召喚士の心得
ちょっと説明回です。
《始まりの町》近郊の浜辺にて。
青年は砂浜にひっくりかえっていた。
何せ彼は召喚士。言わずと知れた魔法職である。最初のステータスポイントは全て、知力と精神力に振っていたことに加え、そもそもがレベル1であったため、筋力や持久力は皆無であった。
この鯛は重い。全長は1メートルを越え、重さは5キロの米袋よりは10キロの米袋に近い。
町からこの浜辺までの道のりは、まさしく苦行であった。
肝心の鯛はというと、浜からすこし離れた深みで元気に泳いでいた。HPも少しずつ自動で回復しているらしい。そこらへんは便利な召喚獣であった。
「でも活動できるのが海だけってどういうことだよ……」
青年は砂浜に寝そべりつつ、楽しそうに泳ぐ鯛を眺めながらぼやいた。
このゲームでは、召喚士と召喚獣の間には絆とか懐き具合、付き合いの長さから扱いの良し悪しまで、やたらと細かい設定があった。簡単にまとめると、長い間大事にしてあげてね、ということである。
普通、初期召喚獣とは一番長く付き合うことになる。 お互いがレベル1の時から共に戦うことになるうえ、強力なモンスターとはある程度までレベルが上がらなければ契約できないからだ。このゲームにおいてモンスターと召喚契約を結ぶためには、対象とするモンスターと召喚士+配下の召喚獣のみで戦い、勝利しなければならない、というなかなか難しい条件が課せられている。そのかわり、存在する全てのモンスター――フィールドボスなどとも契約できるが、契約成功率も100%ではない。そして成功率はモンスターのレベルやレア度と反比例する。運が良ければ1度の勝利で済むが、悪ければ何十回と戦わなければならないのだ。その上、ボス敵の類だと、勝利の上に貢物を要求されたりもする。
それならば、最初のほうに弱いモンスターとたくさん契約するよりは、ある程度まで初期召喚獣の育成・友好度上昇に焦点を絞り、2匹目以降の召喚獣には一定以上の強力なモンスターを狙った方が良い。経験値を分散させると召喚獣の成長が遅くなるし、友好度は戦闘時以外のふれあい(普段のお世話をしたり、種族ごとに違う好物を食べさせたり、一緒に遊んでやったり)をしないと上がらないし、ほっておけば下がってしまう。友好度が下がれば下がるほど召喚獣は言うことを聞かなくなり、段々召喚に応じなくなり、ゼロになれば契約が破棄されてしまう。召喚獣維持はとにかく手間がかかるのだ。召喚士が難職だとか、遠隔呼び出しできるだけの猛獣使いじゃん、などとと言われる原因である。
しかし、青年の初期召喚獣は鯛である。海でしか活動できない召喚獣を育て続けるのは苦労するだろうし、第一、次の召喚獣を捕まえるのに、どうやって陸に持っていくのか。また海のものを捕まえるのか。それでは本当に海辺でしか生活できなくなってしまう。レベル1の初心者に船の購入などできるわけがない――
堂々巡りする思考。
極度の精神的・肉体的疲労にばてている青年の耳に、どこからか羽ばたく音がする。
最初は鳥の類だと思い無視していた青年であったが、鯛が慌てたように砂浜に向ってくるのと、自分の上にただの鳥にしては大きすぎる影が差したため、慌てて空を仰ぎ見た。
その瞬間。
ドーーン、という大きな音と、大量の砂が青年に覆いかぶさってきて、青年は思わず頭をかばう。
「おいおいわかばちゃん、なーにひよってんだよォ」
「きゅーん」
青年の頭上から、そんなガラの悪い女の声と、どことなく困ったような鳴き声が降ってきた。
目を開けてみると、目の前には何か、つるりと白い艶やかな皮があった。まるで爬虫類の腹のような。
「うわっ」
青年が慌てて飛び退き、立ち上がる。
改めて目の前の相手をみると、それは大の男より2回りも3回りも大きいドラゴンであった。鱗の背側は若葉色、腹は白く、黄色い瞳には知性があった。そしてその背中には革製の鞍が取り付けてあり、そこには黒を基調として赤をアクセントに使った魔術ローブを着たメガネの女が乗っていた。紫色の髪は腰まで無造作に流され、赤いたれ目にはただひたすらの邪気があるせいでとんでもなく目つきが悪く見えた。
「おや兄ちゃん、起きたかい?」
女はにやにやしながら鞍から降りてくる。その胸は豊満で、ローブには深いスリットが入っていて太ももがだいぶ見えているにも拘らず、色気というものが全く感じられなかった。
「いやあ、砂浜でぶっ倒れてる兄ちゃんが見えたからさーちょっと驚かしてやろうと思ってさー」
「驚かすついでに騎竜使って不意打ちPKかよ。ふざけんな」
「いーじゃんいーじゃん、寛大で心優しいわかばちゃんのおかげで直撃しなかったわけだしィ」
「まったくよくねー!」
「きゅーん」
大変申し訳なさそうな様子で鳴き頭をたれる、おそらくわかばちゃんだと思われるドラゴン。
主人の代わりに謝ってくれているのだろうか。
「で? 兄ちゃんこんなところでなにやってンのさ? ……お! 鯛じゃん! でかい! よっしゃ、わかばちゃんGO!」
「きゅ!?」
「鯛逃げろおおおおおお!」
わかばちゃんをけしかけようとする女と、必死に抗議するわかばちゃん&阻止しようとする青年の攻防はしばらく続いた。
鯛はさらに沖に逃げた。
「うははははははwww 鯛が初期モンスとか、マジ笑えるんですけどォwwwww」
「うっせー!」
先ほどから女の爆笑が止まらない。
女の暴挙を何とか阻止するため、鯛が初期召喚獣だと説明したところ、この有様である。
「魚が初期とか、兄ちゃんが初めてじゃね?www うくくくく、しょっぱなから鯛とかおめでてーwww」
よかったじゃん、うひひひひ、となおも笑い続ける女。
青年の堪忍袋も限界に近い。
「てめー!」
「で?続けんの?」
「へ?」
「だーかーら、そのキャラでゲーム続けんのかってことォ」
青年は黙り込む。
女と騎竜の乱入で頭からふっとんでいた先ほどの堂々巡りがまたはじまった。
難しい顔でうんうん唸りはじめた青年をしばらく眺めていた女だったが、ふっと笑って言う。
「ま、そのままでもそのうち陸に上がれんじゃないのォ?」
「えっ」
「今現在報告に上がってる水系召喚獣に、ウンディーネってのがいンのは知ってるかい? あれを捕まえるのさァ」
「…確か、陸上でも活動できるんだっけか」
「おーおー勉強してるねェ、あいつなら貢物もキラキラした輝石類、ちょっと綺麗めの石ならなんでもいけるみたいだしさァ、ガラス玉でもいけたって報告もあることだし、海辺中心に活動しててもどうにか調達できるだろーよォ。なンなら海竜の類が陸に近づくのを狙うって手もあるしィ、そいつ捕まえられたら船の代わりになるじゃん?」
「おおお、希望の光が!」
感動する青年に、女は言う。
「やめるンならいつでもできるしさァ、ちょっと続けてみて様子見すンのも手じゃねェの?」
それまでの邪気満ち溢れる笑顔から一転、さわやかな笑みを向ける女。ちょうど彼女の背後から日が差して、とても眩しかった。
「それにさァ、カッコイイだろォ? オンリーワンって。兄ちゃんが第一人者ってことだぜ?」
青年の心は決まった。迷いはここに晴らされた。宣言する。
「もうちょっと続けてみます!」
敬語だった。
青年に見送られつつ、女はわかばちゃんに騎乗し、浜から飛び立った。
青年と鯛が米粒に見えるくらい上空まで上ったところで、女が不気味に笑い出す。
「……きゅ?」
わかばちゃんが不審そうにふりかえると、女は含み笑いしながらこういった。
「あの兄ちゃん、面白ェなァ。乗せやすいしィ」
「きゅ!?」
あの場ではウンディーネだの海竜だのといったが、ウンディーネはともかく、海竜など攻略最前線パーティーかレイドで挑む相手である。とてもレベル1の初心者に薦める代物ではない。
「あいつあのまま勢いで特攻したりしてなァ! からかいがいあって楽しいし、これからも定期的に煽ってみるかねェ!」
「……きゅー」
珍しくまともなことを言っていたと思ったらこれである。
わかばちゃんは背中で哄笑する主人にため息をついた。
ひとりと一匹が去った後。
青年が心地よい潮風にうつらうつらしていると、突然警告画面が出た。
どうやらPTメンバーへ攻撃が加えられているらしい。
慌てて起き上がる青年が目にしたもの、それは――