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闇空のスカイライト  作者: 日明 観影
一章 知は旅の始まり
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運命への一歩

「つまり、マリアは昔此処に住んでたって事だよね?」

 

 アルバの質問に、マリアは小さく首を縦に振った。

 それから視線をウルムに送り、自身は俯いて黙ってしまう。あまり自分からは語りたくないということだろう。


「なるほどなぁ…ワイ達も、まだ生まれて二年位やからな」


「知らないのも無理はないって事だね」


「……お姉さん。これで私たち四兄妹プクク……」


 マリアの代わりにウルムが聞かせてくれた話によると、幼少の頃、八歳くらいの時から、約四年間。今から三年ほど前まで、マリアはウルムと生活していたらしい。

 ということは、マリアはその外見から察することはできないが、アルバと同い年くらいのようだ。

 意外な事実を知ったアルバとリスの兄妹は、納得したように頷き合った。

 

「いきなりマリアが帰ってきた事にも驚いたのですけれど。まさか、そう“まさか”ワイザーを連れてくるとは思いもしませんでした」

 

 ウルムが喜んでいるのか悲しんでいるのか良くわからない表情で、アルバとマリアを見比べる。

 その視線は、まるで巣から飛び立とうとするヒナを後押しし、見守る親鳥のようだ。

 

 その様子を見てか、アルバはどうしてもマリアに問うて見たかった質問を投げ掛けてみることにした。

 

 今しかないと思ったからだ。


 もし、このままマリアが黙ったままこの場が解散してしまったら、もう二度と聞くチャンスはないと悟った。

 

「ねぇ、マリア。君はいったい……何者?」

 

 マリアの仮面のような無表情がすこし崩れたような気がした。

 

「―知らないほうが良い……」

 

 少し間を置いて返ってきた言葉は、アルバを突き放すような言葉だった。

 大げさに言えば、関わるな。ということだろう。やはり、彼女の様子がおかしい。

 

 先ほどから、彼女は絶対に、アルバを視界の正面に収めようとはしなかった。

 そして、この言葉だ。マリアは自分に対して、何か恐怖を感じている。

 

 ふと、夢の中で見た彼女の漆黒の瞳が思い出される。助けなくては、と心が思った彼女の姿が、夢と現実が重なって行くのを感じた。

 

(ああ、そうだったんだね)

 

 理解した瞬間、不思議と、アルバは先程の自分を突っぱねる言葉が優しい言葉に感じられた。

 そう、彼女は何か大きな定めに囚われているのではないか。自分では想像もつかないような、運命の渦に。あの時の言葉が思い起こされる。

 

『「私は……狙われている」』

 

 (マリアが言う突き放すかのような言葉……。たぶん、マリアは僕に危険が及ばないように、自分に降りかかる災厄に巻き込まないように気遣ってくれてるんだ)

 

 それを瞬時に理解できたからこそ、アルバは冷静になれた。

 依然として彼女は、表情を崩さない。しかし、地面の一点を見つめながらも揺れるその瞳。

 

「マリア。君はとても優しいんだね」

 

 ビクッ、とマリアの肩が震えた。小さな肩の震えを隠すように腕で肩を抱く。

 

「……そんなことない。貴方はお人好し。―普通なら、貴方は……、私を糾弾する権利がある」


 確かに、客観的に見てもアルバは巻き込まれただけだ。

 それに、自分が体験したあの恐ろしい事件から推測するに、彼女にエルキミアが襲撃された原因はある、と見ていいだろう。

 被害はわからないが、恐らく多くの人が命を落としてしまったはず。彼女の言うとおりだ。

 

 そんなことは、アルバにも良く分かっていた。彼も、大切な家族の安否も確認できず、この場所まで来たのだ。

 不安も大いにある。だが、自分にも譲れないものがある。

 

 知らずに、理解せずに何かを責めるような事など出来ない。

 

 そう、―だからこそ、アルバはマリアの手を取り、言葉を投げかけた。

 

「でも、それは本当に君のせいなの?」

 

「っ!?」

 

 顔を大きく背けるマリア。まるで、怖いものから目を反らすかのようなその仕草の一瞬、彼女の瞳が一際大きく揺らいだのをアルバは見逃さなかった。

 アルバは、一つの確信を持つ。

 

(ああ、やっぱりこの子も、普通の、歳相応の女の子なんだ……)

 

 パシャと滝壺の方から水音がした。音を立てたのは、彼らの会話を見守っていたウルムだった。

 水面に小さな波紋を立てながら降り立ち、アルバの方を静かな眼差しで見つめながら手招きをする。

 

「その先は、私がお話しいたしましょう。“今”のその子の口から語るには、過酷、そう“過酷”な話ですので。着いていらしてください。滝の裏に私の住処があります」

 

 その言葉を聞き、アルバはまだ握ったままのマリアの手を引いて後に続く。マリアは、その手を振り払おうとはしなかった。

 代わりに、何かを怖がるかのように、強くアルバの手を握り締め、俯き、彼に添って歩いた。



 崖を壁伝いに歩くと、確かに滝の裏には横穴があった。

 穴の中は奥に六メートル横に五メートルほどのちょっとした広い空間になっており、天井の高さもアルバが悠々と通り抜けられるほどのものだ。

 洞穴の奥には、また別の場所に続いているだろう扉が見える。恐らく調理場だろう。

 

 家具は木製の丸いテーブルに切り株を模した四脚の椅子。洞穴の奥には、色々な色彩の花と小瓶が並べられた横長のタンスがあった。

 

 洞穴に入り、アルバはその目を疑った。彼が驚いたのは、その明るさ。壁全体が淡く発光し、柔らかな光に包まれていた。

 

「凄い、この岩全てがトルクなのか……」

 

「うふふ。貴方たちの言う、トルクというものは周囲を漂う魔素が結晶となったもの。ということでしたね。残念ながらこの発光する物体はトルクではありません」

 

 口元を隠しながら静かに笑ったウルム。

 彼女は興味深そうに壁を触るアルバの前に、洞穴の奥から取り出した小さな瓶を翳し、振って見せた。

 小瓶の中で、カラカラに乾いているように見える緑色の苔が、さらさら、と音を立てる。

 

「開けてご覧なさい。きっと、そう“きっと”貴方は驚きます」

 

 言われた通りにアルバが瓶の蓋をしていた木のコルクを抜く。

 すると、あれほど乾いていた苔がみるみるうちに瑞々しさを取り戻し、瓶から飛び立ち近くの岩へ飛び立った。

 岩に付着した苔はゆっくりと体を馴染ませるように完全に張り付くと、淡い光を放ち始める。

 

「これは、魔素を含んだ……苔……?」

 

「それもハズレ、そう“ハズレ”です。それはただの植物、魔素をもたない、ただの植物です。もっとも、この近辺にしか生息できないものですけどね」

 

 素直に驚きを隠せない表情のアルバを見て、ウルムは一層楽しそうに微笑んだ。

 そして椅子に腰掛け、彼らにも座るように進めた。自然とアルバの手は、マリアの手から離れた。



 ▲▽



 洞穴の奥側にウルム。その左手にマリア。右手に遅れて外で木の実を採ってきてくれたピーと、ターと、パン。そして向かい合うように、アルバが席に着いた。

 

 先程からひどく困惑した様子のマリア。その手は膝の上で固く握られ、やはりまだ小さく小刻みに震えていた。

 

「さて、お話をする。と言った手前で申し訳ない、そう“申し訳ない”のですが、正直に言えば、私は貴方に、この子のことをお話すべきではない。と考えています」

 

 そう切り出したのはウルムだった。完全にリラックスした体勢で正面のアルバに問いかける。

 

「この子、マリアのことを知ってしまえば、貴方はもう運命から逃れられなくなってしまうでしょう。いくら貴方が過去へ戻りたいと願っても、その流れには逆らえないのです」

 

 悲劇を語る物語の役者のように、ウルムが言葉を続ける。 


「だからこそ。今、そう“今”はっきりと答えを示しておいて頂きたいのです」

 

 そこまで言って、ウルムはピーたちが持ってきた木の実の中から二つを選び、アルバの前に並べた。

 木の実を採ってきた本人たちも、その木の実の行方を見届けるかのように黙りこむ。

 

 どちらもほとんど大きさの変わらない二つの木の実。

 

「ああ。貴方には本当に、そう“本当に”酷な選択かもしれません。それは、“信頼”。私たちの、そして貴方の。一つは成熟した完全な木の実。一つは、虫食いが酷くスカスカな不完全な木の実。掴むのはどちらか一方」

 

 アルバの心臓が否応なく高まっていく。ウルムの表情は穏やかだ。しかし、目が笑っていない。

 

(これは、試されているんだ。僕の決意を。その“強さ”を。ウルムさんは分かっているんだ。僕を。どうしても知りたいと願う僕の本心を)

 

 震える手が虚空に漂う。皮膚に伝わる刺すような視線から、彼女が本当にマリアを大切に思う気持ちが伝わってくる。

 

(そう、僕は“絶対に”ここで話を聞かずに帰ることなんてしない。ずっと探してたんだ、闇の空の根源を、世界の理を。やっと掴んだ、いや、運命に“掴まされた”この機会を逃すことなんて出来ない)

 

 自分の思考を確認するように、客観的に見ていく。 


(だからこそ、彼女は僕のその“強さ”を試しているんだ。僕は、どの位信じれる? 自分を)


 周囲の音が聞こえなくなるほど、心音がうるさい。視界が霞む。


―それでも、歪んだ視界の端、今だ小さく震える少女の手が、アルバの覚悟を決めた。


 

「さあ、どちらを選びま―」

 

「マリア、僕はね。君を夢で見たんだ」


 ウルムの問いを遮るアルバの言葉。宙を漂っていたアルバの手が、スっ、と床に向かって下げられた。

 

 言葉をかけられたマリアが、俯いていた顔をあげ、アルバを見つめる。震える瞳。

 

(消えない……。やっぱり、この金色が。……青い瞳の色が、消えないっ……!)

 

「あの時、エルキミアで君と出会った時に、ああ、運命って本当にあったんだな、と心から思った」

 

「……やめ……て……」

 

「これから、君の話を聞いてしまえば、僕は、あのエルキミアで体験した恐怖よりも、悲しみよりも、もっと酷いものを負わなきゃいけないのかもしれない」

 

「やめてっ!! 消えないの! あの瞬間から、貴方だけ!! 色が消えないっ!!」

 

 マリアがついにその表情を崩しながら、泣き叫びながら立ち上がる。ずっと秘密にしてきたものを見せまいと必死に抵抗する子供のような叫び。

 

「でもっ!! 君は一人で背負ってきたんだろう!? 宿命だと分かっていても!! 犠牲となってしまった多くの人々の魂を、その責任を!! その小さな肩で!!」

 

 勢いに任せて立ち上がったアルバの下げられていた手が―。

 

「閉ざしていたんだろう!!? 孤独な方が痛みが少ないって信じ込んで、鍵を掛けて!!」

 

「っ、たす、けてよぉ……」

 

「ウルムさん、これが、僕の答えだ! 僕の“信頼”だ!!」

 


 震えるマリアの手を掴み、その体を彼の元へと引き寄せた。



 暖かな温もりが、アルバの腕から、手から、体から、マリアへと伝わっていく。

 爆風から身を守るために包み込んでくれた時とは比べ物にならない安心感。



―これが、“信頼”。人を信じる、“心の強さ”。



 どうしようもなく涙が溢れた。涙で霞んでいく視界には、今までのような無機質な世界は広がっていなかった。

 マリアから白だけでなく、色鮮やかな魔素が溢れ出る。

 

 マリアの目に光が射し込んだ。ただ、ただ、暖かな光溢れる世界が、霞んだ先に見える。

 それを認識したときに、マリアの心の小さな錠前が、音を立てて開いた音がした。

 

「まだ、僕はマリアのこと、全然知らないけれど、これから知るよ。僕も背負うよ」

 

 彼女の心へ語りかけるようにアルバは言葉を紡ぐ。

 

「出ておいでよ。闇に閉ざされた世界でも……。君の光は、こんなに綺麗じゃないか」

 

 輝かしい光の中抱き合う二人を見て、ウルムはさっと机の上の木の実を割って見せた。

 虫食いなんてない。―どちらも綺麗な成熟した木の実。

 

「やはり、そう“やはり”貴方がこの子の鍵守リーベルだった……」

 

 涙を目尻に零れそうなほど溜めながら、いつもの微笑みを称えたウルムが語る。

 

「わかりました。語りましょう。この子の……。いえ、貴方たち、そう“貴方たち”の宿命と、闇の世界の真意へと導く道標を」

 


 これが、金色の少年と、漆黒の少女の歩む、来るべき運命の終着点への第一歩。

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