気付き
霧が立ち込める広大な森。その一画に、それはそれは大きな大樹があった。ゆうに樹齢数千年は超えているだろうその大樹は、幹が太く、あまり背は高くない。
その太い根は、幾重にもその周囲に張り巡らされ、一本一本が普通の木よりも太く、大地を占領するかのように広く根を張っている。
この大樹は、その森に住む動物たちからは、『森の母』と呼ばれていた。
その名の通り、大樹の根が大地を広く占領しているがために、住処としやすい穴や洞が沢山あり、動物たちはそこを根城としていた。
そんな大樹の下の洞の一つ。比較的大きく、馬車が一台入りそうなほどの洞の中に、木の葉の山があった。時折モゾモゾと動き、その度カサカサ、と乾いた音を立てる。
なんとも奇妙な木の葉の山だが、次の瞬間、もっと奇妙な事が起きた。
ガサッ!と一際大きく動いたかと思うと、その中から人間の足が飛び出てきたのだ。それから続いて連続で、ガサッ!ガサッ!と右手、左手が生えたように出てくる。
徐々に中央より奥の部分から盛り上がって行き、最後に、大きく木の葉を押しのける様に、飛び上がるように、埋もれていた人間が姿を現した。
大きく空中に跳ね除けられた木の葉が舞う。宙に舞った大量の木の葉が、完全に地に落ちた時、隠されていたその姿を視認できた。
その人物は眠たそうな表情で、辺りを見渡していたが、自分の今の状況に気がついたのか、大きな声で恨み言を吐く。
「あー、もう! またやられた! 葉っぱをこんなに僕の上に積もらせて!!」
金色の髪に、木屑や葉っぱの欠片を大量に付けた少年。―アルバは、盛大にため息をついた。
その様子を、この悪戯の犯人たちが、洞の入口から愉快そうに笑っているのが視界に映った。
彼は、額をピクピクと痙攣させて、飛び起き、全力で彼らの元へ走る。
笑いながら逃げる三匹の小動物、追う金色の少年。
朝っぱらから、広大な森の中で、―愉快な“追いかけっこ”が始まった。
バシャバシャ、と河原で髪を洗い、服に付いていた土埃や葉屑を手で払う。
少年の後ろには、蔦で縛られた、三匹のリスの姿があった。結構、頑丈な力で捕らえられているらしい。ジタバタと藻掻いているが、その拘束が緩む事はない。
「なー、アルバ。悪かったって言っとるやろー?」
「大人げないよ、アルバ」
「フフ、私たちより、何倍も大人なのに……プクク」
「うるさいよ! 悪い子には、お仕置きも必要なのさ。大人ならね!」
その発言を聞いて、また三匹は、これは傑作だ!と笑い転げまわる。
ムッ、と、それを睨みつけるが、逆効果になると悟り、彼は視線を外した。
まったく、この森の住人は、どうしてこんなにも悪戯や、人をからかうのが好きなのだろうか。もしかしたら、森の主である、あの女性に感化でもされたのだろうか。
また小さくため息をつきながら、アルバは、この二日間を思い出していた。
あの、今まで経験したことのなかった“非日常”の始まりの日から、既に二日が過ぎていた。
今日は、この森にやってきて四日目の朝だ。
結局、あのあと、ウルムが寝床を貸してくれる事はなかった。
代わりに、ここ『森の母』の場所を教えられて、出向いたところ、多くの森の動物に囲まれて、てんやわんやになった。
恐らく、茶葉を採りに行った時に、彼の事を住人たちに伝えていたのだろう。動物たちは珍しい客人を、興味津々で弄り回した後、快く住処の一画を貸してくれた。
比較的休みやすい寝床を借りた彼は、この二日間、他の森の住人とも、特にいざこざを起こすこともなく、平和に過ごせている。
―毎日、悪戯しにくる“困った”知り合いも、そこに住んでいたのだが。
まだ後方でグチグチと何かを言っているピーたちを無視して、アルバは川を遡るようにして、滝壺の住処の方へと向かった。
良いのだ。彼らは放っておいても。齧歯目である彼らなら、齧って脱出出来るはずだ。
滝壺への道すがら、いつものように、アルバはこの三日間で得た知識を頭の中で反芻し、思案に耽っていた。
彼が思い返していたのは、自分の今までの常識を上書きすることになった、“魔”に関する知識。
それは、二日目に、色々な質問をしていた時、何となくウルムと自分との話に食い違いがあるのを感じ、意見を交えて確認したことで得た知識だった。
人間も、動物も、植物も、生きとし生けるものは全て、“体内”に魔素を“蓄える器”を持っている。
それは、個人によって限界量に差異があり、誰でも自然に魔素を体内に取り入れている。
彼は今まで、この周囲を舞っている、小さな“光の粒子”が、“魔素”だと思っていた。
しかし、魔素を糧とする彼女が言うには、魔素とは目に見えない力であり、この光の粒子は、魔素を吸着し、光る、何か別の物質であるらしい。
では、この光の粒子は何なのか。それが固体となったトルクとは何なのか。それは未だに分からない。
ただ、この二つは、彼が扱うことのできる“魔法”と深い関わりがあるのは事実だ。
“魔法”とは、その体内の魔素を“消費”して起こすもの。
それは、自然の、精霊の力に基づくものだけ―では“ない”。
あくまでも、精霊の力に基づいているのは、“九つの属性”のみであり、魔法の種類は、もっと多岐にわたる。
思い返してみれば、マルシアが使っていた、幻想呪文や、アルメダが使っていた、結界呪文、都市を護っていた魔法障壁。
あれらは、精霊の力を基にした魔法とは言い難い。
先入観と常識というものは、こんな身近にあった矛盾さえ隠してしまうものか。
レミエルであるウルムや、精霊術師であるマリアには、精霊の力に基づいた魔法しか行使することはできないらしい。
つまり、精霊以外の力も使えるのは、それ以外の生物ということになる。
しかし、彼女たちが、魔法を行使するのに、その身から直接、魔素を放出できるのに対し、アルバの様な普通の人間。所謂、ワイザーやリンブルには、魔素を放出するための出口がない。
―そこで出てくるのが、“トルク”だ。
トルクは、彼らの様な、魔素の放出口を持たないものに、魔素を放つことが出来るようにする、“装置”だったのだ。
つまり、彼の様な人間は、自分が持つ魔素と、トルクが持つ魔素。
二つの魔素が合わさらなければ、魔法を行使することができない。
発現には、トルクの魔素を。維持には、自身の魔素を。
トルクが持つ魔素を“魔力”、自身が持つ魔素を“精神力”と言い換えても良いかもしれない。
そう言った“制限”がある分、彼らは精霊の力から外れた魔法を行使出来る。
最も、それを行使する方法を彼は知らないのだから、試そうと思っても試す事はできないのだが。
もし、大量のトルクが手元にあったならば、彼は自身の精神力が尽きるまで実験を繰り返していたことだろう。
そんな、論文にして発表したら、今までの常識を覆し、大混乱が起こるかもしれない事実。
しかし、冷静に思考を分析していたアルバは、一つの懸念を抱いた。
良く考えて見れば、おかしな話だ。
魔法学の講義で使われている教科書には、沢山のそういった“他”の魔法の事が記載されていたにも関わらず、それらの魔法だけ、使用法が載っていなかった。
そして、学生であった彼らは、それを―少しも“おかしい”とは思わなかったのだ。
―まるで、それに興味を持たないように、何かしらの“魔法”が掛けられていたかのように。
確かに、誰もがその使い方を知ってしまえば、それはまた大きな混乱を招くことになる。
精霊の力を借りない何か独自の力だ。使い方や発想によっては、未曾有の凶事を引き起こしてしまうかもしれない“強大”な力。
だからこそ、言論統制が取られ、修学を終えた者にしか教えられなかったのかもしれない。
それにしても、誰一人。そう、好奇心が強く、何事も深く知りたがる彼でさえ、それを“不思議に思う”ことすらなかった。
そこまで考えた彼の中に、大きな疑念と、一つの仮説が浮かび上がった。
もし、もしも、だ。一部の人間に、ある物事に興味を持たせないようにする“魔法”があったとするならば。
もし、それが、強大で、とても広い範囲にまで影響を及ぼす事ができたとするならば。
―人間の、“世界に対する興味”すらも、“消して”しまえるのではないか?
これは、彼の仮説に過ぎない。しかし、それでも、“おかしい”のだ。
“諦められた”?…膨大な時間を研究に費やし、それでも分からないからと言って、興味を持つ者が居なくなるような事があるのか。
“常識となった”?…得たいのしれないものであるのに、便利だからと言って、誰一人、何の疑問すら持たずにそれを使う、物などあるのか。
(そんなこと、―“有り得ない”)
彼の疑念は、確信へと変わりつつあった。
この世界の人間は、何かに、強大な力を持つ、何かに、“操られている”。
まるで、自分に不都合な事を悟らせないために、その思考を操り、巧妙に、自然に、“真実”への道を隠している“何者か”が、その“協力者”が、この世界には、いる。
そして、その何者かが、彼らが立ち向かうべき“神”なのではないか。
いや、それはまだ答えとして出すには早すぎる。まだ彼には状況を判断する材料が少なすぎるのだ。安易な決めつけは、真実を見失わせかねない。
しかし、この沸き上がる疑念からもたらされる事実は、一つの事実を確信させるには、充分なことだった。
協力者がいる、と言及出来るのは、その束縛から開放されるように、疑問を持ち始めた自分がいるからだ。
あの都市から離れた、今だからこそ、こうやってその束縛から抜け出せているに違いない。
もし、その力が世界全体を覆う程に強大ならば、今現在も、彼にこんな思考を持つことは出来なかったはずなのだから。
ならば―。彼の瞳に大きな希望の光が宿った。
それは、先日、ウルムからも彼に与えられた、希望の光。
そう、この場所のように、影響を受けていない場所があるはずだ。
そして、そこには、同じ疑問を、同じ志を持った“仲間”が必ず、いる。
(立ち向かうんだ。彼らと、マリアと共に。“僕たち”なら、“理想”を“現実”にできるはずだ)
微風にその金色の髪を棚引かせ、大きな希望を胸に抱きつつ、歩む少年。
その前方には、轟々と流れ落ちながらも、静かな水音を立てる荘厳な滝が見えてきていた。
その傍らに、まるで、彼を待っていたかのように、水辺に腰掛け、その漆黒の髪を木の櫛で梳かしている、少女の姿があった。
アルバは、それを確認すると、小さく、よしっ、と気合をいれる様な声で呟くと、足に力を込めて、少女へと向かって走った。
その姿が視界に入ったのか、彼女も髪を梳かしていた手を止めて、駆けてくる少年の方に視線をやり、―小さく“手を振る”。
そんな小さな仕草に、心が躍るような嬉しさを感じ、満面の笑みで、彼もまた大きく手を振り返す。
そして、彼女の下に駆け寄りながら言うのだ。
これから、長い時を共に過ごすだろう、少女に向かって。
彼の“信頼”を、“親愛”を込めて。今日も。
―「おはよう! マリア!」




