殺してあげるから
両腕に分厚い資料を抱えながら、風間廻は器用に扉を開く。
広々とした部屋には無駄な物が一切ない。この部屋の主が、豪華絢爛というものに興味がないゆえだろう。
大きな木製の机の上には、百は悠にある大量の書類が積み上がっている。
それを高速で捌いていくのは、風間が側近を務める人物。
「レノカ幹部、烏羽仁に関する調査結果が届きました」
「あ、メグー! ちょっと待ってねぇ」
ピョコンと書類の隙間から顔を出して笑うレノカ。
仕事中なので『冥冥の使徒』の制服を着ている。銀ではなく金の装飾は、五大幹部の一員である証。
そんな彼女は風間に言うなりさらに処理速度を上げる。早すぎて残像すら見えていた。
一分ほどで全て片付けたレノカは、風間から書類を受け取って「ありがとぉ」とお礼を言った。
「本部まで走ってもらってごめんねぇ、メグ」
「いえ、お安いご用です」
トレードマークのセンター分けの前髪をサラーンとさせながら、風間は爽やかに言ってのける。こういうところが、彼が地味にモテる要因だったりする。
パラパラと1ページ1秒もかけずに捲っていくレノカ。かなり厚かったはずだが、十秒とかからず書類を全て読み終えるたらしい。手渡されたそれを情報保持のためシュレッダーにかける。
切り刻まれていく様を見ることなく戻り、くるくると椅子を回しているレノカに問いかける。
「本部の方、かなり騒然としていました。なにかあったんですか」
「ちょっとねぇ。でも、機密情報だから教えられなぁい」
ゆるく、しかし明確に拒絶されて、風間は大人しく引き下がる。
本人の雰囲気からそうは見えないが、レノカは本来、遥か格上の存在なのだ。
七歳で『冥冥の使徒』に加入し、史上最速で幹部まで上り詰めた天才。組織発足以来の最年少幹部。
正体不明の異能を操る、今代最強の異能者。政府の最高戦力の殺し屋。
やろうと思えば、国の一つ二つ程度は簡単に潰せる実力者なのである。
「それよりねぇ、聞いてメグ!」
「なんですか? そういえば、ずっとご機嫌ですよね」
レノカは風間に本部へ走らせた時から、ずっと上機嫌でいた。中々レアな鼻歌まで歌っていたのだから、相当にいいことがあったのだろうと、皆が噂している。
レノカはふふっと楽しそうに笑って、引き出しから紙を取り出す。
「久遠瑠瑠。十七歳。誕生日は六月十日。身長は173センチで、体重は39キロ。来月から冬鈴高校の二年生。好きな異性のタイプは“一途な子”。声フェチ。喫茶店『MUF』の抹茶ラテがお気に入り。甘党で辛い物は苦手。得意教科は体育で、勉強は苦手。性格は淡然としていてクール……と思われているが、実は単純でアホ。近寄りがたい雰囲気だが、容姿端麗で女子生徒から陰で絶大な人気を誇っている。今までの交際回数は四回で、全て『愛が重すぎる』という理由で一ヵ月以内に振られている……」
つらつらと淀みなく読み上げられる内容に、風間は首を傾げる。
「なんですか、それ」
「れのの好きな人の個人情報!」
風間は固まった。
『レノカ幹部ファンクラブ』なる愛好会の会員No.1の風間の有する独自のネットワークからの情報では、レノカは今立て込んでいる任務はなかったはずだ。つまりプライベートで好きになったと。
レノカは惚れっぽい。それは組織全体の常識だった。
世界で危険視されている怪物『虞』を討伐する任務で対象を調査しては惚れて、調査しては惚れる。
そんな彼女を周囲は最初は批判していたものの、恋を重ねるごとに強くなるレノカに、次第に口を噤んでいった。
任務で失敗したことはないので、上層部も諦めて放置している。
「昨日ナンパから助けてもらってねぇ。好きになっちゃったぁ」
きゃあっと惚れっぽい女子代表のようなことを口にするレノカ。
風間はたらりと冷や汗を流して、一日で調べられる量の情報じゃなかっただろと戦慄する。
そして個人情報がダダ漏れすぎる。性癖とかどうやって調べたのか。
色々と突っ込みたかったが、そんな気持ちは次の彼女の言葉で吹き飛んだ。
「だかられのも、一緒の学校に通うことにしたんだぁ」
「はぁっ!?」
とんでもないことを吐かしたレノカに、風間は持っていたファイルをドサッと落とした。
♡˚✧₊⁎⁺˳✧༚˚₊⁎❝᷀⁎⁺˳✧༚♡
「ただいまぁ」
自宅に帰ったレノカは、そう口にして扉を潜る。
返事はない。この家に住んでいるのはレノカだけなのだ。
実家は『冥冥の使徒』の加入試験に合格すると同時に出た。あまりいい思い出がないあの場所には、それ以来一度も行っていない。
手を洗って自室に入る。荷物を置いて組織の制服を脱ぐと、下着姿のまま部屋にある重そうな扉を開けた。
レノカの自室より、一回りほど小さな部屋だ。パチっと灯を点けると、部屋全体が明るく照らされる。
もしそこに第三者がいれば、愕然としただろう。あるいはその異常性に怯えたか。
壁一面に貼られた無数の写真。机の上で光を放ついくつものディスプレイ。それらには、一様に一人の青年が映っている。
線の細い身体に、少し長めの藍色の髪。真っ直ぐな光を宿す蒼の瞳は、レノカのお気に入りだ。
ソファに腰掛け、近くの写真を手にする。
そこに写っている青年を見て、レノカは熱い息を漏らした。
着替え中の彼――久遠瑠瑠の頬を写真越しに撫でて、ふふっと笑う。
「好き……大好きだよ、瑠瑠くん。大好き、大好きぃ」
愛を囁いた時、ふと視界の端のディスプレイに見知らぬ女子が映った。
冬鈴高校の監視カメラをハッキングしたそこには、放課後の空き教室が映し出されている。
音声機能もついていて、二人分の声が聞こえてくる。
『――だから、もう付き合えないの! 久遠くん、確かにかっこいいけど、束縛はキツイし愛は重いし……もう無理なの!』
『無理? なんで? 俺、別にそこまで束縛してないよね?』
どうやら痴情のもつれというやつらしい。くすくす笑いながら耳を傾ける。
久遠瑠瑠と彼女らしき女子の言い合いは、どんどん過激になっていく。
『なんでそんなこと言うの? 俺が好きだったんじゃないの? あれは嘘だったの?』
『う、嘘じゃない……けど! 今はもう好きじゃないの!』
『何が駄目なの? どこが悪かったの? ……ああそういえば君の幼馴染が近頃気にかけてくるんだったよね? そいつに何か吹き込まれたの?』
『違う! 私が無理だって思ったの! っ、だいたい、久遠くんは私のどこが好きなの!?』
女子の問いに、久遠瑠瑠は一瞬黙り込んだ。
だがすぐに、どろりとした声が部屋中に響く。
『全部だよ』
蕩けるような表情だった。恍惚とした感情を隠そうともせず、顔を引き攣らせる恋人に語る。
『きっかけは君の声だったけど、それ以外も好きになったんだ。その瞳も、髪も、細い手足も、脇の下にあるホクロも、勉強が苦手なところも辛い物が好きなところも遊びに行く時の私服も誕生日に親にもらったぬいぐるみを大事にしているところも友達に彼氏を寝取られたところも俺を想って下着を買うところも全部全部全部全部大好きなんだ。だから、そんな悲しいこと言わないでくれ』
明らかに異常な執着だった。
女子は怯えたように後退し、壁に追い込まれたことに気づいて絶望した表情になる。
『ああそういえば、あの幼馴染に告白されたんだっけ? 大丈夫、俺がなんとかしておくから、安心して』
『なんとか、って……なんで知って……』
『君は何にも考えなくていいよ』
甘い、蜜のような声。しかしそこにある毒を隠しきれておらず、女子は涙を流し始めた。
『俺が、君を全部管理するからね』
『っ、ひ…………あ、あぁ…………っ! こな、こないでえええぇぇぇぇっ!! いやああああぁぁぁぁぁぁぁ!!』
ブツンッと音を立ててディスプレイの映像が消える。
レノカは手にしたマウスを放り投げて、ソファに横になった。
あの様子だと、別れることになりそうだ。
常識的に考えれば当然の結末だろう。異常な執着と独占欲、あれに怯えぬ常人はいない。
――常人は、だが。
「はぁ……瑠瑠くん……」
彼の異常性を見てもなお――いや、見たからこそ、レノカは胸が熱くなるのを感じた。
頬を朱に染め、瞳を潤ませ、身体の底から生まれた熱に身を委ねる。
類は友を呼ぶ、ということわざがある。
レノカが彼に惹かれるのも、同類だからだろう。
――異常者は、異常者を魅了する。
ブラジャーの肩紐がずり落ちるのも気にせず、写真に魅入る。それから胸元に当てて、身体を震わせた。
「かわいそうな瑠瑠くん。彼女さんに愛を理解してもらえず、いつも振られちゃう」
言葉とは裏腹に、楽しそうな声だった。
「れのなら、全部全部受けてあげられるのに」
愛おしい。
レノカの心を占めているのは、そんな純粋な感情だけだった。
「はやくれののところまで堕ちてきてねぇ、瑠瑠くん……」
――そうしたら、れのが殺してあげるから。
その呟きは誰の耳にも届かずに、空中で霧散した。




