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闇空のスカイライト  作者: 日明 観影
一章 知は旅の始まり
13/34

マリアという少女

 シャリシャリ、と水気のある果物の立てる小気味よい音が少女の耳に届く。

 今までも何回も聞いているはずだが、今はその音が今までの何倍も耳に響く。

 

 “色”というものはここまで物を、景色を“意識”させるものだったのか。

 漆黒の髪を持つ少女は自身の変化に驚かざるをえない。

 

 思えば、あの都市、エルキミアで、あの金色の髪と青色の瞳を持つ少年、アルバと出会った時に困惑したのも無理はない。“色づいた”ものを見るのは初めてだったからだ。

 なぜアルバだけが、無機で色彩のない彼女の視界に唯一鮮やかに写ったのかは、マリアには分からない。たぶん、あの少年にも分からないはずだ。

 

 しかし、理由はどうあれ、彼は彼女をこの色彩ある世界に連れ出してくれた。固く固く閉じた心の錠を、彼の声が、温もりが、心が、鍵となって彼女を救い出してくれた。

 

 色がある世界を初めて認識した瞬間から、マリアの心にはとめどなく色々な、言葉でしか知らなかった感情が流れ込んできていた。

 しかし、まだ彼女にはそれを判別し表現出来るほどの経験がない。




 マリアは今までも感情が無かったわけではない。

 表情に出すことはないが、驚いたり、悲しんだり、悔やんだり、嬉しかったり。色々な感情を感じてはいた。

 

 ただ、それを意識出来なかっただけなのだ。

 

 感情を受け止める筈の心が閉じられているがゆえに、起こった感情は行き場無く彷徨い、やがては消える。ただそれを繰り返していただけ。

 それらを理解するだけの知識はあった。

 その感情を表す言葉を的確に言い表すことは出来ないが、こういった時は、嬉しい。こんな時は、悲しい。というように、説明できるほどには。

 

 感情を意識出来ない世界に色はなく、どんな物も、人も、景色も、ただそこに存在するだけのもの。

 純然たる“事実”だけの世界。それが今までの彼女の世界だった。

 

 ふと、マリアの脳裏に、昔の光景が映し出される。あれは、ウルムから世界の常識などについて教わっているときのことだったか。



『「ねえマリア、今の貴方にはまだ分からないことなのでしょうけれど。もし、そう“もし”貴方が心を開いた時、貴方に一番に知って欲しい、感じて欲しい言葉があるのです」』


『「その言葉って……何?」』


『「それは、“綺麗”という言葉。それは、“美しい”こと、“清い”こと。……貴方の心は、世界を覆う真っ黒な感情から逃れるために閉ざされ、守られている。幼い貴方にとっては、運命はあまりにも、そう“あまりにも”過酷すぎるから」』


『「もし、貴方が成長して運命を受け入れられる器が出来上がり、貴方の心が開かれる時が来たとしても。それを理解し、意識を向けてしまった瞬間に、貴方は背負う運命に、責任に、押しつぶされてしまうかもしれない」』


『「だからこそ、貴方が受け入れる初めて、そう“初めて”の感情は、“綺麗”であって欲しいのです」』

 

『「……良く、分からない」』

 

『「うふふ、そうでしょうね。でも、覚えておいてください。貴方はこれからたくさんの、そう“たくさんの”事から感情の意味を体験し、理解していくでしょう。でも、決して、そう“決して”一人で悩んではいけません。貴方には、貴方を理解しようとしてくれる、大切な人達が、必ず現れる」』

 

 そういってマリアに向かって微笑む彼女の顔は、“綺麗”だった。



 マリアが考えつつも手を動かし続けた結果、二人で採ってきた果実はすべて木の器に並べられていた。

 配置も何も考えずに横に縦に並べられただけの果実。それすらも、今のマリアの目には、綺麗に見えた。

 

「あらあら。なんだか夢中になって、多く剥きすぎてしまいましたね。まぁアルバ君は男の子ですし、このくらいは、そう“このくらいは”食べてくれるでしょう」

 

 確かに、多少大きい木の器に乗り切れないほどの果物。三人と三匹が食べる量にしてはあまりにも多い。

 ウルムも何か考え事をしていたのだろうか。彼女らしからぬミスだ。

 マリアはウルムの顔をジッと見つめる。

 

「そろそろお魚も焼けるころでしょうね。なんにせよ、まずは、そう“まずは”腹ごしらえです。貴方もお腹が空いているでしょう?」

 

「私は、定刻に食事を摂っているから、……彼ほどではない。でも、空腹感は……ある」

 

「そうでしょうね。だって、あれほど強い、そう“強い”魔法を使ったんですもの。身体も精神も疲れているはずです。あまり無理をしてはいけませんよ」

 

 そう言って、ウルムはマリアの髪をなでる。今までは感じたことのない、なんともくすぐったい刺激がマリアの頬を少し赤らめる。

 

「あらあら、“恥ずかしい”のですね。うふふ、“照れてる”のかしら」

 

「……これが、“恥ずかしい”。……“照れる”」

 

 ウルムの言葉から、知っている単語を自分の状況に当てはめて考えるマリア。

 意味は分かっていても感じるのは初めてのこの感覚。

 

(―でも、嫌……じゃない)

 

 今はこの感覚を味わっていたい。今の彼女には、まだ言葉には出来ないけれど。

 

 マリアは頭を撫でてくれているウルムの身体に抱きつき、甘えるように強く顔を彼女に押し付けた。

 心が望む行動だった。感情に突き動かされたとでも言うのだろうか。

 

 一瞬、びっくりして固まってしまったウルムだったが、すぐに満面の笑みでマリアを撫でるのを再開する。

 

「……話が終わったあと、久しぶりに、そう“久しぶりに”一緒に寝ましょうか。貴方が旅立ってからの三年間の話も聞きたいですし」

 

「……うん」

 


 ゆっくり知っていけば良い。分からなければ尋ねてくれれば良い。

 この少女は、まだ真っ白なキャンバスのようなものなのだから。

 これから絵の具を一滴一滴垂らすように、彼女の心は様々な色に染められていくだろう。


―願わくば、真っ黒な世界の闇に染め上げられてしまわぬように。その心が、綺麗な色で輝くように。


 幸福な時間。モノクロの記憶。感じていたはずのウルムに対する様々な感情を、四年間を取り戻すかのようにマリアは甘えつづけ、ウルムは今まで返ってくることのなかった彼女の感情の発露を慈しむかのようにマリアを抱きしめつづけた。



 ▲▽



 三人と三匹が食卓を囲む。テーブルの上には多少こんがりと焼かれすぎた魚と野草と鹿肉のスープ。果物から絞った果肉入の果汁。それと、これでもか!と言いたげな果物の盛り合わせが並んでいた。

 

「さぁ、森の恵みに感謝して」

 

「「いただきます」」

 

 ウルムの言葉に皆が思い思いに祈りを捧げ、声を合わせた。

 数秒の沈黙のあと、食事は開始された。

 

 ガツガツと魚を三箇所から齧りとっていくピーたち。

 木製のスプーンを手に取り、スープを口に運んでいくマリア。

 串を持ち、彼には似合わない豪快な食べ方で魚を食べるアルバ。

 そして、それらを楽しそうに眺めるウルム。

 

「ん?ウルムさんは食べないんですか?」


 彼女の視線に気づいてか、アルバは魚を葉っぱの上に置き、ウルムに質問を投げかける。

 

「ああ、私は見ての通り、水を象ったレミエルです。他のレミエルがどうかは私も知りませんが、私には食物は必要ないんですよ。必要なのは、そう“必要なのは”魔素だけです」

 

「へー! 凄いなぁ! でも、それはそれで羨ましいような、羨ましくないような」

 

 ウルムの返答に心底驚いたようなアルバ。彼の発言に、彼女を怖がるような様子はない。

 そう、彼は彼女を最初から同じ“人”として見ている。

 もちろん、人種の違いを考慮して、多少の差異への知識は初めから持っているはずだ。

 事実、彼もレミエルの存在とその力を知識として知っていたし、彼女の力を実際に見ている。

 しかし、それも彼にとってほんの些細なことでしかない。

 彼はウルムと実際に会話し、その仕草、行動を見て、彼女を同じ“人”として認識したにすぎない。

 

 彼は実際に自分が見聞きし、触れたことを素直に受け入れる“素直さ”を持っている。

 好奇心の強い性格もその素直さから来ているのだろう。

 無駄な先入観は持たず、謎があれば進んで聞き、それを理解しようとする。

 そんな彼だからこそ、ウルムはこうやって自分を隠さないでいることが出来る。

 

 彼女を畏怖し、表面だけを見て彼女の本質を見ようとしない人間たち。今まで出会った人間と違う彼を、ウルムはとても嬉しく思っていた。

 

 横に視線を向けると、物珍しそうに、またどこかウルムを見つめる目とは違った熱のこもった視線を彼に向けるマリアの姿。

 

 あらあら、と少女の目を見張る変化を嬉しく思いつつ、ウルムは笑う。

 やはり、彼だからこそ、この少女の心を開き、そしてこれから救っていくことが出来るのだと彼女は確信した。

 

「そういえば、ここってどの辺り……って言っても分からないですよね……」

 

「うーん、私はこの土地を離れたことがないので、地理には詳しくないのですが。確か聞いた話、そう“聞いた話”に依ると、この川の下流には、小さな街や村が点在しているらしいですよ。この森もかなり広大な面積を持っているようですし、それも指標になりませんか?」

 

「あっ、じゃあ川の名前はなんだかわかります?」

 

「メーダス川やで!」

 

「ミリエラ川だよ」

 

「プクク川……。プククッ……」


「どれさ!? いや、パン。君だけは違う! 絶対に違う!」

 

 それから幾度となくアルバから質問がウルムに対して飛び、時に三匹から横槍が入りつつも楽しげな食事は進んでいった。

 会話にこそ入って来なかったマリアだったが、その表情はどこか楽しげで、アルバが発言をするたびにその顔を見つめ直していた。




 彼の顔を見ると、なぜかふわっと体が宙に浮くような感覚を覚える。

 

 それは、マリアにとって特別な感情。ウルムに抱く感情とはまた違った、彼だけに向けられた心の表れ。

 

(いつか、……言葉にできたら……。彼に、伝えられれば……良いな……)

 

 そんなことを口には出さずに、そっと胸の奥にしまいこむ。

 

 なぜならそれは、とても“恥ずかしい”ことで、とても“照れてしまう”ことだと思えたから。


―だから、“いつか”。

 

 自分がうまく表現出来るようになってから伝えよう。自分が、もっと彼を知って、理解して、それでも、まだこの感覚が残っている時、言葉にしてみよう。

 

 そう自分に言い聞かせたマリアは、止まっていた自分の手を動かし、果物を一つ手にとって、数回つまんだ指先を捻って観察したあとに口に運んだ。

 

「―“美味しい”……」

 

 小さく呟いた声は、少年と三匹のギャーギャーとうるさい口喧嘩にかき消された。

 いや、文句を言っている少年も表情は楽しげで、三匹も笑いながら茶化しているので、ただの漫才だろうか。

 


 まだ自分を表に出すことを知らない少女。


 しかし、本人にも自覚出来るほど早く、確かに、彼女の心には色がつき始めていた。


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