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闇空のスカイライト  作者: 日明 観影
一章 知は旅の始まり
18/34

追憶5 ~理想~

 


 ▲▽



「これが、私の知る“全て”です。私の関わることになった、“運命”の物語、そして、貴方たちがこれから向かいあう、そう“向かいあう”だろう長く、苦しい、“世界への反逆”の物語、その序章」

 

 そう言って、ウルムは手の中にある“涙玉”を強く握り締めて、記憶から溢れ出る様々な感情の波に流されることのないように、しっかりとその感触を確かめた。

 

 もう、あれは“過去”のことなのだ。彼女が託されたのは“未来”。

 決して許されることではない。しかし、それでも世界を変えなければならない、と生命を失ってでも自分の覚悟を貫き通したロザリアの意思。

 

 それを、彼女は継ぐと決めたのだから。“悲しみ”に昏れている時間はないのだから。


「少し、休憩にしましょうか。あまりに多くの情報があったことでしょう。整理する時間も相応に必要な筈です。……ただ、どうか逃げないで、そう“逃げない”で欲しい。これは、私の願いでもあり、“彼女たち”の願いでもあります」

 

 彼女に少年たちへ言葉の重圧を掛けるつもりは一切無かった。

 それは、心からの言葉。もしかしたら、記憶の中の“彼女たち”が、そっとウルムの言葉を借りて意思を伝えたかったのかもしれない。


 返答はなかった。無理もない。彼らもまだ生を受けて十五年ほどの若い少年少女。

 こんな話を聞いて、すぐに納得出来るわけがないのだから。何倍も長く生きている彼女でさえ、未だに悩んでいるのだから。

 

 それでも、“進む”しかないのだから。


「……お茶でも煎れますね。あら、薬茶の茶葉がなくなっていますね。採ってくるので暫しお待ちください」

 

 そう言って、ウルムは席を立った。そしてそのまま、アルバたちの顔色を窺うこともなく、洞穴の外へと歩み出ていった。

 


 その小さな気遣いが、今のアルバの心境にはありがたかった。

 

 今、自分はどんな顔をしているのだろうか。有り得ないと呆れたような顔、真実を受け入れきれない困惑した顔、物語の主役に感化され感動した顔。


 どれでもない、複雑な感情に支配された彼の顔は不思議と冷静な表情を作っていた。

 見る人によっては、ボケっと呆けるような表情にも映るだろうし、真剣に何かを考えているような表情にも映るだろう。

 その実、彼は思案に耽っていた。呆けていたといっても間違いではない。何度も反芻され、彼の頭に雪崩込む多くの情報、感情。

 思考の波に浚われるかのように、彼はその動きを止めていたのだ。

 

 疑問はいくらでもあった。出てきた単語に対する単純な疑問。ウルムが持つ“涙玉”や、自分を選んだという“人物”への疑問。なぜ自分だったのか、という自己の存在への疑問。

 しかし、その幾つもある疑問の内の幾つかは、恐らく、ウルムの口からは語られないだろうということが、アルバには分かっていた。

 

 あんなに詳細に自分の持つ“真実の知識”を語ってくれた彼女が、あれで“全て”と断言したのだ。これ以上、彼女が語った中から選び出した疑問について、彼女が深く知る知識はない、と認識して良いだろう。

 

 ならば、先ず、自分が彼女に対してすべきは、“確認”だ。

 

 自分たちが何をしなくてはならないのか。何を道標にすれば良いのか。

 表情を崩さず、ただ冷静に自分の中の思考を分析していくアルバ。彼には“逃げたい”などという感情は微塵もなかった。

 自分がどれだけ大変な事を知り、関わろうとしているかは十分に理解していた。

 ただ、それよりも、彼の持つ“本質”が、“心”が知りたがっていた。“信じて”いた。“真実”はこの先にあるのだと。




 彼の隣りでは、彼とは対照的に、その大きな瞳から溢れ落ちる涙を隠そうともせず、声こそ押し殺しているがその表情を歪ませ、ただ自分の中から溢れ出す感情のままに身体を強く抱きしめ、震えるマリアの姿があった。

 

 彼女はやっと受け止めたのだ。今まで何ども聞いてきた筈の、自分の“母の最期”を、自分の抱えた“運命”を。

 そして、心がそれを受け止めた瞬間に、今までモノクロだった彼女の記憶に、鮮やかな色が着いていった。

 

 何ども守ってくれた―。自分の身体が傷つこうとも、絶対に彼女には指一本も触れさせなかった。

 

 何ども話をしてくれた―。世界はどんなに“悲惨”で、どんなに“綺麗”なものか。

 

 何ども微笑んでくれた―。優しく抱きしめて、時に悲しそうな笑みを見せつつも、いつも彼女を見つめる顔は微笑んでいた。


―彼女は、“愛されて”いた。


 今のマリアには、それがどんなに“幸せ”なことであるかが理解出来ていた。

 だからこそ、嬉しかった。それと同時に、悲しかった。悔しかった。

 

 なぜ私は、ロザリアをお母さんと呼んであげる事が出来なかったのか。

 

 “母”という言葉は知っていた。どういうものであるかも知っていた。

 そして、彼女が“母”と呼べる存在であることも“事実”として理解していた。

 ただ、その時は“必要ない”としか考えていなかった。

 

 会話も必要最小限にしかしてこなかったし、何より“二人だけ”の旅だった。呼称も必要なく、指示するまでもなく“他人”は彼女しかいなかったのだから。

 

 ウルムの語った、あの森で彼女を“母”と呼んだのは、ウルムが彼女の名を知らないと思ったからだ。

 ロザリアと呼称しても、ウルムには分からないだろう。

 彼女を指し示す表現で、一番、簡単に分かってもらえると“事実”から判断されたのが、“お母さん”だったのだ。


―そのたった“一言”を、どれほど彼女が“願い”、そしてその“一言”が、どれほど彼女を“救った”だろうか。


 それを妨げたのは彼女自身だ。願いを自ら閉ざしたのは彼女自身だ。

 マリアが望んでいた事ではない。それはマリア自身にも理解出来ている。

 

 しかし、それでも後悔が募る。彼女の“思い”とも言える心の枷が、マリアを守っていた彼女の檻が解き放たれ、彼女から“離れて”しまった今だからこそ。

 何も返す事のできなかった自分が情けなかった。許せなかった。

 

 どうしようもなかったことは分かっているのだ。

 なぜなら、マリアは“運命”によって縛られているのだから。

 マリアも、ロザリアも、ウルムも、そして、アルバも。この話を語る上で、全員が“被害者”なのだ。

 

 そう、世界を見捨てた神の作り出した、世界に仕掛けられた、残酷なシステムの被害者。


 涙玉に込められた、彼女と同じ“精霊術師”たちの悲しき想い。

 マリアは、それを受け入れなければならない。救わなければならないと決心した。

 

 まだ感情を受け入れ始めて、少しの時間しか経っていない自分でも、いや、まだ何色にも染められていない自分だからこそ、事態を正しい目で見れるのだ。と彼女は信じた。

 

 確かに、まだ何の先入観も持たない彼女だからこそ、純粋な彼女だからこそ、見分けられるものもあるのだろう。


―しかし、それはまた同時に、今まで事実だけを受け入れて生きてきた彼女が、一つの見方に縛られてしまう可能性を含んでいることを、彼女は理解出来ていなかった。


 そして、それを危惧し、守っていたのは、最後にほんの少し残っていた、心の鎖の欠片。


 今の彼女に植え付けられた感情は、“憎しみ”。

 自身の運命へ巻き込んでしまった人たちへの責任から生まれた、元凶への、“神”への、“世界”への、大きく、強い“憎悪”だった。

 

 それが心を塗りつぶしてしまわぬよう、心の中にある最期の鎖の欠片が、辛うじて食い止めている。


 現に、今の彼女の表情は、涙を流しながらも、どこか虚空を睨むような、鋭い目をしていた。

 


 それを感じ取ったのか、思考の中から現実へと戻ってきたアルバが、彼女の手を取り、言い聞かすようにマリアに語りだした。

 

 もしかしたら、それは、彼女の鍵守として託された力の中に残っていたロザリアの意思が、彼女の心の鎖の欠片と呼応し、彼に気づかせたのかもしれない。

 

「ダメだよ、マリア。その感情に流されちゃいけない。君が、たぶん今感じているのは、“憎む”ことだけだ。それだけが答えじゃないんだよ。憎むだけじゃ、自分を自分で否定していることと同じなんだ」

 

 そのアルバの言葉に、マリアは訳も分からず彼を見つめて、答えを懇願するように言う。

 

「―憎む……? これが、憎むってことなの……? どうして、どうして憎んじゃいけないの……? だって、悪いのは、神。“お母さん”が死んだのも、私が、こうやって胸が痛くなるのも、アルバだって、巻き込まれてる……。全部、神のせいなんでしょ? お母さんだって、ウルムだって、神に“反逆”するって言った。反逆って、“嫌い”になることなんでしょ? “憎む”からするんでしょ?」

 

 子どものように、どんどんと言葉を連ねていくマリア。

 彼女は、純粋に本当にそう思っていた。彼女には、まだ経験がない。

 いくら純粋に物事を見れたとしても、結局それ一つに流されてしまったら、それは自分の心の広さを、自分の持つ可能性を狭めるだけなのだ。

 

「憎んじゃいけないなんて、僕は言わない。ううん、言えない。だって、僕は結局、“まだ”第三者なんだ。君が流す涙の理由は、共感できても、完全に理解することなんてできないんだから」

 

 そこで、アルバは言葉を一度切り、マリアの右手を両手で包み込んだ。そして、しっかりと彼女の瞳を見て、自分の意思を語る。

 

「でもね。憎しみだけでは、“僕たち”は何も変えることはできないんだ。ウルムの話を思い出してごらん。君のお母さんは、確かに神を憎んでいたのかもしれない、恨んでいたのかもしれない。でも、分かっていたんだ。自分は神と同じことをしているのかもしれないって。ねえ、思い出して?君のお母さんは、神を“殺したい”って、“消したい”って言ってたかい?」



―言ってない。お母さんは、救いたかっただけ。私も、同じ運命を辿るはずだった“彼ら”を、“私”を……。


 

「そう、君のお母さんは、“世界を変えたい”って言ったんだ。悲しい魂たちを、君を“救いたい”って言ったんだ。それは、神を殺して、無理やり世界を変えることかい?違うよ。憎しみだけで何かに向かうってことは、何かを“変えよう”とすることじゃない。“消そう”とすることなんだ。そして、憎しみの果てに待っているのは、“闇”。何もない“闇”だけだ。僕たちが向かうべきなのは、深い闇の中じゃない。輝かしい光の中なんだよ」

 

「良く、分からない……」

 

「あはは、ごめん。実は、僕もよくわかってないんだ。なんだか、自分が喋ってるのに、誰かに言わされてるみたいでさ。でも、これだけは言えるよ。これは、紛れも無く、僕の言葉だ」

 


 何度君が迷っても、僕は手を差しのべる。何度君が間違っても、僕が連れ戻す。だって―。


 

「僕は、君を“信じてる”よ」

 


「だから、一緒に答えを探そう。君が、僕が、神が、世界の皆が納得出来る答えを。僕たちは、そのために真実に立ち向かうんだから。僕たちの運命って、きっと、そこが終着点なんだから。大丈夫、答えを、出すのはまだ早いさ」

 

 そう言って、彼は笑った。


 根拠も何もない。ただの夢物語のような、少年が望む運命の決着。

 これを聞けば、誰もが、馬鹿げてると呆れるだろう。誰かは本気で怒るだろう。


―そんな“理想”の話。


 でも、彼女だって、彼を“信じて”いるのだ。

 そして、不思議な事に、なぜか見つかるような気がする。

 誰もが笑うような、誰もが耳を貸さないような夢想でも、アルバとなら。


 この金色の輝きを持つ彼となら、世界を“変えられる”。そんな気がした。


 

 だから、もっと良く考えてみようと思った。

 憎しみが消えた訳ではないけれど、彼が言うように、答えを出すには、まだ私は何も知らなすぎる、と、彼のおかげで気づくことが出来たから。


―“お母さん”。


 私は、彼と共に歩んでみようと思う。

 もしかしたら、お母さんの望む結末ではないかもしれない。でも―。



 後悔しないように……頑張るから。



 記憶の中の彼女がマリアに微笑み、心の中に残っていた最後の鎖の欠片が、フッ、と消え去ったような気がした。


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