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闇空のスカイライト  作者: 日明 観影
一章 知は旅の始まり
23/34

旅立ち

 よしっ、と小さな声で革の鞄を背負った少年が、気合を入れ直した。ズシリと重い鞄が、自分はこれから旅に出るのだ、と実感させてくれる。


 少年の隣には、何を思っているのだろうか。緊張した面持ちでこれから向かう森の向こうを見通すように前を見つめる少女。

  

 アルバとマリアの、そしてウルムの“旅立ち”だ。


 ウルムは今、滝壺の水面に立ち静かに瞑想をしている。

 彼らを森の外へと連れていく為に、イメージを固め、魔素を貯めているのだ。

 


 この森の小さな広場には、今多くの動物たちが押し掛けていた。

 百数年もこの地にいた森の主であるウルムが旅立つと聞き、森の各地から集まったのだろう。

 その誰もが名残惜しそうな顔をしていたが、その顔に悲しみを浮かべているものは一人としていなかった。

 

 彼らも、ウルムを信じているのだ。彼女は必ずここに帰ってくると。

 

 なぜなら、彼らもまた、彼女の“家族”なのだから。



 ふと、森の傍に立ち並ぶ多くの動物たちの波を掻き分けるようにして、三匹のリスがこちらに駆け寄ってきた。

 

 一匹は号泣。一匹は穏やかに笑い、一匹はニヤニヤと笑っていた。

 

 彼らはアルバとマリアの目の前まで来ると、いつものように三匹が順番に話し掛けてくる。


「うぅー、アルバーー! 行ってまうんかー! ワイは、ワイはーー! うぉぉぉぉん!!」

 

「あーあ。もう。兄さんは涙脆すぎるよ。あっ、アルバにマリア、行ってらっしゃい」

 

「フフ、寂しい……私も、泣くわ。……うえーん。……プクク」

 

 何ともいつも通りの三人だ。その姿に、アルバも顔が綻ぶ。

 たった三日ほどの付き合いだったが、彼らにはお世話になった。いや、お世話になったと言っていいものか分からないが。

 

 ただ、彼らの存在がアルバやマリアの緊張や不安を和らげてくれたのは事実であるし、何より、彼らと過ごした時間は“楽しかった”。

 

 あはは。君たちはいつも通りで安心したよ。ほら、ピー。泣かないで」

 

 アルバは、未だに鼻を啜りながら泣くピーの頭を撫でてやる。


「ズズッ、アルバーー!! うぉぉぉぉぉん!!」


 逆効果だったようで、ピーは頭を撫でられながら更に号泣し始めた。

 困ったように頬を掻くアルバの横では、ターとパンがマリアに撫で繰り回されていた。

 

 マリアもやはり彼らに感謝をしているのだ。

 会話にこそ入って来なかった彼女だったが、心を開いて間もない彼女が、彼らとの会話を聞いているだけで、笑顔になれた。

 

 それだけ、彼らが齎してくれた楽しさというのは、大きいものであった。

 

 擽ったそうに撫でられ続ける彼らを横目に、アルバもピーを慰めるように優しく撫で続けた。

 

 

 暫く経つと、滝壺に立っていたウルムがゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

 

 もう準備は整ったのだろう。

 

 滝壺の方を見てみる。滝から流れ落ちる大量の水が水面を叩いているにも関わらず、そこに流れはなく、鏡面のように静かな水面があった。

 

 近づいてきたウルムは確認するかのように彼らに笑いかける。

 それに、二人もしっかりと彼女を見つめて頷いた。



 ウルムは、この場に大挙して集まった森の動物たちの方を振り返り、トーンは普段と変わらないが、よく響く声で宣言した。


「森の動物たちよ。私は暫し、この場所を離れます。この中には、これが今生の別れになるものがいるかもしれません。しかし、私は約束しましょう」


「―私は、いえ、“私たち”は必ず、そう“必ず”ここに帰ってきます」


 彼女の声が高まっていく。それは、強い信念の表れ。彼女の“家族”への大きな“想い”。


「別れを惜しむものは、記憶に留めなさい。悲しみに昏れる時は思い出しなさい。私たちは、貴方たちを決して忘れはしない。“心”は常に共に!」


「さぁ、祝いましょう! 私たちの! 貴方たちの! 大いなる門出を!!」


「そして……、また会いましょう!」


―森が、“震えた”。

 

 涙を流しながら叫ぶ者。勇ましく雄叫びを上げる者。何百という獣たちが上げる祝砲。

 

 心の奥底まで響いて反響するその声は、留まることを知らずに幾重にも重なり、もっと大きく広がっていく。


 同じ人ではない、種族も違う彼らが、こんなにも盛大に、旅立つ三人を心から送り出してくれる。

 

 自然と涙が零れた。アルバの頬を、マリアの頬を、そして、ウルムの頬を。


 耳が痛くなるほどの歓声の中。目の前に佇み、三者三様の面持ちで涙を流している三匹の小さなリスたちに、二人は最大限の“感謝”と“約束”を込めて、短い言葉を贈る。


「ピー、ター、パン。―“またね”!」

 

「―……“また”」


 本当に短い言葉。しかし、それだけで充分だった。

 

 彼らとの想い出は、二人を支える大きな力になった。そして、これは今生の別れではない。いや、今生の別れなどには―“させない”。

 

 ウルムが二人の傍に近寄り、そっと手を取った。

 それに答えるように、二人もその手を強く握り、並んで滝壺の水面へと足を踏み入れる。

 

 不思議な事に彼らの足は水中に沈むことなく、しっかりと水面を踏みしめて、歩く度に小さな波紋を作り上げた。


 

 滝壺の中央に来た時に、ウルムはもう一度確認するかのように二人を見つめる。

 

 もう、迷いは無い。

 

 二人の眼差しからそれを読み取ったのか。ウルムは高らかにその喉を鳴らし、旅立ちの合図を歌い始める。



 美しい彼女の歌声に呼応するかのように、水面が大きく波打ち始めた。

 ザザザッと彼らを中心に滝壺の底から水の柱が立ち上り、三人を覆い隠す。


 ウルムが長い余韻とともに歌い終えると、水面が輝かしい光に包まれながら盛り上がって行く。

 川の中央を水の柱が遥か先まで走っていき、そこに水壁で挟まれた“水の通路”が出来上がった。


「では、行きますよ」


 しっかりと二人を後ろから抱きしめるようにして包み込んだウルムが短い宣言をする。

 

 彼らの足元の水が―一“爆ぜた”。


 凄まじい勢いで、彼らは水のヴェールに包まれた通路を滑っていく。

 彼らの背後にいるウルムに凄まじいほどの水しぶきを上げながら、水の壁がその身体を前へ前へと押し進めているのだ。

 さながら、彼らは波に乗るサーフボードのように川を滑っていく。

 不思議と身体は濡れておらず、尻餅をついた二人が水に落ちることもなく、彼らは通路に添って進む。


 ふと、背後を見る。もうすでに滝壺は遥か後方で。森の木々に隠されてしまった。

 

 それでも、声は聞こえる。遠くから響くように、森の“仲間”たちの声が。


 アルバは、もうすでに姿も見えない彼らに、大きく手を降った。

 

 “さよなら”ではなく、“また会おう”という強い想いを込めて。



 ▲▽



 未だに遥か先まで続く水の通路を眺めてどれほど経っただろうか。

 人間が走る速度とは比べ物にならないほどの速さで水面を滑っているというのに、未だに森の終わりは見えてこない。

 

 しかし、時折見える川の景色から察するに、川幅がだいぶ広くなってきているので、もう中流辺りまでやってきているだろう事は分かった。

 

 これほどまでに、この森は広大であった事をアルバは思い知らされていた。


 ふと、静かに彼らを抱きしめていたウルムが、回していた腕を離し、疲れた表情で腰を下ろした。

 見れば、彼女が背中で受けていた水の壁はすでにその姿を消し、彼らは水の通路を慣性で水のレールに添って滑っている状況だった。

 

「ふぅ……。あとは、水の流れに任せてこのまま進めば、直に森の入口までたどり着くでしょう」

 

「凄い魔法ですね。これほどまで広い範囲に効果を及ぼせるなんて」

 

 アルバは関心して、ウルムに話しかけた。

 

「うふふ、かなり、そう“かなり”魔素を消費するんですけどね。以前は、マリア一人を送るだけでしたので、そこまで疲労はなかったのですが、三人ともなるとギリギリです」

 

 彼女はいつもの笑顔を見せることも難しいのだろう。その表情には疲れが見える。

 大量の魔素を消費して、精神が疲弊しているに違いない。

 

 その姿を見て、マリアがウルムに声を掛ける。

 

「ウルム。体の浮上と防護は私が交代する。少し、休んで」

 

「あら、ありがとうマリア。それでは、私は水の流れだけ操作しますね。うふふ。頼れるようになりましたね」

 

 フッと一瞬身体が水に沈みかけて、すぐに元の状態に戻る。

 マリアが言った、体を浮上させる魔法の行使が、ウルムからマリアに託されたのだろう。


 魔法は、意思を持ち続けなければ持続出来ない。

 つまり、ウルムは今まで、推進力、軌道、浮上、防護と四つの魔法を同時に行使していたことになる。

 それを同時に意識し続けるというのは、どれほど困難な事か。アルバには予想もつかなかった。

 

 一つの事に集中し続けるのは、彼の得意分野であるが、同時に色々な事を考えるのは、ほぼ不可能と言ってもいい。

 彼女が水のレミエルで、特別、水の扱いに長けているのもあるのだろうが、やはり、その労力は計り知れない。


 どんな原理でこの魔法を行使しているのか彼の興味は尽きなかったが、彼女たちは今も魔法の行使の為に集中しているのだ。邪魔をすることはできないと考え、アルバはただ流れていく景色をじっと見つめていた。



 ▲▽



 漸く視界に広がる木々が疎らになり、森の入口が見え始めたのは十数分後のことだった。

 その頃になると、慣性で滑っていた彼らの動きもだいぶ遅くなり、人が走る速度ほどまで減速していた。

 

 ふと、先に見えていた水の通路が、近くの川岸で途切れているのに気付いた。

 そこから川を上がるのだろう。

 

 ゆっくりと彼らは立ち上がり、そっと川辺に降り立った。


 そこは、もう森の入口。数本の木が立ち並ぶ先には、広大な草原が姿を現す。

 彼らは言葉もなく、誰からともなく、その開けた方へと歩きだした。



 アルバは自分が見ている景色に目を疑った。そして思わず木々の先へと駆け出し、大きく息を吐く。


―見渡す限りの草原。遠くには、本当にうっすらとだけ山々の尾根が見える。


 彼らが下って来た川は急激にその幅を広げ、草原の遥か奥まで続いていた。


 トルクで照らされていた都市外とは違い、明かりは光の粒子だけで薄暗い。今までいた森の木々に遮られた明るさとはまた違う、光舞う広大な野が眼前に広がっていた。

 人口物などは一切見当たらず、時折吹く風に揺れる丈の長い草がサーッという心地の良い音を立てる。


 アルバが今まで知る世界は、都市の中でしかなかった。都市外に出るには、魔術局ギルドに所属しなければならないのだから。


 都市に住む多くの住民が、この雄大な“外”の世界を見ること無く一生を終える。

 もちろん、危険がないという点では、都市内で暮らしていた方が安全に決まっている。

 

 しかし、彼は今“感動”していた。


 世界はこれほどまでに広く、世界はこんなにも活力に満ちている。

 

 記憶の中の人口物ばかりの都市内が、今ではとても味気ないものに感じてしまう。

 もしかしたら、魔術師になり、“外”の世界に出ていく者たちは、この雄大な自然に憧れて“旅”をするのかもしれない。


 その感情の一端を、今、彼は全身で感じているのだ。



「さて、私とはここで一旦お別れですね」


 彼と同じように、感慨深げに草原を眺めていたウルムが、小さく呟いた。


 彼女は、これから水の精霊の場所を目指す。それには、海を渡り、別の大陸へと向かわなければいけない。

 この大陸で精霊を訪ねて回るアルバたちとは目指す場所が違うのだから、別れなければいけないのは仕方がないことだ。


 彼女自身、本当はこの少年たちにずっと着いて行きたかった。

 一緒に各地を周り、彼らを護ってあげたかった。後ろ髪を引かれる想いが強い。


 しかし、彼女にはロザリアの遺言がある。何よりも、彼女自信が望む想いがある。

 だから、別れを惜しむことはない。必ず、彼らの元に帰ると“約束”したのだから。

 そして、それを果たすには、一刻も早く、彼女の目的地へと向かわなければならないと彼女は思っていた。

 

 駆け出した少年の元へ歩いて近寄り、ウルムは彼の手を包むようにして、あるものを手渡す。


「これは、“涙玉”!! ウルムさん、これは……」


「不安なのは分かっています。これが敵の手に渡れば、それはとても厄介なことになる……。それでも、そう“それでも”、これは貴方たちが持っておかなくてはならないのです。精霊術師であるマリアが。そして、その鍵守リーベルである貴方が」


 それが、彼らを導いてくれると信じている。

 そして、今ならそれを託す事が出来ると判断して、それを一緒に持ち出してきた。


 震える手を押さえつけるように、アルバはしっかりと手の中にある涙玉を握り締めた。


 この世界の謎を解き明かすのには、必ず必要になるものだ。

 決して、手放してはいけないと自分に言い聞かせ、彼はその水晶を受け取った。

 

 それを確認して、ウルムはマリアの方に振り返る。


 振り返った先の少女は、奥歯を噛み締めて、遥か草原の先を見つめていた。

 

 マリアは以前もここに立ち、この場所から自身の運命に立ち向かう為に旅立った。

 二回目と言えど、今回は以前とは違い、彼女には大きな変化が伴っている。


 不安もあるだろう。恐怖もあるだろう。しかし、希望もある。


 それを、ウルムは彼女の表情から読みとった。

 これからが、本当の始まりなのだ。ウルムに今出来るのは、彼女たちの肩をそっと押してやることだけ。


「マリア。私が言ったこと、貴方の母の話から感じ取ったこと、記憶、想い出。全てが貴方を支えてくれる。もう一度だけ、貴方に伝えましょう。―貴方は“孤独”ではない。良いですね?」

 

「……うん。ウルム、“ありがとう”。ウルムも……気を付けて」

 

「あら、うふふ。ええ、貴方もね」


 マリアにとって、彼女に見送られるのは二回目だ。しかし、今回は見送る側でもある。

 以前は伝えることが出来なかった。しかし、今なら言える。

 その“感謝”は、自分を今まで世話してくれたことへの感謝。そして、これからも支え続けてくれることへの感謝。

 

―そのたった“一言”だけで、人は大きな力を得る事ができるのだ。


 

「……それでは、私は行きます。この川を添うように下流へと迎えば、必ずどこか人のいる場所にたどり着くでしょう。貴方たちの旅に、“幸運”を。そしてー。」


 

「―また会いましょう。マリア。アルバ」


 

 そう言って彼女は川へと飛び込み、そのまま姿を消した。


 


 暫く、少年と少女は彼女が飛び込んだ時に広がった水面の波紋を眺めていた。

 

 野を駆ける柔らかな風が、彼らの髪を、頬を撫でる。



「行こうか」


「うん」



 広大な闇の空の下、少年と少女が固く手を結び、歩いていく。


 その先に待つのは、“希望の光”か“絶望の闇”か。


 今の彼らには知る由もない。



 だが、確実にこのとき、“運命”の歯車はその動きを速め、回り出した。

 

 彼らがいつか辿り着く、“運命の終着点”は、―未だ、遠い。

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