翼の村
草原の緩やかな下り坂を下って行くと、次第に獣道がしっかりと踏みならされ、両脇には木の柵がされるほど立派な道になっていた。
眼前に見えていた明かりは更にはっきりと捉える事が出来るようになる。
見間違いなどではなく、それは焚かれている大きな火の明かりだった。
近づくに連れて、明かりに照らされた場所の全貌が見えてくる。村だ。
あまり丈夫そうではない木の柵が周囲に張り巡らされ、大きくはないが、何件かの家が密集するように建っている。
村の入口らしき場所がしっかりと見え始めた時、安堵した表情でアルバが後方の少女へと振り返る。
「やっぱり、人が住んでたんだ。ウルムさんの言うとおりだったね!」
人里に辿り着くことの出来た喜びを満面の笑みで語るアルバに対し、マリアはどこか緊張した表情でその影を見つめていた。
彼女はあまり人と接した機会がないのだから、緊張するのも無理はない。
しかし、人と触れ合うことに緊張感や不安を持つ事と、最初から人を忌避するのでは随分と違いがある。
彼女も、今まで得ることの出来なかったものを集めようと必死なのだろう。
それに、人里に着いたことを喜んでばかりではいけない。
何しろ、村の人々にとっては、こちらは異邦人だ。得たいの知れない旅人を快く受け入れてくれるとは限らない。
それこそ、言葉が通じなかったり、いきなり武器を向けられる可能性の方が大きいのだ。
こちらに敵意がないとしても、それが上手く伝わるかは分からないのだから、難しい。
「とりあえず、行けるだけ行ってみよう」
考えても仕方ない。最悪の場合は逃走することも考慮に入れて、アルバは腰の短剣の紐を緩め何時でも取り出せるようにし、ローブのポケットにトルクがあることを確認してから、村の入口へと向かった。
段々と村の入口が近づいてくると、入口の傍に焚かれている松明の傍らに人が一人佇んでいる人影が見える。
随分と背が高く、影から見るに、体格も良い。
身の丈を越える棒の様な物を片手に、堂々と立っている姿から、村の門番と見て取れた。
こちらが見えているのだから、当然向こうも気がついたようで、地に付けた棒の様な物を両手に掲げ、威嚇するようにその場に構えた。
これはまずいと思ったアルバは、その人物に聞こえるように大きな声で語りかけた。
「待ってください! 僕たちは旅人です! 人の居る気配を辿ってこの場所まで来ました! どうか話しを聞いていただけませんか!」
言葉が通じるか心配ではあったが、その人物にはどうやら通じたようで、少し迷っているように見えた。
数秒、硬直状態が続いたあと、その人物は長い棒を地に突き立てると、腰の辺りから何かを取り出し、手を左右に震わせる。
乾いた鈴の様な音色が響く。恐らく、見張りの仲間を呼んだのだろう。
村の入口付近にあった家から更に二人の人影が現れた時、返答が返ってきた。
「腕を上げて、そのまま進んで来な! 妙な真似をしたら、撃つ!」
後方から現れた二人は弓をこちらに向けている。
警戒されるのは仕方がない、とアルバはマリアに視線で問いかけた。
マリアが頷いたので、二人で腕を上げてゆっくりと前に歩み出る。
お互いの顔が確認出来る距離に近づいた時に、長い棒を持った人物から声が掛かった。
「よし! そこで止まりな! 旅人、にしては随分と幼いね」
近づいてみて、声の主の全貌が明らかになった。
見張りをしていた人物は背の高い女性のリンブルであった。
体格が良いように見えていたのは、彼女の背にある“茶色の翼”のせいだろう。
見れば、少し後方で弓を構えている人物たちは男性で、その背にも大きな翼が生えていた。
―“鳥”の形態を持つリンブルたちの村。
アルバはそう判断した。あまりジロジロと見ては不審な動きに思われると考え、アルバは女性の目を見つめる。
二人の来訪者の全身を隈無く見つめていたその女性は、危険は少ないと判断したのか、後方の男たちに弓を下ろすように命令し、地に突き立てていた棒、いや“槍”を片手に近づいてきた。
「もう腕を下ろしていいよ。あんたたちが何で“魔の森”の方角から来たのかは知らないけれど、どうやら“ハグレ”たちではないみたいだし、擬態した闇魔でもなさそうだ。まさかワイザーの子供とは思わなかったけど」
「ありがとうございます。あまり詳しくは話せないんですが、僕たちはあの山の方に向かって旅をしているんです。出来たら、一晩宿をお借りしたいのですが」
腕を下ろし、アルバがそう言うと、女性は少し怪訝な顔を見せたが、数度頷いてまた口を開く。
「ふーん。まぁ、詳しくは聞かないさ。それに、見たところ旅をしているっていうのも嘘ではないようだしね」
アルバたちの足元。靴やズボンに土や草汚れが着いているのを見て、彼女はそう判断したのだろう。
「おいで。どうやらだいぶ疲れてるみたいだし、今日はゆっくりしていくと良い。といっても、久方振りの客人だから、村の老人や若い衆も、皆が皆して面白がって群がってくるだろうけどね」
彼女は着いてくるように彼らに言い、村の入口へと歩いて行く。
二人はその背中を追って、村の門を潜った。
村は規模から見て、住民は五十人ほどの小さな村であることが分かった。
明かりは火を焚くことで保っているらしく、どの家の玄関口にも、松明が掲げてある。
村の通りを女性の後ろを着いていきながら歩く彼らに気がついて、扉を開けて顔を覗かせている住人や、足を止めて興味深そうに見つめてくる者もいる。
まるで逮捕されて連行される犯人を見るような感じだが、その目線に敵意が籠っていないのが唯一の救いだ。
「ははっ。悪いね客人。皆なかなか外にも出れないもんで、知らない人を不思議がってんのさ」
女性が辺りをキョロキョロと見渡しているアルバに気づいて声を掛けてくれる。
「いえ、気にはなりますが仕方のないことだと思います。あっ、そういえば自己紹介がまだでしたね。僕の名前は、アルバ。彼女は、マリアといいます」
「おおっと! これはすまなかったね。あたしの名前は、『ノールメア』。気軽に『ノール』って呼んでおくれよ。もうすぐ村長のところに着くから、もう少し我慢しておくれ」
『ノール』と名乗った彼女は、明るく大きな声で返してくれた。
ノールが言うとおり、彼らの目の前には周囲の家よりも立派な建物が見えていた。騒ぎを聞きつけたのだろう。その家の玄関口には彼女と同じく槍を持ったものが二名ほど彼らの到着を待っていた。
「ごくろうさま。特に危険な人物ではないみたい。旅人で、宿を借りたいんだとさ。通してくれるかい?」
ノールが立っていた二人の男にそう話しかけると、彼らは疑わしい眼差しで、彼女の後方にいるアルバたちを見たが、特に異存もなかったらしく、すんなりと彼らを通してくれた。
「爺さん、邪魔するよ!」
ノールが中からの返事も聞かずに、扉を開き、中へと入っていく。
その乱暴さに少し呆気にとられたアルバだったが、小さくお邪魔しますと言って、彼女に続いて家の中に入った。
家の中は思ったよりも明るく、天井からは良く見知ったトルクが吊り下げられていた。
てっきりトルクは使われていないものだと思っていたアルバがそれに驚いていると、奥の部屋の扉が開き、背の高い老人が杖を突きながら歩いてきた。
「おお、ご苦労じゃったなノール。して、その旅人というのは何処におるんじゃ?」
「もう目まで衰えたのかい爺さん? ここだよ、あたしの後ろにいるじゃないか」
「お前の後ろにおるから見えんのじゃろうが」
「おっと、こりゃすまないね」
ノールが横に一歩大きくずれると、村長の目にも旅人の姿が映った。
金色に輝く髪と澄んだ青い瞳を持つ少年と、漆黒の髪と深い黒の瞳を持つ少女。
「ほほ、可愛らしい旅人がおったもんじゃて。ほれ、立ったままでは辛かろう。座りなさい。ノール。お前は茶でも入れておくれ」
「はいはい。アルバとマリアは座んな」
背中を押されて促され、アルバたちは部屋の中央にあったテーブルの椅子に腰掛けた。
ノールはそのまま部屋の隅にある調理場に歩いて行き、竈に火を入れている。
村長が彼らと対面の席に着き、話を始めた。
「可愛らしい旅人さんや。名前は、アルバとマリアというのかの?」
「はっ、はい。僕がアルバで、彼女がマリアといいます。突然の訪問をお許しください」
「……よろしく、お願いします」
年老いた外見から発せられる威厳を感じさせる声に、アルバは少し緊張しながらもそう答えた。
対してマリアはあまり普段と変わらない口調で挨拶し、頭を下げている。
「何、緊張しなくてもよい。お主たちに危害を加えるつもりはないよ。むしろ、良くこの『へイザーの村』に来てくださった。歓迎するよ。」
村長は、そう言って柔和な笑みを彼らに向けた。
その言葉に、アルバは心底安堵する。もしこの場で受け入れてもらえなかったら、力づくでも逃げなければいけなかったかもしれないからだ。
「ありがとうございます。この恩は必ずお返しします」
「うむ。それで、お主たちはなぜこの村に? それも“魔の森”の方角から川を越えてやってきたという話ではないか。差し支えなければ教えてくれんかのう」
村長がそんな質問をしてくる。アルバもそれを聞かれることは予想していたが、どう話していいものか思い悩む。
包み隠さず伝えたところで信用されるような話でもない。むしろ、話してしまえば村を追い出される。いや、最悪の場合殺されてしまうかもしれない。
それに、そんなに軽々しく人に伝えても良い話ではないのだ。何しろ、これは“世界を変える”ための旅なのだから。
「それは……」
言い淀んだアルバの表情を見て、村長は少し不思議な顔をしたが、何かしら言難い理由があるのだろうと判断して、口を開いた。
「よいよい。そんな若い身空で旅をしておるのじゃから、何かしら簡単には言い出せない理由があるのじゃろうて。深くは聞きはせんよ」
「……すみません。ただ、僕たちは北方に見える山を目指しています。川に添って草原を抜けているときに、たまたま対岸に桟橋を見つけて、この村へとたどり着きました」
せめて、話せるところだけは話しておかなければならないと思い、アルバは村長にそう説明した。
お茶を入れて入れたコップを盆に乗せて、ノールが調理場の方から戻ってきた。
「ほらよ。熱いから気を付けな」
温かそうな湯気を立てるコップがそれぞれの前に置かれ、ノールは少し椅子が軋むくらいに大袈裟に席に着いた。
「ありがとうございます」
「すまんの、ノール。それで、山に向かうとな? ふむ。あの山は通称“風精の山”、本当の名は『ロアエ山』といってな。風精様が住んでおられるんじゃ。一昔前まではあの山を越えてこの村にも旅人が頻繁に来ていたんじゃが、数年前から闇魔どもの活動が活発になりおってなぁ」
やはり精霊のいるという山に近いこともあって、この村では精霊の話も伝わっているようだった。
言うべきか迷ったが、有益な情報が手に入るかもしれないと考え、アルバは山に行く目的を話すことにした。
「実は、僕たちはその風の精霊に会いたいから、山を目指しているんです。良かったら、何か知っている事を教えていただけないでしょうか?」
「なんと! 風精様に会いたいとな! うーむ。これは驚いたのう。よっぽどの事があるのだとは思ってはいたが、まさか精霊を求める旅人がおるとは」
心底驚いた表情の村長に、アルバはしくじったかと思った。
風精様と呼ぶくらいに風の精霊が信仰されているのならば、居場所を聖域として扱っていてもおかしくはない。
そして、そこに立ち入ろうとする者を好ましくないと思っている可能性もある。
内心でヒヤヒヤしているアルバに、村長からではなく、ノールから言葉が掛かった。
「はっはっは! 面白い事言うじゃないか! そんな御伽噺をどこから仕入れてきたんだい? 風精なんて、あたしがちっちゃな頃に爺さんから聞いただけの作り話だってのに」
豪快に笑いながらそう言い放つノール。
精霊の存在を信じていない発言に、アルバは面食らう。そして、彼が心配していたことも考えすぎであったことを悟った。
彼女の態度から、本当に精霊の存在など信じていない事が見て取れる。
つまり、追い出される様な心配は無くなったが、代わりに有益な情報を手に入れることはできそうもない事が分かった。
「あはは。えっと、ある人からその山の先に大きな街があって、風の精霊様に聞けば連れていって貰える、と聞きまして……」
「へー。南の方から来たって事は、“ハグレ”の一人に聞いたのかね。そうだったら、あいつらもなかなか面白い事するじゃないか」
「こりゃノール! 森に住む彼らも、我らと同じ人間なのじゃから、そう言う差別した呼び方はやめんか!」
咄嗟にアルバは嘘を着いた。御伽噺としてしか伝わっていないものを本気で追い求めていると言ってしまえば、更に突っ込んで聞かれることは間違いないからだ。
それにしても、彼らが言う“ハグレ”とはいったい何者を指す言葉なのだろうか。
アルバたちの旅の出発点である森の存在を、彼らが知っているのは会話から分かるが、彼らがあの森を“魔の森”と称する意味が分からない。
「あの、質問ばかりで申し訳な―」
「誰か走ってくる」
アルバがそれを質問しようとしたときに、家の外が何やら騒がしいことにマリアが気づいた。
彼女が言い終わると同時に、村長の家の扉が強く開かれ、中に男が一人駆け込んできた。
驚いて振り返ると、その男は先ほどこの家の前で控えていた片方の男であることがアルバにも分かった。
彼は全力でここまで駆けてきたことで乱れた息を整える間もなく、大きな声で言い放った。
「ノール! 村の北側の畑に、闇魔の集団が群がっている!! 救援を頼む!!」
「なんだって!!?」
それは、救援の要請。闇魔の襲撃を伝える知らせだった。
乱暴に席を立ち、ノールが彼を抱きかかえるようにして支えつつ、状況を確認する。
「被害は? 誰か巻き込まれている者は?」
「はぁ、はぁ。家畜が何匹かやられてる。子供と、その親の二人が、囲まれているそうだ。急いでくれ」
息も絶え絶えにその場に座りこんだ男に、一言ノールは感謝を告げて、壁に立てかけていた槍を片手に扉を開けてこちらを振り返る。
「すまないね! 私は救援に行かなきゃならない! あんたたちはここで―」
「僕も行きます!! 武器もあるし、魔法もある! 役に立てるはずです!」
アルバは駆けて出ていこうとするノールにそう言って、同じように席を立った。
マリアもスッと立ち上がり、彼の横に立つ。
一瞬アルバの武器である短剣に目を向け、次に彼らの覚悟を確かめるように目を見つめる。
―そこには、強い“意思”が表れていた。
「―ははっ! “気に入った”! “魔法”が何だか知らないが、悪いけど手伝って貰うよ!! 怪我しても知らないからねっ!!」
そう言ってノールは駆けて行く。
後を追って、アルバとマリアも家を出る。村長は何も言わなかった。
他の村を守る男たちが、村長の家に駆けてくる音が聞こえる。
精霊の存在を知り、それを求める素性のわからない少年たち。
彼らが来ることが発端となったかのような、突然の闇魔の襲撃。
―これは、“偶然”だろうか?それに―。
「“魔法”か。彼らが、“選ばれた者たち”なのかのぉ……」
村長は小さく呟きながら、感慨深げに頭上で輝くトルクを見つめていた。




