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闇空のスカイライト  作者: 日明 観影
一章 知は旅の始まり
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追憶1 ~出逢い~

 綺麗に後片付けがされた洞穴の中、和気藹々とした雰囲気だった食事から一変し、場は重い沈黙と緊張に包まれていた。

 

 終始、場を和ませていた三匹の喋るリスたちは、食事が終わったあとにこの場を後にした。

 ウルムが何かを指示することもなく出ていったのを鑑みると、彼らなりに空気を読んだのだろう。

 

 席に着いているのは、アルバとマリアの二人。どちらも緊張した雰囲気を漂わせており、互いに口を噤んだまま、その時を待っていた。

 

 ウルムは、準備をしてくる、といって、洞穴の外の滝をまるで泳ぐかのように遡り、断崖の中腹から流れ出す水源の穴の中へと潜っていってしまった。

 

 どんな事が語られるのだろうか。どれほどの事実が突きつけられるのだろうか。

 アルバは、期待と不安、どちらも強く彼の心を揺らすもののせめぎあいを感じつつ、それでも絶対に逃げ出さない、という決意を表すかのように左手の人差し指の水色の輝く指輪を指ごと包むように強く握り締めた。

 

 マリアも同じだった。

 ただ、彼と違ったのは心のせめぎあいが、彼女には表現できない、“不安”だったことだ。

 今からウルムによって語られる事実は、彼女にとっては既知の事実である。

 当たり前だ。彼は今から彼女のことを知る為に話を聞くのだ。

 彼女に襲いかかるのは、彼が、自身を遠ざけてしまうことへの不安。

 彼が自分の元を去ってしまうことへの不安。

 

 まだ出会って一日と経たない彼に、こんな言いようもない心の重圧を抱えなければならないのはなぜなのか。彼女には分からない。

 

 もしかしたら、心を開いて、初めてまともに関わった人物のことを、生まれて初めて見たものを親と思い込んでしまう、“刷り込み現象”のように信用してしまっているだけかもしれない。


 食事の際に彼に覚えた特別な、“なにか”は、嘘偽りない彼女の感情だ。

 しかし、あの思いが本物だと自覚しているからこそ、不安になる。それは、裏を返せばそれだけ彼を信頼しているということだと彼女は知らなかった。



 小刻みに震えるマリアの肩をアルバは視界の隅に見ていた。

 今までとは違う。表情にまで現れた彼女の不安。


 彼女は、知られることを恐れていた。彼の手によってその心の楔は確かに取り払われたのだろう。

 しかし、それは彼女を誰の手も届かぬ重厚な檻から、獣が満ち溢れた世界に放り出したこととも同義であることを彼は理解していた。

 なぜなら、彼女は狙われているのだから。彼女の心の錠は、彼女を閉じ込めるためのものではなく、彼女を守るためのものだった。

 それを、彼が開けてしまった。彼には広い闇の中に一人佇む彼女を守る責任がある。隣に立ち、襲い来る獣たちからを払いのける覚悟がなくてはならない。

 

 だから、彼は彼女を檻から外へと導いた時と同じように、彼女の手を強く握りしめる。今にも泣き出しそうな瞳がアルバを見つめる。

 

 彼女が不安になるならば、何度でも手を握ろう。彼女が悲しむならば、この胸を貸そう。彼女が喜ぶならば、隣で一緒に笑おう。

 

「大丈夫。“僕を信じて”。“マリア”」

 

「っ! ……うん。“信じる”……“アルバ”」

 

 たった一言が、信頼を強くする。言葉にすることが、何よりも心に響く。

 不安の全てを払拭出来たとは言えない、いや思わない。それは当たり前のことだ。

 

 不安の一欠片もない“絶対的な信頼”とは、“盲信”にほかならない。


 不安があるからこそ、人は他人を、自分を“信じる”ことが出来るのだから。

 


 二人の心から不安はそのなりを潜め、互いを信じ、共に歩む絆が強く結ばれた。



 ザパッと水から何かが飛び上がるような音が背後から聞こえて、二人は一層互いの手を握りしめた。

 間違いなく、ウルムだろう。


 振り返った二人に視線で問いかける彼女に、二人もまた強い眼差しで返答した。

 

「おまたせしました。では、今から、私が知る真実を、そう“真実を”語ることにしましょう」

 

 ウルムの右手には、直径三センチほどの純白と漆黒が、一切混ざり合うことなく渦を巻いたようなマーブル模様の球体が握られていた。

 

 ウルムは彼らがそうしていたように、定位置の椅子に深く腰掛け、短く、しかし重いため息を吐いた。

 その表情には多少の疲れが見える。恐らく、彼女がその手に抱く奇妙な球体を取ってくる為に幾分か体力を消費したのだろう。

 誰の目にも届かない秘密の場所に、よほど厳重に守られていたのであろうことをアルバに感じさせた。

 そして、その球体が重要なファクターであることは、考えずとも明らかなことである。

 

 息を整えるように数回深呼吸を繰り返したウルムが、神妙な面持ちで語り始めた。

 

「まず、そうですね。彼女と私の出会い、そう“出会い”から語るべきでしょう。質問は後から受け付けます。全てを聞き、貴方の疑問を明確にしてからの方が受け入れやすいでしょう」

 

 もう“確認”の言葉はなかった。



 ▲▽



 あれは、七年ほど前のことです。不思議と森がざわつき、落ち着かない日でした。

 

 この地に百数年生きる私は、この周囲の森の主として同じくこの地に息づく動物たちから認識され、森の異変は全て私に報告されることになっていました。

 

 あのリス達、そうピーとターとパンを見ていた貴方なら分かるでしょうが、この森の動物たちは人の言葉を解することが出来るのです。

 ですから、あの日も、幸いなことに、ある一匹の狼から明確な報告を受けることができました。

 

 近くの森の泉のほとりに、大怪我をした親子らしきワイザーが倒れている。


 そういった報告でした。

 

 この森は、私が糧とする魔素が異常に濃く、その濃く渦巻く魔素は人を惑わせ、道に迷わせます。

 ゆえに、この住処に人が迷い混むことは殆どありませんでした。

 それでも、幾度かは、この森に私以外の人間が立ち入ったことはあります。

 

 ワイザーやリンブル。彼らは私の、レミエルの強大な力を畏怖し、その誰もが私を同じ“人”だとは認識しませんでした。

 そんな他人種との一方的な軋轢からか、私はその時、人に嫌気が指していたのです。

 

 もし、この森の動物が明確な意思を私に伝えることが出来なかったならば、私は彼女たちを見捨てていたかもしれません。

 大怪我をしているとあっては私も動かざるを得ず、私は狼の先導で泉へと向かいました。



 それは凄惨な光景でした。

 泉が赤く染まるほどの出血。

 小さな少女をその腕の中に抱き、地に伏せている女性は風前の灯火。瞬時に私は悟りました。


 彼女は私の魔法を持ってしても、もう助からないだろう。

 

 命を数刻は長らえることが出来る。しかし、それは彼女に死の事実を明白に伝えるだけの死神的な行為。

 正直、私は彼女をそのまま、意識のないまま死なせてやろうと考えました。

 

 彼女とは対照的に、腕の中の少女は無傷でした。

 

 しかし、それは必然だったのか、彼女は虚ろなしかし強い瞳を開き、その視界に映っているかも分からない私に、息も絶え絶えに懇願したのです。

 

 この子だけは助けて欲しい。と。

 

 私はそう言ってまた意識を手放した彼女の瞳の力強さに圧倒されていました。

 

 そして、彼女は今死ぬべきではない、と思いました。

 

 彼女にとっても、少女にとっても残酷と言える決断をして、彼女の怪我を治せるぶんだけ癒し、二人を住処に連れて帰ることにしたのです。



 彼女が目を覚ましたのは、住処に運び込んでから一時間ほど経ったときだったでしょうか。

 出血は止まっていましたが、脇腹が深く抉られていた彼女はその痛みに目を覚ましたのかもしれません。

 起き上がることもできず、傍らで傷を冷やす為に氷嚢を作っていた私に小さな声で語りかけてきたのです。

 

 あの子は?

 

 字にして、たった四文字の短い言葉。礼を先んじない、受け取り方によっては無礼にも思える発言でした。


 しかし、これほどまでに一途に、一心に子を思える親とは、なんと強かな存在なのだろうと感銘を受けたものです。

 

 私とは彼女を挟んで対照の位置に、少女は寝かせてありました。

 そちらを指さすと、痛みは凄まじいはずなのに、彼女は無理やり体を捻り、少女を抱きしめ、髪を撫で、神に感謝し祈るような歓喜を言葉に込めて、その名を呟いたのです。


―マリア。と。


 これが、私とその親子との、出会い。



 ▲▽



 そこまで一息に語ったウルムは、記憶を追想するように遠くを見つめていた目を閉じて、小さくまた深呼吸をする。


 自分の知る過去を他人に“伝える”というのは、とても頭を使うことだ。

 その労力は肉体労働にも勝ることがある。

 

 その情景を思い起こし、過去の自分に己を重ね、必要とする部分を選び抜き、その時の感情、思い、全てを乗せて言葉を発しなければそれを伝えることは出来ない。

 

 暫しの小休止。今、ウルムの頭の中では、次に語る物語の構成が練られているのだろう。

 そして、この時間は、アルバに与えられた時間でもある。

 

 先ほどの話をなんども頭の中で反芻し、整理していく。そうしなければ、彼女の真摯な語りは一方的なものになってしまうからだ。



 しばらく沈黙が続いたあと、ウルムがまた話を切り出した。

 

「ここまでの話が、マリアと彼女の母、『ロザリア』との“出会い”の話。これから語るのは、彼女が私に語った物語。彼女とマリアの“運命”の話です。しっかりと、そう“しっかりと”耳を傾け、記憶してください」

 

 ウルムの言葉に、強く頷くことで意思を示したアルバ。

 

「それと、マリア。これから話すことは、貴方の使命を再認識させることでしょう。今の貴方には、それを理解し、受け止めることの出来る心がある。彼を信じて、そう“信じて”良く聞いてください」

 

 彼女が話す傍らで、思案に耽った様子だったマリアも、その言葉に意識を改めるかのように強く頷いた。



 先程の話は、まだ、ほんの触りの部分でしかない。ウルムの語った、マリアの母『ロザリア』。彼女が自身の生命さえも顧みずに愛し、守ろうとしたマリア。

 

 その深い愛と、強い意思が、どんな運命に翻弄され、そしてどのようにウルムが関わって行くことになったのか。

 

 彼らの、今だ先の見えぬ闇の中に隠された運命の終着点への綱を手繰り寄せる話は続く。

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