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色彩世界の茶色の勇者  作者: カッパ天帝
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2

 と、ここで。

「……っ」

 少女、ソマリが目を開いた。

 その瞳は透明だった。眼皮膚白皮症(アルビノ)よりもさらに色素が抜け落ちたような、透き通る瞳。

 その瞳をもって、キョロキョロと周囲を見回した後、ハッと何かに気づいたかのように目を見開き――

彼女は床に這い蹲った。

「勇者様、この度はとんだご無礼を働いてしまい、申し訳ございませんでした!」

 そして、謝った。平身低頭、こうべを垂れて。

 この世界に来て、僕は謝られてばかりだった。

 前世では僕の方が誰かに謝るばかりで、それを苦痛に思っていたけれど、こうも重ねて謝られると、謝られる側にも辛いものがあった。

「あ、その……顔を、上げてください」

 僕の声を聞いて、少女は恐る恐る、といったように、顔を上げた。

 刹那。

 パチン、と強い音が鳴った。

「え」

 それは、ソマリの頬を平手が打った音だった。

 もちろん、叩いたのは僕ではない。

 いつの間にか僕と少女の間に割り込んでいたアガットが、彼女の左頬を右手ではたいたのだということを、音の鳴った数秒後に、僕はようやく理解した。

「ソマリ! 貴様、茶色の勇者様の担当を任されておきながら、召喚直後の勇者様に何の説明もすることなく眠りこけるとは、どういう了見だ!」

 パチン。

「はい、申し訳ございません!」

「これは重大な職務放棄だ。わかっているのか!」

 パチン。

「はい、申し訳ございません!」

 アガットはソマリに平手を食らわせながら彼女を叱り、ソマリはそれに耐えながら只管に謝る。

そんな胸糞悪い光景が、目の前で何度も繰り返された。

 止めるべきだろうか。

 止めるべきなのだろう。

 勇者ならば。

 勇気ある者でありたいのならば。

 しかし、僕にとってはいくら胸糞悪くとも、それがこの世界の当たり前なのだからと言われてしまえば、たった今転生してきたばかりで、右も左も善も悪も、何も承知していない、いわば部外者である僕がそれを止めようとするのは、やはりどうしても憚られる。

 いや、そんなのは言い訳にすぎない。

 僕はつくづく、茶色の勇者であった。黒と苦い赤の混色によって生み出される、中途半端で優柔不断な色を司る勇者に、果たして勇敢な選択など取れるはずもない。

 僕は状況を傍観していた。

 平手の音。怒号。謝罪。また、平手。

 幾度も幾度も、それが繰り返される。

 それを黙って見ている、僕。

 情けない僕。

 その情けなさに心を苛まれながらも、やはり動くことのできない、僕。

 これが、他の勇者なら。あるいは、クラスの行動力ある奴らなら。彼女を救えていたのかもしれない。

 きっと、救えていた。

 この状況から彼女を救い、絶望の底から彼女を掬い上げたに違いなかった。

 彼女は運が悪い。僕みたいな糞の役にも立たない、糞の色の勇者に当たってしまったばっかりに、今も、痛めつけられている。肉体と精神を同時に傷つけられて、謝ることを強いられている。泣いている。

 泣いて――いる。

「あ、あのう……」

「貴様の仕事は普段から杜撰だ。何をやらせてもうまくできない。役立たずめ」

 パチン。

「はいっ……、申し訳……ございません……!」

「あの!」

 二度目の呼びかけで、ようやく僕の声はアガットの平手と怒号にかき消されることなく、彼の耳に届いた。

 アガットはソマリをたたく手を止め、僕の方を向いて、片膝をついた。

「はっ。いかがされましたでしょうか、茶色の勇者様」

「彼女をたたくのを、やめてください」

 僕は静かに言った。

「いえ、先ほども申し上げましたように、この女は……」

「彼女に、非があるのかもしれません。この世界では、それが当たり前なのかもしれません。ただ、それでも……」

 それでも。

「僕には、彼女の非によって僕が不利益を被ることよりも、今、彼女が打たれ罵られているのを静観している方が辛い……と、思うんです、多分」

 多分。

 実際には、分からない。

 人間は勝手な生き物だから、いつだって自分の都合のいいように世界を歪めて生きている。もし僕が彼女の説明を受けないまま、何の知識もない着の身着のままの状態で世界へと繰り出し、誰かに無礼をはたらいて、磔にされていたとしたら、僕は恥も外聞もなく、説明を怠った彼女のせいにするのかもしれない。彼女に責任の所在を求めるのかもしれない。

 それでも。

 今、この時の僕は少なくとも、本心からそう思っていた。彼女の苦痛が、僕にとってもまた何よりの苦痛であると、本気でそう思っていた。

「ですから、彼女をこれ以上叩くのは、やめていただけませんか」

 再び沈黙が流れた。

 今度の沈黙は、僕もその理由を解するところのものだった。

 さっきよりも濃密に重く、長い沈黙に、この場の空気ごと圧し潰されそうになる。

 それを破ったのは、またしてもアガットだった。

「はっ。勇者様がそうおっしゃるのならば」

 彼はあっけなくも、そう答えたのだった。

 ついさっきまでソマリをぶっていた時の勢いはなかった。

 それが、勇者である僕の命じたことであったからなのか、本当に納得したからなのかは、表情からはわからなかったが、ともあれ、僕は彼を命令に従わせ、ソマリを助けることに成功した。

「でしたら、私どもはこれで。失礼いたします」

 この部屋にもう用はないと言わんばかりに――というのは些か穿った目で見過ぎかもしれないけれど、とりあえず非常に手短な挨拶をし、アガットは他の、緑と金色の髪の二人と連れ立って、扉から退出した。


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