3-10 荒唐無稽
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全てが予想外で、激しかった。
王族が葬られる地下墓所へ立ち入るのはもちろん初めてだし、そこからさらに下に牢獄があるとは、想像できるわけがない。誰が何のために作ったのか、まったくわからない。
しかもそこに囚人がおり、その囚人が剣聖だと名乗っている。イダサは落ち着いているし、それ以上にカテリーナが平然としている。イダサは案外に大胆で豪胆だが、カテリーナの様子を加味すれば、間違いなく牢にいる人物がここへ俺とイダサが連れてこられた理由だろう。
それにしても、変な男だ。若いように見えるが、雰囲気には老成したものを感じさせる。
「ファルス、きみも落ち着きたまえ」
シンというらしい男の言葉に、反射的に直立してから、俺も膝をついた。立っているのはカテリーナだけだが、彼女には座れとは言わないようだ。
「お話を伺います」
イダサがそう促すと、シンがわずかに身じろぎして、身を乗り出した。もっとも、俺たちと彼の間には鉄格子がある。錆びてもおらず、頑丈そうだった。人間離れした怪力、もしくは強烈な魔法でないと破壊できないだろうが、そもそもこんなところにある牢なのだから、破壊など不可能に違いない。
それでもシンの発する気配には強い圧力を感じる。
「予言は事実になる。それを伝えておきたい」
予言、という単語に俺は首を傾げたが、イダサはすぐに連想を進めたらしい。
「占い師の予言ですか? 魔剣が復活し、魔物が跋扈するという?」
なるほど、と俺も合点がいった。
剣聖騎士団予備隊を組織する時、カスミーユが俺に、噂だが、と前置きをしてから、そのようなことを話してくれたことがあった。そんな噂があるものか、と思ったが、カスミーユがあまりにも真剣だったのと、予備隊が実際に設立される以上、何らかの理由があるのははっきりしていた。
だからその時は、噂は噂で、予備隊には別の目的があることを遠回りに示唆したのか、と解釈していた。
しかし、イダサも同じことを言っている。カスミーユとイダサは同じ情報を共有しているに違いない。
シンも大真面目な様子だった。
「近いうちに魔物が出現することになる。東方からだ」
断言されると、逆に困る。
このシンという男には何が見えているのだろう。こんな地下に監禁されて、何を知ることができるのか。
もしや、聖剣の力だろうか。
しかし彼のそばに聖剣があるようではない。
イダサもすぐには言葉を発さなかった。言葉の真偽を検討しているようであり、シンが何を知っているか、それを測っているようでもあった。
「あなたにはなぜそれがお分かりになるのですか」
最短距離の言葉が、イダサの口からシンに向けられたが、シンはまるで知っていたかのように、即答した。
「私の持つ聖剣が教えてくれたのだ」
「聖剣。あなたの剣は位相剣、でしたね」
「そう。あの剣は全てを知っている。過去、現在、未来をな」
「ですが、今のあなたの手元にはない」
「手元にないのが問題か?」
からかうようなシンの言葉に、イダサは困惑したようだ。
俺が知る限り、カスミーユもイダサも常に聖剣を持ち歩いているわけではない。必要な時には携帯するが、他の時間は厳密に管理している。
「今すぐここで、手元に呼び出してみせようか? イダサ殿」
迫るシンに、必要ありません、とイダサは素早く応じる。俺の感覚でも、シンは本当に聖剣をいきなり出現させそうだった。真に迫った口調だったのだ。
「占い師が」イダサが話を先へ進める。「魔剣に関して国王陛下の御耳に入れた、と聞いています。あなたが、ではないのですね?」
「占い師は占い師だ。私とも、カテリーナとも、白の隊とも関係ない。稀にいる、本物の占い師だよ」
「占い師の言葉は正しい、とシン殿は知っておられる。だから私をここへ呼ばれた?」
「準備は必要だろう。兵を鍛え、物資を溜め込み、設備を増強し、何より心構えをしておく。もう時間は残されていない」
フゥっとイダサが息を吐いて、わずかに背を反らせた。
俺にはにわかには信じられなかった。
魔剣が復活し、魔物が跋扈する? それは伝説の、神話の世界だ。そんな世界がこの時代に再びやってくるなんてことが、ありえるだろうか。
ありえない、と思うのが普通だ。
しかし目の前にいる二人の男と、壁際に控える一人の女は、冗談を言い合っているようではない。
俺がおかしいのか、彼らがおかしいのか、容易には判断をつけかねた。
ただ、あまり考えている時間はなさそうだった。空気の緊張、話している二人の真剣さは、焦燥感となって俺に浸透していた。
「良いでしょう」
イダサはそう言ってすっくと立ち上がった。そして丁寧に一礼した。
「シン殿の助言は、胸に刻みました」
「よろしく頼む。私はここをいつ出られるか、わからんからな」
「もしもの時は、お力を貸してください」
よかろう、と横柄に頷く囚人に、カテリーナが一礼して通路を戻り始める。
俺は咄嗟に質問していた。
「一つよろしいですか、シン殿」
「カスミーユを探したのも占い師だ。あの時は占い師に私の言葉を代わりに言わせたがね」
不意打ちの反応に言葉を失って立ち尽くす俺に、イダサが不思議そうな顔をしている。
カスミーユが占い師を嫌う理由はそれか。
いや、いやいや、そうじゃなく。
シンは俺が何を質問するか、知っていた? 何故? 俺が今、問いかけたのは咄嗟のことで、ほとんど瞬間的に頭に浮かんだことだ。予想する材料は全くなかったはず。
俺の心を読めるのか?
「心は読めんよ。しかし未来のことは少しだけ知っている。さ、行くといい、予備隊隊長殿」
俺はもう、ただ頷くしかできなかった。
例えば、ベッテンコードを前にした時、俺はある種の恐怖を常に感じていた。それは刃物を向けられる恐怖、暴力にさらされる恐怖と言えるかもしれない。
しかしシンを前にした恐怖とは、それとはまるで違っていた。
全てを見透かされていることの恐怖は、言葉では表現できないものがある。
先へ進みだしたイダサの後ろをついて行く途中、何度も振り返りそうになった。しかしそれさえも予想されて、手でも振られるんじゃないかと思うと、振り返ることはできなかった。
結局、そのまま俺たちは元来た道を戻り、祭壇の下から地下墓所に上がって、死者が眠る荘厳な空間まで引き返した。
と、とカテリーナが不意に足を止めた。
「白の隊のものが掴んだ情報ですが」
彼女の声はまったくの無音の空間で、幾重にも反響した。
「ベッテンコード様は南に向かわれたようだ。お二人なら、捜索しているものに伝えられるのではないですか?」
思わぬ言葉だった。
ベッテンコードの捜索はまったく進展がなく、時折、俺のところにも苦情のようなものが貴族たちから来るほどだ。予備隊からも捜索隊を編成しろという無茶苦茶な内容で、丁寧に断っていた。
「伝手はあります」
イダサが即座に答え、軽く頭を下げる。
「ありがとうございます、カテリーナ殿」
いずれ、とカテリーナがわずかに斜め上を見た。
そこには天井いっぱいの神話の一場面があるはずだ。
「いずれ、破砕剣は必要になります。人類最強の剣なくして、魔剣と魔物の来襲には対抗できません」
俺は返す言葉もなく、頭上を見上げていた。
天井に描かれているのは、人類と魔物の争いの場面だとやっと気づいた。
いくつもの輝く剣が描かれ、それが放つ光が魔物を焼いている。
しかし、と俺は思った。
しかし今、この世界には聖剣は四振りしかない。
本当に魔剣が復活し、魔物が出現した時、人類は勝てるのか。
荒唐無稽な想像だったが、イダサもカテリーナも、シンも真剣だった。
争いは起こる。
そして勝たなくてはいけない。
行きましょう、とカテリーナが歩き出す。
俺はしばし足を止めて、もう一度、頭上を振り仰いだ。
神話の時代の再来、か。
(続く)