずである。慌てて視線をそらそうとしたその時、蛇の目がカッと光った。
たまごください
頭から水をかけられてヤヒコは正気に返った。たぶん腰の壺の中の鯛子の仕業だろう。誰かに丁寧語で何事か言われた気がする。手元を見るとアイテムボックスにしまったはずの卵を1つ持っていた。いつのまに取り出したのだろう。
「! 蛇は!?」
はっとしてその場を飛び退くと、蛇はぶんぶん頭を振って水を払っていた。鯛子は蛇にも水をかけたらしい。
「やばいやばい逃げないと!」
ヤヒコはその場から走り去ろうとしたが、蛇に回り込まれてしまう。むこうの方が移動速度が上らしい。ヤヒコの体に巻きつき、顔を至近距離まで近づけてくる。どういうわけか邪眼を優先しているようだ。ヤヒコが目をつぶった途端、
たまごください!
今度ははっきりと聞こえた。たぶん邪眼で要求してきているのだろう、何故か丁寧語で。
これで相手の狙いがはっきりした。卵である。だからと言って、卵を譲渡したところで無事に返してくれるとは思えない。こんなに強引なやり方で卵を強請ってくるやつなのだ。今攻撃してこないのは卵を持ったまま『死に戻り』させないためで、卵だけいただいたら頭からぱっくりひと呑みにされてしまうかもしれない。
ぱぱぱぱぱぱん!という連続した破裂音が頭上から聞こえ、拘束が緩む。
その隙に胴から抜け出すと、連続で水球が蛇の顔面にぶつけられているのが見えた。
逃げるならこの時しかない。
ヤヒコは一目散に逃げ出した。
だいぶ距離を稼いだとは思うが、おそらくこちらの位置は完全に捕捉されているだろう。一度追いつかれそうになったが、丁度手鞠鳥の巣の下であったため、蛇が手鞠鳥からきつい攻撃を喰らってまた距離があいた。体当たりされたり、短いくちばしでつつかれたり、頭を踏まれたり……そのうちに隣近所の巣から応援が駆けつけてきたらしく、ぴょぴょぴょの大合唱を背にヤヒコは逃げた。さすがの大蛇も痛いらしく、身をよじっていたが、反撃はしていないようだった。本気で迎撃されたらあの蛇でもやばい相手なのだろうか……。手鞠鳥とは敵対しないようにしよう、ヤヒコは決心した。
木の幹につけておいた目印を辿り、なんとか浜まで逃げてきた。荷物は全て森に入るときにアイテムボックスにしまっているので、腰の壺から鯛子を出し、そのまま海に逃げ出す。
遅れて蛇が森から這い出してきた。しばらく逡巡したようだが、追ってくることにしたようだ。海上を滑るように泳いでくる。鯛子得意の水上だというのに、なかなか撒けない。
島の周りをを3度ほど巡り、近くの島を掠り、島をだいぶ離れてもまだ追ってくる。
だんだん腹が立ってきたヤヒコはアイテムボックスから卵を1つ取り出し、
「いい加減にしろ! そんなに欲しけりゃこれでも喰らえー!」
蛇に向かって投げつけた。顔面にクリーンヒットする。割れる卵。
蛇の動きが止まった、否、かすかに震えている。
「げっ……怒らせたかも」
青くなるヤヒコを前にして、蛇は鎌首をもたげ、天を仰ぎ――
『ぬしさまー! ぬしさまー! にんげんがいじわるしますー!』
それは邪眼による意思の通達などではなく、音声であった。実際に発声しているわけではないようだが、何故か確かに蛇が発していると判る。
「キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!」
あまりの衝撃に叫ぶヤヒコを尻目に、蛇は一目散に逃げていく。元々遭遇した島ではなく、先ほど近くを通った島に向かっているようだ。その砂浜には人影となにか大きな黒い影がある。
「飼い主がいたのか……? ってーか、喋れるんならなんで最初から普通に会話しねーんだよ……」
島の人影のもとに蛇が辿りつき、しばらくするとその人影はこちらに手を振り始めた。
「大変申し訳ありませんでしたっ」
目の前で二十歳くらいの女性が深々と頭を下げている。その隣では大きな黒い毛並みに赤い目の熊が蛇の頭を押さえつけて下げさせていた。
真っ黒いローブに黒く長い髪に深紅の瞳。漆黒の長い錫杖を持った彼女は召喚士で、名を和子というらしい。悪の魔術師チックな外見とは裏腹に、柔和で可愛らしい顔つきであった。
「ええ、まあ、はい」
こう平謝りされては、ヤヒコも強く出るわけにもいかない。
現在彼は和子のプレイヤーホーム、森の中の小屋に招かれていた。元からあった持ち主のいない無人の小屋を再利用しているのだという。
「マックス君は卵が好きな私のために毎日卵をとってきてくれようとして……本当はそんなに悪い子じゃないんですけど……」
「マックス君?」
「あ、蛇のほうがマックスで、熊がゴローで、鳥さんがマリーです」
名づけの基準がわからない。
蛇と熊は彼女の召喚獣で、元々はこの島と先程の島のフィールドボスだったらしい。つまり、彼女はそれを一対一で倒せるだけの実力のある高レベル召喚士なのだろう。ちなみに初期召喚獣は手鞠鳥で、その誘いによりこの島に住みついた、とのことである。件の鳥は近くの木の上でぴょんぴょん鳴いていた。
「なんか俺、やたらと邪眼喰らったんですが」
「それは多分、以前の癖だと思います……」
「癖?」
「はい、今は私もマックス君もレベル上がってるから普通に意思疎通できますけど、前は喋れなかったんです。それでマックス君が自分の意思を私に伝えようとするときに、邪眼を利用してたんです」
「すごく……丁寧語だったんですけど……」
「はい、誰かにものを頼むときは、なになにしてくださいって言いなさい、って教えたので」
特に悪意も害意もなく、不幸な事故だったようである。マックス君のほうも単に卵が欲しかっただけのようだ。
和子の背後でたまごたまごと騒ぐマックス君はゴローさんに殴られていた。痛そうだ。
「今回は不幸な事故で済みましたけど、他の血の気の多い人だと本当に戦闘になっちゃいますし、気を付けたほうがいいですよ」
「はい、マックス君にもちゃんと言い聞かせておきます」
お互いにフレンド登録をして別れた。登録したのはその場の流れである。何故だ。
とりあえず、無人島でも安心して休めないことが判明したので、鯛子に《始まりの町》の近くの浜辺まで送ってもらうことにした。あそこならば初心者用の施設も多いだろう。いい加減に装備を整え、レベル上げをはじめないといけないのだ。
ヤヒコはぐったりしつつ、島を離れた。
そろそろストック尽きてきた…毎日更新って難しいですね…orz