ロアエ山 ~登山~
ロアエ山の登山口に到着した。
ハイザーの村に辿り着くまでの草原に道はなかったが、ロアエ山までの道は十数年前まで旅人が通っていたこともあってか、荒れ果ててはいたが、しっかりと踏みしめられた道があった。
道中で何度か闇魔と遭遇したが、マイルイーターほど集団で襲ってくることもなく、各個撃破することで難なく撃退できた。
改めて、マリアの魔法と、ノールの槍術がどれほど優秀であるかを、アルバは再認識する。
山に近づくに連れて、風が強くなってきているのを感じてはいたが、実際に登山口まで近づいてみると、その勢いの強さがよく分かる。
太い幹が長年強風に煽られて、南側に傾いた形で映える樹木。あまり数も多くないそれらは、風に揺られて不気味な海鳴りに似た音を立てる。
落石で転がって来たのか、周囲には大きな岩が幾つも点在していた。
剥き出しになった土が示す、山の奥地へと伸びる道の先には、荒れた山肌が見える。
山から吹き降ろす強い向かい風が、マリアの長い黒髪を踊らせる。
鬱陶しそうにマリアが自分の髪を細い糸で縛り、前髪を髪飾りで留めた。
「うひゃー。すっごい風だねぇ。狩りの為に何度か近くの林までは来たことがあるけど、ここまで風が強かったなんてねぇ」
アルバの隣に立っているノールが槍を地面に突いて身体を支えつつ呟く。
まだ立っていられるほどの風ではあるが、彼女の背の翼は広い面積を取るため、彼らよりも風の影響が強そうだ。
「今から山に昇るのに、ここまで風が強いと山頂まではかなりキツそうだね」
アルバは苦笑しつつ、荷物を背負い直した。
村長の話によると、このロアエ山は手前と奥に大きな二つの峰があり、その間に“風精の谷”への入口があるらしい。
場所についてはマリアが一度訪れたこともあり、風精の居場所も感じることが出来るので問題はない。
とりあえず手前の山を越えないことには、“風精の谷”へは辿り着くことはできない。しかし、この風だ。
「うーん、風の影響を受けないためにも、なるべく一列になって進もう」
「少しの風の影響なら問題ない。私が魔法で抑える」
マリアが小さく魔法呟いて魔法を行使すると、向かってきていた強風が彼らを避けて通るようになった。
「おおー! 魔法って奴は便利だねぇ。やっぱりあたしも教えてもらおうかな」
「これで、多少の風は防げる。でも、時折吹く強風は完全に防げないかもしれない。それに、魔法の維持の為に、私は戦闘ではあまり活躍できない」
驚くノールの言葉に、マリアがそう返した。
マリアが複数の魔法を同時に行使出来るのは知っているが、常時同じ魔法を発動し続けるのは難しいことも分かっている。
山を登る間は、アルバとノールが彼女を守りつつ進むことになる。
「戦闘は、任せた。“頼りにしてる”」
「うん。任せてよ!」
「ははは! あたし一人でも充分さ!」
マリアの言葉に、二人が明るく返した。二人の笑顔にマリアも微笑む。
「さぁ、行こう! 普通の旅人が越えることが出来たなら、どこかに休憩する場所も自然と設けてあるはずさ」
アルバとノールが前を並んで歩き、少し後ろにマリアがその背中を追う形で、彼らの登山は開始された。
▲▽
「くっ! アルバ、後ろ頼んだよ!!」
「分かってる!」
登山を開始してからだいぶ時間が経った。それでも未だに山の山頂は見えてこない。
標高は高くなってきているのを感じるが、恐らく、まだ中腹辺りだろうか。
彼らの歩みが思った通りに進まないのは、彼らに襲い来る闇魔の数が異様に多いからだ。
アルバが、彼らの後ろにいるマリアに迫りつつあった大型の闇魔を短剣で切り伏せた。
巨大な蜂で、細かく羽を動かして針のついた尾を突き出してくる。
「『吹き飛べ』」
同時に、マリアの魔法の行使で、周りに機会を伺い漂っていた蜂たちが風に押されて、羽を千切り飛ばされながら吹き飛ぶ。
ノールが槍を振り回しながら前方に突貫する。目の前には三匹の犬ほどの大きさの闇魔の姿。
針の様な体毛と腹部に硬い蛇腹の皮膚を持つ鼠型の闇魔に彼女は突きを放つが、穂先は腹に刺さらずに蛇腹を滑る。
小さく舌打ちをしながら、視界に入った他の二匹が身体を丸めて突進してくるのを跳んで躱す。
「面倒なこって!! ここはどうだい!?」
突進してきた二匹が互いにぶつかったのを視界に捉えながら、槍を引き、立っている鼠方の闇魔の顔に身体の勢いを乗せて空中から一気に指し貫く。
思った通り、顔から地面まで串刺しにされた闇魔を着地と同時に槍を振るって引き抜いた。
「でやっ!! 次!!」
蜂の闇魔の羽を切り裂き、地面に叩き落として踏み潰したアルバが前方に加勢する。
闇魔の足元に短剣を突き刺して魔法を唱える。
「『土を操るは土精の許しなり。沈め』! ノールっ!」
「あいよ!」
魔法の行使で柔らかくなった地面に、互いにぶつかって針状の毛が絡まっている二匹が足を取られているうちに、二人で一匹づつを片付けた。
「ふぅ。やっと一息つけそうだよ。それにしても本当に闇魔が多いねぇ」
半身を土に埋めている鼠型の闇魔を足で踏みつけながら、ノールが溜息を吐く。
続けざまに何度も戦闘になり、流石の彼女でも疲労しているようだ。
彼女の言うとおり、次から次に闇魔が襲い掛かってくる。
闇魔の活動が盛んになってきているというのは本当のようだ。これでは旅人が山を越えてくるなど出来るはずもない。
山を登るに連れて、周囲には低木が多くなり、山肌が剥き出しになってきている。
前方には今だ高く聳える岩の山が見えている。
闇魔はこの環境に適応したのか、強い風を諸共せずに風に揺られるように彼らの前に現れた。
こちらもマリアの魔法のおかげであまり風を気にせず戦えるからといって、体力には限界がある。
アルバは乱れた息を整えながら、周囲を見渡す。
もう登山を始めてから随分時間が経っている。
マリアも断続的に魔法を行使しているのだから、精神的にも疲れてきているはずだ。
その証拠に、時折吹く風を相殺することができなくなってきている。
ノールも気丈に笑ってはいるが、ずっと矢面に立って戦っているせいで、だいぶ生傷も多い。
(どこか、休める場所はないのか……)
「あたしが少し先を見てくるから、あんたらはそこで休んでな。闇魔の気配もとりあえず無いから、大丈夫だろう」
ノールがそう言って、岩壁に添って先に歩いて行った。
彼女の言葉に甘えて、二人は近くの岩に腰を下ろす。
周囲を見渡しても、あるのは細い登山道と崖、それに高い岩壁だけだ。
人が通れるほどの道ではあるが、なかなかの急勾配だ。足にも疲れが来ている。
座った途端にどっと疲れを感じて、アルバは大きく深呼吸をした。
隣に座ったマリアは、まだ魔法を維持しているためか何も話さない。
その表情は何かを探っているかのような険しい表情だった。
「大丈夫かいマリア? 周りの木の揺れ具合から、ここはそこまで風もないみたいだから、魔法を解いても良いよ?」
アルバの言葉に軽く反応を示しながらも、マリアは魔法の行使を止めない。
何か違和感を感じているようだ。
そして、何かに気づいたのか、ハッとした表情で呟いた。
「……近くに、風が吹いていない場所がある。たぶん、洞窟」
「本当!? ……でも、岩壁にそれらしき穴は空いてないけど……」
マリアの言葉にアルバが立ち上がって、周囲を見渡すが、それらしきものは見当たらない。
「魔法の効果範囲に入っているから、近くにあるはず」
もしかしたら、今、背にしている岩壁の裏か上に洞窟があるのかもしれない。
そうアルバが考えてもう一度歩き出そうとしたときに、様子を見てくるといったノールの声が前方から聞こえてきた。
「おーーーい! 登っておいでーー!!」
その声に気づいて、二人が彼女と同じように岩壁に添って先に進んで見ると、大きな岩を乗り越えた先に、ノールが地面を覗き込むように屈んでいた。
彼女の見つめる場所には、岩壁の土の部分を削ったようにできた洞窟。
「おっ、来たね。もしかしたら何か野生の熊とかの住処かもしれないけど、微かに中から風が吹いてきてる。どこかに繋がってるのかもしれないね。」
「あはは。闇魔の巣だったりしないよね?」
「分からないけど、外で休むにしても闇魔が襲ってくる可能性はあるじゃないか。なーに、何か居てもぶっ飛ばせばいいだけさ!」
確かに、外にいる限りずっと闇魔に襲われる可能性は付き纏う。
洞窟に入れば、不意打ちをされる危険性も少ないし、何よりマリアを休ませて上げることが出来る。
意を決して、三人は洞窟の中に足を踏み入れることにした。
洞窟の中は光の粒子が舞っておらず、真っ暗だった。
代わりに、岩肌にほんの小さなトルクが埋め込まれるようにして輝きを放っている。
それだけでは暗い洞窟の中を歩けるほどの光量に達していないが。
不思議に思っていたが、光の粒子はあの強風の中でもいつもと変わらずに辺りを漂っていた。
何かの物質であるならば、風に吹かれて流されるのが当然であるはずなのに、あの粒子はその影響を受けない。
今までの生活を思い出しても、建物の中に入ってくることもないのに、屋根にも積もらず、地面に着地しても形として残ることはない。
その上人体は触れずに通過する。
今までは、この粒子が魔素の正体であると思っていたので、そこまで気にすることはなかった。
しかし、ウルムとの会話の中でこの粒子が何か別の物質であると知ってしまった今では、その物理法則を無視した実態がとても不思議でならない。
アルバはローブのポケットから二つのトルクを取り出し、一つをノールに手渡した。
村長から貰ったトルクも、マリアが幾つかのトルクを集めて作ったものとは比べ物にならないが、それでも充分な明かりになる。
辺りを照らすトルクの明かり頼りに、前方に掲げながら歩く。
光量の強い方をノールが持って先頭を歩き、殿にアルバ、間にマリアが並び、一列になって洞窟を進んでいく。
洞窟は緩やかに下っており、足元は土と崩れた小石が散らばっていた。
奥から何か小さな唸り声のような音が洞窟の中を反響している。
冷たい微風が彼らの身体に触れ、横を通り抜けた。
トルクと武器を構えながら、慎重に洞窟を進んでいく。下りの道を少し進むと平坦な道になり、洞窟の幅が狭くなってきた。
「小さな穴があって行き止まりかな? ここでも充分休めそうだからここで休憩しても良いけど……」
「いや、音の正体も掴めてないから、先を見よう。安全を確保しなきゃ休むに休めないよ」
ノールの言葉に従って、三人は狭くなっていく道を進む。
少し進むと、ノールほどの身長では頭をぶつけてしまいそうなほどに道が狭くなったので、アルバが先頭に立った。
洞窟に入って数分進んだところで、一段と頭上が狭くなった場所があった。風がそこから吹き込んできている。
そこを通り抜けると、人が十人は優に寝転がることはできるほどの広間に着いた。
天井はとても高く、どこかに横穴でも空いているのか、風が通り抜ける音がする。
この音が広間の壁に反響して、狭い入口を通る時に、唸り声のように鳴っていたのだ。
広間の中央には、朽ちた薪の跡と動物の骨や羽などの残骸。
足元の柔らかい土には、以前この場所にやって来たのだろう人物の足跡が風に曝されながらもまだ残っていた。
「どうやら、ここは旅人たちが使ってた休憩場みたいだね」
「まぁ、熊とかも使ってただろうけど、運良く今回は何も住み着いてなかったみたいだねぇ。まぁ、今日はここで一泊するとしようか」
「『灯って』。……うん。空気もしっかりと通っているから、火を焚いても問題ない」
マリアが朽ちた薪のある場所に火を灯す。いい感じに乾いて炭になっていた薪に火が燃え移り、暖かな炎が辺りを照らした。
荷物を置き、地面を軽く払ってから、アルバとマリアが座る。
「あたしは、外から薪になりそうな枝とかを拾ってくるから、何か飯でも作ってておくれよ」
ノールが槍とトルクを持って、洞窟の外へと出ていった。
休む間もなく戦闘を続けて山を登って来たので、疲労とともに空腹が襲ってくる。
言われた通りに、持ってきた荷物の中から食料と器具を取り出して、疲労からか、会話もなく調理が始まった。
幸運にも、外でノールが仕留めてきた小さな鹿が食事に並び、薪を囲んで三人は食事を摂っていた。
食事も一段落着き、ゆったりと休んでいる時に、ノールが二人に話しかける。
「ねぇ。あんたたちが旅をする目的はこの間しっかり聞いたから分かったんだけどさ。その“仇成者”だっけ? そいつらがマリアを襲う理由ってのはなんでなのかねぇ」
「うーん。僕たちも明確な目的までは分かっていないんだよ。ただ、彼らは僕たちが持っている精霊の涙を狙ってきていること。“闇の精霊”から生み出されたってことくらいしか。これも説明したけど、マリアが精霊術師であることも関係しているんだろうね」
「んー。旅に着いていくって決めたからには、あんたたちの言うことは信じるけどさ。どうにも腑に落ちないんだよねぇ……。なんか、モヤモヤするよ」
ノールは首を傾げながら、不満そうに顔を顰める。
彼女にアルバが明確な説明をできないのも仕方がない。彼だってそれを知りたいと思っているのだから。
彼の調べていた神話などを加味して考えても、精霊術師が“闇の精霊”に関係しているのはまず間違いない。
マリアの母、ロザリアも、闇の精霊を“慰める”ためにその力を行使させられていたと語ったのだから。
原初の精霊にも人間的な感情があるのならば、光の精霊を神に連れ去られ、闇の世界で孤独になってしまった闇の精霊の気持ちも分からないでもない。
そして、闇の精霊が強い力を持っていることも、“世界の存続”の為という所から分かる。
しかし、だ。ノールも話を聞いてアルバと同じ疑問を持っているに違いない。
――なぜ“神”が、精霊術師を数ある人間の中から選び出し、禁忌を犯したという闇の精霊を慰めるような事をさせる?
――なぜ、見放したはずの世界に“神”が干渉する?
まるで、――闇の精霊を、この世界の崩壊を“恐れて”いるようではないか。
そして、闇の精霊が生み出したという“仇成者”たちが、早々にマリアを攫っていかない理由も分からない。
あれほどの力があるのに、マリアを攫うわけでもなく、先に精霊の涙を求める。
それもまた不可解な行動だ。闇の精霊を慰めるのが目的ならば、さっさとマリアを攫って拘束してから、奪われた“涙玉”を探せば良い。
それに、“闇魔”だ。仇成者たちは、闇魔を引き連れていた。つまり、闇魔は闇の精霊に関係があるということだ。
マルシアは、“闇魔は絶対悪ではない”と語った。その言葉がまた深くアルバを悩ませる。
考えすぎて頭が痛くなったアルバに、ノールが地面に寝転びながら口を開いた。
「あーーーもう!! 自慢じゃあないけど、あたしは考えるのが苦手なんだ! その闇の精霊ってのに会ってから直接聞きゃあ良い話だね。考えるのやーめた!」
付き合いはまだ短いが、彼女らしい言葉にアルバも何となく考えるのが馬鹿らしくなる。
考えても分からないならば、前向きに前進あるのみだ。
ふと、自分の話をされているのに会話に入ってこないマリアの事が気になって、アルバは彼女を見た。
やはり彼女も疲れていたのだろう。今にも瞼が閉じてしまいそうで、うつらうつらとしている。
だいぶ標高も上がり、寒いのか膝を抱いて肩を竦めている彼女を、同じように見ていたノールが呼んだ。
「ほら、マリア! こっちにおいで。あたしの翼を布団にして寝るといいさ。土で顔が汚れるのも嫌だろ?」
「……うん」
よたよたとノールに近づき、素直に彼女が大きく広げた翼の羽の上に丸まって横になるマリア。
彼女が横になって、すぐに寝息が聞こえてきた。
いかにも暖かそうなノールの羽布団。彼女自身は土に直に背中を着けて寝転んでいるのだが、それは気にしないのだろうか。
マリアの頭を撫でながら、ノールが目線をアルバに送ってくる。
「ふふっ。あんたは来ないのかい? ほら、反対側が空いてるよ?」
「ぐっ……。大丈夫……だよ。ほら、火の番とか、しなきゃいけないし……」
誘惑に負けない様に必死に感情を抑えて、薪に枝を折ってくべるアルバ。
「ふーん。あんたもなかなか“純情な”男だねぇ。まっ、そうでなきゃ、今頃マリアも美味しく頂かれちゃってるだろうしねー」
そう言ってニヤニヤとした視線を向けながら、もう片方の翼で自分とマリアを包み込むように横になるノール。
「じゃ、あたしも寝るから、あんまり無茶せずに早く寝るんだよ。闇魔の心配もなさそうだしさ」
近くに置いてあった荷物から、水の入った革袋を取り出し枕がわりにして、彼女は目を瞑った。
少し経って、二人の幸せそうな寝息が聞こえてくる。
「くそぅ……。最初から、一緒に寝るつもりなんてなかった癖に……」
これみよがしに彼の隣に乾かして丸めて置いてある鹿の皮を睨みつけながら、アルバは黙々と木を薪にくべ続けた。
静かな寝息と微かな風鳴り。そして、薪が燃えて弾ける音が洞窟内に寂しく響いていた。




