3-9 剣聖の住処
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僕も剣聖シンという人物は知らなかった。
しかしカスミーユに問いかけたことはある。緑の隊を引き受けることになった時、剣聖三人とハイネベルグ侯爵などの少数の集まりがあり、そこでハイネベルグ侯爵が「剣聖がもう一人おればな」とぼやきを口にしたからだ。
たまたま隣の席だったカスミーユに「どういうお方ですか」とだけ問いかけてみた。
返事は沈黙の後にあった。カスミーユは汚らわしいと言わんばかりに、小さく、そっけない声で返事をした。
「異常者だ」
結局、その時の印象が強すぎて、あまり触れないほうがいいのだろうな、と思っていた。白の隊がどのような活動をしているのかはともかく、指揮官のカテリーナはまともな人物だし、どこにもおかしなところはない。
もっとも、剣聖騎士団が各隊で独自に活動するため、他の隊の詳細を知らないという側面もある。
やっと正体不明の四人目の剣聖と出会えるのか、と思うと、やや気後れする一方、好奇心を刺激される僕だった。
カテリーナは徒歩で王都を進み、中心部に向かっていく。そちらにあるのは王宮である、巌玉宮を中心とした一角である。そこは城壁で囲まれ、広い敷地がほとんど周囲から隔絶されている。見えるのは高い位置にある屋根などだけだ。
剣聖は王宮にいるのだろう、と見当はついたが、本当に城壁の門を抜ける段になって、違和感があった。
王宮に足を踏み入れることは、剣聖となって何度かあったが、しかし、剣聖が活動するなら剣聖府、剣司館が中心になるはず。
まさか剣聖シンという人物は王族だろうか。いや、そんなことがあるわけがない……。
カテリーナはどんどん先へ進んでいってしまう。建物には入らないようで、脇へそれていき、庭を抜けていく。広い庭には秋の花が咲き誇り、どの木も丁寧に整えられている。しかし人気はそれほどない。
そのまま庭を抜けると、丘のようなところがあった。
ここは……。
実際に目にするの初めてだが、ここは墓所だ。
地上には何もない。何故なら、墓所は地下にある。
丘を回り込むと丘の一部に切り取られるように口が出来てる。当然、厳重に封鎖されている。戸で塞がれている上に、格子でも塞がれていた。
カテリーナは無言でいくつもの鍵を解除し、戸を開いてしまった。
「どうぞ」
薄暗い空間から吹き出す冷たい空気には、冷たい以上の何かが含まれていて、体温がぐっと下がったような気がした。
あっという間にカテリーナが先に立って中に消えてしまうので、僕はそれに続き、背後にはファルスが付いてくる。
「肝試しはあまり好きじゃないんだが」
背後でファルスが声を漏らす。僕もだよ、と反射的に答えていた。
地下へ通じる階段は錬金術の応用だろう、光を発する板が壁にいくつも埋め込まれているので、真っ暗闇ではない。しかし十分ではない光量には、どことなく不安がつきまとう。
それでも地下へ降りる以外に道はなく、僕はカテリーナの背中だけを見て降りていく。階段は緩やかで、わずかに弧を描いているから、先ほどの丘の外周を回るようにらせん状に階段が掘られていると推測できた。
それくらいを降りたのか、不意に空間が開けた。
おお、と僕の背後でファルスの声がした。
明るい空間だったが、常軌を逸した空間でもあった。
見上げるほど高い位置に半球状の天井があり、そこに色とりどりの光を発する細かな石がはめ込まれ、一つの絵になっている。どうやら神話の一場面らしい。そこから降り注ぐ光が、地下空間を屋外のように照らしている。
周囲を見ると、いくつもの十字教の墓標が並んでいる。王族はみな、ここに葬られるのだ。墓所にしてはここは明るく、色鮮やかだったが、墓標だけは実に墓標らしい。何より、全てが静止したような静謐な気配が空間に満ちていた。
カテリーナはこの光景を見慣れているのか、空間の奥にある祭壇へ向かっている。
祭壇に何かあるのか、と思ったが、彼女はまったく自然に巨大な祭壇の下に屈み込み。
姿が消えた。
僕が息を飲んだのと、ファルスが呻いたのは同時だった。
消えた? どうやって?
「こちらです」
急なカテリーナの声に、危うく悲鳴をあげそうだった。
祭壇の下に空洞があり、そこにも地下へ続く階段があるとわかった。かなり急な傾斜らしいがカテリーナの頭が覗いている。
やれやれ、どこへ連れて行くつもりなのか。
僕はカテリーナが滑り込んで行く隠し階段に踏み込んでいく。すぐ後ろにファルスがピッタリついてきた。さすがの魔法使いも予想外だらけで不安なのだろう。それは僕も変わらないけれど。
階段は祭壇の下をくぐると、不意に広くなった。傾斜も緩やかで、しかしそれほど下がらずにほぼ平らに変わる。天井は十分な高さがあるが、ぐっと光は弱くなり、影がはびこっている。
進むうちに、いきなり壁が鉄格子に変わった。
まるで牢屋だ。
そう思って格子の向こうを覗くが、もちろん、無人。
壁で仕切られた別の空間があり、ここも無人。
と、前方でカテリーナの足が止まる。僕は彼女の肩越しに奥を覗き見た。
そこも鉄格子で仕切られている空間だ。
人が、座り込んでいる。
誰だ?
いきなりカテリーナが膝をついたかと思うと、うやうやしく言葉を発した。
「シン様、剣聖のイダサ様と、赤の隊の副隊長であるファルス殿をお連れしました」
カテリーナの姿勢が低くなったので、目の前にある牢がよく見えた。
乏しい明かりの中に粗末な寝台があるが、他には何もない。
寝台に座り込んでいる男が顔を上げる。
変に若々しい男だった。髪の毛は整えられ、髭はなく、肌ツヤは良い。しかし何か、違和感がある。
表情は稚気に富んでいるが、どこか老獪な気配も伴っている。
「あんたが、イダサか? そっちにいるのが、ファルス?」
男の声は嗄れていた。口調は、まるで老人のようだ。
「イダサと申します。あなたが、シン殿ですか?」
そうだ、と男は頷くと不吉な感じの笑みを浮かべた。
「茶の一つも出せなくて悪いが、話がある」
話、か。
まずは彼がどうしてここにいるのか、それを訊ねるべきだろうか。教えてくれるとも限らないし、時間がどれだけあるかもわからない。
とにかく立ったままでは悪いだろうと僕は地面に膝をついた。
ちょっと目を丸くしてから、良い奴だな、とシンが笑う。それは彼の本来的な笑みにも見えた。
(続く)