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色彩世界の茶色の勇者  作者: カッパ天帝
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 白くかすんでいた視界が、徐々に戻ってくる。その中で僕が最初に目にしたのは、白装束に身を包んだ白髪の女が、十字架を手に、俯いて祈念しているさまであった。

 女は白髪と言っても、まだ若く見えた。髪の白さは老いによるものではなく、僕の髪が茶色なのと同じように、生まれ持ったものなのだろう。おそらく僕と同い年くらいか、あるいは年下かもしれない。

ってか、白装束に十字架って宗教観どうなってるんだ。

 まあ世界自体が違うのだから、そこに非を見出すのがそもそも間違っているのだろうけれど。

 白髪の少女は僕の姿を認識するや、

「勇者様の召喚、成功です!」

と声をあげた。

 そしてそのまま目を瞑り、その場に倒れこんでしまった。

「あっ」

 僕は咄嗟に、その少女と床の間に手を滑り込ませ――

られるような行動力があれば、きっと茶色の勇者になどなっていなかっただろう。

 そういうことができる奴は、多分赤とかオレンジとかの勇者として選ばれるに違いない。いや、わからんけど。イメージだけど。

 まあつまり、異世界転生を果たしたところで、結局僕は僕に過ぎなくて、そう簡単に別人のように思考することも活動することもできはしない。

 というわけで実際には、僕は倒れこむ少女をしっかりとその目で見ながら、ただ「あっ」という声を発しただけの男であった。

 勇者が聞いて呆れる。

 しかも、運が悪いというか間が悪いというか、あるいはそういう星の下に生まれついた僕が悪いと言う方がいっそ正しいのかもしれないけれど、少女はすぐには起き上がらなかった。

 そして、この少女に関して、僕は一つ、とても重要な発見をした。

 めちゃくちゃに可愛い。

 つるりと透明感のあるたまごのような肌。柔らかく滑らかな、透き通るように白い髪。それと彩度を同じくする長い睫毛。

 清らかで、かつ清らで、まさしく「天使」と形容するに相応しい有様であった。

 前世の同じクラス内に、学年で一番可愛いと言われていた高橋さんという子がいたが(一度だけ消しゴムを拾って渡した時に「ありがとう」と言われたことがある)、この少女は、僕の目には、あるいは彼女よりも可愛らしく見えた。

 しかしながら、少女は倒れたまま一向に動かない。

僕は少女を歎美し、前世で出会った美少女とどちらが美しいかを比べている場合などでは決してなかった。

さて、いったいこの目の前で伸びてしまった美少女をどうしようか。いや、断じて邪な意味ではなくて。このまま放置して良いものか、と言う意味で。

 幸い、息はあるようだが……。

 などと考えていると、

「勇者様の召喚に成功したらしいぞ!」

部屋の外からそんな声が聞こえ、何人かの駆け足の足音が近づいてきた。

 ここがどういう施設かわからないが、一通り部屋を見渡してみると、調度品こそ少ないものの、壁や柱はしっかりとした石造りになっている。窓の格子の隙間には草原が見え、時折馬の嘶くような声もする。なかなか高貴な人物の住まい、おそらくは中世風の城のような建物の、今は使われていない小部屋か何かなのではないかと見当をつけた。走って来ている者たちは、この城の従者か何かだろうか。

 であれば、この少女の介抱も彼らに任せれば良いか。

「さっきの声はソマリか?」

 足音と共に、彼らの話し声も聞こえてくる。

「ああ。あいつの担当、何色だっけな」

「確か……茶色、とかじゃなかったか?」

 茶色。僕のことを言っているのだろうか。

「茶色……茶色、か……」

一人の声がそう言った瞬間、『たったったっ』と小気味よく響いていた足音が、明らかにペースを落とした。

 悪かったな、パッとしない色で。

「茶色だったら、急がなくてもいいか……」

 別の声が言った。おい、聞こえてるぞ。

「むしろ行かなくてもいいんじゃないか?」

 いや、それは困る。

 彼らが来てくれなければ、僕は彼女を放置してこの場を去る薄情な奴になるか、地面に伏した少女をどうすることもなくただひたすら眺め続ける不気味な奴になるかの絶妙に渋い二択を迫られることになる。

 というか、もう後者にはなっているのか。

 不気味な勇者。のっけから嫌な響きだ。

「まあ、これも仕事だ。つべこべ言わずに行くぞ」

 男たちの一人がそう言うと、「分かってるよ」「冗談じゃねえか」と他の声が返し、再び足音は走り始めた。

 セーフ。よく言ってくれた。

 ほどなくして、僕の正面十メートルほど先にある扉が開き、三人の男が現れた。三人とも全身を薄灰色の甲冑に包み、顔だけが見えた状態である。

 その甲冑姿に、僕は少しの感動を覚える。

 おお、中世っぽい。

令和の世に生き、多少ラノベにも親しんだ、特に世界史マニアとかいうわけでもない僕にとっては、それすなわち、異世界っぽい。

 そのうちの一人――緑髪の男が、少女が倒れているのを視認し、駆け寄って来た。

「おい、ソマリ。この方が茶色の勇者様か?」

 おいおい、さっきとえらい態度の変わりようだな。「茶色なら行かなくてもいい」とかなんとか言っていたくせに、いざ対面したら様づけとは。

 だけどまあ、人付き合いなんてそういうものだ。さっきのが張本人である僕に聞こえていたのが問題なのであって、別に表と裏で態度を変えるのが悪いわけじゃない。この場合、僕はおそらく目上に当たるようだし、知らぬふりをするのが礼儀というものだろう。

 少女は男の呼びかけには答えなかった。というより、応えなかった。身動き一つ見せなかった。

「ソマリ」

 別の男――この人は金髪だった――も少女に駆け寄り、軽く体を揺さぶってみるものの、彼女は依然瞑目したままで、起き上がる気配すら見せない。

 まさかさっき倒れた時に、頭でも打ったのだろうか。だとしたら、僕が助けなかったせいじゃないか。

僕は俄然心配になりだしていた。

 と。

「起きろっつってんだろ!」

 いきなり、緑髪の方が、少女を背中から蹴り飛ばした。

「なっ……」

 少女の身体は数メートルほど床の上を転がり、僕の足元で止まった。

 しかし、それでも少女は目を覚まさない。目を瞑り、穏やかに、すうすうと息をしている。

立ったまま、見下ろすような格好で、僕は転がってきた小さな身体と、そのあどけない顔を見やる。

 やっぱり、可愛い顔。

 どこか儚げで、放っておくと消えてしまいそうで、そこはかとなく庇護欲をそそられる表情。

 その表情が一瞬歪み、声とも息ともつかない音が、彼女の口から発せられた。拍子に、白い髪が、彼女のわずかな身じろぎに伴い、さらりと動く。

 その瞬間、僕は一つの大きな衝動に駆られた。

 それは彼女を傷つける者を咎めなければならないという、あまりに唐突で劇的な衝動であった。

「な、何をするんだ!」

 気づけば僕は、そう叫んでいた。

 掠れた声で。

 もう何年もろくに人と喋っていない奴がいきなり大声を出そうとしたところで、声帯は空気と声のバランス調整を盛大に失敗し、出た音はみっともなくもカスカスだった。

 ああ、恥ずかしい。

 僕はなんだってこんなことを。

 甲冑の男たちは一瞬驚いていたが、すぐに僕の正面に並んで片膝をつき、顔を下に俯けた。

 そのうちの一人、さっき少女を蹴飛ばした一番左の緑髪が、その姿勢のまま口を開いた。

「はっ! 申し訳ありません! 貴方様の召喚担当の無彩者であるこのソマリが、己の役目を十全に果たしていないため、叱りました! ご気分を害してしまったのであれば、ここに陳謝いたします! 大変申し訳ございませんでした!」

 さっきの僕の声とは比べ物にならない、しっかりとした発声で、男は述べた。それは紛れもなく、自分よりも遥か目上の者に対する態度と言い方だった。

 彼らは僕に傅いているのだった。

 茶色だろうが何だろうが、僕は紛れもなく勇者なのだということを、彼の言葉と態度によって、まざまざと思い知らされた。

「ええ、ですが、その……倒れて意識のない少女を、大の大人の男が力任せに蹴飛ばすというのは、あまりに乱暴なんじゃないですか……?」

 しかし同時に、勇者だろうが何だろうが僕は僕だ。さっきの威勢(それだって衛兵の野太い声を聞いた後ではもはや威も勢もないに等しいのだけれど)がそう長く続くはずもなく、お伺いを立てるような物言いになってしまった。

 結果。

 決して広くもない、この石造りの質素な部屋に、しばらく沈黙が降りることとなった。

あれ、俺、もしかしてなんかやっちゃいました……?

 異世界転生してるのに、本当の意味で、なんかやらかしちゃいました……?

 まあ、僕らしいと言えば僕らしい。前世でも空気を読むのが下手すぎて、口を開けば場違いなことを連呼していたから。それで、誰かと話すのが億劫になって、いつの間にか誰とも喋らない日が増えていったのだったっけ。

 一番右に控えていた、赤みがかった髪をした男が、ようやく僕のお伺いに反応して静寂を破ったのは、時間にして数秒後。僕が、「この三人の並び、よく見たら信号機みたいだな」などとつまらないことを考えていた時だった。

「僭越ながら、私アガットが、ご無礼を承知で申し上げます。もしかすると勇者様は、この世界のことについてまだ何もご存じないのではございませんか? そこに倒れている女から何も聞かぬままに、こうして私どもとご対面なさっているのではありませんか?」

「え? あ、はい、その通りです……」

「……! なんと……!」

 三人の甲冑男たちは、思わず顔をあげてしまうほどに、心底驚いている様子だった。

「失礼いたしました。召喚された勇者様には、本来であれば召喚直後に、彼女のような勇者担当の無彩者からこの世界における勇者の使命についてご説明を差し上げることになっているのでございます。ですので、勇者様もある程度の常識などはご承知であろうというつもりでお話してしまったのですが、まさかその任すらも果たしていないとは――」

 赤髪の――アガットと名乗った男は、呆れたような視線を少女に対して向けた。

「ーー本当に、使えない女だ」

 ため息とともに。

 蔑んだように。

 彼は言った。

 この少女がどうやら果たすべき仕事を果たしていなかったらしいことは分かったけれど、それはそれとして、僕は彼女がそうした目を向けられ、詰られていることに、明確な不快感を覚えていた。

「あの、そこまで言わなくてもいいんじゃ……」

 ただし主張は弱い。相変わらず。

 そんな僕を責め立てるかのように、アガットは声を上げる。

「いえ、これは非常に糾弾すべきことです! なにせ彼女が説明をしなければ、勇者様がお困りになることになりかねませんので。この度のことにしても、我らのような一衛兵が相手でしたからよかったものの、もしも旦那様や大奥様の前で礼節に欠ける行動をなさっていれば、いくら勇者様といえど、何かしらの不利益を被ることになっていたでしょう。また、詳しいことはそこの女が起きてから彼女に聞いていただきたいのですが、僭越ながらこの世界の通念を私から一つだけ、申し上げておきますと、彼女のような無彩者は、完全に無用の存在でございますゆえ、多少乱暴に扱ってもよいことになっているのでございます。ですから、もしも貴方様がその寛大でお優しいお心遣いによって彼女を庇っていらっしゃるのであれば、その必要は全くないのです」

 完全に無用の存在。

 アガットは少女のことをそう断じた。

 彼の言い様は、自らが正義であると言わんばかりだった。というか、この世界では実際、そうするのが当然であるのだろう。少女を蹴飛ばしたのにも詰ったのにも、本当に悪意はなく、単にこの世界の常識に照らして考えるならそれは当然の所業で、悪いのは全て彼女ーーソマリであったということなのだろう。

 郷に入っては郷に従え、というけれど、しかしその郷の方が間違っていると思ってしまうのは、僕が前世の十七年間の間に刷り込まれた日本の常識を、絶対的に信奉してしまっているからなのか。僕には差別にしか見えないこれを、この世界に転生したからには良しとすべきなのか。

 僕には、わからなかった。

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