海の底へようこそ
水龍のおじいさんはその日、海底にある海の女神イリーン様の神殿のそばでお昼寝をしていました。
昨日、神殿の巫女姫の侍女の一人が突然行方不明になったせいで一族総出で大規模捜索に駆り出され、疲れがたまっていたのです。この日ばかりはゆっくりのんびりしたいものだ、とおじいさんはうとうとしながら考えていました。
そうしてのんびり景色を眺めていると、何か見慣れないものが神殿のほうに向ってくるのが見えました。
目を凝らすと、件の行方不明になった侍女ではありませんか。
おお良かった良かった、これでみんなも一安心だ、と一瞬ほっとしたおじいさんでしたが、次の瞬間ぎょっとしました。
侍女が、人間の男を連れていたのです。
おじいさんは大層びっくりしました。なにしろその侍女は、侍女たちの中でも一番奥手で、いつも誰かの後ろに隠れているような引っ込み思案な娘なのです。
いったい何があったのでしょう。人間に脅迫でもされてしまったのでしょうか。気の弱い彼女のことです、何か頼みごとをされて断りきれなかったのかもしれません。
こいつは一大事、と、おじいさんは急いで侍女のもとに泳いで行きました。
「やばい……うみこわい……」
青年は鯛の背の上で震えていた。
最初はこのまま溺れるのかと思ったが、なぜか水中でも呼吸できることに気がついた。情報サイトの類によれば、ゲームだからと言って水の中でも平気なわけではなく、当然のように苦しいし、溺れて死んだりするため、海に潜るときは生産者達が苦労して開発した酸素ボンベのような値の張るアイテムに頼らざる負えない状況だったはずだ。いつの間にこんな便利な未知のスキルを取得したのかわからないが、とりあえずは助かった、とほっとしたのもつかの間、彼はすぐに海の恐怖にさらされることとなった。
人間をひとのみにできるような大きな鮫、それと同じくらい大きいクラゲ、タコ、イカ、ウミヘビ、その他現実にいるものいないもの、多くの海中生物が彼のそばを通り過ぎ、時に付きまとった。
海が深くなるにつれ、どんどん周囲は暗くなり、深海生物だの水棲竜の類だのも現れるようになった。
しかもそれらの生物達は単なる背景ではなく、れっきとしたモンスター達で、レベルも二桁後半から三桁を越えている。
とても初心者が来ていい場所とは言えなかった。
加えて恐ろしいのが水温である。海深く潜っていくにつれどんどん寒くなり、しまいには真冬のようになっていた。
今やすっかり暗闇の中を、様々な水棲生物に見つめられつつ、鯛と寒さや恐怖に震える青年は進んでいるのであった。
「なんでみんなこっちみるんだよ……こえーよ、もうかえりたい……」
すっかり怯えきった青年は、途中で何度もログアウトしようと試みたが、『騎乗中はログアウトできません』という表示がでるだけであった。しかし、この海の底で鯛の背から降りる勇気などあるはずもなく……
あとで絶対に運営を訴えてやるぞ、そう決心した青年であった。
しかし、そんな青年めがけてこれまでにない高速で近づいてくるものがあった。
水棲竜の一種、水龍と呼ばれるものだ。
ゲーム中に出現するドラゴン族の呼称として、竜と龍がある。竜はファンタジーでよくみられる西洋系のずんぐりむっくりドラゴンで、龍は東洋系の体の長いものを指すものとしてプレイヤー間で使い分けられていた。
青年も掲示板だのWikiだのにおいて、様々なドラゴン族のSSをみている。時々船が襲われているらしい。
そして、水龍のSSも見たことがあったがしかし、
「…………でかくね?」
現在近づいてきているものは今までの報告のものよりさらに大きく、立派で、強そうだった。
水龍は青年と鯛の周りを一度巡ると、真正面で止まる。
なんという圧迫面接であろうか。
青年は泣きたくなった。
否、ちょっと泣いた。
水龍のおじいさんは、侍女と、その背の上でぷるぷる震える人間を見ました。
なんと情けない男でしょう。すでに涙目です。
侍女が言うには、この男は駆け出しの召喚士だそうで、侍女は彼の一番最初の召喚獣に選ばれてしまったらしく、気が付いたら陸の上、人間の町にいたとのこと。彼は侍女を食べようとする人間たちから侍女を庇い、海まで連れてきてくれたのだとか。そこで釣り人に襲撃され、2人でここまで逃げてきたのだそうです。
臆病だがなかなか見どころのある若者である。
おじいさんはちょっと感心しました。
侍女がこれから彼の召喚獣を続けるというなら、巫女姫に許可を取らなくてはならないでしょう。
おじいさんと鯛は連れだって、神殿へと向かいました。
水龍と青年の睨み合いはしばらく続いたが、そのうち水龍のほうが頭をめぐらし、元来た方へ泳いで行った。
「…………あれ? 食われない??」
青年がちょとほっとしたのもつかの間、青年を乗せた鯛は水龍の後について泳ぎだした。
「えー……どこいくんだよ……もう帰ろうよ……」
げっそりするが面と向かって抗議する度胸もない青年。
ずっと無言の水龍と鯛。
彼らがしばらく進むとぼんやりとした明かりが見えてきた。よくみると、サンゴが発光しているらしい。
「いきなりファンタジックだな。いや、鯛に乗って海の底来てる時点でファンタジーか……」
ぼやく彼の目に、サンゴの発する淡い光に包まれた大きな建物が映る。
「何だよ、竜宮城かなんか……え?」
建物から槍だか銛だかを持った人魚がわらわらでてくるのが見える。
青年は思った。
今度こそダメかもしんない、と。
このゲームはスーパーでウルトラにハイテクなので、AIとかすごいです。優秀です。
というかそういう技術がそこまで珍しくないとこまできてる世界の話なのですきっと。