クールな先輩は、酔った時だけ百合になる

作者：白羅ハク

　梅雨が開け、夏の暑さを強く感じるようになった時期。

　空調の効いた文芸サークルの部室で、お昼を食べた直後のことだった。

「亜麻香さん、今度の試験は大丈夫そう？」

　次が空きコマなため試験勉強をしていたら、不意に声をかけられた。

　顔を上げ、声の主を確かめる。

　黒く艶やかな長髪に、切れ長の目。

　スッとした鼻筋、艶のある唇。

　服装は、夏らしい薄手のブラウスに、紺のボトムスを合わせている。

　そんな彼女は文芸サークルの部長、花谷花梨先輩だ。

　清涼感のある見た目に、厳しくも優しいというクールな雰囲気も相まって、周囲からの人気が高い彼女は、わたしに優しげな表情を向けている。

「は、はい！　試験勉強には時間を充てているので」

　花谷先輩の顔が思ったよりも近くにあったせいで、わたしは若干どもりながら答える。

「そう。でもあまり根を詰めすぎないようにね」

　花谷先輩はわたしを気遣って、にこりと微笑んだ。

　天使のような微笑み。そう言って差し支えないほど、完成された表情だった。

　花谷先輩は、一個下であるわたしによく目を向けてくれる。

　本当はその視線をずっと自分だけに向けてほしいのだけれど、そんなわがまま言えるわけがない。

「ちなみにその授業なら、私も過去に取っていたことがあるから教えられるわ」

「い、いえ、花谷先輩の手を煩わせるわけには……っ」

　花谷先輩にも当然のごとくテストがある。

　わたしのために行動を起こそうとしてくれることは嬉しいが、それで彼女のテストの点数が下がってしまっては困る。

　本当はその提案を受け入れたい気持ちを抑え、わたしは全力で首を横に振る。

「今学期の単位、そんなにないから問題ないわ。今週末、私の部屋に集合ね」

　花谷先輩に一方的に約束を取り付けられてしまった。

　花谷先輩の部屋に行くということは、二人きりなのだろうか？　

　まさか、ね……。

　＊　＊　＊

　花谷先輩の部屋、花谷先輩の部屋……とそわそわしていたら、あっという間に約束の日を迎えた。

　花谷先輩は大学進学を機に一人暮らしを始めたらしい。

　つまりこれは、二人きり……。

　わたしもいつか一人暮らしをしてみたいなと憧れながら、花谷先輩に連れられ、オートロックマンション内にある部屋へとたどり着く。

「お邪魔します。……こ、ここが、先輩の部屋」

　玄関を開けると、すごく甘くていい香りがする。

　いつも嗅いでいる花谷先輩の香りが濃縮されたようなとろける匂い。幸せだ……。

「玄関に棒立ちしてないで……さ、始めるわよ」

「は、はいっ」

　わたしは慌てて靴を脱ぎ、部屋に上がった。

　室内は整理整頓されていて、非常に綺麗だ。

　隅のほうに飾ってあるピンクのクマが、クールな先輩とのギャップを感じられてとても良い。

　中央に置かれている丸テーブルに向き合って座り、バッグから勉強道具を取り出した。

　顔を上げると、目の前に花谷先輩がいる。近くで見ても非常に整った表情をしていて、眼福すぎる。

　この状況、素晴らしすぎないだろうか。

「花谷先輩って、かっこいいですよね」

「そう？」

　気付けば本音が漏れていた。

　花谷先輩はきょとんとした表情をしている。可愛い。

「……恋人とかいるんですか？」

「…………」

「……いるんですね」

　わたしが、少し声のトーンを下げながら言うと、

「勝手に決めつけないでちょうだい。……いないけれど」

「ほ、ほんとですかっ！？」

「わっ！　びっくりした。急に大声出さないでよ」

　花谷先輩に付き合っている人がいないことを知って、思わず大声が出てしまった。

　引く手あまたなのに恋人がいないだなんて、驚かずにはいられない。

「す、すみません。ちょっと動揺してしまって」

「……？　よくわからないけれど、無駄話は終わりにして、勉強を進めるわよ」

「はーい」

　そんなわけで、花谷先輩とマンツーマンという夢みたいな状況の中、わたしは試験勉強を始めるのだった。

　花谷先輩は教えるのが上手だ。

　それは勉強に限らず、わたしたちが所属している文芸サークルでも遺憾無く発揮されている。

　的確な指摘で、自分がどこでつまずいているのかすぐわかるのだ。

　改善指導も巧みで、今まで見えなかった感覚を掴めるかのようで。

　美麗な容姿と相まって、まさに隙のない完璧な人である。

　そんな花谷先輩と二人きりという状況に、勉強のやる気が起こらないはずがなかった。

　勉強を始めてしばらく経った頃。

　やや疲労が溜まってきていた。

「疲れたなぁ……」

　軽く腕を回して、体をほぐしていく。

「勉強が終わったら、ご褒美を用意しているわ。頑張りなさい」

「ご、ご褒美ですか！　やる気出てきました！」

　どんなご褒美だろうか。

　一日花谷先輩を独占できる権利？　そんなわけないか……。

　でも、ご褒美って聞くだけで疲れがなんてことのないものに思えてきた気がする。残りも頑張れそうだ。

　＊　＊　＊

「終わったぁ……」

　解放感に包まれながら、ペンをテーブルへ置く。

　窓の外を見ると、日が暮れかけていた。

「お疲れ様」

　花谷先輩はそう告げると、冷蔵庫から何か取り出した。

　お酒とおつまみだ。

「お酒だぁ！」

　ご褒美とは、お酒のことだったようだ。

　わたしはお酒が好きだ。

　二十歳になった今年に飲めるようになったばかりだが、あのフワフワとした酩酊感が、疲労も悩みも吹き飛ばしてくれて、清々しい気持ちになれる。

　先輩から缶のお酒を受け取り、プシュッとプルタブに手をかけ、クイッと喉に流し込む。

「おいしー。花谷先輩も飲んで飲んで」

「ええ」

　花谷先輩もゴクゴクと喉へ流し込む。

　花谷先輩とはサークルの集まりで飲むことがあるが、いつも上品な飲み方をしている。

　自分の限界というものをわかっていて、そこに決して足をかけないような。

　それでいて、普段のクールさを失って騒ぎ出すようなこともない。

　けれど、花谷先輩も同じ人間だ。

　アルコールが入ると少し気分が緩んで、口数が多くなる。

　サークルの話を中心に、二人でおつまみ片手に酒を飲み続けた。

　勉強の疲労のせいか、互いに普段より飲むペースが早い気がした。

　話が弾み、気づけば何缶も空いていた。

「ん～、この味おいし〜」

「……花谷、先輩？」

　花谷先輩の様子が、先ほどからおかしい気がする。

　顔が若干赤らんでいて、目がトロンとしている。

　話し方にも覇気がない。

　酔ってるのかな。

　でも、花谷先輩は自分の限界をわかってる人だから、飲みすぎるなんてことはないはずで……いや、もしかして。

　サークルの飲み会をよく振り返る。

　花谷先輩はそんなに飲む方じゃなかった気がする。

　今は疲れが溜まっている。

　そして、目の前にはいくつもの空いた缶。

　もしかして、わたしの……せい？

「結菜ちゃんって、可愛いよね〜」

「あの、花谷先輩……酔ってます？」

「ぜんぜーん、よってないもーん」

　そう言いながら、花谷先輩はわたしに近づいてくる。

　だめだこれ絶対酔ってる。

　でも、酔ってる花谷先輩可愛いなぁ。

　いつものクールさが抜けきって、新しい一面を見てしまったことにより、特別感が胸に宿る。

　そんな花谷先輩の綺麗すぎる顔が、わたしの真横までやってきて……

「ひゃあっ」

「結菜ちゃんのほっぺ、柔らかいなぁ。ぷにぷにだぁ」

「は、花谷先輩？！」

　透き通るような細い指で、頬をふにふにと触られる。

　花谷先輩の指は柔らかくてひんやりしていて、ちょっときもちいいかも。

「ひゃうっ」

「膝も白くてすべすべしてるんだね」

　今度は正座状態にある膝を触られる。

　軽く撫でるように触れられ、少しくすぐったい。

「膝枕だあ」

　あろうことか、花谷先輩はわたしの膝で膝枕をされ始めた。

　……ちょっとまって。

　何が起こってるの。

　これは夢……？

「あ、あのそれ以上はちょっとっ！」

「ん〜？」

　完全に動揺して、ゆでだこみたいになった顔を冷ますために花谷先輩の行動をたしなめようとするが……

「結菜ちゃんっ」

「わぁっ？！」

　今度はハグをされた。

　花谷先輩の身体は柔らかく、わたしをふんわりと受け止めている。

　彼女の纏う甘い香りが、脳天まで突き抜けていくようである。

　やばい、昇天しそう……。

「いつもは普通におしゃべりしてるだけだけど、ほんとは大好きだよ〜結菜ちゃん！」

　だ、大好き……花谷先輩が、わたしを？

　クールで抜け目がなく、そんな素振りを一切見せないあの花谷先輩が……。

　衝撃の事実に戸惑いながら、わたしも想いを告げる。

「は、花谷先輩！　わた、わたしも、だ、大好きです！」

「両思いだね〜」

「ただちょっと心臓が持たないので離れてもらえると……」

「や〜だ」

　いじわるな顔を浮かべ、すねるような口ぶりで、もてあそばれる。

「ふふふっ。かわいいなあ〜、結菜ちゃんは〜！　スリスリ～」

「…………っ！」

　花谷先輩は頬をこすり合わせてくる。

　その肌は弾力があって、

　今度は、肩へもたれかかってきた。

　何をされるのかそわそわしていると、小さく声が聞こえてきた。よく耳をすませてみる。

「すぴい〜」

　花谷先輩はわたしと抱き合ったまま寝てしまったみたい。

　このままの状態では動悸がおかしくなってしまうので、花谷先輩の肩を支えながらベッドへ移動した。

　一息ついた後。わたしはこれまで起こったことに頭が埋めつくされ、身体がより熱くなっていく。

　心臓が、ばくばくとうるさいくらいに鼓動を鳴らす。

　身体が落ち着かない。

　花谷先輩のことでいっぱいで、おかしくなりそうだ。

　わたしは逸る感情を誤魔化すように、お酒をぐいっと飲みまくった。

　思考が段々と曖昧になっていく。

　やがて、深い眠気がやってきて、花谷先輩のようにだらりと寝てしまった。

　＊　＊　＊

　眩しい光を感じて目を開けると、朝だった。

　身体が少し固まっている。

　ベッドじゃなく、クッションの上で寝たせいだろう。

「あれ……亜麻香さん、泊まっていったのね」

　ちょうど花谷先輩も起きたところみたいで、目元をこすりながら、わたしに話しかけてくる。

「私昨日何してたかしら？　途中から記憶がないのよね」

　花谷先輩のその言葉に、昨日のことを一気に思い出す。

　そ、そうだ。

　花谷先輩が飲みすぎて、酔ってしまって……。

「えっと、それは……た、たのしくお喋りしてましたよ！　女子会、的な？　あははは……」

　過ぎる記憶を脇に、苦笑いで取り繕う。

「そう？　ならいいのだけれど。飲みすぎかしら？　普段はほどほどにするように気をつけているのだけれど、疲れで気が緩んでしまったのかもしれないわね。……もしかして、あなたにも迷惑かけてしまった？」

「い、いえっ！　ぜんぜんっ、そ、そんなことないですよ！」

「なら、よかったわ」

　言えるわけがなかった。

　クールな花谷先輩が、酔って甘えまくってきて、そんな彼女に想いを告げられちゃったなんて……。