青年と鯛
――なあ聞いてくれよ
あれ、お前も知ってんだろ、VRMMO
そうそう、頭に機械被ってやるネトゲ、あれでさ、ソーマジって知ってるか?
あれさ、この前始めたんだよ俺、召喚士やりたくてさ
ソーマジで召喚士って結構難しいって言われててさ、強いモンス捕まえて契約しないと役に立たないけど、ドラゴンとかグリフォンみたいな飛行系の強モンス捕まえたらいっきに勝ち組、みたいなかんじでさー
俺は攻略とかよくわかんないからどうでもいいけど、ドラゴンとかグリフォンとかのってみたいわけよ
この前動画でかっこいいやつがでててさー、大空を自由自在ってやつよ、やべえよあれ
かっこよすぎて速攻で貯金崩してゲーム機とか揃えちゃったわけよ
んで、召喚士で始めたわけ
キャラ?ネカマ?しねーよそんなの!
だいたいあれは脳波とかナントカとか測ってるから性別変えられないし、自分の体形からあんまり変化させられねーんだよ、知らねーのか?
……知ってんなら言うなよ!ばかかてめー!
で、とにかく始めたんだけどよ、召喚士は初期モンスが1匹もらえるんだけどよ、ランダムなんだよ
で、出てきたのがさ――
「――なんで鯛なんだよぉ!」
超人気ファンタジーRPG系VRMMO『ソード&マジック・ファンタジアストーリー』、そのゲーム内のプレイヤー初期配置地点。
《始まりの町》の中心部にある噴水広場にて、石畳の上でびちびちと跳ねる非情に生きの良い鯛を目の前にして、黒髪黒目の青年が膝から崩れ落ちていた。
鯛であった。何度目を擦ろうとも、全身をばねにして元気よく跳ね回るそれは、スズキ目スズキ亜目タイ科、マダイと呼ばれるそれであった。天然ものらしく、鱗の紅がやわらかな午後の日差しに輝いている。
「おかしーじゃねえか、こんなモンが召喚された報告なんてひとつもなかったのにッ!」
青年は召喚士についてWikiからまとめサイトから掲示板の類、果ては召喚士系の個人ブログまで調べつくしたこの3日間を思い出して涙をこぼした。そう、最初の1匹目がランダムということで、どんなモンスターが選ばれてもいいように思いつく限りの対策をたてていたのだ。すべては華麗で爽快な空中散歩のため。彼は彼なりのベストを尽くしていた。
――はずだった。
しかし現実は非情である。
『情報サイトは常に最新の未知なる情報を求めています。あなたが利用しているその情報も、他の誰かが調べて書き込んでくれた情報なのです。その見知らぬ誰かに感謝しつつ、あなたが新たな情報を入手した際はご一報ください。 byソーマジWiki』
そう、当たり前といえば当たり前のことであるが、情報サイトは完全無欠ではないのだ。
「いきなりキャラ作り直しかよ……ちくしょう……」
やっとのことで泣き止んだ彼が、それでもまだ黄昏ていたその頃。
「――あら、美味しそう」
大変聞き捨てならないセリフがいきなり泣き出した彼を遠巻きにしていた群衆の中から聞こえたのだった。
群衆をかき分けて登場したのは、数あるプレイヤーズギルドの中でも名の知れた――掲示板巡りしただけの青年でも顔を知っているくらい対外露出が多い――とある生産職ギルドのギルドマスターである料理人の少女であった。金髪碧眼、可愛らしいワンピースの上にフリルのついたエプロン、そして腰には片手剣サイズの包丁を吊っていた。
「いいわね、その鯛。お刺身にどうかしら」
「何言ってんだてめえ! いきなりあらわれて言うことかソレ!」
涙を忘れてすかさずツッコんだ青年に、少女は困ったように言った。
「何って、その魚、放っておいたらどんどん鮮度が落ちゃうわよ?」
「せんど?」
青年は鯛に視線を凝らす。
悪い夢でも何かの間違いでもないという現実を誇示するかのように、鯛の斜め上空中に、半透明のステータス画面があらわれた。
ゲーム開始直後から元気いっぱい跳ねていた鯛であったが、だんだんとその跳躍の間に小休止が挟まるようになっていた。そして、青年の目が釘付けになったステータスはHPバーで……
「減ってる!? 今現在も減り続けてる!?」
賢明な読者諸君はすでにお気づきになっていたであろうが、鯛とは魚類である。
当然のことながら、陸上での呼吸は不可能であった。
「うわあああああああああああ!」
あまりのことに青年は悲鳴を上げた。
「み、みず、水どこだ水ー!」
それをマスターからの指示とうけとったらしい鯛はひときわ大きく跳ね、近くの噴水に飛び込んだ。存外優秀なAIである。
そして、一瞬のほっとした空気ののち、くてっとしなびた。
「……まあ、海水魚だしねー」
「ぎゃあああああああああ!」
少女の生暖かいコメントと、青年の更なる絶望の叫びが広場にこだました。
「そうだ、何か入れ物……おい、誰か水の漏れない箱とか塩とか持ってないか!?」
青年は鯛を救おうと面白おかしく生ぬるく見守る見物客たちに呼びかけたが、
「水じゃなくて氷のほうがいいだろ?」
「塩? 醤油じゃなくて?」
群衆をかき分けて新たに登場した、色黒でガタイのいい大男が首尾よく差し出す砕氷を敷き詰めた木箱と、少女がどこからかとりだした醤油瓶の前に、その試みは撃沈した。
青年は震えながら彼らを見る。
そこには、あからさまに初心者装備をした青年への親切心と、生きの良い鯛への食欲しか存在しなかった。
観客たちはこの突発的な刺身の振る舞いに胸を躍らせている。
陸よりは楽そうとはいえ、どんどんへたっていく鯛を胸に抱きあげ、青年は遁走した。