影と明かり
暗い。もはや姿も確認出来ぬほどの“闇”に包まれた広い空間。
そこに、禍々しい赤い光がポツポツと灯り始める。火のように煌めき微かに揺れる様な淡い光ではない。
どす黒く脈を打ち鳴動する、血のように赤い光。
見るからに邪悪な光は、細長く気味の悪い角のようなものから放たれているのが分かる。
その空間に現れたのは、七つ。
形状は様々であるが、どれも不気味に明滅しその存在を強く主張する。
ただ、照らし出されているのはその角だけで、持ち主たちの姿は視認できない。
徐々に七つの光が集まっていき、やがてある一定の間隔を開けて円形状に綺麗に並んだ。
「……“知聖都市”では失敗に終わったそうだな」
深くドスの効いた声が響く。大きな声ではなかったが、直接脳に響くような重い声だ。
「ええ。やはり“精霊術師”の力は侮れませんね。ノホホ……」
「精霊どもがひた隠しにする、小娘の居場所を突き止めたのは褒めてやる。しかし、あれだけの戦力を使って、小娘も、“目的の物”も手に入れずに退却するとはな」
「ノホホ。返す言葉もありませんねぇ」
「ふん、この狸爺めが」
嗄れた老人の声が、軽い調子で返す。反省している様な態度は声を聞く限りでは感じられない。
しかし、彼らの会話に険悪な雰囲気は無く、両者にあまり大きな感情は読み取れなかった。
「それで、“人間の力”ってのはどんなもんだったんだよ。爺とマグナが二人行っても落とせなかったんだ。割と苦戦したんだろ?」
また違う、少しおちゃらけた様に聞こえる男の声が会話に混ざった。
それに、マグナと呼ばれた者が返答する。
「殆どは相手にもならない者ばかりだ。魔法を使えぬ者も多く居た。しかし、姿は見せなかったが、中には我らに匹敵するような者もいるようだ」
「ええ、マグナの言う通りです。上空から奇襲させた“巨大闇魔”も退却前にやられました。あれは私たちでも従わせるのに多少苦戦した代物ですからねぇ。幸い、死体は回収出来たので良かったのですがね」
嗄れた声の老人、アルメダがそう付け加えると、その場にいる他の者たちから感心した様な声が口々に漏れる。
そこに一人として、恐怖を感じているものはいない。
人間は、彼らにとって興味を持つ対象ではあるが、驚異となる対象ではないのだろう。
「あの学園というところを先に襲撃出来ていれば良かったのだが。まさか二重に魔法障壁が張られているとはな。一応、若い芽は焼き払っておいた。人間は直ぐに増えるからな」
「むしろ、あの場所が厳重に守られているということは、そこに“目的の物”があったということなのでしょうねぇ」
「あーあ。俺も行けば良かったぜ。巨大闇魔倒せるくらいの奴なら多少は楽しめただろうに」
「そういえば、少し前に南の大陸の方で、異常な魔素反応があったようですよ」
「えー。どうせまた火山の闇魔が癇癪起こして、どっかーん! とかそんな感じでしょー?」
「あと十数年は心配無いだろうが、出来るだけ早く“あれら”を取り戻さなければな」
「またまた~。結構『グリケス』も楽しんじゃってるんでしょ? 久しぶりの“お祭り”だしさ」
その場にいる者たちが、口々に話し始める。
普通ならば、誰かがまとめ役を引き受け、情報の統合や確認をするべきなのだろう。
しかし、誰もその雑談を止めようとはしない。むしろ、その会話に混ざり、楽しもうとするものばかりだ。
元々、この会合は厳粛な会議の為に開かれたものではない。これは、ただの座談会に過ぎないのだ。
彼らにあまり協調性というものはない。各々が自我が強く、その行動理由も様々だ。
個々が強い力、違う意思を持ちながらも、彼らが互いに対立しないのは、彼らが一つの目的の上に“生み出された”存在だからだ。
理由は違えど、皆、目的は同じ。彼らに与えられた“使命”。
―それは、“世界の安定”。
闇に閉ざされた世界を“護る”こと。世界の“革新”を許さぬこと。
そう。彼らは“救世者”。
永き時を生きる、人にあらざる者たち。
深き闇の底で、随分と長い間、楽しそうな声が響きわたっていた。
▲▽
「うーん。だいぶ歩いてきたと思うんだけどなぁ……。おっと!」
まだ人の通った跡のない広大な草原の背の高い草を短剣で払いながら、金色の髪をした少年が不満そうに呟く。
足元から飛び掛って来た小さな虫に多少驚きながらも、草をしっかり踏みしめ、危険がないか確かめる。
少年の後ろには、特にこれといった様子もなく、淡々と少年が切り開いた道をなぞる様に着いてくる漆黒の髪の少女。
アルバとマリアが旅を始めて、まだ二日目。
森の入口から川に添って歩きだし、未だ人里にはたどり着けていない。
人の生活圏に入りさえすれば、何かしらの痕跡が見つかるはずなのだが、この草原を人が通った跡も見つからない。
改めて、この世界の広さと、自分の想像とは遥かに厳しい“旅”というものをアルバは実感していた。
「ふぅ……。マリア、大丈夫? 何かあったら言ってね?」
「うん。大丈夫」
アルバが後ろを振り返り、マリアに声を掛ける。
それに、短いながらもしっかりと返答を返すマリア。
そっか、と再び前を向き、前へと進んでいく彼の背中を見つめる少女の表情は、とても穏やかだった。
彼は旅が始まってからというもの、何度も同じように彼女の方を振り返り、彼女を気遣う言葉を掛けてくれる。
彼女にとって、これくらいの草原を歩いた経験は何度もある。むしろ、なるべく人や闇魔などに遭遇しないようにもっと酷い悪路を行く事が殆どだった。
不満を漏らすほどのことでもなく、心配をしてもらうほどのことではない。
しかし、それをマリアが口に出すことをしないのは、アルバの心遣いがとても嬉しかったからだ。
まるで、記憶の中にある、彼女の母との想い出が蘇ってくるかのような幸福感。
自分を守ってくれているのだな、という安心感が彼女を包んでくれていた。
決して自分が優位であると思っているわけでもないし、彼を馬鹿にしているわけでもないが、旅慣れしていない彼がそうやって自分を気遣ってくれているのが何とも可笑しかった。
アルバ自身も特に意識しているわけではないのだろうが、仲間である少女に弱音を吐いたり、格好悪いところを見せたくないという見栄が心にあったのだろう。
―彼も、“男”なのだから。
時刻は分からないが、腹具合から察するにそろそろ昼時。
だいぶ体にも疲れが見え始めたところで、アルバはマリアに休憩を申し出た。
マリアもそのつもりだったようで、彼の提案に了承し、二人は近くの草を払って土を剥き出しにすると、腰を下ろした。
アルバが背負っていた荷物から小鍋を取り出し、マリアが並べてくれた小さな小石の上にそれを乗せた。
小鍋の中に干肉を食べやすい大きさに千切り入れ、同じように木の実などを殻を向いて入れる。
それを確認したマリアが、魔法で鍋に水を張り、温度を調節して煮ていく。あとは少し塩で味付けをすれば、即席のスープの完成だ。
火もないのに気泡を上げて煮立っていく鍋を見ながら、アルバは何度目か分からない感想を抱く。
魔法というのは、本当に便利なものだ。
もし、同じことを魔法なしでしようと思うならば、安全な水を汲み、薪を見つけ、火を起こさなければならない。
まず、飲み水を確保するのも困難だ。川の水を汲むにしても、それが安全であるかは分からないのだし、火を焚くにしても大きな労力が必要になる。
魔法を使えば、それらを簡単に行うことができるのだからありがたい。
「ん。出来た」
「おっと! ありがとう。今、食器出すね」
ボーッとしていたアルバは、マリアが小さく呟いたのに気がつき、少し慌てて荷物から二人分のコップと匙を取り出す。
コップを受け取ったマリアは、慎重にスープを小鍋から注ぎ、彼に手渡した。
受け取ったコップから暖かい湯気が立ち昇る。スープの具とは別に、そのままの干肉を手に取り、細やかな食事が始まった。
食事というのは人間にとって必ず必要になる行為であるし、食事が齎してくれる安堵感というのは言葉に表せないものがある。
特に、旅の中においてはこの細やかな時間がとても重要なものであるのは言うまでもない。
決して贅沢な食事とは言えないが、それも二人で食べるものならば格別なものになることを彼らは実感していた。
「一応、風の精霊の下に近づいてはいるんだよね?」
アルバが確認するようにマリアに問いかける。彼女は小さく頷いたあとに、冷ます為にスープをかき混ぜていた手を止めて答えた。
「風の精霊は、遠くに見えるあの山にある風穴に住んでいる。以前は、別の精霊に先に会いに行ったから、山の逆側から登ったはず」
さらりととんでもない事を言ってのける彼女に尊敬を覚えながらも、アルバは質問を続ける。
「マリアがエリヴァール大陸に向かう為に訪れた港町っていうのは、あの山の向こうにあるんだよね?」
「そう。結構大きな街だった。……木の精霊がいるのはその港町よりも更に北の方。土の精霊がいるのは、ここからもっと東。どちらにしろ、あの山は越えることになる」
「そっかぁ。僕たちがいたあの広大な森は、この大陸でもかなり南の方にあったってことなのかな。あの山もなかなか高そうだし、もしかしたら山を挟んで僕たちがいる方が未開の部分で、あっちに人々が住んでるのかもしれないなぁ」
幾ら地図を見たことがあるといっても、正確な場所や地名などは把握していない。
彼が考えるように、この場所が必ずしも人が住んでいる場所であるという確証はないのだから、慎重な行動を心掛けなければならない。
幸いここに至るまでに闇魔と遭遇することはなかったが、それは運が良かっただけだ。
もしかしたら、今にもこの食事の匂いを嗅ぎつけて、鼻の良い闇魔が襲撃してくる可能性もある。
サウラの短剣も今は草刈鎌のように使ってしまっているが、ほぼ一日中握り締め、実際に振るっているおかげでだいぶ手に馴染んできた。
だからといって強くなったわけではないが。
「とりあえず、このままウルムさんを信じて川に添って行ってみよう。川もだいぶ西の方に曲がりつつあるから、もし山に向かう道筋から離れそうだったら、川を渡って山に向かうしかないね」
「うん。……大丈夫。ウルムが、あるって言った。だから、人は居る。絶対」
いつの間にか、気弱な表情をしていたのだろう。
マリアはアルバを気遣って、そんな言葉を掛けてくれた。
先のことを考えすぎるあまりに、今の現状を見誤っては元も子もない。
色々なものに追われる旅ではあるが、先ずは目先のことから一つづつ片付けていかなくてはいけない。
色々と先に目標を立て、構成を考え、それに添って進んで行く事が常であったアルバだが、時には深く考えずに突っ走ってみるのも良いかもしれないと考え始めていた。
全てが思うままに行くことなどないのだ、と思うようにする。
そこまで考えて、周りの事を顧みず、どこまでも自由気ままな暴走機関車であった猫耳女性の不遜な姿と笑い声が脳裏に過ぎって、アルバは笑ってしまった。
(そうだよね。何事も臨機応変に対応しなくちゃ)
「? アルバ、大丈夫? 塩分が濃ゆかった?」
突然笑ったアルバを不思議に思ってか、マリアが小首を傾げながらまた見当違いな事を指摘するものだから、更にアルバは笑ってしまう。
「あははは。違う違う。ただ、考えてるだけじゃ何も始まらないんだぞ、ってある人から言われた気がしただけさ」
「こんなところまで、念を飛ばしてくるなんて、凄い人物……」
「いやいや、あの人なら出来そうではあるけどね。ただ僕が勝手に思ってるだけだよ」
「……冗談」
ふいっと顔を逸らしたところを見るに、あまり冗談だったようには聞こえないのだが。
アルバもそれを追求する事は無く、食事を再開することにする。
この楽しい食事が終われば、また道無き草原を掻き分けながら進むことになる。
それでも、気持ちを入れ替えることのできた今なら、前よりもずっと足取りは軽くなるはずだ。
少しづつ、自分の中で何かが変わっていっているのを、少年は自覚し始めていた。
周りの景色に変化が現れ出したのは、昼に食事休憩を取ってからまた歩き始め、だいぶ時間が過ぎてからのことだった。
添って歩いていた川は緩やかに西へと曲がり、目印としていた遠くの山が正面ではなく、だいぶ視界の右手の方へ移り始めた頃のことだ。
ふと、川縁に生えている草に背の高いものが少なくなってきていることにアルバは気がついた。
ただ単に生息環境の変化により草の種類が変わっただけなのかもしれないが、これほどまでに急激に環境が変化するものだろうか。
奇妙に思った彼は、周囲をよく観察した。
そして、明らかにおかしな点に気づいて、その足を止めて屈み、近くの草を土から抜いてみた。草は殆ど力を入れずとも引き抜くことが出来た。
―まだ、新しい。
辺りに生えている草は、殆どがまだ生えて間もない、新しい草ばかりだった。
根もまだ未熟で、強く大地に根を張っているものは少ない。
水辺ということもあって、あまり広く根を張るような植物も少ないのかもしれないが、ここまでの草はこうも簡単に抜ける様なものばかりではなかった。
続いてアルバは川を良く観察する。
今までは背の高い草に覆われてあまりその姿を近くで見ることは出来なかったこの川だが、今は良く見渡す事ができる。
見る限り、水流の関係なのか、この辺りの川は川幅はそこそこ広いが流れが穏やかで、水深も浅いように見える。
そして、川の対岸の草もこの場所と同じように、背の高いものはあまりない。
この観察結果から導かれるものは―。
―この場所で、頻繁に草が生え変わるほどの何かが行われている。そう、例えば、草食動物などがここを“水場”や“食事場”として使っているのではないか。
もし推測が正しければ、もう少し進んだ辺りに証拠があるはずだ。
そして、それがあれば、この場所の近くに“人”が住んでいる可能性が高まる。
アルバは草を払うことも必要無くなった短剣を片手に、足元の低い草を踏みしめながら足早に先へ歩き出す。
マリアも何かに気づいたのか、アルバの跡を追っていった。
どんどん周囲の草が新しく、短くなっていく。そして―。
「―やっぱりあった! “獣道”だ!」
不自然にその一帯だけが何度も踏みしめられたように土が剥き出しになっている道。
片方は、今までアルバたちが歩いて来た方角へ伸び、途中で草に紛れるようにして消えている。
もう片方は、川の方へと伸び、そのまま川の中へと消えていっている。川の対岸には同じように山の方角へと続き、こちら側よりも広く奥まで続いている同じ直線上の道があった。
野生の動物がこの水辺に頻繁に集まっている証拠だ。
動物が集まるということは、そこは人間にとっての“狩場”であることも意味する。
「アルバ。あれ」
後ろで川の対岸を見つめていたマリアが、アルバに声を掛けて対岸のある一点を指さす。
そこにあったのは、だいぶ水に曝されて朽ちてはいるが、明らかな人口物。
―川に突き出た立派な“桟橋”と草むらに隠すように岸に上げてある、何隻かの“小舟”だった。
近くに人里があることを確信するには充分過ぎる証拠だ。
言葉も無く二人は頷きあった。
「『浮いて』」
マリアの言葉で魔法が発動し、二人は川の上を波紋を起こしながら歩いて渡る。
対岸に着き、二人は獣道が続く先を見つめる。
傾らかに下った草原。
その地平線に、ほんの僅かだが、光の粒子とは違う“明かり”が見えていた。




