追憶4 ~最期~
彼女が何を考え、何を伝えたかったのか。
それは、彼女の口調からは想像できない、苦しみと慟哭を持って私に語られます。
彼女の話は、私という存在をも確定させる話に発展していきました。
「レミエルと呼ばれる存在。それは、自然界の事象から溢れ出した力が生む生命。初代の精霊たちが自然界の法則から“九人”の精霊を作り、それぞれを司らせた。それでも、自然界の力は次第に力を増していく、そう木が年を経て大きく育つように。そうやって、力の均衡を保てぬ時、力が飽和しないようにと設けられた“仕組み”。その仕組みによって、まるで世界から間引かれるかのように生まれるのが、レミエル。力を持った者。そして、次世代の“精霊”へと転じる権利を持つ者」
私が、私の出自を知らないことは当然だったのです。
なぜなら、私は世界の根幹から間引かれた存在。均衡した世界を守る為に、不必要な力の奔流を纏めて、弾き出された廃棄物。
世界に“戻る”ためには、這い上がり、力をつけ、精霊へと至らなければならない悲しい存在。
恐らく、目の前の彼女も、以前は。
彼女の足元から崩れるように湧き出していた光の粒子は、既に彼女の腰辺りからも溢れ出し、次第に彼女の姿は希薄になりつつありました。
「次に、この“涙玉”と、それを狙う“大いなる闇”の存在について」
彼女はその左手に持つ奇妙な水晶を見つめながら、次の話題へと話を続けました。
「これは、“精霊の涙”それも、“初代精霊”の二人が、別れ際に零した涙の結晶。故に“涙玉”。この水晶には、“死する者の悲しみ”を溜め込む力がある。悲しみは闇を生み、積み重なった闇は、今、私たちがいるこの空間のように、世界を闇に、“無”に返してしまう」
「私たち“精霊”は、その膨大な時間を持つがゆえに、喜びを、怒りを、憎しみを、あらゆる感情を溜め込んでしまう。それがいつか爆発を起こしてしまわないように、“一生に一度だけ”“涙”を流す。それが“精霊の涙”。いつか貴方が、水の精霊と成れたならば、この意味が分かるかもしれないわね」
「“精霊の涙”はとても強力な力を持っている。それこそ、自然を操る力を。それを手にした者は、強大な力を得ることになるでしょうね。でも、この“涙玉”は根本から違う。これは、世界を“変える”力を持っている。そして、それを開放し、操れるのは“あの子たち”だけ。無作為に神に選ばれ、世界を“存続するため”に、この涙玉を用いて力を行使させられる。悲しき宿命を背負わされた、世界の“生贄”にされた“精霊術師”たちだけ」
そこで、一旦話しを区切った彼女の表情は、まるで何かを憎むような、恨むような、それはそれは恐ろしい表情でした。
そして、その対象がなんなのかが語られます。
「“おかしい”とは思わない? 世界を見守るはずの神が世界を見捨て、世界を司るはずの精霊の一人がこの地から“攫われて”なお、この世界は回り続けている。それは、“彼女たち”、今まで表舞台には決して出ず、“悲しみに昏れる”精霊を“慰める”ためだけに選ばれた哀れな子たちのおかげ」
「“可笑しい”とは思わない? 世界から見れば小さな、それこそ数多いる人間の一人。神からみれば塵のように小さな犠牲かもしれない。でも、それは彼女たちが“望んだ”ことじゃない。世界に、神に、勝手にその人生を弄ばれるのが“宿命”? “運命”? ……馬鹿げてるわ」
「だから、私はあの子が選ばれた時、“逃げた”。そして、元凶である、深き闇の奥底に眠っていた“涙玉”をやっとの思いで奪った。神に従うべき、造形物の一つであるこの私が、神の意思に背いて、“世界を変えよう”とした。……貴方は、私が“おかしい”と思う?」
答えられませんでした。その瞳には、激しい、渦巻く炎のように激しい怒りが込められていたからです。
神の定めし“運命”の歯車からの脱却。
それがどんなに苦しいことでしょう。恐ろしいことでしょう。若輩者の私には答えを返すことは、“困難”すぎたのです。
それでも、彼女の瞳の奥に光る、“愛”を、私は“美しい”と思いました。
私の心は、この壮絶な神への反逆の物語を聞いても揺るがなかった。
それこそが、彼女を“正しい”と思っている心の表れだったのです。
「お願い。あの子を助けてほしい。いきなり現れて、こんなお願いをするのは不躾な願いだとは承知してるわ。でも、あの子を襲う“運命”は、まだ幼いあの子には重すぎる。せめて、四年。四年間だけで良いの。あの子は、必ず自分の運命に立ち向かい、旅に出る。それまでに、出来るだけの、生き抜くための知識を与えてあげて欲しい」
私は、私の手を握り締め、真剣な眼差しを向ける彼女を見て、考え、そして決意しました。
―彼女の意思を“継ぐ”と。
負傷してなお、これほど大きな力を持つ彼女ですら、払いのけ、逃れることのできなかった少女の“運命”。
それでも、彼女の手の温もりが、森の中で少女を抱きしめた時の温かさが、私を強く決心させたのです。
「そう。ありがとう。貴方なら、見届ける事が出来るかもしれないわね。あの子の“運命の終着点”を」
―何も言わずとも、彼女は理解したようでした。
「今更だけど、貴方の名前を聞かせて? 恩人の名前ですもの。知っておきたいわ」
私は、彼女に私の名前を伝えました。今まであまり意味をなさなかった名前を。
森の動物たちは私をレミエルと種族で呼んでいましたし、何より親に付けられた名前でもない。
ただ、なんとなく自分に名前をつけなければ、世界に飲まれてしまいそうで適当に付けた名前。
「そう、ウルムというのね。“潤む”……か。貴方は優しい涙を零すのでしょうね」
彼女にそう言われて、私はこの世界に“確かに”存在することを再認識させられました。
名前とは、呼んでもらえるだけで強い力を齎すのです。
「ウルム、貴方を巻き込んだことは、本当に申し訳ないと思っているわ。でも、もう私には“続き”がない。私の生命は今に“終わる”。この空間もあの子と涙玉の力を借りて、私の最後の力を使って作り上げたもの。……あの子を置いていってしまうのは心苦しいけれど。それが私の限界だったのだから、悔やんでも仕方ないわ。だから、私は、貴方に世界の“未来”を託すわ。貴方があの子を導き、時が来るまで見守ってあげて」
私はしっかりと頷くことで返しました。
「マリアは心を閉ざしている。私が封じたと言ったわよね。それは、あの子が運命に導かれて、生贄になってしまうのを防ぐため。精霊術師に選ばれたものは、自我を持ち始めたその時から心を蝕まれ、洗脳されてしまうの。でも、しっかりと心が器を広げ、大きな支えを手に入れた時、その呪縛に抗うことが出来るはず」
「具体的に言えば、たぶん七年後。マリアが十五になった時に、彼女は自らの鍵を守る人物、鍵守に出会う。鍵は私が信頼している一人の人物に託してきた。そしてそれは一人の子ども、“あの子”はワイザーの事が苦手だったから、たぶんリンブルね。その子に手渡されているはず。その子が鍵守。マリアを支え、光の中に導いてくれる大事な子。必ず、その子と共にマリアは貴方の元へ現れるわ」
「もし、マリアが心を開いたとしても、神による洗脳から逃れられたとしても、彼女を襲う“大いなる闇”は必ず近づいてくる。貴方には伝えておくわ。そして、マリアに、鍵守である子に伝えてあげて欲しい。“大いなる闇”の名は、“仇成者”。“闇の精霊”から生み出されし使者。禍々しき角を持つ、マリアを闇へと誘う者たちよ」
そこまで語って、彼女は自分の体を見つめ、悲しそうに呟きました。
「もう、時間がないのね……」
見れば、もう彼女の身体は半透明に、蜃気楼のように揺らぎ、少しの風で掻き消えてしまいそうなほどに薄く、儚くなってしまっていました。
「まだまだ語るべきことはあるけれど、時間は許してくれないみたい。三つ。“最期に”三つだけ伝えるわ」
「一つ、マリアが旅をすると言い出した時に、その道標として、教えてあげて。“九精の書”“天明の剣”“慈愛の弓”“聖霊の杖”。必ずあの子の力になるわ」
「二つ、マリアが心を開いた時、彼女が鍵守と共に、長い運命への旅路に出た時、貴方は“始源の滝”に向かいなさい。そこは、水の精霊に至るための修行の場。何も知らないレミエル達ではたどり着けない場所こうして、“運良く”導かれなければね。貴方は、精霊になれる力がある。そして、さっきは旅立つまで、と言ったけれど、願わくばあの子たちの更なる支えになってあげてほしい」
「―最期に、あの子たちを、“愛して”あげて。悲しい宿命を帯び、運命に立ち向かうあの子たちを。……救われないといけないのよ。それが、“皆”の望みだもの」
彼女の身体から溢れ出した粒子、彼女の存在自体がこの深い闇の空間を照らし出していきました。
それは、彼女の最期の光。そして、その光に照らし出されたのは、無数の影。
幼い子どもから、年老いた老婆。ワイザー、リンブル。中にはレミエルの姿もありました。
無数、数えられないほどに無数の影。老若男女問わず、種族すらも関係なく、佇む影たち。そして、一様にその表情にあるのは、悲しみ。深い悲しみでした。
瞬時に理解しました。彼らは、今まで生贄にされてきた“精霊術師”たちなのだと。
涙玉は、“死する者の悲しみを溜め込む”。そして、彼らは涙玉の力を使わされ、世界の均衡の為に犠牲になった者たち。
心は洗脳され、抗うことは出来なかったのでしょう。でも、彼らは悲しんでいた。
自分の“生”を自分の意思で生きられなかった無念。
この無数の影たちこそ、彼女が自分が死に追いやられても救いたかった魂たち……。
「結局……、結局私はこんなにも憎んでいる神と同じ、いえ、もっと“酷いこと”をしているのかもしれないわね」
もうほとんど姿が見えない彼女が呟きました。
「これから、あの子たちが運命に抗えば抗うほどに、“犠牲”は多くなっていく。それこそ、何万、いえ……、何十万もの生命が失われる。今まで一人の犠牲で保たれていた世界が、大きな損失を被ることになる。そして、その魂は、責任は、あの子たちの背に積もっていく……」
「それを引き起こしたのは、私。世界を変えたい。なんていっても、直接的では無いにしろ、間接的に私は多くの生命を失わせる。それも、他人に任せて、自分はここで朽ちていく。……私は神よりも残酷で、許されない存在なのかもしれない……。でも、私は、私がした行動を悔いることはしないわ。―ただ……、悔しいのは―」
死の間際に自分に言い聞かせるように呟く彼女。私は何も言えませんでした。
彼女の意思を継ぐと決心していながらも、その嘆きを苦しみを、“心”を慰める言葉を私は有していなかったのです。
「許して、なんて言わないわ……。憎んでくれても、構わない……。―もし、この世界の裏に、“あの世”があるならば、そこで、いくらだって罵ってくれても構わない……」
それは、誰に対して発した言葉だったのか。私にはわかりません。
ただ、彼女が悔いていたのは―。
「ああ、こんな私ですもの…あの子が、私を“許して”くれるはずもない……。心を封じたのは私なのに、“微笑み”掛けてくれるはずもない……」
消えていく。彼女の存在が。
「でも、それでも……、一度で、良いから……」
輝く、闇を照らす光となって。
「“お母さん”って、呼んで欲しかった……」
その言葉を最期に、彼女は完全にその姿を光に変えました。
私は叫びました。もう聞こえているかも分からない。
光となって天へと飛び去っていく彼女“だった”粒子の柱に向かって。
だって、“悲しすぎる”ではありませんか。
世界を変える為に、神に背き、体を傷だらけにしながらも必死で少女を守り。
自分の行いによって死するものたちの責任に責められ続け。
魂となり、永遠を闇の中でさまよっても許されることはない。
それなのに、彼女の本当に欲しかった―“願い”が、“叶っていた”ことも知らずに消えるなんて。
「違うのです!! あの子は! マリアは、貴方を、“お母さん”と呼んだっ!!」
「言葉に出さなくても、表情に出なくても、心が閉じられていても……! あの子は、愛されていた“事実”を知っていた!! 確かに、貴方の“愛”は“伝わって”いたのですっ!!」
それは、取り方によっては、更に彼女を闇に落としてしまうかもしれない発言だったのかもしれません。
―だって、彼女は“聞いて”いないのだから。これは、私の虚言なのかもしれないのだから。
それでも、伝えなくてはならないと思いました。届くか分からなくても、彼女が、ロザリアが救われないとしても。この“事実”だけは。
天を仰ぎ、虚空に漂う光を見つめて、涙を零しながら叫んだ私の目の前で、立ち昇る光は闇に溶けるように消え去っていきました。
届かなかった。
悲しみとも、後悔とも言えない、深く静かな激情の余韻。私はその場に崩れ落ち、頭を闇の底に打ち付け、涙を零しました。
―その時です。完全に消え去った筈の光。その中の、ほんの一粒。
小さな、蛍の光にも劣るほどの弱い輝きを見せる小さな輝きが、目の前に舞い降りたのです。
即座に手を伸ばし、その小さな粒を両の手でしっかりと掬い上げ、優しく包み込みました。
ありがとう……。……ウルム。
それは幻聴だったのかもしれません。でも確かに聞いたのです。
―彼女の“喜び”に満ちた、ちいさな“感謝”の言葉を……。




